第5話 見知らぬ遙香

 どういうことかワケが分からなかった。そこで俺は遙香の残した手紙の話を曽山にして聴かせた。彼女は真剣な表情で聞いていたが、首を振って考え込んだ。

「でも、遙香が部に入っていた事実はありません。だって私と遙香って中学部の一年から同じクラスでしたけど、六月の生徒会選挙で当選したので、その後はずっと――あ…でも」

 曽山が顔を上げた。

「もしかしたらあの事かも」

「なにか思い当たるんですか?どんな些細なことでもいいので聞かせて下さい!お願いします!」

 頭を下げる俺に、日向子はユックリ話した。

「中学に入ると最初に部活動のお試し期間が設けられるんです。体験入部ですね。それで、気に入った部に入るんですけど、確か遙香も…」

「何処かに体験入部したんですか?」

「はい…あの、でも記憶が定かで無くて…」

 もう一度頭を、更に深く下げた俺を見て、曽山は困ったようだった。

「私も中学の部活にワクワクしてた時期でしたし、みんな入ってはまた別の部に顔を出したりする期間なので、友人たちがそれぞれなんの体験入部をしたのかまではうろ覚えなんですけど、確か遙香は…」

 記憶の底を探すような表情から、曽山が零した言葉は――。

「美術部だったような」

「美術?」

 意外な答えだった。そんな話を遙香から聞いたことは無かった。

「ええ、確か。と言うのは、私はテニス部だったんですけど、もしも運動部なら運動部だけの合同勧誘会に一緒に出たはずなのに遙香は居ませんでしたから。だから文化部なのは確かですし、それに、そう言えばあの子、暫くのあいだ絵の話ばかりしてたし」

「美術部の部室とか、拝見するわけにはいきませんか?」

 曽山は俺をじっと見て言った。

「それは大丈夫だと思います。中学部の美術の顧問は大橋先生というんですけど、今日もいらっしゃいますから、お願いすれば」

「いらっしゃる…んですか?今日も?」

「ええ、美術部の子達は夏の間リモートで活動しているんですけど、先生は学校からですので」

 何かが腑に落ちなかった。奇妙な感覚が過ったが、とにかく今は二通目を探し出すことだけに集中したかった。俺は彼女に付いて生徒会室を後にした。

 

 校舎は全部で五棟。体育館は中学部と高校部で別になっている。曽山は長い廊下を案内してくれた。その規模は何処かの総合大学かと見紛うようだ。

「テニスコートは土と全天候が中学部に各一面ずつで、高校部はそれが倍の各二面用意されているんです。全国大会でも上位の常連なんですよ。自慢みたいですけど」

 ここで学び、この窓の外を見て、廊下を歩いたんだろうな――そんな感慨に耽りながら聞いていると曽山の足が止まった。

「こちらです。中学部の美術教官室。さっき電話入れておきましたから、先生いらっしゃるはずですよ」

 ノックすると「どうぞ」と低い声が聞こえた。ドアを開けると、縦にも横にも恰幅のいい初老の男が椅子に掛けていた。美術と言うよりはラグビー選手のようだ。

「先生、こちらが先ほどお話しした――」

「柴沢と申します」

 頭を下げると、明るい声が返った。

「どうぞ、そんなに畏まらないで。コーヒーくらいしかありませんが、如何ですか?」

 返答も待たず、用意しておいたらしいカップに注ぎ始めた。頭を下げて椅子を引いた俺の隣に曽山も腰を下ろした。

「お力落としでしょう…」

 曽山が伝えてくれていたらしい。そっとカップを押して寄越した。

「田島君の――いや、奥さんのことはよく覚えています」

「そうなんですか?」

「ええ。なにせ美術の成績は群を抜いていましたからね」

 驚いた。遙香の絵など、見たことも無かった。

「ただ、美術部への体験入部に関しては残念ながら私は覚えておらんのですわ。と言いますのも、体験の方は上級生が仕切っておるもので、こちらにはさして情報めいたものは――」

「大橋先生、柴沢さんの御用件のこと…」

 大橋は曽山をチラリと見て頷いた。

「捜し物だそうですな?何か知りませんが、奥さんがここに隠されたとか?なんとも彼女らしい…」

 知らない人物の口から聞く遙香の話は新鮮だった。

「彼女の場合それはもう明確に理系で。将来はその方向に進むのだろうな、と私なども感じておりましたよ。それでも絵画、彫塑のセンスは並々ならないものがありました」

 目をカップに向け、大橋は話した。

「技能だけで作るものというのは案外人に訴えかけません。要はやはり内面です。センスと言えば一番分かり易いんでしょうが、その人物が内側に溜めたなにか――とでも言うのでしょうか。それが彼女にはあった。理性的ながら情緒的。その反面、いたずらっ子のような部分もあったと記憶しております」

「いたずら――ですか?遙香が?」

「ええ。まあ、悪質なものではありませんよ」

 大橋の笑い声は低く、温かかった。

「絵の中に先生の大事な物を隠したんです。何処だと思いますか?なんて、授業なのにね」

 太い指がカップを持ち、優しく啜るとメガネを曇らせた。

「よくよく見ればその風景画の片隅にメガネが描かれておりました。ええ、私はメガネが無いともう殆ど見えないようなアレなもので。拭いて置いたメガネを何処だっけと探す様子がおかしかったから――なんて笑ってましたな」

 俺は、見知らぬ遙香に会ったような気になっていた。

「ここにも隠したのですな」

 大橋は「よっこらしょ」と言って立ち上がった。

「探しましょう。お力になりますよ」

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