第30話 鏡の正体、世界を俯瞰する

「まずは、私が何者であるのか、そして、この世界についての説明をしよう」


 後ろ向きでオールを漕ぐ金髪の狐面の女。舟が進む先が見えていないはずなのに、巨大なぬいぐるみや、お菓子の家のクッキーの壁を避けて進んでいる。



「この世界は、元々、男のほうの『赤首ツバキ』の心を映す世界であったのだが、君が入ってきたことで、さらに【狂気】を増幅させた。今では、太陽が血の涙を流しているという有様……」



 オールから手を離し、「ダメだこりゃ」と言わんばかりに手のひらを天に向けた狐のお面の女。


 次いで彼女は、自らを指さして、名乗った。


「で、私は、君専属の救世主だよ」

「ん……え?救世主って?」

 

 私は、彼女の言っていることがよく分からず、首をくいっと傾げた。


「細かいことは気にするな。とにかく、私は、君の救世主ってことで、納得してくれ」



 周囲をキョロキョロとした救世主は、再び、狐のお面で隠された顔をこちらに向けてきた。



 どんな鼻を、口を、目をしているんだろうと、私は思った。顎のラインが細く、指も細く艶があって、私と同じぐらいか、やや年下に見える。……ちょっとぐらい、素顔を見せてくれないかな?


「で、君は、人を探しているんだろう?」


 私は、唐突に尋ねられて、声を喉に絡めながら、答えた。


「は、はい。俊也を探していて……」

「違う!!」

「っ――!?」


 唐突に声を荒げた救世主。どこか怒っているような、しかし、私を諭すような、そんな声だった。びっくりして、後ろにひっくり返りそうになった。


 何か、彼女の逆鱗に触れるようなことを言ったかなと、過去の発言を省みるが、思い当たる節はなかった。



 金髪を揺らして顔を近づけてきた救世主。花の香りがふわっと香った。香水かな?柔軟剤の匂いかな?


「君が探しているのは、俊也という一人の男ではなく、【赤首ツバキ】という人間、つまり……君自身なんだよ」

「んん?どういうこと?よく分かんない……」



 私が探しているのは、私自身……?たしかに、私が探しているのは、俊也で、彼は、性別が違うもう一人の「私」であるのだが……私自身、というのとは、また意味が違うような?


 深く考えてみたけれど、やっぱり分からないので、ここは、救世主の説明を大人しく聴くに徹しよう。


「細かいことは気にするな。いずれ、分かる日が来る」



 救世主は、斜めに傾いたビルを照らす赤い太陽を仰ぎ見た。やはり、滝のように赤黒い液体が地上に向かって流れ出ている。


「一つ、種明かしをしようか」



 救世主は、また突然に振り向いて、人差し指をピンと立てた。


 深く息を吸う、彼女の鼻息が鮮明に聞こえるぐらい、顔が近かった。



「――鏡の異常を引き起こしたのは、この私だ」







!!?


 ということは、私と俊也が鏡を通して出会うことができたのは、彼女のお陰ということ……!?


 予想の範囲外からの、あまりに強い衝撃に襲われて「え……」という単音を口の端から零して、絶句してしまった。



 言葉を忘れてしまって硬直してしまった私を、じーっと見つめる救世主。いつまで経っても言葉を紡ぎ出せない私にしびれを切らして、彼女は、籠った声で説明を始めた。



「あの日、ええと……12月のはじめだよな。あの日に、君は、鏡の向こう側に、もう一人の君……つまり、性別が男である運命線デスティニーラインを生きる君に出会った。その異常現象を引き起こした張本人が、この私ということ」

「俊也と出会うことができたのは、あなたのお陰っていうこと?!じゃあ、俊也に会わせてよ!!俊也っていう、もう一人の【私】に!!お願い!」



 私は、昂る感情を抑えることができず、救世主の体に飛びついてしまった。


 救世主は、その尊大な名前に似合わない、慌てぶりと、少女らしい反応を垣間見せた。手をぶんぶんと振って、首をふりふりと振って、私の感情の大波に抵抗した。



「わわ!まって、待って!今、君の言う『俊也』のいる場所に向かってるところだから、落ち着いて、座り直して!」


 私の胸を押した救世主は、「こほん」と前置いて、詳細を親切丁寧に説明し始めた。



「君が求めている俊也という者は……別の運命を生きる、もう一人の『赤首ツバキ』だ。つまり、あれは、別世界の君といっても、過言ではないのだよ」

「パラレルワールドのウチってことだよね?」


 SFとかファンタジーアニメでよくある、あの世界観が、現実にあるということか。


「その理解で十分だ。私は、この世界と並行する別の世界の数々のことを【運命線デスティニーライン】と呼んでいる」



 まるで先生みたいに、不思議な世界の解説をする救世主。「うんうん」と、私は頷き、相槌を打ちながら、傾聴。


「……『どうして、別世界の私と彼とを会わせたの?』と訊きたげだな?」

「よ、よく分かったね」

「当たり前。だって、私は、人の形をして現れた神様だもの。人間という、私より低い次元を生きている君の思考ぐらい、簡単に読み解ける」

「そ、そうなんだ……」


 ただ黙って話を聞いていただけの私の、心の内の疑問を読み取られ、言い当てられてしまった。



 あなたは、救世主なの?神様なの?救世主って、そもそも何なの?


 彼女の正体について、分からないことが多すぎるが、これも「細かいことは気にせず」の精神なのだろう。


「よろしい」と前打った救世主は、また質問を投げかけてきた。


「まず訊くが……君は、生きることに大変悩んでいるな?」

「え……あ……」


 私は、すべてを救世主に見透かされている気がして、慌てて左腕の袖を引っ張った。しかし、救世主には、すべてがお見通しだった。



――私の左手首には、真新しい、赤い切り傷が刻まれている。


「今更、手首の傷を隠してもダメだぞ」

「ん、あのね……その……」


 何があったのか、何を悩んでいるのか、すべて赤裸々に話そうとした。けれど、言葉が喉に詰まって、声にならなかった。



 生きているだけで不安で、辛い。楽しいことが、いつまで続けられるかわかならくて、すごく不安だ。そういう不安は、自分で理解しているつもりでも、言葉にして伝えることが、何故なぜだか、難しく感じられた。



 友達みたいなノリで接してくれる救世主がお相手でも、話せなかった。


 だから、私の意を汲み取って、救世主は、内なる思考を読み取って、言い当ててくれた。


「Vライバーとして大成功してもなお、未来が不安なのだろう?」

「……っ、うん、そう。その通り」



 私の心の内の言葉だ。それが、救世主に言い当てられて、瞳の裏側から、どっと涙の予感が押し寄せた。嵐の従者の大波のように、とめどなく、その予感が襲い掛かってきた。


「いつまで活動を続けられるのか。いつまでリスナーたちが付いて来て応援してくれるのか。いつまでVライバーという活動が仕事として成り立つのか。……いつまで、リオンやケンジ、そして、俊也が一緒にいてくれるか、不安で仕方がないのだろう?」

「そ、そう……」


 私は、火山の噴火の爆発のような感情の膨張そのままに、救世主に抱きついてしまった。彼女の胸は、薄く、しかし、心臓の鼓動がはっきりと感じられて、究極的に温かかった。



 白い服が、私の涙で黒く濡れて汚れ、透けてしまった。


 自分勝手で、感情に振り回されて醜態を晒す、こんな私でも、救世主は、ぎゅっと抱きしめ返して、受け入れてくれた。


「不安で、不安で、怖い――うぁぁ……」

「おお、愛しの我が子よ……人間の温かみを感じるぞ」



 夜泣きする赤子のように、声を上げて泣いた。とにかく、泣くことを堪えられなかった。


「彼……つまり【俊也】も、同じような不安を抱えている。彼もまた、君と同じ、未来を憂う若者なのだよ」

「んん……ぐすっ……あ、ぁぁ……」



 嗚咽が漏れる。ズルズルと流れた鼻水の苦い味が、舌の上で暴れた。


 こうやって、思いっきり泣くと、頭がずきーんと痛くなる。耳鳴りも、うるさいぐらいにキーンと響くのだ。


「だから、私は、異なる運命線の『赤首ツバキ』を巡り合わせ、互いに知り合い、己を顧みてもらおうとしたのだ」


 救世主の少女っぽい、しかし、慈母のような温もりを伴う声が囁かれた。



「彼は、君を写す鏡。君は、彼を写す鏡なんだよ」



 意識が、急に遠くなる。霧がかかったみたいに、視界がぼんやりとしてきた。



「彼を知り、そして、己を顧みるのだ」


 私は、泣き疲れたのか、感情に押し潰されてしまったのか、はたまた、救世主にハグされて安心したのか分からないまま、瞳を閉ざしていた。



「ゆっくり眠れ。彼も、私も、待っているから」



 そうして私の意識は、彼の【個人史】の世界へと吸い込まれてしまった。

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