第5話 霧夜薫

暁が重い足取りで家に戻ると、いつもの静けさが広がっていた。玄関を開けた瞬間、お手伝いさんが笑顔で出迎え、すぐに母親の世話と家の片付けに戻っていった。彼の妹も、お手伝いさんの介助を受けながら、何かに夢中になっていた。


リビングに足を踏み入れると、そこには霧夜薫(きりや かおる)の姿があった。母親の昔のパーティメンバーで、彼女は時折家を訪れては、母親の様子を見に来てくれていた。母親と同じくらいの年齢でありながら、どこか落ち着いた雰囲気と鋭い目つきが印象的だった。


「おかえり、暁」

霧夜は柔らかい声で言い、彼に視線を向けた。


暁は返事をする気力もなく、ただ頷いてカバンを床に置いた。今日の学校での出来事が頭から離れず、星霞とのやり取りやクラスの空気が心の中で重く圧し掛かっていた。彼はソファに沈み込むように座り、手で顔を覆った。


「今日は…少し疲れているようだね」

霧夜は彼の様子を見ながら言った。


暁はゆっくりと顔を上げ、霧夜の落ち着いた顔を見つめた。彼女は母親と一緒に戦ってきた戦友であり、その経験からくる理解力と優しさを持っているのだが、今の暁にはそれすらも重く感じられた。


「…何でもないです」

と短く返す暁に、霧夜は少しだけ微笑んだ。「そうか。でも、もし話したくなったら、いつでも聞くよ。お前は一人じゃないからね」


その言葉が少しだけ彼の心に響いたが、暁はまだそれを受け入れることができなかった。

霧夜は、暁の母親がいる部屋に足を運んだ。時雨葵は、霧夜にとってかつて仲間として数々の冒険を共にした仲だったが、今では目も虚ろで、まともに会話をすることもできなくなってしまった。その姿を見て、霧夜は胸に痛みを感じながらも、努めて明るく声をかけた。


「久しぶりだね、元気にしているかい?」


だが、返ってきたのは、意味不明な言葉の羅列と、時折紡がれる悪意に満ちた雑言だった。「裏切り者」「全てお前のせいだ」――そんな言葉が次々と飛び出し、かつての友人の面影はどこにもなかった。


霧夜は、しばらくその場に立ち尽くし、母親の荒れた言葉に耳を傾けていた。しかし、どれだけ待っても人間らしい返答はなく、ただ、壊れた機械のように繰り返される暴言だけが続く。


「…また来るよ」と、霧夜は優しい微笑みを浮かべながら、静かに部屋を後にした。その微笑みは、痛みを隠すためのものだった。母親がかつての自分に戻ることは、もうないのだろうと心のどこかで理解していたが、それでも彼女を見放すことはできなかった。


ドアを閉める瞬間、霧夜の笑顔が一瞬だけ悲しみに染まったが、すぐに元の表情に戻り、リビングへと歩みを進めた。


霧夜は、暁がリビングに戻ってくるのを待ちながら、少し緊張した様子で座っていた。暁が重い足取りで椅子に腰掛けると、霧夜は微笑んで彼を見つめたが、その目には母親代わりとしての強い責任感が滲んでいた。


「暁、ちょっと話があるの。君のこれからのこと、進路とか、生活のこととか…」


暁はうっすらとため息をつきながら霧夜の方を見た。「進路って、まだ考えてないよ…」彼の声には、どこか諦めのような響きがあった。母親のことや学校でのいざこざが頭を占めていて、将来のことに考えが及ぶ余裕はなかった。


霧夜は頷きながら、少し躊躇った後、優しい口調で続けた。「それは分かってるよ。でもね、これから君がどうしていくかを少しずつ考えていかないと…。お母さんのこともあって、生活費やお金のことも現実的に考えなきゃいけないのよ」


暁は一瞬、霧夜の言葉に反発したい気持ちが湧いたが、彼女が自分を心から気遣ってくれていることは分かっていた。母親代わりのように世話をしてくれている霧夜が、家の経済や生活のことを真剣に考えているのも理解していた。


「分かってる。でも、どうすればいいか分からないんだ…」暁は視線を落とし、声を絞り出した。彼の中で、母親の介護や自分の将来についての不安が交錯していた。


霧夜は、彼の肩に手を置いて静かに言った。「急がなくてもいいよ。まずは、少しずつ一緒に考えていこう。君は一人じゃない。私もいるし、お母さんの昔のパーティメンバーも協力してくれる。シルバーウルフギルドも助けてくれる。進路のことも、学校のことも、焦らずに進めばいいのよ」


暁はその言葉に少しだけ心が軽くなった気がしたが、同時に、まだ自分には母親を背負う責任が重くのしかかっていることを痛感した。「ありがとう…霧夜さん。少しだけ、考えてみます」


霧夜は優しく微笑みながら、彼の言葉を受け止めた。「そうだね。それでいいんだ。少しずつでいいから、一緒に前を向いていこう」


霧夜は、暁の肩に手を置いたまま、さらに優しい声で続けた。「それと、君のお母さんと妹さんのことも、もう少し一緒に考えていかないとね」


暁は目を瞑り、項垂れた。「妹のことも・・・ですね」


霧夜は静かにうなずいた。「わかってる。だからこそ、一人で抱え込まないでほしいの。妹さんの介助は今、介護士がしてくれているけど、長い目で見たらどうしていくか考える必要があるわ」


暁は黙って聞いていたが、その言葉に普段は出さない押しつぶされそうな気持ちを吐露した。「僕だって一生懸命しているんだ!これ以上、僕にどうしろって言うんだ?母さんも妹も!霧夜さんだってわかってますよね?」


霧夜は一瞬、悲しそうな表情を見せたが、すぐに冷静な声で答えた。「もちろん、君に全部を任せるつもりはないわ。でも、君が家族の一員として今後どうやって支えていくか、一緒に考えたいの。お金のことも、今後の介護のことも。妹さんはまだ若いけど、今のうちにもっと外部のサポートを探すとか、そういうことも考えないと」


暁は拳を握り締め、苛立ちを押し込めようとした。「外部のサポートなんて…。頼れないよ・・・お金もないし」


霧夜は彼の言葉に微かに目を細め、優しく答えた。「お金の心配はしないで。むしろ、こういう時に頼れる相手がいることが、強さなんだよ。お母さんのことも妹さんのことも、君が一人で抱え込むべきじゃない」


暁は俯いたまま、しばらく黙っていた。彼の心にはまだ葛藤が残っていたが、霧夜の言葉は少しずつ彼の中で響き始めていた。


「…少し考えるよ。どうするか、ちゃんと」

暁は静かに答えた。


霧夜は安心したように微笑んだ。「それでいいの。私も一緒に考えるし、頼れるところはしっかり頼っていこう。君は一人じゃないからね。」


暁は彼女の言葉を聞きながら、まだ不安が残るものの、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。


「今日はもう遅いから、そろそろ帰るね。元気を出して。テーブルに果物を買ってきたから、食べておいて。市場で果物を手に入れるのは大変だから、これで少しでも力をつけてね。」

そう言って、霧夜は暁の家を後にした。


「はぁ・・・」

深いため息をつき、暁はこれからのことに暗澹たる気持ちになった。深く椅子に座り込んでいたが、ふと「よし!」と声を上げ、リュックサックを背負って静かに家を出た。


外は薄暗くなり始めていて、秋の冷たい風が彼の顔に当たった。彼が向かうのは、いつものバイト先だ。家に戻ることなく、週に3日か4日はこの仕事に没頭することがある。彼が選んだバイトは、塔探索の荷物持ち、ポーターだ。危険なエリアを探索する冒険者たちのサポート役である。


ポーターの仕事は、決して楽なものではない。探索者たちの荷物を運び、時には命の危険も伴う現場で彼らを助けることが求められる。暁は戦うスキルを持たないものの、スキルウィーバーとしての体力や、今まで培ってきた機転を生かして探索者たちに貢献していた。


彼にとって、この仕事は、ただのバイト以上の意味を持っていた。家にいると感じる抑圧感や、母親と妹の介護の重圧から逃れるための場所だったのだ。


暁は学校が終わればすぐにポーターとして塔探索をするパーティの荷物持ちをして同行し、神々の塔を探索していた。


暁は、幼少期よりスキルウィーバーとして活動をする為の訓練を両親より受けていた為、カ神々の庭での過ごし方には慣れていた。


塔の入り口に到着すると、既に何人かの探索者たちが集まっており、ポータルスタッフに探索の目的と探索メンバーの申告をし、入塔手続きをしていた。彼らの顔には緊張感が漂っている。暁もそれに応じて気を引き締めた。ポーターとしての役割は重要だ。ミス一つで、命を落とすこともある危険な任務だからこそ、彼は集中しなければならなかった。



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