06. 告白

 気絶したハンコックは、住民から通報を受けた支部の軍人によって連れていかれた。


 残ったのは、ガラス片と大きな水溜まり、それから痛々しい血痕だけだ。

 道の片付けが進む中、軍からの事情聴取を終えたコディは、ジーンにぺこりと頭を下げた。


「……勝手に仕切って、すみませんでした」

「いや、こちらこそ、ご迷惑を。助かりました」


 道の壁際に座り込んだまま、ジーンは小さく礼を言う。止血は済んでいたが、まだ立ち上がる気分にはなれなかった。

 近所の老人が心配そうに近づく。


「ジーン、大丈夫かい? お医者さまを呼ばないと」

「いや、いいよ。ちょっと切れただけだ」


 自分で言うのも何だが頑丈さには自信がある。そう言いくるめて、ジーンは医者の治療を断った。

 少し離れた道端では、騒ぎを聞いた住民たちが不安げに話し込んでいる。


「ハンコックさんって、ちょっと前に流れてきた人よね……兵隊さんだったみたいだけど、戦争で足を悪くして、最近は海賊紛いのことをしてたって」


 主婦の話に大工が頷く。


「よその島で軍人上がりが暴れているのは聞いていたが、ここにも来るようになったか」

「戦争が終わって、仕事もなくして、勇兵が落ちぶれたもんだ。気の毒だがね」


 老人がそう言うと、観光客は残念そうに声を上げた。


「ノックスの奴らから、もっと賠償金を取れていればなあ、政府が何とかしてくれたろうが」


 住民たちの感情は、暴力への恐怖半分、状況への同情半分といったところだった。


 大戦が終わり、多くの兵士が職を失った。

 しかし、徴兵されただけの彼らは専門の技能を持たず、高等教育を受けた訳でもないため、十五年経った今では『新世代』に席を奪われる傾向にある。後遺症があれば、なおのこと再就職は厳しい。


 セリファスは名目上、大戦の勝利陣営になってはいるが、小国の立場故に大した賠償金を得られていない。また、激戦区を多く抱えたこともあり、全面的な復旧作業が必要な地域も多く、慢性して予算が不足しているため社会保障に手が回らない。


 現在のセリファスでは、そういった失業者が各地で問題を起こすようになっていた。


 ジーンはぼんやりとして煙草を咥えていた。葉は濡れてしまって火が点かない。ただ唇に挟んでいた。


 そこに、ボールを抱えた少年がやってきた。

 瓶を割ってしまった少年だ。彼はコディに小さくお辞儀をしてから、ジーンにボールを返した。


「……今日はありがとう。ボール、洗ってきたから返す」


 きっと安酒にまみれ、ガラスの欠片も刺さっていただろうに、ボールは丁寧に洗われ、きちんと拭かれて磨いてあった。ジーンは眉を下げて受け取る。


「おう、大変だったな。次からは周りに気を付けな」


 ジーンの言葉に少年は鼻を啜り、何度も頷くと、ぽつりと言った。


「おれ、もう一度、おじさんに謝れるかな……?」

「ああ、次はオレと一緒に行こう。きっと許してくれる……」


 ジーンはそっと答えた。

 ハンコックには罪状が付くだろう。セリファスでは、犯罪者は軍によって海上の監獄船に運ばれる。解放されたとて、きっとビクター島には帰ってこない。


***


 少年が去った後、ジーンはようやく立ち上がって歩き出した。コディも黙ってついていく。


 二人は誰もいない午後の海岸を歩く。波間に跳ねる魚の影が、日差しを揺らすように舞う。海鳴りの中に白い砂利を踏む音がやたらに響く。


 コディは、ジーンの背中に問いかけた。


「どうしてあんなことをしたんですか?」


 ジーンは振り返らないまま、口を開いた。


「あれじゃあ、どの道、誰かが怪我してた。ただの言い争いじゃ済まない。そしたら、あの子は謝りたくても謝れないままになっちまう……でしょう」


 ジーンはたどたどしく言葉を選んだ。


「誰にも傷ついてほしくなかった。身体も、心も。……まあ、うまく行かなかったんですけど」

「……そうですか」


 コディは足取りを早め、ジーンに追いついた。


「あの、もしよければなんですが」


 自分よりも頭一つ大きいジーンの顔を見上げ、柔らかな表情で言う。


「畏まらず、楽なように話してもらってもいいですか? 名前も、思い切って呼び捨てで!」


 ジーンは驚いて黙り込んだ後、小さく首を振った。


「でもオレ、下っ端の雑魚なんで……」


 しかし、コディは悪戯っぽく笑って、足を高く上げて歩く。


「それを言うなら僕のステータスは休暇中ですから。それに、年下を敬いながら監視の任務・・・・・なんて楽しくないでしょう?」


 煙草を落としそうになった。

 ジーンは目を見開く。


「……気づいてたのか」

「鎌をかけてみました」

「あっ」


 じっとりと睨まれ、コディは鈴のように声を上げた。


「あはは! でも、よくあることですよ」


 足を止めたジーンを置いて、ゆっくり前に進んでいく。

 海風に外套の肩章や裾がたなびく。


「どんなに実績を積んでみせたところで、僕は若すぎる。大人たちからすれば鬱陶しいんでしょうね。どこに行っても、お目付け役がついてくる。それは仕方のないことだと思います」


 振り返ったコディは、ひどく穏やかで、寂しげな顔をしていた。


「……でも、一緒に歩くなら少しくらい気楽にしていてほしいじゃないですか」


 ジーンは煙草を携帯灰皿に詰めた。

 大きく息を吐いて、右手を差し出す。


「……大佐に見つかったときは命令ってことにしといてくれよ、……コディ」

「ありがとうございます、ジェイド上等兵!」


 コディは、満面の笑みで握手を受け取った。

 大喜びする彼の姿に、微かに鼻で笑い、ジーンは顎を引いて促した。


「ジーンでいいよ。仲いい奴は、みんなそう呼ぶ」

「ジーン……さん!」


 コディは何歩か下がって、両手を後ろに回した。

 少し翳り始めた太陽が、彼の背の向こうに楽園のような雲を浮かべている。


「ジーンさん。あなたを信じて、言いたいことがあります」


 彼は僅かに躊躇って呟いた。


「……本当は言っちゃ駄目なんですけど」

「じゃあ言わなくていいです……」

「でもあなたには言いたいので言います」

「なんでだよ」


 くすくすと笑うジーンにつられながら、コディは改めて真っ直ぐに彼を見た。

 何よりも白い外套がはためく様は、まるでお伽話の騎士のようだった。


 薄い唇が開かれる。


「僕は、本当の将校ではありません。准将の位は神聖な使命のために与えられた仮の身分です」


 逆光の中にあって、ジーンはコディの顔をはっきりと見た。炎のような橙の瞳が、一層強く煌めいていた。


「僕は国防省監査局所属『亡霊退治人ゴーストザッパー』のコディ・アヴァロン。────この島に潜む悪霊を退治することが僕の任務です」


 風見鶏の傾く音。

 賽の転がる先には、二つの結末があった。

 任務終了まで、あと三日。

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