第8話 「姓と名と黒塚先輩の考察」
放課後の図書館。静かな空気の中、黒塚先輩は机に肘をつきながら本をぱらぱらとめくっていた。ふと顔を上げると、隣でノートをまとめている座白に話しかける。
「ねえ、座白君。」
「……なんですか。」
「日本では、どうして子どもは男の姓を受け継ぐと思う?」
またも唐突な話題だが、座白は驚く様子もなく、いつもの冷静な調子で応じる。
「……それは、昔からの家父長制の影響じゃないですか。家を継ぐのが男、という考え方がずっと続いてるので」
黒塚は頷きながら、さらに問いかける。
「ふむ、確かに。でも、それだけで今もその仕組みが残ってるのって、少し不思議だと思わない?」
「不思議というより、単純に制度の問題だと思います。慣習が続いて、法律もそれを基本に作られただけでしょう」
その冷静な答えに、黒塚は少しだけ微笑む。
「じゃあ、もし座白君が結婚するとして、相手の姓を名乗ることになったらどう思う?」
「……別に気にしませんね」
即答する座白に、黒塚は目を丸くする。
「え、本当に?」
「ええ。姓なんて、ただの記号みたいなものですから。何を名乗るかで自分が変わるわけじゃないですし」
その言葉に、黒塚は目を細めて考えるような顔をした。
「ふふ、意外とあっさりしてるのね」
「先輩こそ、どうなんですか?」
座白が逆に問いかけると、黒塚は少し得意げな顔をして答える。
「私は――もし姓が変わったら、それを楽しむかもしれない」
「楽しむ?」
「うん。その姓にどんな意味があるのかとか、その人の家族の歴史とか、色々調べてみたくなるわ」
座白はその答えに、少しだけ納得したように頷く。
「……確かに、先輩らしいですね」
黒塚は笑みを浮かべながら、静かに続けた。
「でもね、座白君」
「はい」
「どんな姓になったとしても、大事なのはその人自身。その中身が変わらない限り、姓なんて飾りみたいなものよ」
座白はその答えに、少しだけ眉を上げる。そして、冷静に指摘する。
「……それ、結局同じことじゃないですか」
「同じこと?」
黒塚が首をかしげると、座白は淡々と続ける。
「先輩も『中身が変わらなければ姓なんて飾り』って言いたいんですよね。さっき僕が言ったのと大差ないと思いますけど」
その冷静な指摘に、黒塚は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに口元をゆるめる。
「ふふ、それでも座白君の言い方とは少し違うのよ」
「……どう違うんですか」
黒塚は少しだけ上体を座白のほうに傾けて、目を見つめるように言った。
「私は『飾り』としても、その名前を楽しむって言ってるの。座白君は『気にしない』と言うけど、私は『気にして楽しむ』。ほら、違うでしょう?」
その言い回しに、座白は少し考え込むように目を伏せたが、すぐに淡々とした声で応じた。
「……つまり、先輩は気にしないのに、気にするってことですか。よく分からないですね」
「それでいいのよ、分からなくて」
黒塚はまた得意げな笑みを浮かべる。そして、そのまま椅子に背を預け、満足そうに天井を見上げた。
「やっぱり座白君と話してると面白いわ」
「……いや、何が面白いんですか、それ」
図書館の窓から差し込む夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。その静かな空気の中、座白は微妙な引っかかりを抱えながらも、いつも通り淡々とノートをまとめ続けた。
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