邂逅





詩人は、ぜんに完成させたばかりの詩集を置いた。





新しい年を祝う人々が行きう、街のにぎやかさとは打って変わって、この墓地は静けさだけが満ちていた。



詩人が、墓石の雪を払うと、きざまれたばかりの碑文ひぶんが見えた。



生涯、詩を愛した男、ここに眠る。


彼は、詩の伴侶はんりょにして、詩の父親。

詩に愛された、まことの詩人だった。





友人をとむらい、めいきざんだのは、すべて詩人の手配である。





「君に見せたかった……」



詩人は、詩集の置かれた墓の前で、友人に向かって語りかける。



「君が人生をかけて作ったものを、私は形にすることが出来た。私は満足だが……」



詩人は、一瞬、空を見上げると、両手で顔をおおってうつむいた。



「ぜ…君が、いないんだ……」



詩人は、肩を震わせて、ひとり涙を流した。






…詩は、愛なのよ。






あの“声”が、聞こえる。




詩人は、顔を上げると、声のする方を見た。


いつの間にか、まわりはきりが立ち込めている。




「……詩の女神ミューズよ」



…わかったでしょう?



詩の女神ミューズよ、何がわかったと言うのか?貴女あなたの言葉は、いつも謎めいている」



…彼は、あなたに詩を与え、あなたが世に送り出したのよ。


…あなたは、私の詩を愛したように、彼の詩を愛して、すべてをささげたの。




詩人は、霧を払うように手をかざして、声のする方に向かって目をらした。



霧の中から、明るい人影が浮かび上がり、じょじょに大きくなって、詩人を包み込んだ。






…あなたが愛するいにしえの詩人たちも、愛した詩のために生きたのよ。




古代、詩人として活躍しながら、散失さんしつした詩を集め、編纂へんさんに人生をそそいだ人々ひとびとがいる。



詩人は、それらの人たちにけいを払う。


出会うたびに、おそれ多くもたずねずにはいられない。


私は、貴方を尊敬しています。貴方は、心のです。



教えてください。詩は、誰のものですか?



すると、ある人は、詩の女神ミューズの前では意味の無いことだ。と言って、笑って歩き去る。


行き先を尋ねると、詩の女神ミューズのもとへ、と答えた。




ある者は、詩作のために寝食を忘れ、命を落とし、


ある者は、詩を追い求め、狂気の果てに身を滅ぼした。




ここにいる誰もが、詩を愛し、詩のために生き、詩のために死んだ。


そんな彼らに、詩の女神ミューズはいつもい、ほほんでいる。




詩の女神ミューズは、どこにでもいる。


彼女は、誰からも離れることは無く、ひとしく愛をそそいでいる。




しかし、すべては同じ。彼女はひとりなのだ。





「私も、貴女あなたのものに、なってしまった」



…私もよ。



…私は、あなたの詩。



…詩は、愛なのよ。





詩の女神ミューズは、詩人と海辺にいる。



…これが、あなたの“詩”なのね。



ふたりは、せては返す波の音を聞きながら、海と広がる空をながめていた。



「ここは、素晴らしいところだ。ここでは、何でもできる。詩で、世界を作り出すことも」



詩の女神ミューズは、あわく光る体でらめきながら、詩人を見た。



「でも、これは本当の世界だろうか?」



彼女の表情は、わからない。


光の中に浮かび上がる、かすかな影によって、うれいにも、喜びにも見えるのだ。



…ここは、あなたの世界よ。


…そして、私の世界でもあるの。




流れる雲を見送って、ふたりはまた、海をる。



…ここでは、詩を書くのも、愛。詩を求めるのも、愛なの。


…詩を書くことも、読むことも、うたうことも、その詩にこたえて生まれた心も愛なのよ。


…それがどんな形であろうと、愛によって作られたなら、それは真実よ。




友人は、ここではなに なく、詩を作っている。


ただ、彼が言うには、ここでは、詩は、言葉なのか、音楽なのか、光なのか、わからなくなる。と、嬉しそうに話していた。





彼女は、言う。


…愛は、つながり合って、やがて一つになるの。






海の向こう、現世うつしよでは、いつもと変わらぬ時間が流れていた。


詩人が、墓前で倒れて亡くなっているのが見つかると、国じゅうが大騒ぎになった。

人々は、詩人の突然の死を嘆き悲しみ、こくそうが行われ、国内はもとより、世界中の国々がふくした。


やがて、喪が明けた頃、墓のぬしが詩人の友で、しかも詩人がけた友の詩集の存在が知られると、それは友情物語として、人々の間で感動を呼び、新たな伝説となった。


こうして、詩は、時をえ、国をえて、いつまでも、どこまでも広まり、かつての国々が姿を変え、あとかたもなくほろび去っても、世界から消えることはなかったのである。





詩人は、“彼女ミューズ”によって、すべてを知ることが出来たが、今となっては、どうでもいいことだった。




…愛は、“ひとつ”よ。みな、ここに辿たどり着くわ。






ふたりは、海辺でひざを抱えながら、寄せては返す波を見ている。




「ところで…私たちの距離は、近すぎるとは思わないかい?」



…私は、“あい”なのよ。誰のそばにもいるわ。




ふたりは、いつの間にか肩寄せ合って、互いの顔を見つめ合う。





「私は、あなたを愛したから、あなたに愛されたのだね」


…私は、あなたを愛したから、あなたに愛されたのだわ。





あわく光る詩の女神ミューズの体と、詩人の体が溶け合って、ひとつになった。





「それにしても、おかしなことだったよ。私にとって、大事な人がいる時に限って、詩が降りて来たのは」


彼は、海辺の砂に寝転びながら、となりに座る彼女に問う。



ひょっとして、わざとかい?



彼は、じっと彼女を見つめる。



…さあ、どうかしらね?



彼女は、彼を見ずに、海に眺めたまま、長い髪を手櫛てぐしいて、海から吹き抜ける、気ままな風に遊ばせた。



舞い上がる髪は、空に溶け合い、心地良い香りが、彼女の淡い光とともに彼を包み込む。



「いじわるな詩の女神ミューズだ」


そう言って、詩人かれは笑った。








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いじわるなミューズ 始祖鳥 @shisotyou

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