公爵令嬢サンクトゥルシア・ジェラルディン・センぺドミニカは国宝を育て上げて王妃へ至ってみせましてよ

奈月遥

公爵令嬢、城に竜牧場を誂えてもらう

 王都ガナドラルクスの北部郊外はセンぺドミニカ公爵領が広がっている。王都を囲む城壁を境に古来の森林が開拓不可能なまま手付かずで、天然の外壁として防衛の任を果たしている。その原生林の王都に近い一画には王城にも勝るとも劣らない大きく格式高い城が建っている。

 これこそセンぺドミニカ公爵の居城であるのだが、その庭が先日大改造を施されて牧場となっていた。

 がらんとした畜舎を右手に望む放牧場の芝をヒールの下に踏む感触に、センぺドミニカ公爵家の長子である令嬢のサンクトゥルシアは自分の顎に指を掛けて満足そうに新緑の葉息はいきを吸い込んだ。

「これなら良いリザルドが育つこと間違いないわね」

 リザルド。それは宝石騎竜ジュエルドラグナーとも呼ばれるドラゴンの一種である。宝石や鉱石を与えることで個体ごとに異なる進化を果たしていくのが特徴であるのと同時に、九種に大分類されるドラゴンの中で最も人間に懐きやすい種族でもある。

 そのためリザルドは強大な力を持つ人間のパートナーとして世間に浸透している。

 このハイランディア王国はリザルドを狩る竜騎士ドラグーンによって群雄割拠の時代に発展した歴史があり、今でもリザルドの生産は国の一大産業を担っている。

 軍事力を責務とする下位貴族であれば屋敷や領地にリザルドを繁殖・飼育する牧場を大規模に展開していることもあるが……王家に次ぐ地位を誇る公爵家はリザルドを購入こそすれ飼育するような立場ではない。

 真新しく太陽を浴びて光を放つような色艶の設備や整然と並べられた道具の数々もその事実を無言で物語っている。

 何を隠そう、工事が終わってからこの牧場に最初に足を踏み入れたのはサンクトゥルシアその人であり、まだ従業員の一人も入ったことのないのだから飼葉のフォークでさえどれ一つとして手に触れられたことがない全くの新品なのである。

 そんな新築の牧場の何処よりもさらに碧い瞳を煌かせているサンクトゥルシアの背後に、一人の従者が静かに近付いて来た。

「お嬢様。ゲムリザルディア子爵の準備が整いました」

「あらそう。では今から向かいましょう」

 サンクトゥルシアの返事に彼女の筆頭執事であるカルペディエムは恭しく腰から体を曲げて深くお辞儀をしてから、右手を優雅に滑らせて先導を務める。

 牧場から城へと入りカルペディエムの姿を見付ける度に擦れ違う前のメイド達が前掛けの上で手を重ねて頭を下げて目を伏せる。

 そうするとカルペディエムの背後に隠れるように続くサンクトゥルシアの視界に入る時には全員が高貴なる顔を見る非礼を為さずに当家の令嬢を見送れる訳だ。

「あ、トゥルサちゃん」

 しかし、城の入り口にまだ近く、とは言っても庶民の家庭であれば玄関から奥の壁まで行き着いてしまうような距離をゆっくりと歩いて子爵を待たせる応接間に向かう途中でサンクトゥルシアを呼び止める女性がいた。

 愛称で呼び掛けられたことへの苛立ちを惜しげもなく眉に寄せてサンクトゥルシアは姉と言っても通じるその相手に突き刺すような視線を向ける。

「御機嫌よう、お義母様」

 サンクトゥルシアの声音ははっきりと貴女に声を掛けられて私は機嫌が悪くなりましたという主張が込められていた。

 その視線の鋭さと声の固さ、それより何より、それらによって伝わるサンクトゥルシアの嫌悪にセンぺドミニカ公爵夫人であるアンは悲し気に愁眉を下げる。

 それでもめげずに手を叩いて自分を鼓舞しながら、サンクトゥルシアの継母は義理の娘とのパーソナルスペースを詰める。

「ゲムリザルディア子爵様がいらしたのよね? トゥルサちゃんが待ってたクリスタルリザルドが来たのね?」

「ええ、そう聞きまして、今当に子爵の元へ向かっておりますわ」

 サンクトゥルシアは継母への返事の際にさり気なく視線を下げる。そうして一旦、顔に陰を落とすことがこの後の行為をより際立たせるからだ。

 それに気付かないで、もしくは気付いていても勇気を持って親交を深めようとしたのか、アンは明るく息を吸い込んで次の言葉を、恐らくは自分も一緒に、という内容を告げようとしたが。

「ですので、そのように見窄みすぼらしい装いを見られてはどのような噂が立つか分かりません。どうぞお早く自室に戻られてください」

 キッとアンを見上げて美しい顔全体に光が入った様を見せ付けられた威圧で、アンはサンクトゥルシアの思惑通りに言葉を発する前に口を噤まされた。

 サンクトゥルシアが見咎めたアンの服装と言えば、確かに周りで人形のように直立不動で頭を下げたままで仕える方々が通り過ぎるのを健気に待っているメイド達から前掛けとヘッドドレスを除いたような見た目だ。

 もっとも公爵家で人目に付く場所で働いているこのメイド達のお仕着せは、下位令嬢がお茶会で着ていくものと遜色ない仕立てではある。

 そんな子爵令嬢出身の継母に対してサンクトゥルシアの指摘は間髪入れずに続く。

「また公爵夫人が子爵に対して敬称を添えて呼ぶなど、王より賜った立場に対する侮辱でございますので、どうか今後はご自身の屋敷であっても口を慎まれますようお願いいたしますわ。お喋りは自室で、ご実家からお連れになった従者か、もしくは小鳥を相手になさって」

 言いたいことだけを言い切ってサンクトゥルシアは歩行を再開する。

 その通り過ぎた後ろで、カルペディエムが「失礼します」と努めて小さな声で告げたのが耳に届く。それから程無くしてカルペディエムはコンパスの大きさを存分に活かした足取りで、スカートの中に隠れて歩幅を余計に小さくしたサンクトゥルシアを追い越して元の位置取りへと速やかに移行した。

 その全てが充分に理に適っていて、サンクトゥルシアは自慢の心によって、先程の嫌な出来事でささくれ立った気持ちを癒やす。

「お陰で子爵に対しても穏やかな心持ちで会えるわ」

 何が、とはサンクトゥルシアはわざわざ言わない。

「通常通りの仕事に対して勿体ないお言葉にございます」

 カルペディエムこそサンクトゥルシアの希望を全て理解して実践する執事の鑑だ。当然、サンクトゥルシアの意図は言葉にされたものもされていないものも過不足なく受け取っている。

 それでいてこうして自尊心を無暗に積まないというのも、サンクトゥルシアにとって好ましい態度である。

 言葉を重ねてはまたも優秀な執事を恐縮させてしまうのでサンクトゥルシアは彼に見えない背後で微笑むだけにした。それだけでも『この執事には過不足ない』讃辞となる。

 目的の部屋に到着した時もカルペディエムが扉を開く動作は、サンクトゥルシアの足並みを一瞬たりとも緩まずに済ませる完璧なものだった。

 先のノックによって応接間のソファから立ち上がった客人であるゲムリザルディア子爵は、頭を下げてはいなくても少し後退した額が良く見えてしまった。

 この部屋は明かり取りの窓が大きい。良い造りが誰にとっても善ではないという真実を、サンクトゥルシアは心の片隅でうたぐませる。

「お待たせしましたね。どうぞ、お掛けになられて」

「では、失礼しまして」

 サンクトゥルシアが掌を差し伸べて父親と同年代である子爵の当主にソファを促すと、相手も恐縮しながら腰を降ろして早速額の汗だか脂だかをハンカチで拭った。

 その様子を傲然と流し目で見下ろしながらサンクトゥルシアは上手かみて、つまり子爵が座る場所から右手に当たるテーブルの短辺、入り口に向かう形に設えた一人掛けの重厚な革張りの椅子に身を沈める。

 公爵本人である父も、後継者でありまだ乳飲み子の弟もいないこの状況では、この王都のタウンハウスの賃貸料と同じだけの値打がある椅子はサンクトゥルシアのものである。

 成人男性向けの椅子に座って垂れ下がって来た金色の前髪を払った拍子に、以前に父がいないにも関わらず弟を抱いていた継母がこの椅子に身を腰掛けるのを渋った時のことを思い出して、サンクトゥルシアの眉が微かに歪む。

 それを目敏く子爵は自分が何か機嫌を損ねたかと勘違いして大きな汗の粒を浮かべて顔を引き攣らせる。

「お嬢様、細かな点は契約の際に全て詰めてありますので、本日はご挨拶と受け取りだけになされますか?」

 無意味に客人を焦らせるのも公爵令嬢付きの執事としては不手際であるので、カルペディエムが早速口を開いて場の空気を実務に向けさせる。

 その声にサンクトゥルシアはハッと自分の失態に気付いて、しかし気後れなどおくびも表情に出さずに手を軽く掲げる。

「ええ、そうしましょう」

 貴族では何処で出会った場合にもより下位の者が目上へと挨拶を切り出すのがマナーだ。

 サンクトゥルシアの仕草はその機会を正しく子爵に伝えたのだが、一度肝を冷やした子爵は緊張で舌を乾かしてしまったらしく呂律が回らなくて意味のある声を発せないでいる。

 サンクトゥルシアはメイドが新しい紅茶を二人分テーブルに置くまでは、そんな子爵の惨めな姿を黙って眺めていた。

 ポットを持ったメイドが無言でお辞儀をして壁際のサービスワゴンへ向けて踵を返したところで、サンクトゥルシアはカップを手に取って熱い紅茶を唇に触れさせて、ソーサーに戻した。

 それを見た子爵はあからさまに息を飲み下して熱さも気にせずに紅茶を口の中で転がす。それでやっと舌の動きを取り戻した子爵は慌ただしく口上を述べる。

「本日はお日柄も良く、我が家で育てたリザルドをセンぺドミニカ御令嬢に納品いたせますこと、主と御身に感謝してしきりにございます」

 ようやく意味のある会話が始められることにサンクトゥルシアは溜息を吐きたくなった自分を懸命に諫めた。

「こちらこそ、王家の至宝のたねを授かる栄誉を受けたジュエルドラグナーを迎えられて望外の喜びでしてよ。クリスタルリザルドは恙無つつがなく?」

 サンクトゥルシアが案じているのは今日受け取るリザルドの健康だけではない。それ以上に重要なことはサンクトゥルシア自身が先に声に乗せた内容の通りだ。

 子爵はすっかりぐっしょりと濡れそぼったハンカチで甲斐もなくまた顔を拭って逆に汗を塗りたくってから、サンクトゥルシアが望んだ答えを告げた。

「ええ、ええ。公爵様の御威光を賜り、無事に国宝ピュアクリスタルリザルドとの交配に至りました。妊娠鑑定も王家より賜ってございます」

 王家お抱えのリザルド鑑定士によって、国宝である個体の子を卵に宿したと証明された。それこそサンクトゥルシアがこれから手ずから育てるリザルドに何より求めることだった。

 これで生まれて来るリザルドの仔は次代の国宝となる最低限の資格を持つ。

 サンクトゥルシアの歓びを表情から読み取れたのはカルペディエムだけであっただろう。

 子爵から見れば冷然としか思えない表情は一切崩さなかったサンクトゥルシアは鷹揚に頷いただけで話題を次へと展開した。

「何よりでしてよ。子爵の御尽力を後世に伝えるために、貴名を冠名としていただいてよろしいかしら?」

 サンクトゥルシアは伺いの形を取っているが、公爵の直系に連なる者の言葉を子爵程度が拒否出来る訳が無く、事実的には決定事項の通知に近い。

 しかし子爵はそれを横暴と思ったのではなく、予想もしなかった名誉として恐縮して汗と脂を全身から噴き出した。

「わ、わ、私の名を、公爵令嬢が育てるリザルドに付けられるのですか!? お、お、おそ、おそれっ、畏れ多いことにごまいますっ!」

 断られて当然の申し出をして、相手から辞退させて悠々と権利を取り上げるのは貴族の常套手段ではあるが、物事には限度というものがある。

 しかも決定権を握っている者が本気でそうするつもりであるとしたら、むしろ子爵の蚤の心臓を止めて支払いを踏み倒すのが目的だったと言われた方がまだ納得が出来た。

「いえ、貴方のこれまでの献身、そしてこれより掛ける迷惑を考えれば、まだ足りないとも思っていますが、そこはご勘弁願いたく思う所存でしてよ」

 子爵は口を開けたまま言葉を失った。

 これより掛ける迷惑とは、今後は公爵家の勢力に加わって逃がしはしない、そう捉えた。

 公爵家の権威に縋るのはしがないリザルド生産貴族である子爵からすれば大いに利となるが、同時にどんな無理難題を押し付けられるか分かったものではない。

 公爵令嬢の思惑を考えれば、そこにはゲムリザルディア子爵家として生命線とまではいかないが大いに損失となる繋がりを絶たれる、と子爵は即座に思考して年甲斐もなく失禁しそうになる。

「それでメタリザルディア伯爵家との交流につきましては」

 来た、と子爵は組んでもなお震える手を押さえつけるために全身を縮こませた。

 リザルドは宝石や鉱石を与えた種類で大きく形質も気質も変化させる陸生ドラゴンだ。

 宝石を与えてリザルドを成長させる飼育法を代々伝えるゲムリザルディア子爵家と、功績を与えてリザルドを成長させる飼育法を伝統にするメタリザルディア伯爵家は、国のリザルド生産を支える双璧である。現状では日常的に人材もリザルドも行き交わせてリザルド飼育の技術を発展させているという良い関係を築いている両家だが、それはお互いの新技術が筒抜けになっているとも見られる。

 次の国宝を育て上げた、その実績を獲得するのが目的であるサンクトゥルシアとしては自分の陣営の内情をメタリザルディア伯爵家に伝えるのは好ましくない、そう考えているのだとゲムリザルディア子爵は捉えていた。

 センぺドミニカ公爵家の豊富な資金を用いた独自の技術革新と、知識と技術あるメタリザルディア伯爵家との交流を続けた際のリザルドの質と、自分に決定権がないのに無意味な天秤を子爵は心の中で激しく揺らす。

 そんな子爵の内心の葛藤を嘲笑うようにサンクトゥルシアは金のもみあげを耳に掛けて可憐な声を放った。

「今後も強固な繋がりを維持してくださいませ。特にリザルドの交配は積極的に優良なものを作出なさって」

 しかしサンクトゥルシアの告げた内容は子爵の懸念とは真逆だった。

 呆気に取られた子爵は間抜けな顔を年若い娘に晒してしまっている。

 くすり、と鼠をいたぶるだけいたぶってそのまま食べもせずに放置する家猫のような笑みをサンクトゥルシアが溢す。

「貴殿の名を冠するリザルドに、より良いつがいあてがいたいので」

 全ては自分の利益のためだと告げられて、子爵は不覚にも安心してしまった。

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