第4話 意外な答え
体育館に人影はなかった。攪拌されない空気が淀んでいた。
「この夏は、いつもとは違うので――」
そう言われて思い当たった俺は迂闊だ。新型コロナウイルスの猛威で、学校生活にも多大な制約が掛かっていたのは報道でも見ていたのに。
「一部、屋外の子達は秋の大会などに向けて動き出してはいますが、それもどうなるのか現場では何も分からない状態なんです」
先を歩く曽山教員は俺を振り返らずに言った。
体育用具室の突き当たりに《生徒会室》とプレートの貼られた両開きの大きなドアがあった。スライドさせると、中から熱気が溢れ、思わず息を吐く俺に、曽山教員は苦笑を見せた。
「普段ならここも人の出入りがありますし、エアコンもあるのでこんなに暑苦しくも無いんです。でも、生徒会執行部も夏の他校交流含め、事実上停止状態なので…」
申し訳なさそうに笑った顔には、まだ涙の痕が残っている。
「あの…それで、遙香は――」
言いかけた俺を手で制した。
「本当に、お見苦しいところを見せてしまって申し訳ありませんでした」
正面に立って改めて頭を下げた。
「分からないことだらけなんです」
そう言う俺に、頷いて見せた。
「先ず、エアコンをつけますね。お話はそれから」
手にしたリモコンでスイッチを入れた。
「ちゃんとした自己紹介が未だでしたね。私の名前は曽山日向子といいます。遙香とはこの学校で六年間親友関係でした。だから遙香のことは、多分旧友の誰よりもよく知っているつもりです。ただ卒業後の彼女は都内の大学に進学したので、いつの間にか疎遠になっていました。私は――」
そこまで言って、うっかりしていたと言わんばかりに照れて笑い、椅子を勧めてくれた。彼女もまた向かいに腰を下ろした。
「地元の国立を出た後、教員になって母校に赴任して、今に至っています。教員と言っても、今はまだ順番待ちというか、ここ、人気があるので、特別なんですけど事務職をしてタイミングを待っている感じなんですよ」
曽山はひとつ小さな溜息を吐いた。
「遙香が療養で戻っていたことは、初め知りませんでした。知ったのは、割と最近のことなんです。『水くさい!』って怒ってやりました。あの子、笑って『ゴメン』って」
「会ったんですか?」
長い髪の遙香とは対照的な、顎あたりまでのショートヘアーを揺らして頷いた。
「突然、遙香から『学校で会いたいんだけど』って連絡がありました。なんで学校?って訊いたら、会ってから教える――って」
「会ってから?」
曽山は俺の席を指さした。
「その場所――そこに、遙香も座っていました」
椅子を見回した。簡素だが肘掛けがある。俺は思わずそれを握りしめた。
「最初は他愛も無い『卒業後の話』なんかで盛り上がったんです。でも、結婚生活のことを冗談で冷やかすとあの子――」
天井を見て微笑むその目から、また涙が零れた。それを気にもせず、曽山は精一杯明るく話した。
「病気だという話を聞かされました。信じられませんでした。だってあの子、身体の線は細いのに芯は強く、健康そのもので、学校を休んだことだって六年間で一回か二回なんです。それなのに――」
俺はテーブルに視線を落とした。遙香が丈夫なのは知っていた。特に部活をやっていたわけでも無いけどね――と笑った顔が脳裏を過る。
「遙香――亡くなったんですね」
ポツリと呟いた。
「ご存じでは無かったんですか?では何故あんな――」
受付前での涙が思い出された。
「知りませんでした」
「では何故死んだと――」
次に彼女の口から出た言葉に俺は心の底から驚いた。
「私が死んだら、多分主人が――柴沢之弘という男性が学校に来ると思うから、そしたら手伝って上げて欲しいの――と、言われました」
鳥肌が立つ思いだった。死を受け入れた遙香は、嘗ての親友に助力を請うたのだ。その助力とはつまり――。
「手紙のこと、ご存じなんですね?」
俺は訊いてみた。曽山は首を横に振った。
「手紙…ですか?それは知りません」
「え?でも」
「その時は遙香の病気のことを知って、私の方が取り乱していたんですけど、そんな私に遙香が言ったのは、今から一時間でいいから、校内を自由に歩かせて欲しいの――ということだけで」
「一時間だけ、校内を…」
「はい。それどういう意味なの?って訊いたら、それはヒナにも言えないけど、いつか来る之弘さんにはヒナのヒントが必要なの。だから、お願い」
曽山は顔を伏せた。体力を落としながらも笑顔で依頼をする旧友を思い出しているのだろう、涙は止まることが無い。そのまま話し続けた。
「出入り業者用のパスを取りに戻り、胸に掛けて上げると、あの笑顔で笑って『ありがとう』って言って。それで一時間後にまたこの部屋でね――って、出て行きました。なので、その一時間の間に何をしていたのかまでは分からないんです」
遙香は学校に二通目の手紙があると書き残している。ならば恐らく、旧友と別れた後の一時間を利用して何処かに隠したはずだ。だが何故そんな手間を掛けたのだろう?渡したいなら、曽山に託しても良いでは無いか?そもそも、何故手紙を《探させる》のだろう?俺の疑問は膨れ上がった。
「ご存じでしたか?遙香は、生徒会の書記を中学部では三年間、高校部でも一年と二年の計五年間も務めたんですよ」
知らなかった。耳にしていたのは主に大学時代の話ばかりだった。
「高校三年になると、うちの学校は部長・副部長も役員も出来ない決まりになっていて、受験に集中するんです。だから高三の時だけ生徒会執行役員じゃ無かったなぁ。あと、決まりと言えば、うちって部との兼務は許可されて無くて――」
その言葉で、ふと、一通目の手紙の文言が脳裏に蘇った。
「部活――って、何のことでしょう?」
「え?」
顔を上げ、曽山に尋ねた。
「遙香の手紙に、自分の部活がヒントだと書いてあったんです。でも、こちらでは生徒会と部活動は兼務できないんですね?なら、彼女の言う《部活》って一体何のことなんでしょう?」
その問いに返した曽山の答えは意外な一言だった。
「遙香は部活に入っていませんでしたよ?」
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