第37話 一方、暁の家では
暁が帰宅途中に、スキルウィーバー科の暁の元担任の桐生雅人に呼び止められ、学校に戻っている同じ頃、暁宅にて。
静かな住宅街の一角にある暁の家。その扉の前に霧夜薫が立っていた。彼女は軽く手を握り、玄関の扉をノックする。
「暁君、いるー?」
返事はない。彼女はポケットから小さな鍵を取り出した。暁から信頼の証として預けられたものだ。
「勝手に入るねー」
鍵を回して扉を開けると、中は驚くほど整然としていた。どの家具もきちんと配置され、無駄なものは一切ない。その光景に霧夜薫は微笑む。
「ほんと、彼らしいわね」
リビングを一通り見渡した後、彼女は奥の部屋に向かった。そこには、暁の妹・凛の寝室がある。扉をそっと開けると、微かな日差しが差し込む静かな空間が広がっていた。
ベッドの上で、凛は穏やかな顔で横たわっている。彼女は重い病に侵され、長い間、寝たきりの状態が続いているのだ。
「こんにちは、凛ちゃん。元気……とは言えないけど、今日はどう?」
軽い挨拶を投げかけたが、いつも通り凛からの返事はない。
霧夜薫は部屋の中を見渡した。だが、その瞬間、彼女はふと眉をひそめた。
凛の足元――その周辺に微妙な汚れが見える。シーツや床には、わずかだが足跡のような痕跡が残されていた。
「……ん?」
凛は病状のため、ベッドから動けるはずがない。にもかかわらず、彼女の足元に汚れがあるのは明らかに不自然だった。
(これって……暁君が凛ちゃんを動かしたの?でも、何のために?)
さらに観察すると、部屋の本棚の中の本の位置や、家具の位置も変わっている。暁はそれほど読書をする暇も、模様替えをする時間も無いほど忙しい人間だ。シルバーウルフのホームヘルパーが何かをしたとは考えにくい。
「……何か、あったの?」
小声でつぶやきながら、霧夜薫は凛に近づき、そっとその顔を覗き込む。だが、凛は静かに眠り続けている。
一旦、凛の部屋を離れた霧夜薫は、ふと考え込む。
(凛ちゃんの様子が変だわ。何か理由があるはず……)
部屋の隅々に目を向けながら、ふとある記憶が蘇る。
(そういえば、前にこの辺りに来ようとした時、暁君、めちゃくちゃ慌てて止めてきたっけ。「ここには何もないから!」って、あんな必死な顔で)
一瞬、微笑むが、次第に表情が曇る。
(……あの時は暁君も年頃だから、何かエッチなものでも隠してるのかなーって思ったけど……違うかもね)
考え込むと同時に、好奇心が彼女を突き動かした。家の奥に目をやり、足を進める。
(確か、このドアは地下室に繋がるものだったはず)
ドアの前に立ち、手をかける。しかし、ノブは微動だにしない。
(……鍵をかけている?わざわざ家の中で?凛ちゃんが動けるわけじゃないのに……)
何かが引っかかる。霧夜薫の心に芽生えた小さな疑惑は、次第に大きく膨らんでいく。
(暁君……何を隠してるの?)
そのまま立ち止まることができず、彼女はノブを力いっぱい握り締める。
「よっと……!」
捻った瞬間、ゴキッという音と共に、ノブが壊れた。
「あちゃぁ……しまった!どうしよう、これ絶対怒られるやつ!」
慌ててノブを手に持ちながら周囲を見渡すが、幸い誰も見ていない。しかし、壊れたおかげでドアは少しだけ隙間を開けている。
(……いや、ここまで来たら開けるしかないでしょ!)
意を決して、霧夜薫はそっとドアを開けた。そこには、薄暗い階段が下へと続いている。
「普通の地下室……だよね?」
独り言のように呟きながら、足元に気をつけて階段を下り始めようとした瞬間――
ゴンッ!!
「痛ったーーーーー!!!」
唐突な衝撃に、薫は両手で頭を押さえながら、涙目でその場にしゃがみ込んだ。
「何これ……何かにぶつかった!?」
顔をしかめながら立ち上がり、入り口の上部を見上げる。普通なら頭をぶつける高さには何もない。天井も、階段の構造も至って普通だ。
「……おかしいな」
呟きながら、ぶつかったあたりにそっと手を伸ばすと、空中で何かに触れた感触が返ってくる。
「何これ!?……透明の板?」
その「何か」を両手で確認するように触れると、ヒンヤリと冷たく、滑らかな感触が指先に伝わった。見えないが、確かにそこに存在している。そして、ただの物理的な障害物ではない何か――強い意志のようなものが、触れた瞬間に伝わってきた。
「なんでこんなところに……透明の板なんてあるの?」
壊れたドアノブを手に、霧夜薫は眉をひそめた。
(ここで止まってはダメね。暁君が何をしてるのか突き止めないと)
彼女は意を決し、手をかざした。
「……ごめんね、暁君。けども、私を止めようなんて100年早いわ」
霧夜薫のスキルは「呪い」。通常は人に負荷をかける形で用いられるが、物体を壊すことにも応用できる。彼女は集中して、呪いの力を透明の板に流し込んだ。
(これくらいなら……すぐに壊せるはず)
ドアが黒い波紋のように振動し始め、その振動が一気に強まった瞬間――
バンッ!!
衝撃音とともに、呪いの力が跳ね返された。
(な、何よこれ……私のスキルが効かないなんて!!)
霧夜薫はスキルレベル70の探索者であり、神々の塔の外でその力が通用しないことはほとんどない。それなのに、この防御壁は完全に彼女の攻撃を受け付けない。
(どうなってるの……暁君、あなた、何のためにこんなものを?)
彼女が壁を睨みつけていると、背後から「コトッ」という小さな音がした。
(……誰?)
振り返ると、家の玄関近くに凛が立っていた。
「凛ちゃん!?何でそこにいるの!?」
霧夜薫は、驚きのあまり声を荒げた。動けないはずの凛が立ち上がっている光景は、霧夜薫の常識を完全に覆している。
(私の『呪い』で完全に動きを封じていたはず……どうして?どういうことなの!?)
凛は見つかるつもりがなかったのか、驚いた表情を浮かべると、そのまま急いで玄関の外に向かって走り出した。
「待って!凛ちゃん!」(逃がすもんかーーーーー!!!)
霧夜薫は一気に凛との距離を詰めた。背後に迫った彼女が凛を捕まえようと手を伸ばした瞬間――
ドンッ!!
思いもよらない衝撃が霧夜薫を襲った。勢いを抑えきれず、彼女は後方に倒れ込む。
(何……?いくら不意打ちでも、この私が……!)
倒れた体を起こしながら前を向くと、凛の前にはいつの間にか暁が立っていた。
「霧夜さん……」
暁の声は低く冷たい。その背後で凛が怯えるように彼の袖を掴んでいる。
「お兄ちゃん、霧夜さんが……地下室のドアを……」
「そうか。……ついにここまで来たか。いつかはこうなると思っていたけど、僕も準備は整っているからね」
暁は一瞬だけ目を伏せ、重い吐息をつく。そして、再び霧夜を見つめた。
「暁君、一体どういうこと!?凛ちゃんが歩けるのは何故?それに、あの地下室……何を隠してるの?」
暁は答えず、一歩ずつ霧夜に近づいてきた。その雰囲気は、神々の塔でモンスターに遭遇したときのような圧迫感を伴っていた。
(……この威圧感、ただの暁君じゃない。まるで何かに取り憑かれたみたい……まずい!)
暁の視線に射竦められながらも、霧夜薫は冷静さを保とうと努める。
「霧夜さん、話しましょう。どうぞ家の中へ」
暁が手を伸ばし、促すように家の中を指す。その仕草に一瞬の隙を感じた霧夜薫は、ふっと笑顔を作りながらゆっくりと立ち上がった。ゆっくりと近づこうとする暁に警戒音が頭の中でガンガンに響く。
(このまま黙って従うのは得策じゃない。逃げないと!)
「霧夜さん、ゆっくり説明するから、家の中に入ってもらえないですか?」
(まずいわ!!何か分からないけど、猛烈にまずい!!ここから逃げないと!!)
霧夜は口元歪めて笑顔になった。「今日やめておきましょうか。また後日話をしましょう」そう言って、霧夜は後ろへ跳躍した。
「霧夜―――――!!!逃すかー!」
暁は、高速で後方へ逃亡する霧夜薫を追った。
もうすぐに霧夜薫は、家の壁にぶつかる。
(とにかくあれをブチ破って外に逃げなきゃ・・・)
そう思った瞬間、肩を掴まれ床に引き倒された。
(そ、そんな!!!!???私が暁君に追いつかれたというの!?あり得ない!スキルレベル1の子供が私に追いついた???)
ガン!!!
霧夜薫は床に背中を強打し、引き倒されていた。後ろを振り返ると、暁が背後に立っていた。
拘束しようと暁が手を伸ばしてくるのが分かる。
「くっ!?」
霧夜はその手を何とか払いのけ、横に転げた。
「はぁ!はぁ!はぁ!はぁ!・・・一体どういうつもり?」
「霧夜さん、あなたがどれだけ僕たちに良くしれたのかは、僕が一番知っています。それがいくら偽りにまみれていたとしても、あなたがいたからこそ、僕がここにいるのは確かだ。だから、僕は、僕の中に辛うじてまだ残っている、あなたに対する感謝の思いを込めて、話をします。とにかく、話しましょう」
「な、なにを言っているのか、分からないわ!い、偽り!?」
「あなたは誰の指示でここにいるんですか?」
「指示!?どういうこと!?」
凛は暁の後ろに立ち、「真実の輪郭」スキルを発動させた。「シルバーウルフの幹部によって、らしいわ」
「シルバーウルフが関わるのか・・・。霧夜さんだけの判断じゃないんだな、なるほど。じゃあ、何が目的で僕たちに近付く?」
「何を言ってるの!?訳のわからないことを言わないで!」
「分からないのは嘘。理由は、お兄ちゃんをシルバーウルフに入れる・・・、いやそれだけじゃないようね。もう少し見せて」
霧夜は絶句した。(な、なに、この子!?私の言葉の裏を読み取れているの?!そういうスキルに覚醒している!?まずい、このまま行くと、私のミッションが失敗に終わる。いや、それだけじゃない!私自体が消される!)
「シルバーウルフの全体の指示ではないわ・・・誰か特定のグループからの指示で、そのグループにお兄ちゃんを引き入れるミッションを課せられているわ」
「あなた!くっ!!私の考えていることが読めるのね」
「・・・」凛は黙って霧夜を見下ろしていた。
霧夜薫は、暁と凜を睨みつけた。「なんでこういう状況になっているかは分からないけど、最悪の場合は、洗脳しろと言われているからね。残念ね。洗脳してしまうと、自分の頭で考えられなくなるから、戦闘能力としては、10分の1ぐらいにしかならない操り人形になるけど、ここまでなってしまっているのなら、やむを得ないわ!」
そう言うと、霧夜薫の手が紫色の光で包まれる。
「食らえ!スキル『甘美なる夢』!!!」
「アイリス」「承知いたしました!」
霧夜は手を暁の目の前で横切るようにして振り切り、スキルを発動させた。
その直後にどこからともなく、背中に翼を持つ少女が暁の前に割り込んで現れ、手を前に突き出した。
アイリスのスキルが発動するより一瞬早く、霧夜薫のスキルが暁を襲う。暁は無防備に、そのスキルの支配下に入ってしまった。
暁の目の前には、霧夜薫が母親代わりとしてお世話してもらっている姿に見えてくる。霧夜薫に対する全幅の信頼感が暁の中で蘇ってくる。
「母さん・・・」
暁が思わずそう呟いた時、暁の眼から一筋の涙が零れ落ちた。
が、アイリスの防御結界が発動され、呪いの効果は解除された。
その後、暁の眼からは涙がとめど無く溢れてきた。「霧夜・・・、いえ、霧夜さん。あなたの行った行為は許し難い。永遠に許さない・・・、僕の人生、妹の人生、母さんの人生、全てを潰したのはあなただ。だけど、確かに・・・、確かに、僕の偽りの人生の救いとなったのもあなただった。僕は、本当にあなたをお母さんだと思ってました・・・」
(スキルが断ち切られた!この娘のせいか!?)
霧夜薫はキッと翼を持つ少女を睨み、拳打を放った。
ガン!!!!
しかし、それは少女が展開する透明の壁によって阻まれる。
「この透明の壁!!!あ、あなたなのね!あの地下室の防御壁は!」
アイリスは霧夜薫をじっと見つめていた。その瞳には冷たい決意が宿っている。霧夜薫は逃げ場を探し、右へ、左へ、上へ、下へと動こうとするが、全方位、透明な壁に阻まれていた。
「霧夜さん、私はあなたを殺そうとは思いません。でも、すべて話してもらいます」
その言葉に、霧夜薫は内心で苦笑した。
(この壁……呪いも断ち切れるなんて。生半可代物じゃないわね。しかも、反撃も逃げることもできない。私の手札はもうない。詰んだわね……。かくなる上は・・・)
次の瞬間、薫は表情を一変させ、取り繕うような笑みを浮かべた。
「あ、暁君……わ、私もあなたのことを本当の息子だと思っているのよ!そ、そうね・・・その……ボ、ボタンの掛け違いがあったのなら、解決するまで話しましょう?ゆ、ゆっくりと……」
だが、その言葉に凜は冷たく答える。
「嘘。霧夜さん、あなたはお兄ちゃんを昇格の材料としてしか見ていない。シルバーウルフの戦力に加えたかっただけ。それに、もう少しであなたの直属のボスの名前も分かるところ・・・」
凜の言葉に追い詰められた霧夜薫は、ついに感情を爆発させた。
「くそっ……!!!」
ガリッ!
突然、薫はその場に崩れ落ちたかと思うと――
次の瞬間、彼女の体は崩壊を始めた。頭からボロボロと崩れ落ち、見る間にその体は屑となって床に散らばっていく。
「なっ……!?」
暁は霧夜薫に駆け寄るが、すでに彼女の全身は崩れ果て、床には肉片と乾いた空気だけが残されていた。その存在は、まるで幻のように消え去っていった。
「霧夜――――――――!!!!!」
暁は嗚咽を漏らしながら崩れた屑を掴み、叫んだ。その声は空間に虚しく響くばかりだった。
アイリスが冷静な声で分析を始める。
「……おそらく、何か魔道具で自分自身を破壊させたのでしょう。情報漏洩を防ぐための措置ですね。申し訳ありません、暁様。この女を追い詰めた結果、こうなってしまいました……」
凜も悔しそうに唇を噛んだ。「ごめん・・・私も追い詰め過ぎたのね。スキルを使っている事も言う必要も無かったのに・・・」
アイリスと凜の言葉に暁はゆっくり首を振る。
「いや、アイリスのせいじゃないし、凜のせいでも、もちろんない。むしろ、アイリスのおかげで僕は呪いを解かれて、洗脳を免れたし、凜のおかげで本当の敵が誰かがわかった。本当にありがとう」
暁はその場に座り込むと、拳を強く握りしめ、静かに誓った。
「シルバーウルフ……奴らが僕たちの家族をここまで追い詰めたのか……。絶対に許さない」
その決意に、アイリスと凜もまた静かに頷き、暁の隣に佇むのだった。
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