第23話 アイリスと凜②


朝日が窓から差し込み、リビングに暖かな光が広がる頃、暁は目を覚ました。自分の部屋をアイリスに渡して暁はリビングのソファで一晩過ごした。時計を見ると、6時を指していた。いつも通りの時間だ。


軽く伸びをしてベッドから降り、寝癖を直しながらトイレを済ませ、外に水をくむに行こうとした。


家から出ようとすると、ふと自分の部室の前で足を止めた。昨夜はアイリスがここで眠ったはずだ。彼女の様子を確認しようと、ドアを軽くノックする。


「アイリス、起きてるか?」


返事はなく、暁は少し不安になりながらドアをそっと開けた。中には、布団の上でじっと座り込んでいるアイリスの姿があった。彼女はどこか所在なさげで、手を膝の上に置いたままじっとしている。


「あ、おはよう。起きてたんだな」暁が声をかけると、アイリスはハッとしたように顔を上げた。


「お、おはようございます、暁様」少しぎこちない口調で答える彼女。その表情は緊張と戸惑いでいっぱいだった。


「どうした?体調でも悪いのか?」暁が心配そうに尋ねると、アイリスは慌てて首を横に振る。


「いえ、そうではありません。ただこのベッドが慣れなくて・・・」彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。


暁は一瞬考えた後、彼女が人間の生活に慣れていないことを思い出す。彼女はワイバーンとして神々の塔で生きてきた存在だ。人間の朝の習慣など、わかるはずがない。


「ああ、そういうことか。大丈夫だよ。これから慣れていくよ。とにかくその布団は畳んでおいて端に寄せておいてくれたらいいよ。まずはその恰好のままでいいから、一緒に下に行こう」暁は笑顔で言いながら手を差し伸べた。「とりあえずリビングに行こう。朝食を用意するから」


アイリスはその言葉に小さく頷き、暁の後ろについていった。


リビングでは凜が準備を進めている


「おはよう、お兄ちゃん」凜はエプロン姿でキッチンから顔を出す。


「おはよう。アイリスも起きてるよ」暁が振り返ると、アイリスはリビングの入り口で立ち尽くしていた。部屋の雰囲気に馴染めていないのか、どこか落ち着かない様子だ。


「おはようございます、凜さん」アイリスが一歩前に進み、ぎこちなく頭を下げる。その動作はどこか古風で、凜は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。


「お、おはよう。アイリス、座ってていいからね。朝ご飯は私が作るから」凜が手を止めてアイリスに声をかける。


「ですが…何かお手伝いを…」アイリスが申し訳なさそうに言うが、凜は首を振った。


「気持ちは嬉しいけど、一旦今日は、お兄ちゃんと私がやるから、よく見ておいてね。今アイリスに必要なのは、この世界の普通を分かる事かな。まず今はゆっくりしておいてね」


「えっ…あ、はい…。申し訳ありません」アイリスは凜の言葉に戸惑いつつも、言われた通りに椅子に座る。


暁はアイリスを見て微笑む。「ここでは少しずつ覚えていけばいい。無理にやろうとしなくて大丈夫だから」


アイリスはその言葉に少しだけ安堵したように見えた。


朝日の淡い光が窓からさし、冷たい風が窓から吹き込む中、小さな家の台所に凜は立った。台所は狭く、簡素な作りだが、効率的に使われている。炉は石で作られた囲炉裏のようなもので、火は昨日のうちに起こしていたものがまだ残っている。


暁は乾燥した野菜を水に戻すために、古びた木の桶を取り、外から汲んできた冷たい水を入れる。水道も電気もない生活の中で、これが一日の始まりの準備だ。


凜の手は、冷たい水で少し赤くなっているが、鍋をかき混ぜるときには、それも気にならない。乾燥豆をスープに加え、焚き火の周りで手際よく調理を進めていく。背後には、数本の木の棚に並べられた乾物や保存食が、必要なときのために備えられている。少しずつ香ばしい匂いが漂い始め、家の中に暖かさが広がっていく。


スープが煮え立ち、彼女は薪をくべて火を強める。冷えたパンの代わりに、発酵した豆を使った薄いクラッカーを手に取り、スープの横に添える。少しずつ、朝食の準備が整っていく。


凜は、用意した食事を木製のトレイに載せ、重いトレイを両手でしっかりと持ちながら、リビングへと向かった。暁は凜が台所で食事を作っている間に、木製の食器を手際よくテーブルの上に並べていた。


部屋は冷たく、床に敷いた藁が少しだけ温かさを与えている。


「さぁ、みんなで食べよう」と彼女が声をかけた。外の寒さを忘れるほどの、温かいひとときが、食卓を囲んで広がっていく。食事は質素であったが、家族でこのように団らんの時間を過ごせることに、3人が3人共に幸せを噛みしめていた。


アイリスはどこかぎこちなくスプーンを持ち、慎重に食べ進めている。


「美味しい…です」アイリスが小さな声で感想を述べると、凜は微笑んだ。「ありがとう。慣れないだろうけど、気軽に食べてね」


食事を終えた後、暁はソラ―パワーの時計を確認しながら口を開く。


「凜、昼頃にシルバーウルフからデイサービスが来るんだよな?」


「うん、来る予定。私はしっかりとベッドで横になっているから大丈夫よ」凜は自信ありげに答える。


「わかった」


暁は学校に行く準備を整えながらちらりとアイリスに目を向けた。彼女はリビングの椅子に座り、静かに窓から見える「安らぎの街」の風景を見ていた。ワイバーンとして神々の塔で生きてきた彼女が、人間の世界でどれだけ適応できるのか。暁には正直、未知数だった。


「お兄ちゃん、準備できた?」キッチンから声をかけてきた凜は、片付けを終えて手を拭きながらリビングにやってきた。


「うん、できたよ」暁は頷いたが、その表情はどこか曇っていた。


「…どうしたの?」凜がそう尋ねると、暁は一瞬だけ沈黙し、それから苦笑を浮かべた。


(アイリスが何か凜に危害を加えられないにしても、まだ彼女のことを完全に信用しきれてるわけじゃない・・・)そう思うと、暁はまだアイリスを家に置いておくことに若干の抵抗があった。


「アイリスには僕と一緒に学校に来てもらうことにする」


その言葉に凜は目を丸くした。「え、学校に連れて行くの!?そんなの大丈夫なの?」


「たぶん目立つとは思うけど、彼女自身も人間の世界を学ぶ必要があるだろう」

暁はそうもっともらしい理由を言って、アイリスを連れて行くことにした。


アイリスはそのやりとりを静かに聞いていたが、暁が彼女に視線を向けると、小さく頷いて口を開いた。


「暁様、どちらに行こうともお供いたします。私にできることがあればおっしゃってください」


「よし、じゃあ決まりだ。じゃあ学校に一緒に行こう!」


凜は暁に向かってため息をつきながら尋ねた。


「アイリスの服はどうするの?こんな白い服装で外に出たら、みんなびっくりするわ。アイリス、あなたのその白い服装はどうしたの?かなり高級な印象を持つけど」


アイリスは少し困ったように微笑み答えた。「この服装は、私の魔力によって生成しています。私の種族は、必要な道具などを魔力で作り出すことができるのです」


凜は驚いた表情を見せた。「えっ!!??凄いんだけど!!じゃあ、今、私が来ているようん服は自分で作れるのかな?」


アイリスは少し凜の服に触り、じっと見つめた後、首を横に振った。「申し訳ありませんが、私はそれほど器用ではなく、この服装以外は作れません。もう少し私の魔力操作が上手ければできるのですが・・・」


残念な気持にはなったが、とにかく今は悩んでいる暇はなく、直ぐに何をすべきかを思案した。凜は部屋の奥に行き、古びた服を持ってきた。「これ、私のお母さんの服なの。その服だと目立ちすぎるから、この服に着替えてもらって良いかな?少しは普通の人間らしく見えるはずよ」


アイリスはしばらくその服を手に取って眺めた後、小さく頷いた。「わかりました、着替えます」


数分後、アイリスは凜の母の服を着て再び現れた。サイズはやや大きいものの、普通の人間の服を着たことで、彼女の異質さがいくらか薄れたように見える。


「まあ、これでなんとかなるかな」凜は少し安心したように頷いた。


暁はその様子を見て微笑みながら言った。「ありがとうな、凜。これで学校にも連れて行きやすくなる。」


「別にアイリスのためじゃないんだからね。ただお兄ちゃんが変な目で見られるのを防ぎたいだけ」凜は少し照れ隠しのように言い放ったが、その表情にはどこか満足そうな色が浮かんでいた。


暁は鞄を手に取り、「じゃあ、行くぞ、アイリス」と声をかけた。アイリスは新しい服に身を包み、興味深そうに家の外を見つめながら暁に続いた。


「アイリス、僕の学校は普通の人間が集まる場所だ。目立たないように振る舞ってくれれば助かる」


アイリスは困ったように首をかしげた。「目立たない、というのは…?」


暁はその反応に苦笑した。「まあ、まずは何かあったらにっこり笑っていればいいよ。あまり気負う必要はないしね。アイリスは可愛いから、にっこりしていればみんな受け入れてくれるよ」


アイリスは少し頬を赤らめて答えた。「暁様、そんな・・・。承知いたしました。できるだけ笑顔でいますね」


「お兄ちゃん・・・一体何を言っているの?」


と、凜は後ろから二人のやり取りを聞いて、一人ツッコミを入れた。暁は「はははは」と笑いながら出て行く。凜は二人がリビングから見送りに出てきた。


「アイリス、学校楽しんできてね」凜は軽く笑いながら言う。


「ありがとうございます、凜さん」アイリスは真剣な顔で頭を下げた。


「それじゃ、行ってくる。凜、気を付けてな。デイサービスが来たらベッドにいておけよ」暁が言うと、凜は「分かっているわ。お兄ちゃんも気をつけてね」と軽く手を振った。


外に出ると、冷たい朝の風が二人を包む。暁はちらりとアイリスを見た。彼女は周囲の景色を興味深そうに見回している。


「どうだ、人間の世界は?」


「…とても広く、そして穏やかですね」アイリスは感慨深げに言った。


「この世界で暮らしていくなら、覚えなきゃいけないことがたくさんあるけど、少しずつ慣れていけばいいよ」暁は優しく言いながら歩き出した。


アイリスは静かに頷き、彼の隣を歩く。その姿を見ながら、暁は少しだけ気が楽になった。家に残してきた凜のことも気になるが、今は目の前の一歩一歩を進めていくしかない。


学校への道は静かで、二人の間に新しい日常が始まりつつあった。

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