第31話 503 Pleasant Service Unavailable
意識は、中学生の頃の男子の「赤首ツバキ」へと吸い込まれて、完全に同化してしまった。
見える景色も、考える思考の色も、唾の味も、桜の花の香を運ぶ風の香りも、カバンの重みとざらざらした感触も……五感の感覚すべてが「彼」と共有された。
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彼は、いつも真面目に勉強をしていた。
「おはよう。赤首さん、今日も早いですね」
「おはようございまーす」
教室の扉をガラガラと開けて入室して、教卓に座っている担任の先生と挨拶を交わした彼。時計の針は、学校が指定した着席時刻よりも40分早い、7時40分を指し示している。
よく、早起きできるなぁ。
文芸部所属で、部活の朝練でもない彼が、なぜ、早い時間に投稿して教室に入ってくるのか、先生は疑問に思ったようだ。
「赤首さん、どうして毎朝早く、学校に来るのですか?」
彼は、手元に広げていた参考書から顔を起こして、先生と視線を交えた。
「……朝早くだと、やる気も体力もあって、勉強をサボらないからです。あと、家に帰ったら勉強しなくても済むように、学校に居る間に宿題とか、試験勉強とか済ませてしまいたいからです」
淡々と、まるで面接を受けているみたいに答えた彼。その回答は、いかにも彼らしかった。
先生の「そうか、偉いねぇ」という一言を受け取ると、再び数学の参考書とノートに目線を落とした。
その後、朝練を終えた生徒や登校してきた生徒たちが、続々と教室に入ってきた。
教卓で作業している先生は「おはようございます」と、入ってきた生徒たちに挨拶をする。
しかし、彼と挨拶をする生徒は、一人もいなかった。
――彼は、孤高の中学校生活を過ごした。
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その後、彼の努力は報われ、第一志望だった雪摩西高校への進学が叶った。
しかし、彼の生活スタイルは、中学生のときと同様、一貫していた。
朝、早く起きて電車を乗り継ぎ、自転車を走らせ、一番に教室入りして、残っている宿題や試験勉強を済ませる。
帰ったら、ゲームや、本を読むことのみをして、リラックスして過ごす。
ただ淡々と、このルーティンが繰り返されるのみ。
「……すごいなぁ」
彼は、動画配信サイトを開いて、クリスマスイベントの配信を盛り上げるVライバーに対して、尊敬の念とともに、羨望の眼差しを向けていた。自分も、いつかこのような、人を楽しませられる活動ができたらなと、思った。
「……すごいなぁ」
彼は、本屋大賞を受賞した小説を読み切って、その本の作者に対して、尊敬の念とともに、羨望の眼差しを向けていた。自分も、いつかこのような、人を楽しませられる活動ができたらなと、思った。
「……すごいなぁ」
彼は、とあるボカロPの新曲を聴いて、その作品とボカロPに対して、尊敬の念とともに、羨望の眼差しを向けていた。自分も、いつかこのような、人を楽しませられる活動ができたらなと、思った。
朝、顔を洗うために鏡を見なければならない。どんなに目線を外しても、洗面所の大きな鏡は、彼の顔を映し出して、彼の視界に潜り込んでくる。
鏡にうつった自分の顔を見て、彼は一言、零した。
「なんだ、こいつ……」
どこか虚ろな目をしていて、覇気がなく、自信が消えてしまった顔の人間が、顔を拭くためのタオルを持って、突っ立っていた。これが「赤首ツバキ」という男なのか……
こいつの顔を見ることを強制されるから、朝の洗顔が億劫だ。
特技は無い。強いていえば、朝、難なく起きることができるぐらい。ゲームの腕は、下手でもなく上手くもない中途半端。勉強はできるが、それはあくまで「できる」だけ。特段興味がある分野は、無い。本を読んで知識を蓄積しているが、それを活用できる場面が無い。
――友達も、いない。
自分にも、音楽とか、雑談力とか、ゲームとか、歌唱力とか、絵の上手さとか、スポーツとか、雑談力とか、社交性とか……そういう「才能」が欲しいなぁと、漠然と思っていた。
――俺も、「何物か」になってみたいなぁ。
でも、才能が無い俺は、それになれないんだろうな。
才能というのは、
彼は、深いため息をついて、スマホの電源を落とした。
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