不幸の共食い

第25話 能ある鷹の爪が折れていた

 リオン、俊也、ケンジは、メッセージを交換し合うほど仲を深めた。もちろん、佐紀音が主催した、年越し配信が関係の始まりである。


 2月のある日、俊也は、珍しく、佐紀音を呼んだ。


「さきねぇ、今、いい?」



 化粧台の鏡から顔を出した俊也に対して、佐紀音は、ニコッと笑って応えた。……今日は、不機嫌じゃない日みたいだ。


「いいよ。暇だったし」


 化粧台の鏡に身を寄せた佐紀音に、俊也は、イヤホンの片方を差し出した。


 佐紀音が、左耳にそれを付けると、唐突に音楽が流れ始めた。



 イヤホンは、俊也の手持ちのパソコンに接続されている。


「これ……何の音楽?」

「さきねぇのために、俺が作った、オリジナルの曲だよ」

「えっ!!!???」


 目をぎょろっと見開いて、メデューサに睨まれたかのように硬直した佐紀音。しばらくイントロが流れると、どこか聞き覚えがある機械音が歌い始めた。



――初音ミクだ。


「これ、メロディーも歌詞も、ミクの歌声も、全部、俊也が作ったの!?」

「そうだよ」

「え、すご!!」


 俊也は、イヤホンが繋がっているパソコンの画面を見せてくれた。



「これが、DAW(ダウ)のソフトね」

「DAWって?」

「音楽を作るためのソフトのことだよ。このソフトで、メロディーの打ち込みしたり、リズムを作ったり、mixの作業したり、音量調節したりするんだよ」



 俊也は、画面をみせながら、「ここはメインメロディーのトラックで、これが、ミクのボーカルトラック、これがハモリで、ここが、簡単に言うと、リズムをとってるトラックだね」という具合に、親切丁寧に解説してくれた。


 歌を歌うことは好きだけれど、このような音楽の制作については、知識に乏しかった佐紀音であった。「ハモリ」とか、「リバーブ」とかのカラオケ知識の言葉の意味ぐらいなら理解できたのだが。


 実際に聴かせてもらうと、とても不思議な曲だった。



 一定のリズムを軸に、明るい曲調と暗い曲調が交互に現れて、そして、ミクの明るい声と暗い声とが、それに呼応して緩急をつけた。



――対比か。


 そうか、対比が要となる曲なんだと、佐紀音は気が付いた。


「ミクのボーカルmixが一番難しかったな」


 俊也は首もとを掻きながら、そう言った。


 お菓子の家と修羅の門、赤ずきんと狼、お花畑と黒い影……曲調とミクの声を含めて、あらゆる歌詞の対比がはっきりとしていた。



 しかし、いざ、サビに入ると、毛色ががらっと変わった。


「恐い……」


 キンと響くジャギジャギとした高音が、女の人の叫び声に聞こえたのだ。不協和音と音楽との境目を分け入るような曲調だった。明るい雰囲気は失われて、焦燥に囚われたような疾走感が増して、鬱屈と狂乱が混濁したメロディーが鼓膜を穿うがつ。



「虚しい」「黒い海」「憂い血」「銀河鉄道」という歌詞が、いつまでも残響を奏でているような気がした。


 聴いていると、背中にじんわりと汗を感じるような、そんなサビだった。



 サビ終わりで刹那、楽器の音が死んで、シンとした静寂が挟み込まれる。


 一番のみを聴かせてもらった佐紀音は、鏡の向こうの俊也に尋ねてみた。


「俊也が音楽を作れるなんて、知らなかった。一日二日で、こんなにすごい音楽が作れるとは思えないし……実は、才能を隠してたんでしょ。どうして、そんな凄い才能を隠してたの?能ある鷹は、なんちゃらかんちゃらってやつ?」



――【能ある鷹は爪を隠す】だ。そのことわざが思い出せなかった。


「音楽に関して、苦い思い出があってね……」

「もしかして、中学生のときに音楽の成績が壊滅的に悪かったとか?」

「あー……まあ、それもあるかもな」

「ウチもそうだった。中学のときの音楽の先生がトラウマ!」

「ああ、確かに」


 歯切れが悪く答える俊也と、佐紀音は、かつて通っていた中学校の音楽教師のことを思い出した。


 歌のテストの評価が厳しく、筆記テストが「科挙」と呼ばれていたあの先生の音楽の授業が億劫でサボっていたら、評価を低く付けられてしまった記憶は、「赤首ツバキ」にとって、どこか懐かしかった。



「音楽の先生で、その先生のテストが、中国の昔の試験の【科挙】って言われてた……」

「大西先生のことでしょ」

「そうそう。もしかして……さきねぇ、ズル休みしてた?」

「してた!リコーダーのテストが嫌で、保健室行って寝てた!」

「俺は、ずる休みはしてないけど、授業中にこっそり本読んだり、テスト勉強してたりしたな」


「ふふ、俊也らしい」

「さきねぇらしい」


 やはり、同じ「赤首ツバキ」という人間だけあって、共通する部分があるのだなと、改めて認識させられるやり取りだった。


 中学時代の懐かしい思い出話に花を咲かせた二人。



 俊也は、何も記録されていない空のトラックを指さして、鏡の向こう側の佐紀音を見た。


「あとは、ミクが歌ってるところを、俺とさきねぇで録音して、音楽と合わせたら完成。ケンジさんにMV(ミュージックビデオ)作ってもらったら、もっといいんだけど……」


 なるほど、ミクの声は、仮置きということなのかと、佐紀音は理解した。


 ぜひとも、この音楽にはMVがあってほしいなと、佐紀音は思った。



「ケンジさん、時間、空いてるかな……」

「ん、ウチが電話で聞いといてあげるよ」


 親指を立てた佐紀音。彼女に対して俊也は「ありがとう」という柔らかい声を響かせた。


「ウチは、どこ歌えばいいの?」

「ユートピアを彷徨さまよう、女の子のパートを歌ってほしい。詳しいことは、収録のときに説明するよ」

「おっけー」


「じゃ」と、ハイタッチを鏡越しにした俊也と佐紀音は、それぞれの仕事に取り掛かった。



 佐紀音は、今日の配信の準備やメールの返信、SNSの更新、ケンジへの電話などなど。


 俊也は、配信のサムネイル作りと枠立て、企画やネタの立案、制作している音楽の修正などなど。

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