07. 経過報告
翌日。ジーンは任務経過報告のため国軍支部を訪れていた。
多くの兵が海上任務に出ているため、廊下は静かなものだった。
「
「うん」
道中に行き会った事務員のチャールズに、ジーンはそれとなく話を振った。彼も軍で働いて長い。何か知っているかもしれないと思ったのだ。
チャールズは髭を擦りながら首をひねる。
「そりゃ聞いたことはあるが……そんなこと、誰が言ったんだ?」
「いや、ちょっと港で耳に挟んだだけだよ」
「ああ、船乗りは噂が好きだからなあ。しかし、なんだって今更……」
そう呟くと、チャールズは興味もなさげに教えてくれた。
「数年くらい前かね、下士官の間で噂になってたんだよ。軍の中に政府のスパイがいるって。大戦が終わって、政府は軍が邪魔になった。だから、発言力のある人間を少しずつ減らすために殺し屋を送り込んでるんだってな」
ジーンは煙草を片手に眉をひそめた。
「殺し屋ァ~?」
「まー、所詮は与太話だ。確かにあの頃はお偉いさんが何人も消えたがね、ありゃ単に戦争が終わって汚職が見つかったんだ。捕まっただけで、死んでない」
確かに、思い返すと自分が入隊する少し前くらいは汚職事件の摘発が連日の新聞を賑わせていた。
論理的に考えれば、それは一つの事件の捜査から芋づる式に不正が発覚しただけのことだろう。
しかし、そういった連なりが、経緯を知らない人間には政府の陰謀という形の陽炎となって見えるのかもしれない。
「教訓の意味もあったのかもな。みんな仲間のつもりで話していても、亡霊のように混じって、てめえの喉笛狙ってるやつがいる。……だから口には気を付けろってことだな」
チャールズは何か懐かしいものを思い出すかのように言う。
それを見て、ジーンは小さく頷いた。
「……そうなんだ」
チャールズは肩を組んでジーンの額の傷を覆うガーゼを突いた。
「お前も、あんまり大佐の悪口言うと亡霊にチクられるぞ~」
「うるせえな!」
大袈裟に手を振って振り払うと、ジーンはずかずかと歩いてマイルズの執務室に向かう。
足を止めたチャールズは、そんな彼の背中をじっと見つめていた。
執務室の扉ではいつも通り、蛇が来客を見下ろしている。
ジーンはドアの前で煙草を消すと、ノックもせずに執務室に押し入った。
不機嫌そうに顔を上げたマイルズは、ジーンの全身に視線を向けてから溜息をついた。
「市民に頭をかち割られたと聞いたが……元気そうで何よりだな」
「あからさまに残念そうな顔やめろや」
マイルズは手元に目も向けずにサインを済ませると、山のような書類を脇に除ける。
「何、本心から無事を安堵しているよ。何せここで仕事を放り出されると困る。任務の間は死んでも倒れるなよ」
「後遺症が出たら訴えて勝つからな」
減らず口を叩けるうちは大丈夫だ、と答えて、マイルズは万年筆を置いた。ジーンの話を聞く用意ができたらしい。
「それで、報告はあるか」
「まずひとつ、重要な提出物が」
「うむ」
「二丁目のバーニー夫人にキャラメルを頂きました! 三粒を献上いたします」
ジーンはポケットから缶入りのキャラメルを取り出し、三つマイルズの机の上に転がす。ついでに自分も二粒を一気に食べた。
それを見て、マイルズは黙ってキャラメルを口に放り込み、数秒ほど咀嚼して、言った。
「……
「でも好きでしょ、キャラメル」
マイルズはそれには答えず、指で机を小さく叩く。
「今、私が求めているのはアヴァロン准将の情報だ。調査の結果を聞いている」
「へいへい、そっちもやってありますよ」
ジーンはキャラメルと同じポケットに詰めてあった、くちゃくちゃの調査メモを取り出した。拡げてマイルズに手渡す。
「家の伝票を漁って、本人じゃない予約の痕跡を見つけました。住所と地図を擦り合わせてあります。電話の履歴とかはオレの権限を越えるんで、これ以上はご自分で」
名義などを見るにコディの軍での後見人にあたる人物の可能性が高い。マイルズには重要な情報のはずだとジーンは踏んでいた。
「分かった。手が届かない部分はこちらで調べる」
特に不満もなかったようで、マイルズはメモを軍服にしまった。
「それと、書面上だけでなく実際の所感も聞いておきたい。お前から見て彼はどうだ」
ジーンは迷った。
ここで、昨日コディから聞かされたことをそのまま報告したほうがよいのかもしれない。コディの言っていることが嘘でも事実でも、マイルズは強力な味方だ。
さっさと両者の目的を片付ければ、晴れて自分はお役御免。再び、暇な近所の兄貴分に戻れる。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
「コディ……アヴァロン准将は、オレが思うに……」
言葉を探すジーンの返答をマイルズが険しい顔で待っている。
彼女の金の義手に目を向ける。それから、彼の太陽のような瞳を思い出した。
ジーンはゆっくりと答える。
「何もありません」
ジーンは嘘を吐いた。初めてのことだった。
マイルズは怪訝そうな顔をした。
「何も?」
「学生の夏休みと同じです。そこらのティーンと違うのは、馬鹿みたいに食ってアホみたいに鍛錬してることだけ!」
ジーンは身振り手振りを交えて、彼が如何に子どもっぽいのか語る。
悪口ぎりぎりまで並べ立ててから、声を小さくして言った。
「まあ、放っておいたらいつか崖から落ちる気がするんで、監視は続けます」
「……そうか」
マイルズはそう言うと、引き出しを開け、ジーンに包みの飴を投げて寄越した。
レモン味。キャラメルの礼のつもりのようだ。
「ジーン、決して気を抜くな。戦況はいつでも突然にひっくり返るものだ」
マイルズの忠告に、ジーンは額の傷を押さえて答えた。
「……分かってら」
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