第5話 タイムラインの始点

 4時間を超えるゲーム配信が、ようやく終わった。


「んん〜楽しかった〜」


 配信終了のボタンをクリックした女ツバキは、ゲーミングチェアに体を預けて、腕をグッと伸ばした。


 男ツバキのほうも、長く椅子に座っていたせいか「いてててて……」と呻き、腰をさすった。


「4時間半で、どれぐらい稼げたの?」


 横へ振り向いた男ツバキ。やはり気になるのは、今回の配信で稼いだ収益についてである。


「スパチャと、同接、あと有料スタンプとメンバーシップの人たちからのギフトを含めてざっと……7万ぐらい?」

「うわあああ、いい商売だなぁ〜これを、あと10回繰り返したら、70万だもんなぁ」

「今日は調子が良かったね。過去の人気ゲームだったし、【カメリア俊也】っていうスペシャルゲストもいたし。いつもは、もう少し少ないよ」


 男ツバキは腕を伸ばして、画面の配信結果分析のグラフを見せてもらった。


 1ヶ月前に辞めたアルバイトの時給と比較することがはばかられるほど、女ツバキの稼ぎは良かった。一般的、平均的なサラリーマンと競り合えるぐらいではないかと、男ツバキは目を丸くしていた。


 しかし、パソコンやマウス、ゲーミングチェアやヘッドホン、マイクにインターフェイスを含めて、機材は高価であるし、おそらく、炎上やコンプライアンスや誹謗中傷のリスク等もあるだろう。



 彼女の「見えない努力」には、尊敬の念を禁じ得ない。



 女ツバキがヘッドホンを置く音に、部屋の戸をコンコンと叩く音が重なった。


「いいよ〜」という女ツバキの返事を受けて、戸がゆっくりと開かれた。



 入室してきたのは、温かいラーメンをお盆に乗せた母、輝夜かぐやであった。


「夕ご飯、お母さん特製の味噌ラーメンね♪」

「ん、ご苦労さん、ママ」


 女ツバキと母、輝夜かぐやは、互いに目を細めて、似たような笑みを浮かべている。


――やっぱり、2人は本当の親子なんだ。



「今日の配信は、どうだった?楽しかった?」


 母が、娘である女ツバキに訊きながら、デスク横の木の机の上に、湯気を噴き上げるラーメンを置いた。


「すっっっっっっごい楽しかった。【雑草2号】さんから、またスパチャ貰っちゃった。4万円も!『俺の花嫁筆頭候補』っていうコメント送られて、ちょっとキモって思ったけど」

「ああ、いつもの常連さんの人ね〜」

「昨日の配信でも2万スパチャ送ってきた」

「お金のほうは、大丈夫なのかしらね、その人……」

「資産家の人なんじゃない?知らんけど」

「ゲームをしているだけで、顔も名前も知らない人からお金が貰えるなんて、改めてすごい時代ねぇ」

「ねー。インターネット社会最高」



 女ツバキと母輝夜かぐやは、親子らしい、仲睦まじいトークを交えている。もちろん、男ツバキが座っていることを認識せずに。


――自分の知っている「赤首家」よりも、ずっと親子の愛が深いなぁと、男ツバキは思った。


「お母さん、明日の朝、眼科に行ってくるから、早めに寝るわね」


 母は、お盆を胸に抱え、部屋を出ようとしている。


「「おやすみ〜」」と、2人のツバキは声を揃えた。男ツバキの声は、こちらの世界の母に聞こえないのだが。



 ふー、ふーと息を吹きかけて麺を冷ましながら、ラーメンを啜る女ツバキの黒瞳が、ちらっと、横へ向いた。「食べる?」と聞きながら、器をこちらに差し向ける。


 自分に見つめられただけのはずなのに、男ツバキの胸の内はドキッと弾んだ。



「いや、それはお前の夕食なんだから、いいよ。大丈夫」

「遠慮するなよ〜マイブラザー」

「もうすっかり、きょうだい扱いなのかよ」



 まだ、彼女と出会って2日目。しかし、長年、同じ釜の飯を食らい合った家族のような安心感と信頼感が得られる。――やはり、同じ「赤首ツバキ」という人間だからだろうか。



 そんなことを考えながら男ツバキは、女ツバキの太陽を知らない手から、ラーメンの器を受け取った。


 久しぶりの味噌ラーメンは、美味しかった。けれど、昼間のラーメンと同様に、少し塩味が強い気が……?


「ちょっとしょっぱいな」

「そう?ウチにとっては、これぐらいが丁度いい塩加減なんだけど」


 

 デスクの足元に置かれた1000mLペットボトルからグラスへ、水を注いだ男ツバキ。塩分過多が心配になるぐらいコショウが効いていて、舌上がヒリヒリとした。


「塩分の摂り過ぎは、体に毒だよ。気をつけてね」

「ん。わかってる、分かってる」


 女ツバキは、気怠げに声のトーンを落として、パーカーのポケットから蛍光の緑色の小箱を取り出した。その箱の中から、さらに、白色の棒状のものを取り出して、慣れた手つきで口元に咥えた。



――紙タバコだ。


「ちょっと待てぇぇぇ!!」



 男ツバキは、女ツバキの口元の紙タバコを、中指でピンッと弾き飛ばした。


「ねぇ、やめてよ」

「それはこっちのセリフだよ!」


 宙を舞った紙タバコは、片付いた床をコロコロと転がった。



 「赤首ツバキ」の年齢は19。それは、男のツバキも女のツバキも同じである。誕生日は、6日後の12月8日。



……つまり、女ツバキはタバコを吸える法定年齢に、僅かに達していないのだ。


「あと6日で20歳になるんだから、もう少し我慢しろよ」

「えー……たまに吸いたくなっちゃうんだから、しょうがないでしょ〜」

「その言い方だと、今日が初めてじゃないんだな」

「えへへ、バレちゃった」

「笑って誤魔化すな」



 堂々と、臆面もなく法律違反を告白した女ツバキ。彼女の左手には、銀色のライターが握られている。


――こいつの慣れた手つき、常習犯のそれだ。


「タバコは20歳になってからって、流石に知ってるだろ。あと、どこから手に入れたんだよ」

「パパのやつ、バレないように盗ってる」

「はぁぁ……」


 男ツバキの口から、深いため息が漏れた。



「お前……大人気ライバーが19の歳でタバコ吸ってるって知ったら、悲しむ人、いっぱいいるだろ。ファンの人たちもそうだし、Vのガワ描いた絵師さんも、父さんと母さんも、俺だって、悲しいよ」


 男ツバキの声は、震えていた。目の裏側に涙を隠していることを、同じ「赤首ツバキ」である女ツバキは、見抜いていた。


――自分も、泣きたいときに声が震えて、こんな感じになるから。



「俺は吸ったことないから分からないけど、たぶん、刹那的な、たった一瞬の気分の良さしか得られないんでしょ。そもそも、お前が吸うのは法律に抵触するし、もし誰かに知られたら、長い目で見て、ライバーとしての仕事を続けられなくなるかもしれない。あと、単純に体にも悪いし……」


 感情論にも手を借りて、持ち得る知識と言葉を総動員して、女ツバキに訴えかけた。

 

 大人気Vライバーが法を犯して喫煙している事実が発覚すれば、ネット上は火の海と果てるだろう。多くのファンが失望して離れるだろうし、彼女が築き上げてきたであろう、あらゆる信頼関係は、ガラガラと崩壊してしまう。そうなれば、彼女の人生にとって、取り返しのつかない悪影響があるはずだ。



 だが、男ツバキの必死の訴え虚しく、彼女の心に響かなかったようで、涼しい顔で「バレなきゃ平気、へいき」と言い捨てた。


「っ――」



 頭の中で、何かが切れたようなブツンっという音を、男ツバキは聞いた。血管か……否、それは、おそらく「理性」の糸だろう。


 気が付けば、女ツバキの胸ぐらを両手で掴んでいた。


「はぁ!?ちょっと……何!?」



 雨がしとしとと歌い始めて、風が窓を打った。


「ふぅーーーーーーー……」


 男ツバキは、息を大きく吸い込んだ。「赤首ツバキ」という人間が、矛の収めどころのない怒りを我慢するときにの癖だった。


 女ツバキも張り合うようにして、男ツバキの頭頂部の黒髪を鷲掴みにした。何本かの髪が、はらりと床に抜け落ちた。


「離してよ、気持ち悪い」

「だったら『おとなになるまで、タバコは絶対吸いません』って、誓えよ!」

「吸うか吸わないかは、ウチの勝手でしょ!あと、胸ぐら掴まないで、暴力行為でしょ!」

「法の逸脱行為が自由であってたまるかよ!それと、話をすり替えるな!」


 互いに語尾と、腕の力を強め合った。女ツバキのほうも「ふぅーーーーーーー……」と、似たような息遣いをした。



 今にも殴り合いと、暴言の飛び交う全面戦争が勃発しそうな険悪で、ピリピリとした空気が部屋に満ちる。



――しかし、ここで激しい争いにエスカレートしないのが「赤首ツバキ」の性格だ。怒りを深呼吸で鎮めて、理性の糸を自己修復するのである。



「「……」」


 互いに無言の時間を共有して、静寂を回復し、手を離し合う。


 男ツバキの髪型と、女ツバキのパーカーは、乱れていた。



 そのまま、言葉の一切を交わすことなく、男ツバキは部屋を出て、洗面台の鏡から、元の世界へと戻った。


 女ツバキは、ライターを窓に投げつけて、掃除されて清潔感を取り戻したベットで横になった。よく洗濯された、柔軟剤の良い香りがする。


 肌寒さを思い出して布団にくるまり、独り、すすり泣いた。



 雨が窓を打つ、パチパチという音が『悲愴』を奏でた。

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