第3話 両親への疑念
そんな父親だったが、家での威厳は、かなり落ちてきたのか、
「それまでの威厳が今までの自分を委縮させたのか」
あるいは、
「自分が大人に近づいた」
ということなのかのどちらかであろう。
しかし、そんな父親でも、どうやらリストラにかかることもなく、会社でうまくやっているのか、とりあえず、首になることもなく、正社員で働いていた。
母親もそんな父親に対して何かをいうこともなかった。
元々母親は、父親に一切口答えをするようなことはなかった。
「威厳に屈していた」
ということなのか、それとも、
「静かにして、自分に火の粉が降りかかってこないようにするだけなのか?」
ということを考えていたが、結局、
「今でも文句を言わない」
ということを思えば、
「後者なのではないか?」
と思えた。
いろいろ考えてみると、母親のこのやり方というのが、
「一番うまくやっている」
といって方がいいのかも知れない。
確かに、いろいろ文句を言ってみても、委縮した相手に追い打ちをかけたとしても、家族で、この時代を乗り切らなければいけないところを、これまで、曲がりなりにも、
「大黒柱」
ということで、矢面に立っていてくれていたことに変わりはないので、それを、余計に苦しめるようなことをするのは、
「本末転倒ではないか?」
ということになるであろう。
それを考えると、
「お母さんのように、今までことは、水に流す方がいいかも知れない」
と思った。
下手に責め立てたりすれば、今度は開き直られて、
「家に金を入れない」
とか、
「酒に金を使う」
ということになったり、まさかとは思うが、
「女に金を貢ぐ」
などということもありえないとは言えないだろう。
「家に自分の居場所がない」
ということで、
「他に女を作って、家に帰ってこない」
などという話を聞いたこともあった。
それを考えると、
「威厳がなくなった父親を見ていると、気の毒にも見える」
ということを一度母親が言っていたのを思うと、
「同情を買うタイプなのかも知れない」
と思うと、
「そんな男が好きな女もいる」
という、
「母性本能をくすぐるタイプ」
というのが、自分の父親だと思うと、今度は気色悪くなるという感覚も出てくるのであった。
「これだったら、まだ、関白のような、お山の大将の方がよかったかな?」
と思ったが、思い出してみると、すぐに、その思いを否定するという感覚に陥ったのであった。
「父親が家で威張っている」
という光景は、
「もう二度と見たくない」
と感じるのであった。
父親にとって、誰が一番くらいなのかというと、それは分からなかった。
家族それぞれ、父親を憎んでいたようだ。
確かに母親は、父親に何も言わなかったが、それは、あくまでも、
「敬意を表しているからなのか?」
と思っていたからで、前述のように、
「どうしようもない夫を、自分が支えないと」
と思っていたのも、その理由であっただろうが、それも、ずっとその気持ちを持ち続けるということは結構きついに違いない。
確かに、今の時代は、どこの家庭も、父親の威厳というものがなくなり、
「どこも似たり寄ったりの気持ちになっているだろう」
と思っていたが、まわりの家はそんなことはなかった。
特に、親友は、
「親とは仲が良くて、いつも、ため口で話している」
というではないか。
それを聞いてびっくりしたが、
「ああ、うちは特別かも知れないな。父親とはまるで友達のような関係で、前から、よく一緒にゲームなどをしていたものだよ」
といっていた。
友達の父親は、忙しい時期は決まっていて、本当に忙しい時は、
「会社に泊まり込み」
などということも多いというが、普段は普通に定時に帰ってくるという。
食事も普通に一緒に食べるけど、まったく、
「威厳を発する」
などという態度はとらないという。
「うちなんか、テレビを見ようものなら、怒られるくらいだ」
というと、
「そんな昔のようなことはない」
というのだ。
「それって、まだテレビが普及していない頃に、テレビのチャンネル権を父親が握っているというような、そんな時代のことじゃないのかな?」
ということであった。
「いやいや、うちは、最近までそうだった」
というと、友達は目を丸くするのだった。
他の友達に聞いてみても、
「そんな封建的な家族、今時ないぞ」
といっていた。
「今そんなことしたら、離婚問題になったりするんじゃないか? お前もそうだけど、母親もよく我慢しているよな」
ということであった。
そして、
「そういえば、お前のところお兄ちゃんがいるじゃないか。そのお兄ちゃんもそうなのか?」
ということであり、
「ああ、お兄ちゃんはどうなのか聞いたことがなかったな。でも、今は大学生になり、大学の近くで一人暮らしを始めたけど、あれから、兄貴は、かなり生き生きしているんだよな。大学が楽しいからだと思っていたんだけどな」
というと、
「それだけじゃないかも知れないな。さっきのお前の話を鵜呑みにすれば、家を出ることができて、それだけでうれしいと思っているんじゃないか?」
ということであった。
「なるほど、そうかも知れないな」
と感じた。
その兄も、来年卒業なので、最近では、時々家に帰ってきて、就活の準備を進めているのであった。
一応、大学近くの企業を目指しているようだが、できるだけ幅を広げてみているということで、最近は、
「時々、こっちに帰ってきて、就活の資料を集めている」
ということであった。
今の家庭は、ほぼ離散状態なので、却って、帰ってきやすいということであろう。
この家族は、名前を、
「谷口家」
という。
谷口家の当主は、谷口功といい、母親を紀子という。
そして、大学生の兄を勇作といい、年の離れた弟を、康人というのだった。
兄と弟は、8歳くらい年齢が離れている。どうしてこんなに離れているのかというと、最初は、
「子供は一人でいい」
といっていたのは、母親だった。
そもそも、精神的に鬱になりやすいタイプだったので、子育てにストレスがたまっていたのだった。
だから、しばらくは、子育てに集中ということで、
「子供はいらない」
といっていて、父親も、
「それでいい」
と思っていたのだ。
だが、母親のどこに心境の変化があったのか、弟が生まれた。それが、康人だったのだ。
康人は、兄のことが嫌いだった。性格的に、いつもいじいじしていて、ハッキリしたところがない。
そして、それは、
「一人っ子として生まれた長男の性格」
という、いわゆる、
「よくある長男」
ということであった。
ただ、そんなところに弟が生まれた。小学4年生になって、弟が生まれたことで、母親は、弟にかかりっきりになった。兄とすれば、面白くないだろう。
だが、康人が幼稚園に通うようになる頃から、父親は少し変わった。
兄の方を気にするようになり、まだ幼稚園生の康人に対して、厳しく当たるようになったのだ。
それは、兄の勇作の幼児時代とはまったく違っていた。
兄は、父親からも甘やかされていたのだという。
「それが間違いだった」
とでも、父親は思ったのだろうか。
「兄の、いじいじした性格を、育て方を間違えたとでも思ったのかも知れない」
ということであった。
だから、父親は、その頃から、
「父親の威厳」
というものを示しだしたのだと、中学生になった康人に、母親が教えたのだ。
ただ、母親も詳しい理由を知らなかったようで、
「お父さんの考えることだからね、お母さんも逆らえないし、何を考えているのか分からなかったわ」
というのであった。
母親は、
「父親の威厳」
というものに逆らえない性格ではあったが、バブルが崩壊し、表にパートで働きに出るようになると、性格が明るくなったのであった。
子供の康人に分かるわけはなかったが、兄にも分かっていなかったことだろう。
すでに、大学生になり、家に寄りつかなくなった兄は、大学生活を謳歌していたことだろう。
就職活動で帰ってきているとはいえ、
「こっちに就職したって、実家になんか、帰ってくるものか」
とうそぶいていたのだ。
「どうせなら、大学の近くで就職したいんだ」
といっていた。
「家族の影響を受けないところがいい」
といっていた。
「一人暮らしをしているにも関わらず、何をいまさら、そんな言い方をするんだろうな?」
と康人は思っていたが、
「さすがに性格がいじいじしているだけのことはある」
と中学生ながらも感じるのであった。
「中学生というと、思春期で、大人への階段を上っている最中だ」
といわれるが、そういわれるのが、あまりうれしくなかった康人だった。
「大人への階段などという、まるで葉が浮くようなセリフは、それこそ、父親にこそふさわしい」
と思っていた。
それこそ、
「世間体というものしか気にしていないように見える父親を、いつも嫌だと思うようになっていた」
と、康人は思っていた。
もちろん、
「父親の威厳」
というものが本当に嫌だと思っていたのも、無理もないことであり、
「ただ、それ以上に嫌いな部分がある」
と感じるようになったのは、中学に入ってからだった。
特にそれを感じたのが、2年生の時の正月だったか、クラスメイトの仲良しグループが、4人いたのだが、その友達の家に元旦から遊びにいった時のことだった。
遊んでいて、
「皆楽しそうに遊んでいるから、今日は泊っていっていいわよ:
と友達のお母さんがそういってくれたのだ。
そこで、皆自分の家に電話して。許可を得ていた。それが、友達のお母さんが出した、
「お泊りの条件」
だったのだ。
それは当たり前のことで、他の3人は、ちゃんと許可が出て、円満に泊ることになったのだが、康人の場合は、家に電話を掛けると、
「帰ってきなさい」
というばかりだった。
理由を聞くと、
「お父さんが帰って来いっていうのよ」
というだけで、父親の真意を言おうとしない。
結局、泊ることができず、康人は、屈辱に、身を震わせながら、涙を流して、家路を急ぐのであった。
皆が泊るのに、自分だけが泊れないなどという屈辱は、耐えられるものではない。
何も悪いことをしているわけではないのに、皆から、
「気の毒だ」
というような視線を浴びせられ、それこそ、
「なんでおれだけ、こんな目に遭わないといけないんだ」
と思いながらの強制送還である。
ただ、家に帰ればどんな目に遭わされるかということは分かっていた。
それでも何とか家に帰ると、父親は震えながら待っていたようだ。
「ただいま」
といって、
「屈辱的に震えている顔を見せたくない」
という思いと、
「父親がどんな顔をしているか分かるだけに、父親の顔を見たくない」
という思いとで、急いで部屋に帰ろうとすると、案の定、父親が、
「康人。ちょっと来い」
といって、呼び止めた。
「来た」
と思ったが、もうその瞬間から、
「ヘビに睨まれたカエル」
となってしまい、正直ビビってしまったが、それが一番嫌だったのだ。
無言もまま父親の前に出ると、間髪入れずに、頬を叩かれた。
これも分かっていたことではあったが、その悔しさは、
「さらなる怒りを感じさせられたが、それ以上に、怒りとともに、憎しみが湧いてきたのだった」
そして、
「もし、父親に殺意のようなものを抱いたことがあるか?」
と聞かれると、
「この時だ」
と答えるに違いない。
父親がどのような心境なのかは、正直分からないが、
「帰ってきてから、いきなり殴るだろう」
ということは、想像がついていた。
「なんでいきなり?」
と他に見ている人がいれば、委縮してしまって、顔も合わせられないだろう。
母親も何も言えずに、委縮している。しかし、その心境はまったく違うかも知れない。
それは、康人に対して、
「何、余計なことをしてくれちゃったのよ」
という感情であろう。
「正月くらい、おとなしくしていればいいものを」
といいたいのだろう。
それだけ、
「父親といると、肩身が狭い思いになる」
ということに嫌気がさしていたはずだ。
それに、これくらいのことは、母親も分かっていたことだろう。だから、電話口で、
「お父さんがいうから」
としか言えなかったのだ。
「自分には分かっているが、それを口にしたくない」
ということからであっただろう。
というのは、それを言ってしまうと、
「自分で認めることになるからなのかも知れない」
ということだったのだ。
「私は、そんなお父さんのへそを曲げさせた、あなたを許さない」
とでも言いたげだった。
その日から、康人は、
「あれは、本当に父親なのだろうか?」
と感じるようになってきた、
そして、
「あれが父親じゃないとすれば、あの母親も違うんじゃないか?」
と思うようになった。
中学生になれば、もう知識は大人である。
「父親が違う」
ということくらいは、分からなくもないが、
「母親が違うということは、赤ん坊の取り違いでもなければありえないだろう」
ということであった。
「そんなバカなことはない」
と思い返し、
「両親が違うなんて」
と思ったことで、それ以上は、その時は感じないようになったが、それからことあるごとに、
「おやじって本当に実の父親なのだろうか?」
という思いが強くなってきた。
これは、
「そう思う方が気が楽だ」
という思いがあるからで、自然と感じるようになったのだ。
やはり、正月に、
「友達の家に泊まれなかった」
というのが、決定的であり、そのせいか、
「親のどっちかが死んでも、涙を流す気がしない」
と思うのだった。
「あの時に屈辱の涙を流しながら帰ったという事実が、この俺を少々のことでは涙を流さない」
という人間に変えたのではないかと思うのだった。
確かに、涙を流すような場面でも、悲しくなかった。
たまに、ドラマなどで、葬式のシーンが出てくるが、
「家族はまだしも、参列者が皆、涙を流して、ハンカチで目をぬぐっているシーンを見るが、どうして、家族でもないのに、涙を流せるんだ」
という率直な疑問を感じるのであった。
康人の場合は、父親だけでなく、母親に対しても感じている。
ということは、それだけ、
「もう、誰かのために涙を流すということは、ウソでしかない」
と考えるようになったということであろう。
康人はそんなことを考えていると、
「さすがに両親が違っているのではないか?」
と思うようになったかと思えば、
「兄貴に対しても、嫌になってきた」
というのは、
「いつもハッキリせずに、いじいじしているくせに、性格的に父親に似てきた」
というところからであった。
家族に対しての反発があるくせに、言っていることが、父親と似ているように思えたのだ。
というのも、父親のいう言葉のワードで同じ言葉が出てきたからだ。
その言葉は、康人が一番嫌いな言葉で、
「常識的」
という言葉であったり、
「一般社会人」
という言葉であった。
しかも、二人の共通認識というのが、
「平均的になんでもこなす人が一番なんだ」
という考え方である。
だから、
「常識的」
であったり、
「一般社会人」
という言葉になるのだろうが、兄の場合は、
「口ではそういっているが、その心には、反対の意識が芽生えている」
と感じたのだ。
「兄は父親に、反感を持っている」
と思いながら、反発しているのを見ると、今度は、
「兄を見ていると、父親が見えてくる」
という、それぞれに、
「反面教師」
というものが浮かんでくる気がしたのだった。
ただ、それを、
「兄貴も考えていた」
ということを、その時の康人は考えていなかった。
つまり、
「兄は弟を見て、弟は兄を見て、それおれ、父親を感じようとしていた」
ということである。
そういう意味では、
「家庭をほとんど見ていなかったのは、母親だっただろう」
ということが頭に浮かんでくるのであった。
それを母親も分かっているのかいないのか、とにかく、
「母親が何を考えているのか分からない」
というのは、家の男子すべては感じていたことだろう。
特に、父親は、その思いが強く、だからこそ、あまり母親に近づこうとはしなかったということで、
「父親は母親に、気を遣い、母親は父親に気を遣っている」
かのように見えて、それが、なんとなくぎこちなさというものを醸しだしていたのであった。
ただ、それは、
「表から見た」
ということであり、本当は、
「変に触れれば、一触即発になる」
ということを分かっていたからだ。
お互いに、憎しみをあらわにしたいとは思っていない。
できるなら、穏便に済ませたいと思っているだろう。
父親は、いまだに、
「威厳というものに、しがみついている」
ということであるし、母親は、
「もう、家族なんか、どうでもいい」
と思っているのだろう。
まったく見ている方向が違うので、
「二人が、交わることなどなかったのだ」
と、康人は感じていた。
そんな、
「谷口家」
というのは、とんでもなくぎこちない家族であり、実際に、
「家族だと言えない」
というほどに離散してしまっていた。
それを一番認めたくないとすれば、父親であり、逆に、離散したことを、自覚したいと思っているのは、母親であろう。
それを夫婦間で分かっているかどうかは分からないが、子供二人は分かっているようだ。
それだけ、両親に対して、
「家族でいたくない」
と思っているのだろう。
父親や母親の考えていることが分からない」
というのは、
「父親を見ようとすると、母親を意識して、母親を見ようとすると、父親を意識してしまうのだ」
ということから、
「二人の性格がまったくの正反対なので、それは、お互いのマイナス同士を足すことで、限りなくゼロに近い状態に近づけている」
ということであろう。
しかも、それが、
「決してゼロになることはない」
というのが分かっているので、厄介なのだ。
これがゼロになるということであれば、つり合いが取れるので、結局、うまくいくと考えられるのだった。
そんなことを考えていると、
「夫婦とうものがどういうものなのか?」
と考えられるということであり、
「最近、勘というものが働くようになった」
と思っている康人にとって、
「近い将来、何か嫌なことが起こるような気がするな」
という懸念があったが、それが何なのか分からなかった。
しかし、逆に。
「本当に嫌なことなのだろうか?」
とも感じる、
「何か面倒くさいこと」
という意識はあるのだが、それが、本当に嫌なことなのかどうか、自分でもよく分かっていないということになるのであった。
「おやじとおふくろ」
この二人が、どれだけ嫌いな相手なのかということを考えると、またしても思い出すのが、
「正月のあの一件」
ということであった。
「あの時の屈辱の涙、誰にお分かるわけはない」
という思いがよみがえってきて、しかし、
「家族なんだから、分かりそうなものだが」
と、父親と母親に対して感じるのであった。
しかし、不思議と怒りは、それ以上湧いてこない。
「怒りにも、限界というのがあるのか?」
と思ったが、
「あの時の怒りは、こんなものではなかったはず」
ということで、
「成長するにつれて、怒りが次第に、薄れてくるものなのではないか?」
と感じるようになってきたのだ。
それを思えば、
「家族って何なのだろう?」
といまさらながらに考えるのであった。
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