第39話どちらが正妃
重厚な扉をくぐると、柔らかな日差しが絨毯に影を落としている。王家のサロンには、静寂と優雅さが溢れていた。
「予想していたとはいえ、お茶会への参加の許可…すんなり下りたわね」
シャルロットが微笑む。
「はい、少し拍子抜けするくらいですわ」
私たちにフォローでも期待しているのだろうか?
「まあ、私たちが何かを要求することに慣れたということにしておきましょう」
慣れの成せる業。大丈夫かしら王家。
サロンの奥に行くと、王女がソファに座り、優雅な微笑みを浮かべていた。
「ごきげんよう、王女殿下」
私たちは同時にカーテシーをし、その姿勢を保つ。
「ごきげんよう、お座りになって」
王女は柔らかく応じる。しばしの歓談の後、シャルロットが昨日の話題を持ち出す。
「昨日は、とても素敵なものを拝見しましたわ」
「ふふ、今日もそれ以上に楽しませて差し上げるわ」
王女は微笑を深め、軽やかに答える。その余裕に満ちた姿は、まさに王族の中の王族といった風格だ。
「私たちが何かお手伝いすることはありますか?」
控えめに問いかける。
「いいえ、恐らく一人で何とかなるでしょう。交渉事は大得意なの」
頼もしい言葉が返ってきた。
『やったわ、高みの見物ね』
シャルロットが小声で嬉しそうにささやいた。目は期待に満ちて輝いている。
その時、遠くから王太子が現れるのが見えた。王太子自ら迎えに来たのね。…私たちを見つけ嬉しそうな顔をしているわ…。
王太子が傍まで来ると、王女は、にこやかに微笑んだ。
「王太子殿下にご挨拶いたします。ふふ、昨日から今この瞬間まで、私のことを何度思い返していただけたかしら?」
艶やかな声に、王太子の視線が彼女に集中する。
「え? あの、それは…」
王太子は顔を赤らめ、明らかに狼狽している。
「ふふ、冗談ですわ。今日は有意義な時間にしましょうね」
余裕を漂わせる王女と、翻弄される王太子。お茶会楽しみだわ。
庭にセッティングされた席へと案内されると、すでに王家の方々とアンナ様が待っていた。
アンナ様は明らかに不機嫌そうで、その表情が場の空気をさらに重くしている。優雅なティータイムというより、今にも嵐が吹き荒れそうだった。
席に座ると、王女が穏やかな声で切り出した。
「ご招待いただき感謝申し上げますわ。早速ですが、私、あの後、婚約の話について真剣に考えましたの」
周囲がざわつく。いきなり核心に触れるとは誰も予想していなかった。
「婚約!?」
アンナ様が、驚きの声を上げる。
「…アンナ様とおっしゃったかしら。ええ、婚約よ。打診をいただいたの。そんなに驚くことではないのではなくて? この国では正妃と側妃がいることが決まりなのでしょう?」
彼女の言葉にその場の空気が変わる。誰もが予期していなかった展開に、一瞬呼吸を忘れるほどだった。
アンナ様は険しい表情を浮かべ、王太子を睨むようにして声を荒げた。
「私に無断で話を進めたのですか?」
「ア、アンナ、あまり大きな声を出さないでくれ!」
王太子殿下が、必死に宥めようとするが、アンナ様の怒りは収まらない。
「私に関係ある話ですよね! 黙ってなんかいられません!」
喧々諤々となる場を、王女が静かに制した。彼女は手を挙げ、冷静さを漂わせながらその場を支配した。
「そうですわよね。当然、アンナ様は、口を出すべきですわ。でも、先に私の話を聞いていただいてもよろしいかしら?」
一呼吸置いた彼女は、堂々と告げた。
「私、婚約のお話を受けようと思っていますが、側妃でも構いませんの」
その言葉が放たれた瞬間、周囲の空気が凍り付いた。側妃!? あまりの衝撃に、誰も声を出せない。
「聞こえませんでした? では、もう一度言いますわね。この国の子爵令嬢が正妃、隣国の前王太子であり第一王女の私が側妃。それでも構いませんわ」
陛下たちは、お互い目配せをし、顔を青ざめさせているが、王女殿下は毅然とした態度を崩さない。緊張感が張り詰める中、だれもが王女の次の言葉を待つ。
王下は微笑みを浮かべつつも、芯のある声で再び問いかけた。
「私、正妃でも側妃でも、役割を果たす自信がございますわ。さて、あなたはどうです、アンナ様?」
その声は、穏やかでありながら、鋭利な刃のようでもあった。その場全体を無言の圧力が覆いつくす。周囲の者たちが思わず息を呑む中、空気は重く張り詰めた。
王女の視線は、アンナ様にまっすぐ注がれ、緊張が走る。一瞬、アンナ様の表情が硬直し、答えを探すように視線を彷徨わせたが、すぐにその青い瞳に険しさが戻る。
「私だって、自信があるわ!」
声にわずかな震えが混じったのは、気のせいだろうか。
しかし、王女は微笑みを崩さない。その表情には、どこか相手を試すような余裕が見えた。
「素晴らしいですわ、アンナ様! 妃の務めは、継承者の出産や育成だけではございませんもの。宮廷内の秩序を保つ監督業、外交の補佐、慈善活動の主導、文化や芸術の保護、王への助言、公務や儀式への参加……多岐にわたる責務を理解しているのですね?」
その言葉を聞いた瞬間、アンナ様の顔に一瞬「え?」という驚きが浮かんだ。…え?…
王妃様と側妃様は、当然でしょうという顔をしている。うーん…。ほとんど手伝っていたような気がいたしますけど…。あら? 今はどうしているのでしょう?
王女殿下はさらに言葉を重ねた。
「私は他国の人間です。この国出身のアンナ様が、その全てを理解していらっしゃるのならば、私は側妃としてあなたを支える覚悟もございますわ。でも、それを全て私に任せるとなれば、あなたの評判が下がるばかりか、王家全体の名誉にも傷がつくでしょう。それでは、示しがつきません」
その冷静な指摘に、アンナ様と王太子は口を閉ざす。
いやいや、お2人とも、以前は、それを私たちのどちらかに、側妃としてやらせようとしましたわよね。
「そ、それでも! 妃の最も重要な役割は、王位の継承者を産み育てることと聞いたわ。私は、クリストファー様から愛されていますもの…その役割は、きちんとこなせるわ!!」
王女殿下は、微笑を浮かべたまま軽やかに返す。
「ふふ、それは大事なお役目ですわね。でも、正妃の務めがそれ一つだけ、というのも困りますわ」
その言葉に、アンナ様の表情が再び険しくなる。
「愛されているのは私! クリストファー様が、正妃だとおっしゃったのよ!」
感情の昂りに声を荒げるアンナ様。
「その愛の話を、他国の者たちにどう説明いたしますの? 王と同じく王妃も国の象徴ですわ。『愛』だけで全てを許容されるなど、他国の王族たちに笑われますわよ?」
王妃様が満足げに頷いている…。
アンナ様が立ち尽くしたまま、言葉を見つけられずにいるのを見て、王女はさらに言葉を重ねた。
「アンナ様。こちらにお座りになって」
優雅に自分の隣の席を示す。アンナ様は戸惑いながらも素直にその場に腰を下ろす。
「王太子殿下、私たち二人をご覧ください。いずれ、公の場で正妃と側妃を紹介するとしたら、あなたはどちらを正妃として紹介しますか?」
その場の空気が凍りつく。静寂の中、王太子殿下は二人の姿を見比べた。
ですが…身比べるまでもないですわね。
品が全く違います。シャルロットの顔を見ると…ああ、私と全く同じことを考えていますわね。
獅子と子猫…。
纏う威厳もまるで違いますわ。
王女殿下の笑みが一層深まった。そして、最後の一撃とも言える一言を静かに告げた。
「王太子殿下。アンナ様に正妃とおっしゃったのはあなたなのでしょう? しかし、この国を背負うものとして、今一度ご判断を。そして、あなたの口で告げなければなりません。さあ、どちらが正妃ですか?」
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