09. 追跡

 ビクター島の地理的な構造は単純である。


 南北にやや伸びた楕円形の島で、南に下がるほど標高が上がる。ジーンの住む『カモメ亭』は南部の高台にある。周囲はほとんどが草原か果樹園だ。


 人口は北部に集中している。

 北西部に中型の湾があり、港と国軍支部がある。その反対、北東部には市街地から繋がる形で繁華街が広がっている。


 そして、ビクター島のもう一つの港もここにある。

 二人は宝箱泥棒の行方を捜して、その繁華街にやってきた。

 まだ看板を下げられている店々を見て、コディは興味深そうに息を吐いた。


「東側には初めて来ました。でも、思ったより人が少ないですね」

「飲み屋やら何やらが多いからな。賑わうのは夜だ」


 ジーンはそう言いながら、なるべく周りを見ないよう努めた。

 夕方の開店に向けて準備をしている人々が、不審そうな目でこちらを見ている。

 開いた店もないのに軍服を着たままの男二人がうろついているのだ。無理もなかった。

 ジーンが抱える居心地の悪さにも気づかず、コディは話を続ける。


「それで、こっちにも港があるんですか?」

「小さな漁港だよ。釣りもできる」


 捜査が済んだら竿を貸そうかとジーンは茶化す。

 東部の海は西に比べると水深が浅く、大型船は入れない。古い港がそのまま小型の船の停泊に使われている。


「市街地側の港は軍が管理してるんだ。正確に言うと、軍港を一部に開放してる状態だな」


 ビクター島は大戦中、長期に渡り前線の手前に位置し、補給や修理の重要な拠点として利用された。

そのため、今は各種設備のよく整った港として、条件付きの民間使用を許可しているという訳だ。


「だから、あらかじめ登録された船籍じゃないと投錨の許可は出ない。つまり観光定期船の行き来か、長期航行の商船とか大型客船が一時的な補給に立ち寄るときだけ」


 大戦によってインフラや施設が荒廃したビクター島は、戦後、この港の収益で復興したと言われている。

 マイルズが島の中で強い発言権を持っているのも、彼女が民間開放の発案元で実行者であり、復旧の財源に強く寄与したためである。


 裏を返せば、彼女の信用がない船は港に入れないということだ。

 それでもビクター島の位置は他国の船も訪れるのは不可能ではない。彼らがこの島で補給や休息を取りたいと思うのも自然なことだ。

 ビクター島の人間からしても、客を減らすのは避けたい。だから裏道があるのだ。


「そういう大っぴらに入れない奴らが東の漁港に来るんだ。まあ大抵、よその国の漁船が酒か女を買いに来るだけだからな。大人しくしてる間は軍も黙認してる」

「なるほど……」


 小さな漁船の帆柱が見えてくる。そこでは製造形式や旗もまばらな船たちが、寒々しい港にごった返している。この船の持ち主たちが夜には繁華街に訪れ、どんちゃん騒ぎをして、ビクター島に金を落としていくのだ。


 ジーンはそれらを指差して言った。


「一応、警察に市街地のほうも見てもらうけど、やっぱりオレとしてはこっちが本命かな」

「それって何か理由が?」


 コディの疑問に、ジーンはにやにやと笑う。


「石を見かけて『船長に見せないと』なら、石を欲しがってるのは船長だろ。その上、そういうことをやりそうな奴らが丁度、この辺に来てるらしいじゃねえか」


 二日前、コディもそのヒントを得ている。それも、マイルズという確実な情報源からだ。


「……! 確かに、海賊船の報告がありましたね!」

「泥棒の『船長』が海賊なら、船はここに泊めるはずだ。バンダナの男も誰かが見かけているかもしれない」


 二人は目を合わせ、意気揚々と波止場に繰り出したのだった。


***


 数時間後。二人は膝をついて息を切らしていた。

 鴎が不思議そうに二人の顔を覗き込む。


「全ッ然見つかりませんね……」

「日が暮れる……ッ」


 港を端から端まで歩き回ったが、それらしい話は一切出てこなかった。当然、不審な船も見当たらない。

 太陽は町並みの向こうに沈まんとしている。東の港はすでにかなり暗くなっていた。

 繁華街では店に灯りが点き始め、客の姿もちらほら見える。着飾った女が甲高い声を上げて客を捕まえようとしている。

 ジーンはかつてない焦りを感じていた。


「夜にこんなとこにいるのが軍のやつらに見られたら絶対ババアに告げ口される……!」

「なんですって?」


 コディは思わず聞き返した。

 階級を持つ組織の常だ。ジーンの個人的な考えでは、組織で中流を保つ人々は自分より階級の低い人間が享楽を得ることをよしとしない。


 未だ下働き扱いを脱していないジーンが繁華街にいると知ったら、同僚たちは全力でおもちゃにするに決まっている。三年は擦り倒される。


 黙りこくって怒りとも恐怖ともつかない表情を浮かべるジーンに、コディは恐る恐る尋ねる。


「あの、ババアって」

「一人しかいねえよマイルズのババアだよ!」

「大佐ですか!? まだお若い方じゃないですか! 三十後半とかでしょ!」


 コディは悲鳴のような声で窘める。その肩を掴み、立ち上がらせると、ジーンは早足で西に向かって走り出す。


「四十五だよ! あのババア、俺がガキのときから見た目がほぼ変わんねえの! 敵の血で若返るバケモンなの! 任務放棄して呑んでたとか未成年連れまわしてるとか思われたら終わりだ……! 次はオレが鮮血風呂にされるんだ……!」


 この人、余程痛い目を見てきたんだろうな、とコディは思った。

 そしておそらく、そのほとんどは本人が悪いことも想像がついた。


 一緒に走りながら思わず訊く。


「……大佐ってそんなに怖いんですか?」

「きっと正体は熊か何かのバケモンなんだ……」


 そんな情けない声だけが返ってきた。

 段々と西に進み、通りの顔ぶれも変わってくる。

 さらに市街地に向かって通りを抜けていくと、コディはふと目に留まったものに気がついて声を上げた。


「ジーンさん! あ、あれ……」

「支部の奴か!? 隠れろッ」


 すっかり思考を支配されているジーンを引きずり戻す。


「違いますよ! バンダナの男です!」


 ジーンを引き留めるコディが必死に指差す先には、子どもたちの証言通り、金の長髪にバンダナをした男がいた。

 ジーンは目の色を変えて走り出す。コディはまだそんな体力があるのかと内心で感心した。


「本当だッ! あいつを捕まえたら言い訳になるぞ!」

「最初からそれが目的ですよ!」


 コディはジーンを追って走り出した。

 往来の人々が驚いた声を上げる。軍人が何か叫びながら走っているのだ。

 バンダナの男は後ずさる。そこそこ背の高い軍人二人が、一心に自分の方へ駆けてくることに気がついたのだ。


 逃げ腰の男に向かってジーンは声を張り上げた。


「待てコラァ! そこのバンダナ、止まりなさーいッ!」

「国軍!? やべっ」


 バンダナの男は踵を返し、市街地のほうへ駆け出した。人並みを押し退け、突き飛ばして進む。

 その背恰好を覚えながら、ジーンは舌を鳴らした。


「逃げた! やっぱあいつだ!」


 あとは追いついて、拷問でもなんでもして宝箱を取り返せばいい。

 そう思って追うが、ジーンは段々と子どもたちの言っていたことを理解し始めていた。


「しかし……」


 始めは手を伸ばして少し届かないくらいだったのが、角を曲がる度に距離が開いていく。


「これは……」


 自分の方がビクター島の道には詳しく鬼ごっこは有利なはずが、どんどん引き離されていく。


「足早……ッ!」


 横を見れば、コディも往来を気にしてか随分と走りにくそうにしている。

 ジーンはどうにかして策を巡らせる。


「埒が明かねえ! 二手に分かれるぞ! コディ、お前はそのまま真っ直ぐ追え!」

「は、はい!」


 そう言うとジーンはゴミ箱を踏みつけて配管を掴み、そのまま屋根の上に登る。

 上から見たほうがずっと追いやすい。それに障害物はかなり減る。

 建物の隙間を飛びつつ、適度に地上へ降り、男の進む方向を誘導する。


 人のいない、狭い路地に連れ込むのだ。

 町中に生える蔦のおかげで、ジーンはどんな場所にも自由に行ける。

 コディも段々と男との距離を詰めつつある。

 ジーンが男の目の前に飛び降りたとき、丁度、方向を変えた男の先にコディが現れる。


「コディ! 挟むぞ!」

「何とかします!」


 逃げ道を失った男は、大声を出しながらコディに向かって突進した。

 予想通り、男はジーンに比較すると体格の小さいコディの方なら突破できると踏んだらしい。しかし、彼は人を見た目で判断するべきではなかった。


 男は自分の身体が空を舞ったことをすぐには理解できなかった。


「な、なんだこれ!?」


 衆人を気にする必要がなくなり、コディも思う存分に身体を動かす。瞬間的に彼と間合いを詰めたコディは、男を掴んで背負い投げた。


「追い詰めましたよ、お宝泥棒!」

「ハァッ……これで……ヒィ……オレたちの勝ちだな!」


 コディによって地面に伏せられた男の服をジーンが掴む。

 シャツは破けそうになりながらも主人のために耐える。

 ジーンはぎゅうぎゅうと服の中に腕を入れて箱を探した。


「オラッ! 宝箱を返しやがれ! どこに隠しやがった!」

「イヤーッ! そこっ、そこ触らないでッ!」

「黙れ悪人! 大人しくしないとバンダナ毟るぞ!」


 どちらが正義か分かったものではなかった。男は絹を裂いたような悲鳴を上げて助けを呼ぶ。


「た、助けてェー! キャプテーン!」


 途端、三人の上に影が落ちる。

 コディが先に気づいたが、男から手を離すことができず対応できない。

 影の主はジーンと同じように建物から飛び降りると、落下のままにジーンの肩を掴んで叩きつける。


「!」

「ジーンさん! ……あっ」


 思わず意識を逸らしてしまった隙に、バンダナの男は這う這う逃げ出す。そのまま、乱入者に隠れるように縋りついた。


 乱入者は黒の眼帯をした黒髪の若い男だった。暗がりに金色の瞳がよく目立つ。

 異国風の上等な外套は首周りにたっぷりと狐の毛皮を蓄えている。踵の高いブーツは磨き上げられて塵一つない。どこからどう見ても、集団の頭を張る人物の出で立ちだ。


 眼帯の男は倒れたジーンを踏みつけ、逃がさないようにした。


「まったく、手のかかる……」

「お前が『船長』か……!」


 ブーツの厚底の下から絞り出すような声でジーンが言う。しかし、眼帯の男は無視したまま、さらに強く踏む。昨日の負傷もあって、ジーンは激しい痛みに呻く。


 コディは立ち上がり、眼帯の男に向かって叫んだ。


「ジーンさんから足をどけてください!」


 眼帯の男は即座に答える。


「俺は軍人は嫌いだ。お前たちの言う通りにはしない」


 ゆっくりと外套に手を入れ、使い込まれたリボルバー式の拳銃を抜く。

 それから横のバンダナの男を指して、淡々と告げる。


「そもそも、お前たちが先に俺のクルーに手を出した。これは正当な反撃だろう」

「そんな屁理屈……!」


 コディが眼帯の男に近づこうとするが、ジーンが遮る。


「待て、コディ!」


 その言葉に足を止めた瞬間、その先の僅かな空間を何かが高速で通り過ぎる。

 脇を見ると煉瓦が割れて穴ができていた。

 間違いなく銃の痕跡だが、眼帯の男は引き金を引いていない。

 咄嗟に上を見ると、建物の上を人影が動くのが見て取れる。


「狙撃手……!?」


 ジーンが止めていなかったら、間違いなくコディは足を撃ち抜かれていた。

 想定外の戦力に、背筋に怖気が走る。


 コディが動けなくなったのをを見て、眼帯の男は満足そうに鼻を鳴らした。


「しかし、准将に上等兵……妙な組み合わせだな。一般人をこんなに追い回して何が目的だ?」

「一般人じゃねえよ泥棒を捕まえんだよ! そこのバンダナ野郎がマキちゃんの宝物盗んだのがいけねーんだろがッ!」


 海賊は被害妄想がひどくていけない、ガキからモノ盗むなんてお伽話の悪役か、などと痛みに負けずジーンは元気に怒鳴り散らす。しばらく静かに聞いていた眼帯の男は怪訝そうな顔をした。


「……宝物?」

「石とか押し花とか何かいっぱい入った箱だよ!」


 すると眼帯の男は押し黙り、隣のバンダナの男を見る。

 バンダナの男は舌を出した。可愛らしく。

 次の瞬間、眼帯の男は相手の頭を銃把グリップで殴りつけた。バンダナの男はうずくまる。


「……」


 それから眼帯の男は銃をしまい、ようやくジーンから足を離した。


「……状況が飲み込めた。悪いが、船まで来てもらう。騒ぐなよ」


 恐る恐る立ち上がると、周囲にたくさんの海賊然とした連中が集まってきていることに気がつく。見た目はいかにも海の荒くれ者。ナイフや拳銃を持っている者もいるようだ。


 ジーンもコディも数の不利を悟り、大人しくついていくことにした。

 二人は両手を縄で縛られ、眼帯の男の後ろをついて人目のない路地を進んでいく。

 こっそりとコディはジーンに目配せをする。


「これって……もしかして誘拐ってやつじゃないですか?」

「そうかも……」


 投げた賽は時として卓上を転がり落ちる。

 それが生を示すか死を示すかは、神のみぞ知る。

 任務終了まで、あと二日。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る