彼、もとい“詩人”は、コートの雪を払ってから家の中に入った。


世間からもてはやされる詩人にとっても、この男は、唯一無二の友だった。



「友よ、なぜ言ってくれなかった?」


この男、詩人にとっての“友人”は答えた。




「すべては、私が選んだ事だ。私は、私の生き方をまっとうしたい」





かつて、友人の実家はそれなりに裕福だった。それで友人は、富豪が主催するパーティーや貴人の社交界に出入りしていた。そこで、詩人と知り合うのだが、この頃はまだ、友人の詩は好評で、詩人と引けを取らないとまで言われていた。宮廷で、詩の朗読会に招かれたこともある。しかし、なぜがある時を境に友人の詩は評判を落とし、友人は姿を消した。



詩人は、友人のことが気がかりだったが、自身の生活が、詩の執筆や出版の打ち合わせ、講演会や門下生もんかせいへの教育などで、多忙を極めたために、すべてをませてから、ようやく友人を探し出したのだった。




「水くさいじゃないか、詩の女神ミューズに魅入られた者同士だろうに」


「誤解しないでほしい。私は、女神にそむいたのだ」




友人もまた、“声”を聞いて生きてきた。


そして、その声に従い、一時いちじは社交界の花形になったが、どうしても自分で考えた詩を書きたくなって、声を無視するようになった。


「…私は、女神に与えられた詩によって、何もかも満たされていた。名声を得て、一族のほまれとなり、妻と出逢い、子どもにも恵まれた。…それなのに、私は…ああ!…私は自分の身勝手な欲望を押さえることが出来なかった!」



詩人は、頭を抱えてうずくまる友人に駆け寄り、その両肩に手を置いた。



「身勝手なものか!、詩人なら、誰でも詩を作る喜びを知っているはずだ。与えられたもので、満足できる訳が無いだろう」


「いや…違う」



暖炉の炎が、くすぶりながらも、息を吹き返すように、再び揺れながら踊りだす。



「私は、愛していた。自分だけの詩を」



友人は体を起こすと、詩人の肩をつかんで向き合った。


「…そして、思い上がっていた。自分には才能があると。自分だけの力で詩人でいられると。それで、女神の与える詩を捨てて、自ら詩を書いて皆の前で読み上げた。そうしたら、どうだ!」


友人は、遠い目をして、動きをめた。



「…もういい」



詩人は、友人の置かれた手を静かに外すと、体を支えながら椅子に掛けさせた。


「私は、君の詩集をすべて持っているよ。その事で話があるんだ」



友人は、自分の詩が誰にも見向きもされない事を知って、たまれなくなり、二度と社交界に足を運ぶことは無かった。それでも、諦め切れずに、今度は自腹を切って本を出して、市井の人々に理解を求めたが、すべては徒労に終わった。



「君は、私と違って、自分の意思をつらぬいたじゃないか。ほこりに思うべきだよ」


「私が愛していたのは、詩ではなく自分自身だったんだ。本当に詩を愛するなら、女神に従うべきだった。それに、私は、家族がありながら詩作に没頭して、みな、私から去って行ったよ。実家からも、勘当かんどうされた。女神に忠実な、お前が正しい」



ふたりは、暖炉の前で、肘掛け椅子にもたれながら、温めたワインを飲んでいた。



「私も、家族を捨てたも同然だ。今、私には君しかいない。私は普段、大勢の人に囲まれているけれど、心を許せるのは君だけだ」



ワインと部屋のぬくもりが効いたのか、友人はだいぶ落ち着きを取り戻して、詩人の話に耳をかたむける。



「君の、後援者パトロンになりたい」


「断る」



友人の意思は、固かった。



「私なら、君の本を世に広めることが出来る。国じゅうの出版社に掛け合って、君の書いた詩集をすべて発行することだって…なんなら、国王陛下に献上して、君の才能を知らしめてみせる」


「また、恥をかかせるつもりか!?」


「違う!皆、知らないだけだ。君の詩は素晴らしいのに!」



友人の、カップを持つ手が震えている。それを見た詩人は、自分のワインを飲み干して息を整えてから、穏やかな口調で、友人をさとした。



「君は、十分苦労したじゃないか。もう、すべてを私にまかせてくれ。君はただ、詩を書いてくれればいい。ここよりずっと暖かい場所で、たとえば、南の海沿うみぞいにある私の別荘とか…」



「お前はなぜ、私から人生を奪うのか」


そう言って、友人もワインを飲み干した。




「私の主人は、私だ」




「…ここの住人から聞いたよ、君が雑用をしていると」


「屋根履き、左官、石炭屋。皆が必要とする、大事な仕事だ」



友人は、毅然きぜんとした態度で詩人をえる。



詩人は、気まずそうに、カップを持った両手の親指をこすりながら、うわづかいで友人に食い下がる。


「実は、私は引退を考えているんだ。準備はませてきた」



友人は、少し驚いた顔をした。



「後継者は見つかったんだ。後は私の会社を受け継ぎ、ませてくれるだろう。そもそも私には、詩集の印税や曲の歌詞や演劇の権利で、いくらでも金は入ってくる。何も心配はいらないよ」



「詩はどうしたんだ。お前まで、女神を捨てるのか?」



「誤解だよ!私はもう、十分詩を書いた。詩は、国じゅうに広まり、王家から庶民まで様々な人々に知られている。私の詩はこれからも、読まれ、うたわれ、時を越えて受け継がれて行くんだ」



「それは、女神が決めることだ」



友人は、再び詩人に、厳しい眼差しを向ける。



「ああ、どうしたら誤解が解けるだろう。私は、君の詩集を作りたいんだ!」



「私の……!?」



「書いているんだろう?君が詩作をやめるはずがない」



友人は、黙ったままうなづいた。



「どうか、私にやらせて欲しい。こんなこと身勝手かもしれないが、私にとって君の詩は癒しであり、救いだった。それが、このままうずもれてしまうなんて、耐えられない!」



友人は、幾分いくぶんか表情がやわらいで、そのまま詩人をじっとえる。



詩人の懇願こんがんは、友人のかたくな心を少しずつ、確実に溶かしていった。




「もう…今なら言えるよ。私は、君が好きだ。誤解しないでくれ、詩人として、尊敬しているんだ」


「わざわざ言い出すなんて、お前らしくもない」



そう言って、友人は笑った。






あれから、ふたりは話し合い、友人は、今までに書きめた詩のまったトランクを、詩人の前に持って来た。



「ありがとう、友よ!」


「お礼は、中を見てから聞きたいものだよ」




ふたりは、まだ若き詩人だったころのように、楽しく語らいながら詩を読み合い、うたいあった。けても、家のあかりが消えることはなかった。






クリスマスが終わり、新しい年がおとずれる少し前。製本のために、詩人にすべての詩をたくした友人は、風邪をこじらせて死んでしまった。







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