第14話 リバティアンドフリーダム・マーチ

 見上げるほどに高いビルたちが、左右に揺れながら、リズムを刻んで歩いている。赤黒い水に、膝まで浸かった人々は、旗を持ったり、楽器を鳴らしたり、拍手でリズムを刻んだりしながら、【行進】している。


 旗には【日本豊穣党】を象徴する黒いカラスが描かれていた。



「何だ、これ……ビルが、歩いてる……?」


 まるで、ビルが生きていて、意思を持って行進しているかのように見える。ラッパやシンバルの音が響くたびに、身体の窓ガラスを割りながら左右に揺れている。



 そして、一言一句の誤差なく、みな、同じ言葉を紡ぎ、叫んでいる。




 雨ニモマケテ 微風に押し戻され 大雪に埋もれて 酷暑で堕落して


 貧弱で 強欲で 唐突に怒り いつも虚ろな目をしている


 東にポセイドンの荒波騒げば


 つまらぬから止めろと言い


 西に人の争乱有れば


 神に祈れり「救済」を


 南の貧しき子ども飢えれば


 かねの音で虚空に手を差し伸べ


 北に冷たき【母】の怒りあれば


 自ら熱を引き受けて


 日照りのときは死神の鎌を首にかけ


 寒さのときはコドクの毒を醸成し


 皆に「つまらぬ人」と呼ばれ



 人を愛せず


 人に愛されず


 そんな私を



 神は、愛してくださるのでしょうか



 Amen(アーメン)



 Amen...


「宮沢賢治の詩に似てる……『雨ニモマケズ』だ」


 中学校の国語の教科書に掲載されていた、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』にどことなく似た叫びだった。



 しかし、原作の賢治の詩とは似ても似つかず、彼の心の穏やかなことや、農家への愛と心痛の念は踏みにじられ、実に冒涜的で、暴力的な内容だった。【堕落】とか、【強欲】とか【争乱】とか【死神】とか、賢治が好みそうにないネガティブな言葉が列挙されている。


「遂に来たよ、【リバティアンドフリーダム・マーチ】が」



 共に、船の上から、人々とビル群の「行進」を臨む救世主は、またツバキに理解できない言い回しを言った。


「あの人たちは、何なんですか……」

「君の心を映す【鏡】だよ」

「鏡って……」


 救世主が、くるっと振り向いた。その顔を覆い隠していた狐のお面が、静かに取り去られた。



 救世主と名乗った女性の顔が、露わになった。


 腕と同様に白い頬で、顎のラインが究極的に美しく、鼻が高い。空色の瞳がはまっており、微笑みは、どこまでも深い慈愛を含んでいて、とても現実の存在とは思えない天使のような顔をしていた。



「君を、こんなおかしな世界に誘ったのは、この私。私が、君に夢を見せて、【もう一人の君】を見せてあげたのよ」

「ま、まさか、鏡の向こうの女の俺って、あなたが見せた幻……ってこと?」


「そんなことは、一言も言っていない。あくまで、あれは、君自身を映す【鏡】であって、君という存在は、鏡の向こうの君をうつす【鏡】なんだよ」


「ん?どういうこと……?」


「うふふ。言葉で説明すると、実に難解だな。いずれ分かるときが来る」



 救世主が、まさかの、鏡の異変を引き起こした張本人だった。鏡の向こうの、もう一人の「赤首ツバキ」を見せたのは、この天使のような金髪の救世主だったのだ。



 ということは、彼女は神様のような存在なのか。


 ということは、これは、やはり幻覚や、夢のような世界なのか。



 情報の行列が長すぎて、理解が追いつかない。


「とりあえず、あなたはまだ、魂の錬磨が足りない。もっと自分を見つめて、高めて、見せかけの【ユートピア】に浸るといい」



 救世主は、少女のような愛くるしい声で「えい」と言って、ツバキの胸を両手で押した。体が、ふわっとした浮遊感に襲われて、ツバキは「うわっ」という自分の声を、遅れて聞いた。


 そのまま、木の船から落ちて、赤黒い水に背中から落ちた。


「っ――はぁ!!何するんだよ……」



 水深は幸い、浅かった。立ち上がると、膝下ぐらいの高さに水面があった。



 唐突のことで、困惑を隠せないツバキ。顔を水面から上げたときには、救世主を名乗った金髪の女性と、彼女を乗せた木の船は、忽然と姿を消していた。ついさっきまで、一緒に船に乗っていたのに、どこかに消えてしまった……


「豊穣万歳、豊穣万歳!!」



 行進していた人々が、一斉にこちらへ振り向いた。


 そのまま進路を変えて、こちらに近づいてくる。


――狂乱に染まった人々の中に、知っている人を見つけた。



「な、七瀬先輩!?」


 背が高く、珍しいワインレッドの瞳を持っており、金髪を風にたなびかせる女性……彼女は、かつての居酒屋のバイトの先輩だった。



 彼女も、周囲の人々に混濁するように【日本豊穣党】のカラスの描かれたのぼりを担いでいる。



「な、七瀬先輩っ!!!」


 ツバキは、出し慣れなれていない腹の底からの声を叫んだ。


 七瀬先輩は、その声に気が付いたようで、こちらに視線を向けて、手を振った。



「あ、ツバキくん!!久しぶり!!元気してた?」

「七瀬先輩、これ、何をやってるんですか」


 ついに目の前に迫った狂気の大行進にツバキも混ざって、七瀬先輩の隣を歩いた。



 七瀬先輩は、自らの金髪を撫でて、目を細めるニッとした笑みを浮かべた。


「リバティアンドフリーダム・マーチだよ」

「え……」

「自由のための行進だよ。知らない?」

「すみません、俺の知る限りでは、ビルは歩かないはずなんですけど」

「そうだけど……でも、自由のためなら、何でもアリでしょ♪」

「はぁ」


 先輩も【狂気】に染まってしまったみたいだ。日本語は通じるけれど、まるで話が通じない。そんな感覚だった。



 七瀬先輩の隣を歩きながら、周囲を行進する者を一瞥いちべつした。


 踊るビル、家屋、デスク、椅子、車、トラック、大樹、巨人族、風船人間、シンバルを打ち鳴らすエルフ、ゴブリン、十字架を掲げた鳥居、空飛ぶ絨毯に乗る仏像、国会議事堂、剣とメガホンを持った勇者、ホワイトハウス、東京スカイツリー、硫黄の香り漂う温泉、ベット、パソコン、テレビ、シャンデリア、スーツを着た人間、乳母車を押す母、サングラスをかけた外国人、フルートを吹く猫、手りゅう弾でお手玉をする自衛隊員、ラッパを吹く大きな林檎、花びらをまき散らす戦車、頬にアザのある幼稚園児、丸々と太った政治家、雄叫びを叫ぶティラノサウルス、杖を突くおばあさん、目にクマを飼った医者、「ウホウホ」と言って楽しそうなネアンデルタール人、車いすに乗った人……



 共通性をまったく見いだせない人やモノ、さらには異世界の存在までもが、一緒になって行進していた。


 みな、楽しそうだった。



 これが、【リバティアンドフリーダム・マーチ】か。たしかに、とんでもなく自由で、多様性に溢れている。本来は動かないモノも建物も、おかまいなしに歩き回っている。



 そんな人々に囲まれて歩いていると、なんだか心が躍った。


「ねぇ、ツバキくんは、好きな子とか、いるの?」



 唐突に七瀬先輩から、場に馴染まないことを聞かれたツバキは、頬をちょっと紅に染めて、しかし額に汗を滲ませながら答えた。


「……高校生のときに、いました」

「その子と、お付き合いしたことある?」

「ないです。俺が勝手に『気になるな』って思ってただけなんで、連絡先も知りません」

「そっか」


 七瀬先輩は、金の髪を揺らしながら、狂気の行進が進む先を見つめた。しかし、すぐにこちらへ、ワインレッドの瞳の視線を戻した。



「もし、次にまた好きな人ができたら、ためらわないで、突撃して告白しな。私は、告白する勇気がなかったせいで、いろいろあったけど、最後に勇気だして『好き』って言ったら、相手からも『七瀬のこと、ずっとずっと、好きだった』っていう返事もらえた経験あるから」

「へぇ。その人とは、今もお付き合いしてるんですか?」

「うん。その人とは、小学生からの知り合いで、ちょっと口下手で、自分よりも私のこと優先しちゃうぐらいの人なんだけど、大好き。一生かけて『好き好き』言っても足りないぐらい、大好き」



 ツバキは、七瀬先輩の恋愛話に「へぇ」と繰り返し、耳を傾けていた。――こんな頭のおかしい夢を見る自分には、縁のない話だなと思いながら。


 けれど、いざというときに勇気を振り絞ることは、大切なことだと、身に染みて思うのだった。



 頭が痛くなった。キーンという耳鳴りがする。


「あ、流れ星」

「え、どこですか?」

「上!」


 七瀬先輩は、輝かしい星で満ちた空を仰ぎ見た。



 それに釣られて、ほかの人やモノも、頭上を見上げた。



 流れ星は、彗星のように尾を引いて、地平線の先に向かった。そのまま、地上に衝突すると同時にカッと、まばゆい閃光がほとばしった。



「う……わ」

「うわああああああああ」



 阿鼻叫喚が満ちて、行進の足が止まった。



 甲子園球場の音……否、空襲のサイレンが鳴り響き、街の看板や掲示板のすべてが『国民保護に関する情報』に置き換わり、あらゆる警鐘アラートが叫んでいる。



 地平線の先からは、いまだに閃光が爆発しており、空高くに黒い雲が立ち上った。――キノコみたいな形だ。


 その雲を視界にとらえた刹那のことである。猛烈な熱と衝撃と爆発音とが、行進する一行いっこうを襲った。




 ツバキは、意識を失った。

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