第17話 ASMR配信は意外と恥ずかしい
メンタルブレイクから立ち直った男ツバキ。それから、いつも気分上々の女ツバキは、週末に控えていた配信へ臨む。
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【ASMR】あなたに寄り添って見る特別な夜空 #ASMR #さきねぇ配信中
ASMR用のマイク買いました。(60万)
声:佐紀音 サムネイラスト:ケンジ 音響、台本:俊也
カメリア・佐紀音
4112人が視聴中 0分前に配信開始
チャンネル登録者62.4万
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60万円もかかったASMR用マイクを布団にくるみながら、佐紀音はベットに横になった。マイクの底からデスクへと伸びる配線が、複雑に絡み合っている。
ちなみに、配信のサムネイルの構図のアイデアは、俊也が提案して、イラストは、彼女のイラストを担当したケンジが描いたものだ。パジャマ姿の佐紀音が、布団の隙間から手招いているという構図……実にビューティフル。
エロティシズム漂うイラストを、あんなにイケメンでダンディーなおじ様のケンジが、真剣に描いていると考えると、世の中って広いなぁと思う。
今日は、佐紀音チャンネルにおいて、初めてのASMR配信が行われる日である。
「聞こえますかー……?」
緊張からか、ちょっと震えた声で囁いた佐紀音。彼女の低音の囁き声に、コメント欄のリスナーたちが歓喜の声を上げた。
【きたっ!!】
【聞こえてまーす】
【布団の中で待機中】
【¥10,000:初めてのスパチャをさきねぇに捧げます。これからも、僕の癒しになってください】
【赤スパナイス】
【ナイス赤スパ】
【サムネエロ杉】
【ちょっとBGM大きいかな】
【今日もさきねぇがかわいい】
【サムネイラスト健二さん、マジか】
コメント欄の【ちょっとBGM大きいかな】という指摘を見かけた俊也は、デスクトップパソコンにて、BGMの音量のメーターをぐいっと下げた。【いい感じになった】というコメントを確認して、小さく、ふーっと一息ついた。
こんな小さな息の音でも、あの高級マイクが拾ってしまうかもしれないので、裏方の俊也も、細心の注意を払っている。
「今日は、ウチの配信仲間のリオンからオススメしてもらったASMR用のマイクを買って、初めてのASMR配信でーす。初心者で拙いところもあるかもしれないけど、よろしくお願いしまーす」
佐紀音は、さっそく、綿棒を取り出して、ASMR用のマイクをぎゅっぎゅっと、こすり始めた。
「横になって。耳掃除してあげるから」
音響の確認をしていた俊也のイヤホンにも、綿棒がマイクを
「どうです?お耳、気持ちいですかー?」
【癒される】
【やばい】
【佐紀音との添い寝気持ち良すぎる】
【快眠必至】
【ちょっと力強くない?】
【耳がゴリゴリ削られるぅぅぅ】
【鼓膜破れる】
【パワー系】
【ゴリラASMR】
『ゴリラASMR』というコメントを発見した佐紀音は「ちっ」という舌打ちをした。リスナーに聞こえないようにと、小さい音でしたはずだが、高級マイクは、そんな小さな音ですら逃さず拾ったのだった。
「あ、キスの音じゃないよ。今のは、舌打ちの音だから、勘違いしないでね」
【うおおおおおお】
【キスの音助かる】
【舌打ちの音キレイすぎて助かる】
【耳が孕みそう】
布団にくるまって、苦笑いを隠せていない佐紀音。再び綿棒を握り直し、こんどはゆっくりと、マイクを擦った。
傍から見ると、その光景はたいへんシュールだった。
ASMRを知らない人からは「あの娘は何をしているのだろう」と思われること間違いなし。
視聴者は、みるみる増加。今では、『8260人が視聴中』という数字が叩き出されていて、同接1万人突破の大台が目前に迫っている。
俊也は、音量のメーターを凝視しながら、細かい音量調節に励み「がんばれー」と、心で声援を送った。
「さて、夜も更けてきたことだし、寝るよ。ほら、ウチの布団の中においで~」
佐紀音は、台本を読みながら、実際の布団を広げて、マイクへと被せた。
布団とマイクが擦れる音がわずかに聞こえてきた。
【ああああああああ】
【さきねぇの胸の中に……】
【添い寝きtrたぁぁぁぁlああぁ】
【台本監督の俊也、いい趣味してんな】
【みなさんお待ちかね】
狂喜乱舞のコメント欄を確認して、佐紀音は「キモい……」と苦笑した。
しばらくは、布団と佐紀音の息遣いを楽しむパート。俊也は、リスナーたちの意を汲み取って、マイクの感度と環境音とを引き上げた。
【ああああああ】とか【近い近い】というコメントを確認して、佐紀音に親指をGOOD!立てた。
「どうしたの?みんな、疲れた顔してるね。お仕事とか学校、お疲れ様~今日は週末だし、ゆっくり休もう♪」
脇に抱えている、ホチキス留めされた台本の紙の束を音読する左紀音。頬を紅潮させており、声が若干、震えていた。
【ワイはニートやぞ。配慮して】というコメントに対して、左紀音はダウナー声で「安心して、ウチも就職してなくて、ニートみたいなものだから」と返した。
俊也は、吹き出して笑いそうになった。お腹を痙攣させながら、必死に笑いを堪える。
ツボだ。完全に、彼の笑いのツボに入ってしまったのだ。
「そんな、疲れきったすべての人へ。ウチからのハグをお贈りします。……ぎゅー」
布と布が擦れる音、左紀音の囁きと息遣いに、微かな心臓の鼓動の奏でが重なる。これは、配信の音声を通じたリスナーたちと左紀音との【擬似抱擁】である。
【おおおお】
【めっちゃリアル】
【¥39,000:やっぱり俺の彼女は最高】
なぜか、コメントが少なかった。
みんな、左紀音との貴重なハグを味わっているご様子。そんな、リスナーたちの反応を、コメント欄を通して知って、俊也と左紀音は、ニヤニヤと笑い合った。
「俊也く~ん?この前の誕生日配信の罰ゲームをお願いします」
「え」
「忘れたとは言わせないよ~ゲームで負けたもんね~ほら、ウチとマイク代わって」
クルッと、ゲーミングチェアを回して振り向いた俊也。左紀音が、ベッドの上から、まるで招き猫のように手招いている。
「はぁぁぁしょうがないなぁぁ」とため息を混ぜながら、重い腰を上げる。
【うわ、俊也だ】
【さきねぇを返せ】
【罰ゲーム、罰ゲーム♪】
【かーえーれ、かーえーれ】
【俊ちゃんきた!】
【恥晒せ】
左紀音とのイチャイチャ音響を嗜んでいたリスナーたちから、ブーイングが起こった。「かーえーれ」といった音頭が取られてしまう始末。
そんなリスナーたちに「鎮まりたまえ、傾聴せぇ!」と、俊也が太い声を飛ばすと【www】という笑いのコメントで沸いた。
隣に控える左紀音が、罰ゲームの内容である【恥ずかしいセリフ】を発表した。
「フフ……俊也には、吐息混じりの全力のイケボで『好きだよ、みんな』と言ってもらいまーす」
開口で思わず笑いをこぼした左紀音。普段とは毛色が違う俊也の姿が全世界へと晒されることに、期待を膨らませていた。
マイクの前に正座した俊也。今にも心臓が張り裂けそうだ。
「はぁ」
【息入ってるぞ】
【緊張してんねぇ】
コメントから、鋭い指摘が入って、ハッと息を呑んだ。
「よし、皆の衆、心して聞くがいい」
自分でも良くわからないテンションで言葉を紡ぎ、小さく息を吸った俊也。左紀音に指定された言葉を、前髪にかかるような低い声で紡いだ。
「……す、好きだよ、みんな」
【w】
【wwwwwwwwwwwwww】
【草】
【逝ったあああああああ】
【かわいいいいいい】
【俊也の囁き気持ち良すぎだろ】
【きもきも】
【¥2,000:アンコール、アンコールo(^-^)o】
【草】
【俊ちゃんかわいい///】
【恥ずかしがってんのかわい過ぎか】
【¥12,000:さきねぇと一緒にシチュボ売ってくれ】
阿鼻叫喚、といった具合か。
佐紀音のチャンネル全体の3割ほどを占める女性ファンには、
ちょうど、視聴者が1万人を突破した、配信で最も盛り上がっているところでの、恥さらしの罰ゲームだったため、俊也は、自らが沸騰しているような錯覚に陥り、顔を真っ赤に染めた。
「くっ、殺せ」とつぶやきを残して、再び音響管理の裏方へと消えていった。
「以上、俊也の罰ゲームでした~一旦、休憩挟ませてくださーい。5分後に、また再開しまーす」
結局、俊也に対する罰ゲームのコーナーが、視聴者が最も集まった場面となってしまった。彼にとっては、不本意だった。
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