公爵令嬢、最高級リザルドを手に入れる

 サンクトゥルシアがリザルドを牧場に連れて来るように伝えた段に至って、ゲムリザルディア子爵はセンぺドミニカ城を退出したいと申し出られた。

 恐らくは若年ながら子爵を圧倒する弁舌と怜悧の誇るサンクトゥルシアと顔を突き合わせるのがもう限界であったのだと思われる。

 これ以上無理強いをする理由も利点もないのでサンクトゥルシアは子爵の帰宅を了承した。リザルドは子爵家の従者が牧場まで運び入れてくれた。

 そうして今、サンクトゥルシアの目の前に立派なリザルドが一頭、四つん這いで新しい環境を探るようにあちこちを見回している。

 その姿は正しく巨大にした蜥蜴といった風体で、顔付きは幅広で厳つくてドラゴンの仲間であると言うのがすぐに分かる造形だ。大きさは四つん這いでも体高が馬の背中までと同じくらいある。色は透明感のある白一色でともすれば雪像なのかと見紛う美しさだ。

 体のあちこちには柔らかく丸みの帯びた水晶をして女性らしい艶めかしさがある。その気品と言ったらうら若い娘であるサンクトゥルシアをして熱と湿り気の籠った息を吐かせる程だ。

 素人目に見ても優れたリザルドであり女王と呼びたくなるような品格がある。百歳を越えた国宝の老体リザルドでも交尾を求めたというのも納得しかない。

 リザルドの観察をしているサンクトゥルシアが左手を肩の高さまで掲げると、カルペディエムがすっと影のように身を寄せる。

「あの子には名前があるのよね?」

「はい。ニアクリスタル号です」

「ニアクリスタル、ね」

 九体の国宝リザルドの中でまだ生存しているが高齢でかつ後継個体がいないのはピュアクリスタルリザルドという水晶によって進化した者だけだ。

 『水晶に寄り添う者』と名付けられた目の前の雌リザルドは初めからピュアクリスタルリザルドの後継者を産むように期待されていたのを如実に物語っている。そう考えるとサンクトゥルシアは貴族の子女として婚姻は家の繁栄のために行うものと定められている自分との奇妙な親近感を抱く。

 サンクトゥルシアがゆっくりと近付いて行ってもニアクリスタルはまるで気にした様子はなく、サンクトゥルシアなんて存在していないかのように首を辺りに巡らせている。

 その視線がサンクトゥルシアの体を横切っても動きは速くも遅くもならない。

 サンクトゥルシアの手が躊躇い勝ちに首の鱗に触れてもそれは全く同じだった。サンクトゥルシアの貴族令嬢らしい青白い血管の浮かぶ腕が動いて、掌が首の水晶につるりと滑っても変わりない。

「なんだか、相手にされてないようで悲しいものね」

「性格に無気力という判断がされておりますので」

「無気力、ねぇ」

 こんなに警戒心がなくては、もしも賊がニアクリスタルを狙って侵入した時に騒ぎにもならずに連れ去られてしまうかもしれない。サンクトゥルシアはそんな危機感を燻らせて警備はより厳重な計画に差し替えようかと思いを巡らせる。

「ニアクリスタル。私が新しい主人よ。分かって?」

 サンクトゥルシアが耳元に話し掛けてもニアクリスタルの焦点は彼女に当たらない。

 リザルドは人間に慣れた分だけ会話や触れ合いというコミュニケーションを喜ぶと学んだのに、その知識が正確であるのかサンクトゥルシアは大いに不安に感じる。

 そんなサンクトゥルシアを他所に、ニアクリスタルはおもむろにどたどたと歩き出した。

 サンクトゥルシアの脇を擦り抜けて向かった先は堅く整地されて地面が剥き出しになった通路だ。ニアクリスタルは放牧場である芝生と屋根のある竜舎とそのどちらにも向かわずに何もない通路のど真ん中に鼻を寄せる。

 何をしているんだろうかと遠目に見守るサンクトゥルシアの目の前で、ニアクリスタルは後ろ足だけで立ち上がった。

「おお」

 四つん這いの時でもカルペディエムの背よりも体高のあったニアクリスタルが立ち上がるとまるで巨木のようだった。

「えっ」

 しかし続けて起きた行動の方がそれ以上の驚きをサンクトゥルシアに与えて目を丸くさせる。

 ニアクリスタルは持ち上げた前足を握って拳を作る。すると手の甲にある瘤が指を越えて盛り上がるのだ。それは瘤というには余りにも造詣が整然としていて、はっきりと蹄の形をしていて、そして鎚でもあるのをサンクトゥルシアは思い知らされた。

 何故なら、ニアクリスタルは全身で勢いを付けてその蹄を地面に叩き付けたからだ。それだけでしっかり整地されて真っ平だった地面は罅割れて吹き飛んだ破片と砂埃が四方に散った。

 呆然と見守るしか出来ないサンクトゥルシアの目と鼻の先で、ニアクリスタルは何度も蹄を地面に叩き付けて、地面を岩に砕き、岩を小石に、さらに一部が磨り潰されて砂になるまで粉砕し続けた。

 ものの一分足らずで気が済んだのか、ニアクリスタルは砕いた地面の破片を丁寧に寄せてお椀状にして、その上に満足そうに寝そべった。

「何? 何事? え、本当に何なの?」

 聡明なサンクトゥルシアをして語彙が全く消失してしまうような衝撃が今の出来事にはあった。

「もしや……巣作り、だったのではないでしょうか? 鑑定書ではあと一週間の内に産卵と記載がありました」

「す、づくり……」

 野生のリザルドを乾燥した岩場を生息地にしている。宝石の採掘場や鉱山を思い返せば分かるだろうが、リザルドもそういった地下資源を掘り出して摂取しているために掘り返した後に草が育ちにくくなるのである。

 野生のリザルドはその岩場で石を集めて巣を作り卵を産んで抱えることが知られている。

 ニアクリスタルもそんな野生が残っていたのか、自前で巣材を作り出して組み上げ、巣としての体裁を整えて体を休めたというのだろうか。

 どちらにせよ、ニアクリスタルの力の強さを思い掛けない形で目の当たりにした。

「取りあえず、今日は帰りましょうか」

「はい。下手に刺激すると恐ろしいですから、それがよろしいかと」

 今の行動を見た後では、水晶の艶めかしい装飾で身に纏うこのリザルドがおっとりしてて心配、だなんて気持ちにはなれない。

 少しばかり命の危機を身近にした心の涼しさを誤魔化すように、サンクトゥルシアはカルペディエムにしか分からないくらいに僅かに、普段見せない機敏さを発揮して身を翻す。

 しかし振り返って見えた人影にサンクトゥルシアは、うっと息を喉に詰まらせた。

「トゥルサちゃーん!」

 着替えもしないで手を振り声を上げる継母の無知さというか無防備さというか間の悪さにサンクトゥルシアは眩暈がした。

 普段から態度が悪いせいか、サンクトゥルシアのそんないつもの嫌悪とは違う理由での忌避感にまるで気付かずにアンは駆け寄ってきて息を切らせながら燥いだ声をぶつけてくる。

「リザルドちゃん、来たのよね? お義母さんにも見せてもらっていいかしら? 一緒にお世話しましょ?」

 余りにも空気を読まない継母の無邪気さにサンクトゥルシアは自分の青筋が立つ音をはっきりと聞いた。

 カルペディエムは緩やかに首を振ってサンクトゥルシアとの距離を僅かに詰めた。

「お義母様? 今日来たクリスタルリザルドは畏れ多くも国宝たるピュアクリスタルリザルドのたねを戴き身籠っておられるのです。それも今しがた巣を自分で作り上げて身を休めたばかり。そんな妊婦の前で騒げば母体にどれだけの悪影響か、つい五ヶ月前まで我が弟をお腹に抱えていたお義母様なら言われなくても分かっていただけるものと思っておりました。言葉足らずで私は自分を恥ずるばかりでしてよ」

 あ、これはお嬢様本気でキレてる、とカルペディエムは逃げ出しそうになる自分の足を必死に叱咤して何とか今の立ち位置に踏み止まる。

 サンクトゥルシアが自分を卑下した時というのは完全に相手を見限って、そんな人間の相手をしなければならない自分の手際の悪さを嘆いているのだ。

 流石に今回ばかりはサンクトゥルシアの堪忍袋の緒が切れたのを察したようでアンも顔を青くして言葉を失っている。

「差し当たって、お義母様が罷り間違ってもリザルドに襲われるような事故のないように、この牧場には二度と足を踏み入れられぬように番の者に徹底させますが、よろしくて?」

 サンクトゥルシアからの絶対零度の宣告に、アンは壊れた玩具のようにがくがくと首肯をして決定に従う意思を見てもらおうとする。

 自分の心情が過たずに伝わったことにサンクトゥルシアは満足気に頷き、権力者としての発言をもう一つ加えてこの場を収めることにした。

「では、まずは、迅速に、この危険な区域から、退避、なさっていただけますね、お、か、あ、さ、ま?」

 噛んで含めるように、細かく区切ってはっきりと、そしてその全てに怒りと不満の限りを乗せた重い声をサンクトゥルシアは涙目になっている継母に容赦なく、むしろ涙の粒が大きくなる程により重くして、押し付ける。

「ご、ごめんなさ、トゥルサ、ちゃ、ごめ」

「その締まりのない口から無駄な声出す前に立ち去りなさい!」

「ひぅ」

 サンクトゥルシアに一括されても気を失わないのは大した度胸ではあるのだが、アンは謝罪も言い切る前に封殺されてよろよろと城に向かっていった。

 サンクトゥルシアはいつまでも見えなくならないそのしょぼくれた背中に苛立たしさを募らせながら、乱暴に自慢の錦糸の前髪を掻き上げて憤懣を発散していた。

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