第8話 写真の中のヒント
学校からの帰り、自転車は緩やかなカーブをいく。日は暮れ、クルマは点灯している。買い物帰りの主婦や塾の帰りらしい子供がマスクをして急ぎ歩いている。誰にも自分の身体を大切にして欲しい。悲しみはご免だ――そんな事を思いながら、遙香の実家に戻ると、義母が食事を作ってくれていた。
「気を遣わないで下さい、お義母さん」
どれだけ泣いたろう。泣き腫らした目は、あとどれ程涙を生むのだろう。
「いいのよ。何かしていた方が気が紛れるし」
そう言い、エプロンを解いた。寂しいと言う言葉は当たり前すぎて、他に何か無いだろうかと考えたが、考えることを止めた。何を思いついても、結局遙香は居ないのだ。
「お買い物していないから、大したものは無いけど、この岩海苔のお味噌汁ね、遙香が好きだったのよ。小さかった頃は家族で佐渡に行ってね、親戚の家でご馳走になったものだわ。その印象が強かったらしくて、大きくなっても時々『あれ作って』って――」
言葉が止まっても顔を上げる事が出来ない。結局、掛けるに適した言葉など思いつくはずが無い。
「ごめんなさいね…之弘さんも悲しいのに私ばかり」
「いえ…」
ふと箸を止めた。義母の言葉が心に掛かった。――家族…。
「お義母さん、お訊きしてもいいですか?」
義母は顔を上げて俺を見た。
「私は遙香から、亡くなられたご主人の……遙香のお父さんの話をあまり聴いていないんです。一度、どういうお父さんだったの?って訊いたら、私が小さかった頃死んでるからよく知らないの――って言われて、それからは話に出なくて」
義母は頷いた。
「どんな方だったんですか?」
義母は箸を置くと、指を組んで天井を見た。
「遙香と同じ病気だったことは」
俺は頷いて見せた。
「夫の場合も見つかったのが本当に遅かったの。ステージは4だったわ。この家を建ててまだ半年くらいだったわね。遙香は、まだ三歳になったばかりよ。彼が独立して、それを私が手伝う形で始めた事業が、バブル後なのにどうにか軌道に乗ったの。働き者でね。社員が来る一時間前には仕事に入って、全員帰ったあとも翌日の段取りで遅くまで。信頼して付いていける人だったわ。でも零細でしょ?当然貧乏暇無し。お休みと言っても三人揃うことは滅多に無くて。遙香も仕事場に連れて行ってたくらい。あの子、仕事道具で遊んでたわ。その頃よ、さあこれからだ――って言うときに倒れたの。スキルス性のは本当に唐突よね。本人は勿論のこと、その周囲にとっても突然襲い掛かる嵐のようで――」
話しながら、半身で後ろの引き出しを開けた。取りだしたのはA4程の小さなアルバムだった。開くとそこには、若干色の褪せた写真が並んでいた。
「これ、ね。遙香が三歳の誕生日に三人で出掛けたときのよ。可愛いでしょ?お父さん子で、こうしていつも夫に抱っこされてたわ。でも、あの子に父親の記憶があるとしても、きっと沢山は…」
そう言って両手で顔を押さえてしまった。俺はアルバムを覗き込んだ。ガンのせいだろう、やつれ、顔色も決して良くは無い細身の男性が、これ以上無いという優しげな表情で微笑んでいる。その腕に抱かれた遙香は、父親によく似た眼差しでその頬を父親に押し当てて笑っていた。その背後に柵の様なものが写っていた。そしてその向こうには――。
「お義母さん、ここは?」
「え……?あぁ、それは水族館よ。あの子、お魚が好きでね。家の庭にも夫が池を――」
「この水族館って、何処にあるんですか?」
義母は怪訝な顔をした。
「日本海マリンワールドっていうの。ここからクルマで十五分位かしら。それがどうかしたの?」
義母には答えず写真を凝視した。一枚目のそこに写っているのは、巨大なトドだ。そしてページを捲れば、色々な水槽の前で笑う幼い遙香が居た。三通目は見つけるのが大変――と、遙香は書いてたが、そうでも無さそうに思えてきた。
あてが見つかり、俺は遙香が楽しんだ義母の料理を堪能した。
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