第8話 仲直りの味は、イチゴの酸っぱさの味

 部屋には、布団にくるまって、枕元でスマホを握った女ツバキの姿があった。しかし、布団の下は、どうやら、衣服を身に着けていない。


 白い肩が露わになっている女ツバキは、頬をカッと赤らめた。


「ねぇぇぇぇぇ!!むやみやたらに女の子の部屋に入らないでくださーーーい!!」

「ご、ごめん。すぐ出るよ」



 男ツバキは、慌てて部屋を出た。戸を思い切り閉めたせいか、ドンッという大きな音と衝撃があった。


 背中にじんわりと、冷たい汗が湧いて出ているのを感じる。呼吸が焦っていて、肩が大きく上下した。



 配慮の無さと不注意で、女ツバキの部屋に入ってしまった。しかし、女性の裸の姿を見たわりには、動揺以外の感情が湧かなかった。性的指向は、女性に向いている自分だから、心臓が破裂しそうなぐらいドキドキしそうなものだが……


 やはり、相手が性別の違う自分だからということか。特段、興奮しなかったな。



 というか、部屋に入るのを『気にしないで』と言っていたような気がするのだが……


「入っていいよ。おバカさーん」


 戸の向こう側から、女ツバキの低い声が聞こえてきた。

 おバカさんでごめん。


 恐る恐る、ドアノブに手をかけて、それをゆっくりと回した。



 部屋の中央には、素肌の上に黒のパーカーを羽織った女ツバキが、胡坐あぐらをかいて座っていた。黒い瞳の目つきが険しく、目線が棘のように鋭かった。


 男ツバキは、申し訳なさそうに首元を指で掻きながら、彼女の正面にちょこんと腰を下ろした。


「あの、ごめん、マジで。俺の不注意だったよ……」


 声のトーンを落とす男ツバキだが、なかなか目線を女ツバキと合わせられずにいた。水槽の中の金魚のように、目線が泳いだ。視界の左端の棚を見ては、右側のベットを順に見つめて、それを繰り返した。



 だって、自分は、怒られ慣れてないし、失敗し慣れてないのだから、どう謝ればいいのか、わからない。


 それに、謝りたいことは、今回の件だけではないから、余計に頭と頬が熱くなった。


「まあ、ウチもそこまで怒ってないよ。だって、自分が自分の体見ても、別に何とも思わないから」

「ああ、そうか……いや、やっぱり申し訳ないから、改めて謝らせてよ。――ごめん……」


 土下座の形をした男ツバキ。彼の背中側の床に置かれていた箱に気が付いた女ツバキは、表情を晴れやかに、目をぱっちりとさせた。


「その箱、なに?ウチのために、新しいイヤフォンでも買ってきてくれたの?」

「そんな、たいそうなものじゃないんだけど……」



「一切れ、あげる」と言いながら、箱を手渡した男ツバキ。


 女ツバキは、箱の中身を見て、目をまん丸にして、キラキラとさせた。



「ケーキじゃん!ウチの好み、わかってるねぇ。イチゴのショートケーキこそ、至高だよ」

「そりゃ、お前は俺で、俺はお前だから。甘いものが好きで、特段、イチゴのショートケーキに目がないことは、知ってるよ」


 家の屋根を突き破らん勢いで立ち上がった女ツバキは「勝手に食べたら殺す」と言いながら、部屋を出ていった。



 脅迫された通り、部屋で座って待っていると、再び女ツバキが戻ってきた。両手に二本のフォークと二枚の小皿を携えて。


 小皿に取り分けられたショートケーキを受け取った。



「いただきまーす」


 女ツバキは、右手に持ったフォークで、ショートケーキのホイップクリームが豊富な側面をすくい上げて、それを口へと放り込んだ。「んん~おいしい~幸せ~」と笑みを隠し切れず、また一口、また一口とケーキを口の中へと運ぶ。


 男ツバキも、手を合わせて「いただきます」と小さく言って、イチゴをフォークで突き刺した。



「なんで、気を利かせてケーキ買ってきてくれたの?ウチのご機嫌取り?」

「まあ、誤解を恐れずに言うなら、そう」


 少女然として、首を傾げた女ツバキ。


 彼女と対峙する男ツバキは、再びこの世界の自室を訪れた理由を説明する。


「昨日、お前の胸ぐら掴んだじゃん。さすがにやり過ぎたと思ったから、謝りたいなって思って……」

「ん、そっか。別にウチは、そこまで気にしてないし、むしろ、謝んなきゃいけないのは、ウチのほうだよね――ごめん。タバコ吸おうとして、挙句、髪の毛掴んで暴言吐いて」

「え、ああ……」


 昨日の傲慢たる態度とは打って変わって、非常に冷静で、誠実さを滲ませる女ツバキ。彼女の顔は、変わらず整って美しく、眉尻をわずかに下げていた。


 どうやら、本心からの謝意らしい。



 急に態度が変わった、もう一人の自分を目の当たりにして、男ツバキは、また目線を泳がせて、困惑を隠せなかった。


「昨日の夜中にね、あんたとのやり取りを思い出して泣いてた。よくよく考えたら、あんたが言ってたこと、正論じゃんって気が付いて、申し訳なくなった」



 冷静になれば、物事の本質が見えるというのは、「赤首ツバキ」共通である。



 男ツバキは、それをあらかじめ理解わかっていて、正論を突きつけて訴えたのだ。20歳未満の喫煙はダメ、傷ついて離れるファンがいる、タバコは体に悪い、将来に悪い影響があるかもしれない……昨日の男ツバキの言葉は、すべてが正論で、事実でもあった。


「もう、タバコは吸いません。吸いそうになってるウチがいたら、頭を叩いてでも更生させてよ」

「いや、あと3日で誕生日だから、それ過ぎたら、喫煙は、好きにしていいんだよ」

「ううん。ファンのこととか、ウチ自身のこと考えたら、吸わないが一番良いって、あんたに気づかされたの。だから、それでいい」

「ああ……そうか」


 女ツバキは、首を横に振っていた。



 まさか「言葉」に、人をここまで変えるほどの力があるとは……


 とりあえず、良かった。もう一人の自分が、考えを改めてくれたことに安心させられて、男ツバキは、胸を撫でおろした。



「ん、仲直りの証の、あーん」

「はぁ!?」


 女ツバキは、フォークの先端に刺さった深紅のイチゴを差し出している。それが、男ツバキの口元に迫る。



 これは、恋人同士がよくやるやつだ……【自分同士】でやるというのは、なんとも複雑な気持ちだ。こんな状況に遭遇した人類が、「赤首ツバキ」以外に居ないから、こんな時の気持ちを表す言葉が見つからず、頬を歪めて、押し黙った。


「……」

「ほら、口開けて。腕疲れてきたから」


 イチゴが、男ツバキの頬に押し当てられた。白いホイップクリームが、彼の左頬に付いた。


「ウチらが同じ人間なら、家族も同然だし、なんなら、それよりも関係が深いよね。だから、恥ずかしがらず、遠慮せず、どうぞ」

「やっぱり、この世界もおかしいよ……」



 男ツバキの口は、そのように言いながら、イチゴの刺さったフォークを受け入れた。ぱくっと、一口で食べると、イチゴの酸味が口の中に広がった。


「……おいしい」

「でしょ」

「さすがは、一切れ4000円のショートケーキのイチゴだね」

「え、そんなに高かったの!?ブランドもの!?日本橋の高級店で買ってきたやつだったりする?」

「いや、俺の世界の物価がおかしいだけ。クソが……3か月分のお小遣い、吹き飛んだよ」

「……ほんとうに、あんたが住んでる世界とウチらの世界、同じなの?」

「分からない」

「絶対、違うじゃん。ケーキ一切れ4000円なんて、物価が違いすぎるでしょ。今度、そっちの世界に行ってみていい?」

「やめといたほうが身のためだと思う」


 仲直りの味は、イチゴの酸っぱさだった。

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