第5話 犯人は誰だ?

 確かに、

「第一発見者を疑う」

 ということは間違いではないのだが、あまりにも、

「マニュアル通りの捜査」

 というものをしようとすると、抵抗があるというのは、無理もないことだ。

 時代が平成になり、さらいそれから、数年する頃には、警察も、だいぶ変わってきた。

 これは、

「世間に警察が追いついてきた」

 という場面と、逆に、

「警察が世間においついてきた」

 という場面とがある。

 どうしても、地域によって、時代背景が少し微妙にずれているということがあるようであるが、

「警察が世間においついてきた」

 ということとしては、

「まず、タバコの喫煙問題」

 というものがあるのではないだろうか?

 平成になった頃から、街の公共交通機関などを中心に、

「嫌煙権」

 というものが叫ばれるようになったということから、

「駅に禁煙コーナーができたり、電車内で、4両編成であれば、最後部が、禁煙車」

 というような時代に入ってきた。

 しかし、これは、まだ、

「段階的な禁煙」

 ということの手始めということであり、

「その時代が世間でなじんでくると、今度は、禁煙コーナーが喫煙コーナーとなり、基本的には、禁煙」

 という状態に変わってきたのだ。

 この頃になると、会社の事務所でも、ほとんどのところは、禁煙となり、喫煙コーナーが、会社の小部屋として用意されている。

 ということであったりする。

 考えてみれば、昔は、学校の教員室であったり、会社の会議室でも、モクモクとした煙が上がっていて、

「会議室というと、灰皿に吸い殻が山のようにたまっている」

 というのが当たり前だった時代だったのだ。

 しかし、同じ時代に、警察の取調室というと、まったく同じ感じで、刑事が吸ったタバコの吸い殻が、灰皿からこぼれるくらいになっていて、それが当たり前だという時代だったのだ。

 これは、

「警察が世間においついた」

 といってもいいだろう。

 それとは逆に、警察の捜査は、今までのような拷問は利かなくなってきた。そもそも、「自白というものに、どこまで信憑性があるというものか?」

 ということで、もし、警察に自白を強要されたということを、裁判でひっくり返せば、裁判官は、警察の捜査を信用しないだろう。どんな証拠をもってしても、警察が自白を強要するということは、それだけ大きな問題なのだ。

 それは、冤罪というものが、どれほど大変なことなのかということを分かっているからである。

 無実の人間を罪に陥れる。もしこれが、

「死刑判決」

 であったとすれば、その問題は、

「どうしようもないくらいに大きな問題だ」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、さすがに警察も、

「開かれた警察」

 ということで取り調べ中に、部屋の扉を開けておくなどということをしないといけないくらいに、シビアな取り調べとなってきたのだ。

 この問題は、警察の方が、世間よりも先だったのではないだろうか?

 コンピュータの開発もその後だったこともあるので、サイバー犯罪や、個人情報保護であったり、そのあたりに、

「基本的人権にかかわる憲法的な考えは、コンピュータの発達によって起こってきたものだ」

 といってもいいだろう。

 個人情報保護というところで大きな問題になってくるのが、

「サイバー詐欺」

 のような犯罪ではないだろうか?

 コンピュータウイルスなどが蔓延ってくると、個人情報が、詐欺組織に漏れたりしないように、

「世間の人にも、個人情報保護」

 という観点をあからさまにするということが大切になってくるのであった。

 携帯電話などを使っての詐欺ということになると、

「特に老人などの、コンピュータに疎い人が狙われる」

 というのも当たり前というもので、

 平成の最初の頃に流行った。

「オレオレ詐欺」

 などというものが始まりであり、それであれば、

「電話で誘導して、金を振り込ませる」

 という手口だった。

 しかし、

「コンピュータウイルス」

 というものに、企業のサーバーが引っかかってしまうと、それこそ、金融機関の情報が洩れるということになり、

「顧客の、金融機関の情報が洩れるということは、銀行の口座から、暗証番号。名義人まで漏れてしまうと、

「いつの間にかお金を引き落とされている」

 ということになりかねない。

 だから、会社の方でも、

「個人情報が漏れない」

 というようにしないといけないわけで、それがどういうことなのかというと、

「コンピュータウイルスに感染しないようにする」

 ということのために、

「変なサイトは見に行かない」

 であったり、

「おかしなリンクはクリックしない」

 などというマニュアルを会社も用意して、それを社員に徹底させる必要がある。

 もし、漏れてしまったりすれば、会社の責任となり、会社がこうむった災難は、今度は、会社が社員に請求するということになるのだ。

 これは、

「会社を解雇されていても、関係はない」

 つまりは、事が起こってしまった時にさかのぼっての罪ということになるのだ。

 だから、今は、

「会社の情報を表に持ち出さない」

 ということで、今までのように、

「仕事が間に合わないと、家に持ち帰ってする」

 ということはできない。

 やるとすれば、会社に泊まり込んでするということしかないだろう。

 それだけ、厳しいことになるというものである。

 そんな社会問題をいかに扱うのかということが、現在の、

「個人情報保護」

 ということになる。

 また、個人情報の保護という観点は、

「個人間」

 にも存在する。

 それが、ほぼ同じころから湧き上がってきた、

「ストーカー問題」

 というものにかかわってくるのである。

「盗撮」、

「盗聴」

 などという問題も、その中には入ってくるというものである。

 ストーカー問題というのは、実は、昭和の頃からあったことであった。

 しかし、実際には、

「そこまで多くなかった」

 ということなのか、それとも、

「そこまでエスカレートすることはなかった」

 ということなのか、どちらにしても、

「問題が大きくなってきた」

 といってもいいだろう。

 確かに、問題はエスカレートしてきた。

 相手の家を突き止めるだけではなく、

「無言電話」

 であったり、

「ごみを家の前に置いておく」

 あるいは逆に、

「相手の望まないプレゼント」

 特に、下着などを置いておくというような、嫌がらせが増えてきたりすると、さらにエスカレートして、その人にかかわっている人、あるいは、その人本人すら傷つけるということもあるだろう。

 これが昔にもあったとすれば、探偵小説などで見られるような、前述の、

「変格派探偵小説」

 であろうか、

 要するに、

「猟奇殺人」

 であったり、

「変質的な性癖が、犯罪にかかわってくると、耽美主義的な意味」

 として、

「犯罪を美化することで、正当化しよう」

 とする考え方である。

 それが、平成の時代にまたしても起こってくるということは、それこそ、

「時代は繰り返される」

 ということになるのであろう。

 それを考えると、

 耽美主義であったり、ストーカー犯罪というのは、

「殺人などの凶悪犯に対して、感覚がマヒしてしまい、自分を正当化することで、それが美化に繋がるとして、犯罪の凶悪化を引き起こす」

 といっても過言ではないだろう。

 それを思うと、

「犯罪というものを考えた時、動機の偏執性であったり、犯罪そのものの、残虐性というものが、昔の犯罪に近づいてきた」

 といえるだろう。

 ただ、時代が一周しているので、その間に、科学の発展であったり、時代が一周するだけの、社会の大きさを思い知ることになるだろう。

 だから、

「犯罪においての、歴史を勉強する必要があるのではないか?」

 と考えることで、

「昔の探偵小説を読み込む」

 というのは、その時代背景を勉強するという意味で、大切なことなのかも知れない。

 それはあくまでも、

「研究」

 という意味であり、実際の犯罪が今の時代に起こっているのであるから、すべてを鵜呑みにするというのは、決していいことではないだろう。

 それを思うと、

「ストーカー問題」

 であったり、

「詐欺や、サイバーテロ」

 のような、コンピュータ関係の、生活安全課の仕事といわれるところは、

「捜査一課」

 というところの問題だけに限らないといえるのではないだろうか?

 そんな事件が多くなると、生活安全課の仕事も多くなる。

 しかし、警察は、今や人手不足。基本的には昔からそうであるが、

「事件性がないと動かない」

 ということである。

 平成から令和になると、それが、

「物理的に不可能」

 といってもいいような問題に発展する。

 要するに、

「警察官の人手不足という問題だ。

 警察官の数も減ってきているし、予算もままならないのかも知れない。

 何といっても、目に見えて、減ってきているものとして、交番が昔ほどはないのだ。

 前であれば、町内に一つは交番があっただろう。

 しかし、今は数個の町に一つの交番があるくらいで、そこには、常時、数人の警官が配備されているくらいで、パトロールに出てしまえば、交番に残っている人がいなくなり、交番の前には、

「パトロール中」

 という札が立てられているという状態になっていることだろう。

 だから、そんな状態において、

「事件性のないものに、かかわっている暇がない」

 というのも、当たり前のことだった。

 実際に、人手不足の原因が、

「警察官になりたいと思う人が少ない」

 ということなのか。

「それだけ警察官が嫌われている」

 ということなのか、ハッキリとは分からない。

 しかし、全体的に、いろいろな職業で、

「人手不足問題」

 が多いというのは、その中に、

「過剰サービス」

 というものが多すぎて、手が回らないということも多いのだろう。

 ただ。それが、本当に過剰サービスなのかというのは難しい。

 一度、サービスを始めてしまうと、前の状態に戻すことが難しいところもあるだろう。

「やめてしまうと、明らかに売り上げ減につながる」

 ということがハッキリしているところは、そのサービスをやめるわけにはいかない。

 そうなってしまうと、利益と損益を微妙に計算しないとやっていけないということであり、それでも、損益が利益を上回る場合は、少しでも、損益を減らす方向に考えると、

「経費節減」

 の観点から、サービスをやめないと、人手不足の問題を解消できないということで、世間は、

「暮らしにくい世の中になる」

 ということである。

 ただ、時代というのは難しいもので、

「バブル期に向かう、右肩上がりの時代であっても、警察のようなところは、決まったことだけしかしない」

 という、公務員気質だったのだ。

 バブルが崩壊した後であれば、

「公務員なら、安定している」

 といわれるようになったが、バブル期以前であれば、

「給料も安く、出世もなかなか難しい」

 といわれる時代があった。

 何しろ、バブル期になれば、

「事業を拡大して、仕事をすればするほど、出世も、給料も高くなる」

 ということである。

 天井は見えず、無限に可能性が広がっているようで、誰もが、

「夢を見ることができる時代だった」

 といってもいいだろう。

「土地を転がすだけで、金が儲かる」

 ということで、資金さえあれば、どんどん増やすことができる時代だったのだ。

 それが一気に、崩れてしまい、

「誰もがいつ、リストラされるか分からない」

 という時代になった。

 リストラされなくても、給料は一気に下がり、ボーナス支給もない。

 買い物を分割払いでしていた人は、それもできなくなり、結果手放さなければいけなくなるということも多かっただろう。

 車を買ったり、中には、

「家やマンションを買った」

 などという人もいるだろう。

 リストラされてしまうと、支払も滞り、かといって、売りに出しても買い手はいない。果たしてどうなるのだろう?

 そんな時代に殺された父は、本当に空き巣に殺されたのだろうか?

 警察も最初は、

「空き巣の可能性もある」

 と考えていたが、途中から、その可能性が低いということを感じ始めていた。

 確かに、時代としては、

「空き巣が蔓延る時代」

 ということであったが、実際に、

「この近くで空き巣の被害はほとんどない」

 ということ、

「ほとんどが一軒家であり、マンションなどの集合住宅では、あまり考えられない」

 ということ、

「いつ近所に見られるか分からない」

 という危険性があるからだ。

 一軒家でも、その可能性がないとは限らないが、物音の問題や、隠し場所のパターンを考えた時、一軒家が多いというのもうなずけると、警察は考えていた。

 しかも、

「争った跡もないのに、部屋だけがまるで、空き巣が入ったかのように荒らされていた。しかも、通帳などが入っていた場所だけが荒らされていて、隠し場所を、あらかじめ知っておかなければいけない状態だった」

 ということから、

「強盗にやられた」

 という、カモフラージュのようなものだと思えたのだ。

 しかも争った跡がないということで、

「顔見知りの犯行」

 というのが、最初に思いつく、犯人は、いきなり正面からナイフで突き立てたのであろう。悲鳴すら上げる暇がなかったのかも知れない。

 そこで、

「犯人は、顔見知りだ」

 ということを考えた時、家で殺されていたわけだが、そうなると、

「犯人は、家族に限られる」

 ということになる。

 もちろん、強盗などの犯行ということも可能性としてまったくなくなったわけではないが、実際に、目撃者捜しをしていても、空き巣や強盗らしき人を見かけたという人は誰もいない。

 そもそも、何か怪しい人を見かけたとするならば、

「その時に、警察に連絡するというものですよ」

 という人も多かった。

 だが、実際に、そういう人を見かけたとして、本当に通報するというものだろうか?

 警察に通報して、それが間違いだったということが分かると、気まずいことになってしまい、まるで自分が、

「オオカミ少年」

 になってしまったのではないかと思えるであろう。

 実際に警察に通報して、間違いだったとすれば、警察は、

「あの人の証言は、前は間違いだった」

 ということで、その履歴が残ってしまえば、次に証言したとして、それが、

「五分五分の状態」

 だったとすれば、警察は、無視するかも知れない。

 通報した方が、

「善良な市民の通報」

 というつもりでいても、結局、警察に信用もされないということが分かれば、

「誰が警察に協力などするものか」

 ということになるのだ。

 警察としても、

「いくら善良な市民の通報」

 といっても、ガセネタを食らわされてしまったと思えば、

「無駄足を踏まされる」

 ということになると、さすがにショックも大きいだろう。

 ここで、市民と警察との間に亀裂が入る。

「せっかく通報したのに、市民の通報を無視された」

 と市民は思うだろう。

 そうなると、

「どうせ警察にいっても、何もしてくれない」

 ということになる。

 警察の方も、

「そんなに俺たちは暇じゃない」

 ということになり、

「平和や治安を守るのがいくら警察の仕事だとはいえ、市民のガセネタに振り回されていたのでは、らちが明かない」

 ということになってしまうだろう。

 それでも、まだ昭和の時代は、

「警察の捜査は、足で稼ぐ」

 といわれていて、

「靴の消耗が、警察官の勲章」

 とまで言われていた時代だった。

 この時の警察は、やはり、

「家族の中に犯人がいるのではないか?」

 ということで、徹底的に家族のアリバイ調べから行った。

 実際に、アリバイがハッキリしていたのは、中学生の康人だけだった。

 鑑識の調べでは、死亡推定時刻は、夜の7時から8時の間ということであった。

 彼は、学校から帰って、午後6時から8時までの学習塾に通っていた。

 その日は、塾の日で、実際に、遅刻することもなく、8時まで教室いたことが確認された。

 しかも、その後、友達と一緒に、行きつけの店で、ラーメンを食べて帰ったということも、友達や、店の人の証言で間違いない。

 つまりは、9時前までのアリバイは完璧だったわけだ。

 しかも、そこから家まで、どんなに急いでも、

「30分は掛かる」

 という。

 これほどのアリバイはない。

 しかも、死体発見時間の8時に、絶対に間に合うわけはないということだ。

 次の容疑者は、母親である。

 母親は、その時のアリバイを、

「パートが5時に終わり、そこで食事を摂ってから、買い物をして帰ってきた」

 ということであったが、スーパーで母親が目撃もされていないし、防犯カメラにも映っていなかった。

 食事を摂ったところでも、ハッキリとした証言をする人はいなかったので、

「限りなく黒に近い」

 ということであった。

 そして、第一発見者になった兄は、

「アリバイに関しては、ないに等しい」「

 としか言えないのだった。

 実際に、

「鉄壁のアリバイがある」

 という康人は、この時点で、嫌疑から外れる。

「さすがに、中学生の子供が」

 ということで、嫌疑から、最初から外れているようなものだったので、ほとんど捜査線上に浮かんでくることはなかった。

 それは、本人の康人にも分かっていることであり、

「兄や母が疑われているということで、気まずいのはしょうがないが、事件に関しては、ほとんど他人事だ」

 という意識を持っていることであろう。

 次に問題となるのは、

「動機」

 というものであるが、これは、調べれば調べるほど、胡散臭さというものが、ここの家庭には渦巻いていたということが分かってきた。

 普通に何もなければ、

「誰にも知られたくない」

 というような状況であり、

「家族という意味では、誰もが誰かを憎んでいて、勝手な行動をそれぞれでしている」

 ということが明るみに出てくる。

「今の時代、そんな家庭結構多いのかも知れないな」

 というのは、

「最近の事件で、家庭騒動を調べていると、出るわ出るわ。叩けば埃が出るというような家庭ばかりだった」

 といってもいいだろう。

 バブルが崩壊し、一時は、

「天国から地獄」

 ということで、世の中大混乱ということであったが、少し落ち着いてくると、

「世の中がかなり様子が変わった」

 ということもあって、

「どん底の家庭」

 ということでもなければ、

「なんとなく、平和な時代」

 ということで、表向きには、落ち着いているように見えるのだ。

 しかし、その裏では、それぞれに秘密を持っていて、その秘密をひそかに楽しみにしていることで、それぞれが、持っているだけに、

「他人のことは詮索しない」

 という風潮になってきた。

 これは家族であっても同じ」

 ということで、逆に、

「家族だからこそ、そうなのかも知れない」

 ということであった。

 下手をすれば、

「家族に対しての裏切りを、皆、ひそかに持っている」

 ということで、それがあるから、

「家族としての均衡が保てる」

 ということで、それまでの時代の、

「父親の威厳」

 というものによって保たれている均衡が、本当によかったのかどうか。なんともいえない時代であった。

 そもそも、

「殺された父親」

 にも、大きな秘密があった。

 それは、会社の女性と不倫をしている。

 ということであった。

 給料がそれほどもらっているわけでもなく、家族に怪しまれているわけでもないと思っている父親は、不倫といっても、相手の女が、

「金目的ではない」

 ということで、ある意味、

「うまく引っかかった」

 といってもいい。

 しかし、

「それではその不倫相手に、どのようなメリットがあったのか?」

 ということになるが、それは、彼女も別に金目的ではなく、入ってきたのは、派遣社員としてであった。

 その頃から、

「派遣社員」

 という

「非正規雇用」

 というものが流行り出した。

 それにより、正社員のやっていた仕事の一部を派遣社員に引き継ぐことになり、父親の仕事を引き継いでくれるために、

「引継ぎをしている」

 という時に、

「間違い」

 が起こったということであろう。

 しかし、二人の間で、これを、

「間違いだ」

 とは思っていない。

 父親の方は、家に帰っても、それまでのような、

「父親の威厳」

 というものはなく、母親もパートで働き出したことから、家に帰っても、今度は肩身が狭くなり、さらに、そのうちに、

「家事を手伝わされたりするのではないか?」

 と思うと、

「家に帰るのが嫌だ」

 と思うようになった。

 バブル時代が、毎日のように、皆が寝てからの帰宅だったので、少々遅くても怪しまれることはない。

 それを思えば、

「不倫するくらい、毎日じゃなければいいだろう」

 と思っていたのだ。

 相手の派遣社員の女性も、旦那に黙っての不倫だった。相手は、

「旦那が嫌いになったわけではない」

 という。

 ただ、今までの、

「父親の威厳」

 だけしか知らなかったので、会社に入って、

「やっと自分の居場所を見つけられた気がする」

 といって、生き生きと仕事ができることが嬉しく、それを会社の人が当てにしてくれたり、ほめてくれたりすることが嬉しいということであった。

 それを考えると、

「これほど楽しいことはない」

 と、まるで、鳥かごから放たれた今までの専業主婦としては、生きがいを見つけたことで、それを与えてくれたと思っている、谷口に好意を持ったとしても、それは無理もないことだといえるだろう。

 そうなると、

「お互いの利害が一致した」

 ということで、しかも、お互いに伴侶がいるということで、

「それぞれ求めあうようになるまでに、そんなに時間が掛からなかった」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、

「バブルが弾けたことで、それまでの家庭というものも、一緒に崩壊し、家庭皆の目が、一気に外に向いた」

 ということになったのだろう。

 だから、

「不倫」

 という言葉が多くいわれるようになった。

「浮気」

 という言葉のように、本気になっていない状態で、一種の、

「アバンチュール」

 のようなものではないとなると、問題は、深刻ではあるが、気持ちは分からなくもない。

「恋愛」

 というものと、

「貞操」

 というものが、dのような関係性にあるかと考えると、

「貞操観念は、バブルのように、崩壊してしまうと、あっという間の不倫に発展してしまう」

 ということで、それを、

「恋愛感情だ」

 として考えるようになるのかも知れない。


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