第21話邸にいた人物 side ヴィンセント
side ヴィンセント
急いでたどり着いた邸の扉を開けると、侍女長のエルザが出迎えた。
「あら! お坊ちゃま。珍しいですこと」
彼女の柔らかい笑みに、少し気が抜ける。
「エルザ、お坊ちゃまはやめてくれ。シャルロットたちがいると聞いたのだが」
そう返すと、エルザは口元に手を当て、微笑んだ。
「ええ、おりますよ」
何か含みのある言い方だったが、今は深く考える余裕がない。
「今お食事中ですが、あら、フリード様もいらっしゃるのですか。もう帰ってくるならご連絡をいただかないと…お2人の分のお食事は…あっ! ちょっと待ってください!」
その声を最後まで聞かずに、勢いよく歩を進めた。
食堂の扉を開けると――そこには2人…いや、3人?
「あら? お兄様、お帰りなさい」
シャルロットが驚いた様子もなく微笑んでいる。隣にはエルミーヌ。そしてもう一人――
「ヴィンセント、お邪魔しておりますわ」
麗らかな声と共に振り返ったのは、まさかの王女殿下だった。
「なぜ、王女殿下がこちらに…」
驚きのあまり、思わず声が裏返る。
「嫌ですわ、お兄様。未来のお義姉様と親交を深めていたに決まっておりますわ」
「ひどいわ。私のことを何も伝えていなかっただなんて。でも、私たち、すっかり意気投合して。ねえ?」
王女とシャルロットが楽しげに笑う。
は? え? 何を言っている? まさか――はっ! エルミーヌ!!
慌てて彼女を見ると、エルミーヌは静かにこちらを見つめていた。その表情には微笑みさえ浮かんでいる。
これは、絶対に誤解している!
「いや、エルミーヌ、違うんだ、これは――」
動揺を隠せない私に、彼女はふわりと微笑むだけ。ああ、もう、どうしてこうなるんだ! 頭を抱えたくなる。
「ヴィンセント、やはり悪いことはできないな。今までのツケだと思って腹をくくれ」
フリード! こいつ! 余計なことを言うな!!
「ふふ、ヴィンセント様。王女殿下達は、ヴィンセント様をからかっておいでなのですわ」
エルミーヌがクスクスと笑いながら話し出す。
「からかう?」
呆然とする私をよそに、王女とシャルロットが肩をすくめる。
「もう、エルミーヌったら。すぐに、ばらしてしまって」
「そうですわ。狼狽えるヴィンセントなんて貴重ですもの。もう少し楽しみたかったですのに」
フリードはちゃっかりシャルロットの隣に座り、顔を見ながら満足げに笑みを浮かべている。私の疲労感は、ピークに達していた。
「あ!でも意気投合したのは本当のことですわよ」
3人が顔を見合わせ微笑んでいる。
「…ああ、言いたいことは山ほどあるが…シャルロット、エルミーヌ、二人とも無事でよかった。会えてうれしいよ」
結局それ以上の言葉は出てこなかった。
*****
夕食を共にしながら、婚約解消に至った経緯を聞いた。話を黙って聞きながら、内心では怒りが沸騰していた。
あの王太子め…! 罵倒の言葉が喉元までこみ上げるが、彼女を怯えさせてはならない。必死に飲み込んだ。
「でも、2人が解放されたと考えたら朗報だな、ヴィンセント」
「…ああ、その通りだ。喜ばしいことだ」
口の端を上げて笑うものの、その裏で王太子への怒りは消えない。
それでも、これは好機だ。私にとっても――いや、私たちにとって。
突然、王女が口を開いた。
「と、いうことで。私はあなたの国の王太子妃、ひいては王妃になりますわ」
王太子妃? 王妃?
「…話がまったく見えないのですが…」
予想外の発言に混乱する私を見て、王女は唇に笑みを浮かべる。
「ふふ、お兄様、私が提案したのですわ。王太子が選んだアンナ。私たちにとって幸運でしたが、彼女が王妃では国の未来が心配でなりませんもの。その点、王女殿下なら申し分がない。これで我が国も安泰ですわ」
「なるほど…」
我が妹はやはり賢い
「 ヴィンセントのことをあんなに追いかけまわしていたのに…王女殿下はそれでいいのですか?」
フリードめ、また余計なことを…!
「ふふ、私は愛や恋よりも、自分の情熱を注げるものがある方が幸せなの」
王女は毅然とした表情で言い切った。その姿に、彼女の信念が垣間見える。
「作戦決行は、2か月後の王太子の誕生日を祝って開かれる夜会。王女殿下は来賓としていらっしゃるそうですし、お兄様たちも協力してくださるでしょう?」
シャルロットが朗らかに告げる。妹の提案には一切の迷いがない。その冷静さに、こちらが取り残されたような気分だ。
「では、シャルロット。栄えある君のパートナーには私を選んでほしい!」
フリードがシャルロットに手を差し出し、大げさに頭を下げる。冗談交じりに見えるが、その瞳には確かな決意が宿っている。
「あら、そのつもりでしたわ」
シャルトットは軽やかに答え、手を取った。フリードが微かに息を吐くのが見え、心の中で「よかったな」とだけ呟いた。
だが、それよりも重要なのは私だ。
「エルミーヌ、君のパートナーは、ぜひ私に」
言葉に自分でも驚くほどの力がこもる。エルミーヌの返事を待つ間、胸が張り裂けそうになるほど高鳴った。
その時、彼女の視線がふと王女に向けられた。
冷たい汗が背中を伝う。
まさか――王女に譲ろうというのか?
「ああ、私は気にしないで」
王女は手を振りながら、軽い口調で続けた。
「まだ相談していないけど、きっとうちの宰相がパートナーを務めてくれるはずだから。うまくいけば婚約に関するいろいろな契約を進めるのに、彼の存在は必要ですもの」
その言葉に一瞬安堵する。しかし、それと同時に、なぜか複雑な思いが胸をよぎった。
私に婚約を迫っていた王女は、やはり合理的に、冷静に動くのだと再認識させられたからだ。
エルミーヌの視線が再び私の方を向く。
「ふふ、ヴィンセント様。光栄ですわ」
エルミーヌの言葉が耳に響く。穏やかな微笑みを浮かべた彼女が、自分を真っ直ぐに見つめている。
胸に広がる喜びを隠しきれない。けれど、それを悟られないように努めて平静を装う。
「では、エルミーヌ、2か月後の夜会を楽しみにしているよ」
口元に笑みを浮かべながら言ったが、その声が少し震えていたのを、誰かが気づいていないことを祈るばかりだった。
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