04. コディ・アヴァロン
町の子どもたちとの約束をジーンが思い出したのは、次の日の朝のことだった。
致命的な忘れ物を思い出したとき特有の、やたら脳の回る不快感。
ジーンは身体を起こし、深呼吸をして額を押さえた。
軍服に着替えながら考える。
今日は土曜。教会を借りられないため、学校は休みだ。
いつもなら仕事は午後の自分に押し付け、約束通り子どもに混じってフットボールでもするところだが、今回ばかりはそうもいかない。
正直にコディに事情を話し、小さな友人たちへ断りを入れる時間をもらう必要があった。
昨日の様子を見る限り、多少の融通も利かないほど狭量な相手ではない。だが、向こうにも予定がある以上なるべく早く相談したほうがよいだろう。
少し悩んだが、時計は八時を指そうとしている。朝食の時間も近いので起きているはずと思い、部屋を出た。
二階にある彼の客室に向かい、ペンキ塗りの戸を叩く。
「准将、起きてますか?」
しかし、いつまで待っても返事はなく、ジーンは怪訝そうに再度声をかけた。
「准将?」
よく見ると、昨夜に仕掛けておいたピンが蝶番から抜けている。一度は戸を開けた証拠だ。
それならばと隣の客室に作った覗き穴を確かめに行く。
しかし、見る限りコディはどこにもおらず、寝台はもぬけの殻だった。外套は残っていたが、帽子が見当たらない。
要するに、見失った。
ジーンは飛び上がって、転がるように階段を駆け下りた。しようと思っていた話などすっぽ抜けていた。
一階はペネロピが朝食の支度をしている最中だった。騒がしいと窘められる前に先制する。
「母さん! 五号室の客どこ行ったか知ってる?」
ペネロピはスープの味見をしながら答えた。
「帽子のお客さまなら日の出る少し前くらいにお外へ出られたわ」
数拍置いて、ジーンが青ざめる。
「ゲエーッ!?」
「何か困るの?」
「困るどころの話じゃない!」
そう叫んでから、はっと口を押さえる。マイルズの命令は誰にも秘密だ。
手を止めたペネロピの不思議そうな顔を見て、ジーンは無理やり言い訳を探した。
「……迷子とかね!」
様子のおかしい息子に首を傾げつつも、ペネロピはそれ以上の疑問には思わなかったようだ。再び鍋に向かい、胡椒を足す。
「そう? お若くてもちゃんとした方だし心配ないと思うけれど。それに、裏庭を借りたいって言ってたから、きっと、そう遠くにはいってないわよ」
そうは言っても、五時間あれば島のどこに行って何をしても大抵は帰ってこられる。
しかし、あの純粋そうで人の好い青年が、裏ではジーンの目的にすっかり気づいていて、人畜無害そうな態度で油断させて監視の目を欺いたとでもいうのか。
そうだとすれば奴はとんだ千両役者だ。恐ろしい男だ。ジーンは内心で頭を抱えた。
ペネロピは鍋の火を止め、時計を見た。
「でも、そうね。そろそろ朝ご飯もできるからお呼びして頂戴」
ジーンはコクコクと頷き、扉を蹴破らんばかりに飛び出した。
小鳥たちを散らし、神への祈りを唱えながら裏庭に回る。しかし、やはりコディはいなかった。
やはり、逃げられたのだ。
やられた。任務は失敗だ。マイルズに殺される。ジーンは柵に両手をかけ、項垂れる。
その後ろに、ゆらりと人影が現れた。
「あ、ジェイド上等兵。おはようございます!」
「ギャア!」
驚きのあまり柵の横木を二本も圧し折った。
振り返ったジーンは三度も相手の顔を見て、それがコディだと理解した。
へにゃりとその場に崩れ、思わず安堵の溜息をつく。
「探しましたよ! 何をなさってたんです」
ジーンの妄想などつゆも知らないコディは、照れ笑いしながらタオルで汗を拭いていた。
「すみません、日課の体力作りを少々……」
「……日の出前から?」
これも自分を騙すための嘘かもしれない。ジーンは疑り深く尋ねた。
するとコディは一枚の紙を差し出す。そこには、体力増進のための基礎的な項目が────桁を間違えたか進数が違うかとしか思えない数字と共に書き込まれていた。
「……なるほどっすね!」
ジーンは詳しく考えないことにした。
さらに尋ねたところ、コディは庭から裏道を見つけて海岸に下りたと言う。ジーンもその道の存在は知っており、崖下を覗き込むと確かに海岸沿いには何度も人が走り込んだ痕跡があった。岩礁から巨岩が移動している気がするのは幻覚だろう。
しかし、これでコディはジーンが見ていない間も、不審な行動を取らなかった可能性が高くなった。マイルズの予感は杞憂だったのだろうか。ジーンは考え込んだ。
コディはそんなジーンの様子を窺い、不安げに尋ねる。
「もしかして何か急ぎの用でしたか?」
「あ、いや、飯ができたってだけなんですが……」
話をするつもりだったことも忘れ、ジーンは首に手を当て緊張を解く。
その言葉にコディは丸い目をさらに大きくして、踵を返して駆け出した。
「もうそんな時間ですか! すぐ行きます!」
「まだ走るの?」
***
本日の朝食はポテトパイとニンジンのグラッセ。スープはトマトと卵のコンソメだ。
「話に聞いていた通りです! おいしいですねー!」
「あらあら、いくらでもおかわりしてくださいね」
世の中には『馬のように食う』という言葉があるらしい。
それを最初に言った人は、きっと、今の自分と同じような光景を見て思いついたに違いない。ジーンはそんなことを思った。
それはまるで若い馬が草を食み続けているようだった。
暴食という訳でなく、ただ丁寧に、淡々と、大量に食らう。二十個のパイを食べてなお、コディは食事のペースを崩すことなく、にこやかに舌鼓を打っていた。
その向かいに座って、ジーンはぼんやりとパイを口に詰め込む。
皿を片付けながら、ペネロピは息子にうきうきと話しかけた。
「やっぱり食べ盛りの子を見るのって楽しいわねえ。あなた大きくなってあんまり食べなくなっちゃったから」
「流石に比べないで? 十人前食ったことはねえよ?」
今だって人並みには食べているはずだ。ジーンはそう思いながら、苦手なグラッセをコーヒーで流し込んだ。
安心と満腹から早朝のことをふと思い出し、席を立つ前に尋ねることにした。
「准将、今日どこか行くなら先に寄りたいところがあるんですが、いいですか? 三分ほどで済みます」
コディは快く頷いた。
「ええ。予定といっても、町をゆっくり見て回ろうというくらいのものですから。こちらの都合は考えなくて大丈夫ですよ」
これでまた一つ不安が減った。ジーンは立ち上がり、自分の皿を台所に運ぶことにした。
皿を流しに置いてから、換気扇の下で煙草を咥える。
思えばよくこんなに料理を準備してあったものだ、とジーンは洗い物の山に視線をやった。
丁度やってきたペネロピに尋ねる。
「客一人の日にしちゃ作り過ぎじゃないか? キャンセルあったっけ」
しかし、ペネロピは柔らかく首を横に振り、頬に手を当てた。
「いいえ? 予約のときに、たくさん食べる人だって伺っていたのよ。その分、お代金も上乗せしていただいたから、奮発しちゃった!」
「ふーん、……その予約って誰がしたか分かる? 本人じゃなさそうだけど」
少し考えてから、ペネロピは電話で受けたので顔は見ていないと言った。
「本島の方だったわねえ。うちを名指しだから、お父さんの昔の知り合いじゃないかしら?」
電話で予約があったならば、住所を控えた伝票が残っているはずだ。そこから情報が取れずとも、マイルズに報告して支払いの履歴を調べてもらうのも手だろう。
コディ・アヴァロン准将は本当にただの人懐こい男かもしれない。
しかし、彼のことを全面的に信頼するには、まだ奇妙な点がいくつか残っていた
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