第42話 仮面の告白

 草津温泉での一泊二日の旅行は、夜を迎えた。


 俊也、佐紀音、ケンジの三人は、宿にて、就寝の準備をしていた。ちなみに、部屋割りは、佐紀音が一人部屋、俊也とケンジが相部屋となっている。


「おやすみ~」


「おやすみ、さきねぇ」


「おやすみなさい」


 廊下にて、ヒソヒソ声で就寝の挨拶を交わした佐紀音と、俊也・ケンジ。



 ふかふかのベットが、俊也を迎え入れた。眠気を誘われて、ウトウトとしているが、そういえば、ケンジに伝えたいことがあったんだと思い出した。


 ベットから起き上がって、机で何かを書いているケンジに声をかけた。


「ケンジさん」


「はいはい、なんでしょうか?」


 ケンジは、俊也が名前を呼んだ声に反応して、律儀に書く手を止めて、くるっと、俊也の立っている方向へと振り向いた。



「改めまして、佐紀音のオリ曲のMV制作の件、ありがとうございました」


 オリ曲とは『カメリア』のことであり、俊也が作詞作曲、ケンジが、イラストや動画編集を含めたMV制作を行い完成させたものである。


「ああ、あの曲ですか。いえいえ……わたしも、MVを作るのは久しぶりでしたので、楽しませてもらいました。こちらこそ、貴重な機会をいただき、ありがとうございました」


 ドラマのビジネス取引のシーンみたいに、丁寧な礼とあいさつをした俊也とケンジ。互いに互いを「アーティスト」としてリスペクトしている気持ちの表れであった。


「羨ましい限りです。20というお若い歳で、あれほどの音楽の才に恵まれていることは……」


「えへへ……ありがとうございます」


 俊也は、素直な喜びの感情をこぼし、頬を釣り上げて笑みを浮かべた。


「完全な、わたし個人の感想ですが……『カメリア』という曲には、俊也さんの死生観とか、自分との向き合い方とか、サブカル文化への理解とか、音楽理論への深い理解とか、文学の造詣ぞうけいの深さなどが詰まっているのだなと、曲を聴いて、歌詞を見て、そう思いましたね」


「ケンジさんのおっしゃった通りです」


「やはり、いろいろな本を読んだり、ネットで調べたりしたのですか?」


「はい。高校三年生の頃から、音楽理論の本とか、『音楽の作り方』みたいなハウツー本を読んだり、実際の音の打ち込みはどうするかとか、参考にすべき音楽はとか……そういうことを調べたりしました」


「おお……だから、さまざまな方面に知識があるのですね。勉強熱心で、感心しました」


 ケンジは、音楽とひたむきに取り組む俊也の心持ちに、感心して、頷く角度を深めた。


「不協和音と音楽との狭間はざまを突き進むような音、そして、引き込まれるような言葉選びと言い回しのアイデアの源泉は、どこにあるのですか?」


 自らの肘に手を添えて、さらに俊也の深い考えを引き出そうとするケンジ。「ぜひとも、俊也さんの芸術性に学ばせてください」と付け加えた。



 俊也は、目を泳がせ、散々迷った末に、言葉を吟味しながら、開口した。


「俺の芸術のアイデアの源泉……実は、その……」


 胸が高鳴り、熱くなるのを感じながら、今の今まで胸の内側にしまい込んでいた嫌な記憶の毒を、吐き出すように語った。



 高校生のときに、初恋をしたこと。


 その初恋の相手が、夏に、突然世を去ったこと。


 その人の後を追って、死にきれなかったこと。


 後悔したくないから、不安に駆られて、必死に生きてきたこと


 その不安の果てに、佐紀音のVライバーの活動を手伝い、共に楽しもうとしていること……



 俊也という人間のすべてを、彼は、赤裸々に語った。


「――なので、急に何かが失われることが怖くて、その不安を原動力に、音楽とか、勉強とか……いろいろやってきたんですけど、常に不安で、怖くて、正直に言うと、生きることがつらいです……でも、もちろん、死ぬのも、怖いんです」


 ケンジは、黙って、彼の震える声の訴えに耳を傾けていた。

 何も言わない。しかし、口がわずかに開いている凛とした表情のまま、必死に、何かを考えこんでいるようだった。



 ケンジは、自分の目の前で泣きそうな、迷える若者に光を照らせるような言葉を、探していた。


「生きることは非情につらく、寂しいものです。それは、この世を生きているわたしたちが、一番に知っています。ただ……【死】というのが、果たして良いことなのか、悪いことなのか……69年も生きて、分かりませんでした」


 ケンジは、一息の間をもうけて「だって、死んでしまった方々は、この世にいませんから」と付け加える。


 渋く低い声で語られたその言葉で、俊也は、もう、あの人は、天の向こうにいるんだと、改めて認識させられて、目の裏側を熱くした。



「ケンジさん……俺は……っ」


 俺は、どうしたらいいですか。



 その一言が、嗚咽によって遮られてしまった。しかし、彼と真っ向から向き合うケンジは、彼の言おうとしていたことを察していたようだ。


 彼の3倍以上の月日を生きたケンジは、言葉を慎重に選びながら、つづけた。


「俊也さんは、他の誰よりも、【死】と真剣に向き合い、考えている。ただ、それをネガティブに考えないでください。死と向き合うということはつまり、【いかに、よりよく生きるか】を考えている証拠だからです」


「お、俺も、そう思います……今、そう思いました」


 頬を伝った涙の跡を隠さずに、顔を上げた俊也に、ケンジは、低く柔らかい声でつづけるのだが……感情の高まりを我慢しきれなくなった俊也は、再び顔を下げて、「うう……」と呻く。


 

 彼が顔を向ける床には、涙が落ちた跡が残っている。


「すみません、こんな無様に恥を晒してしまって……お恥ずかしい」


 俊也は、泣き顔を晒していることを恥じだと断じる。しかし、ケンジは、そんな俊也の考えを、めずらしく否定した。


「男の子も女の子も、老いも若きも、性別や歳に関係なく、泣いていいと思います。なぜなら、生きとし生ける者、みんな苦しく寂しい思いをしていますから」



 すべてに寄り添うようなケンジの言葉に、思わず、涙が溢れ零れた。声を上げて泣きたかったが、夜ももう更けている時間なので、そこをぐっと我慢した。


「でも、俺だけなんです、こんなにめそめそ泣いているのは。俺だけが弱くて、泣き虫で……」

「そんなことはありません。人間、皆、強がりですから、表では泣いたり、甘えたりしようとしないですけれど、裏では……みんな寂しい思いをしているのではないでしょうか。へへへ、わたしも、そのうちの一人です」


 深緑の浴衣を着ているケンジは、うずくまる俊也の背中を手のひらでさすった。


「ですから、恐れる必要はありません。あなたの思うがままに生き、あなたの思うがままの芸術と美を追求して、あなたの思うがままに【死】と向き合ってください」



 精一杯の励ましの言葉を紡いだケンジの胸に、いつのまにか、飛び込んでいた俊也。赤子の頃の記憶を手繰り、恥も忘れて、ひたすらに咽び泣く。


 頭がじーんと痛かった。


「わたしでよろしければ、いつでも、生きるためのお手伝いをさせてくださいな」

「うぅ……ぁぁぁぁぁ……!!」


 ケンジの胸に顔をうずめ、幼いころに父に抱きしめられた温かい感覚を思い出した。彼の浴衣は、俊也の涙の塊を吸って、すっかり濡れてしまった。


「今は、頭がいっぱいで、どうしようもない状態でしょう。ですから、寝ましょう。疲れたときは、寝るに限ります。寝て起きて、朝食をしっかり摂れば、考えがまとまるものです」


「はい……うぅ……」


 ケンジの胸から離れた俊也は、布団を頭まで被って、しばらくの時間が経って、眠りに落ちた。


 彼の「すー、すー」という寝息を見守ったケンジは、照明を落とし、自らも眠りへと落ちた。

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