緊張との向き合い方②

 私は今まで、どれだけのことを犠牲にしてきたのだろうか。

 

 幼いころから毎日、朝早くから夜遅くまで、両親から課される訓練を受ける日々。他の子供たちと遊ぶことさえ許されなかった。

 

 初めて本物の銃を握ったのは、まだ10歳にも満たないころ。父親の厳しい眼差しのもとで、引き金を引く手の震えを必死で抑えながら、目標を狙う。汗が顔を伝っていくのを感じたけれど、それを拭う数秒すらも惜しく感じた。


 完璧でなければ意味がない。人一倍努力して、国に必要とされる人間にならなければ、ここにはいられない。


 次第に、訓練で追い込まれて限界を超えるたび、少しずつ無感覚になっていった。心がどんどん冷たくなっていくのを感じながら、それでも、ただひたすらに前に進んでいくしかなかった。


 私は、すべてを犠牲にしてやっとここまでたどり着いた。わき目もふらずに努力し続ければ、いつか犠牲にしてきたすべてが報われると信じていたから。

 

 そう、これだけ身を削ってきて、ようやく私はスタートラインに立てたのだ。

 やっとこれから、国のため、両親のために戦うことができる。命の限りを尽くして、大切な人たちを守ることができる。


 名誉なこと。これ以上ないくらい、名誉なことだ。

 

 …………名誉なこと、なのに。そのはずなのに、たまに不安でたまらなくなるときがある。


 あんなに努力して、こんなにも両親から大切にされてきたはずなのに。それなのにどうしても、自分に自信が持てないのだ。


 まるで自分が今まで積み重ねてきたものすべてが、一瞬で崩れて消えてしまうような気がしてならない。


 一体どうすればいいんだろう。

 今更、立ち止まるわけにはいかないのに。


♔♔♔


「ライラ?大丈夫?」


 ボーッと物思いに沈んでいると、心配そうな表情をしたニアさんが、カウンターから乗り出して私の顔を覗き込んでいた。

 ハッと我に返って顔を上げる。わあ、ドアップの顔面も本当にステキ……じゃなくて。


「ええ、大丈夫よ。このティーラテが美味しくて、じっくり味わってただけ」

「それはよかった。ナディシュにはリラックス効果もあるし、ガチガチになってる今のライラにはピッタリかもね?」


 そう言ってイタズラっぽく笑うニアさん。

 ……ああもう、たぶん彼に敵う人なんていないんじゃないかな。少なくとも私は、彼に対して誤魔化すことも、適当にかわすこともできそうにない。

 

 私は観念して、目の前にいるニアさんにしか聞こえないくらいの小声で囁いた。


「じつは、明日から初任務で、少しだけ、緊張、してるかも……」


 どうせまたニヤニヤしながら揶揄われるんだろうな、なんて予想しながら恐る恐るニアさんの顔を見上げる。

 しかし予想と反して、彼はとても優しい眼差しで私を見つめていた。


「それはいいことだね。たくさん努力して、逃げずに自分と向き合い続けてきた人ほど、緊張するものだから。でもねライラ、これだけは覚えてて」


 私が首を傾げると、ニアさんはまっすぐにこう告げた。


「たかが緊張ごときで、今まで積み重ねてきたものが消えるわけじゃない」



 …………それは、本当?



 気付けば、目の奥がほんの少し熱くなっていた。




 本当はずっと怖かった。

 

 どんなに訓練を重ねても、どんなに努力しても、もし失敗してしまったら。

 たった一度の失敗すら許されないこの国で、取り返しのつかないことになってしまったら。


 人生のすべてを懸けてきた努力が、一度の失敗ですべて無意味になってしまったら。


「……ほんとに、消えないですか?」


 自分でも驚くほど弱々しい声が出てしまう。

 そんな私に、ニアさんは小さく頷きながら言った。

 

 「大丈夫。積み重ねてきた努力は、いざというときに自分の背中をまっすぐ支えてくれるものだよ」


 そんなニアさんの言葉に、私は自然と背筋を伸ばした。肩の力を抜いて、もう一度カップを握り直す。

 緊張はまだ完全に消えたわけじゃないけど、少しだけ心が軽くなった気がした。


「ありがとうございます、ニアさん……」


 私は小さく礼を言いながら、まだ温かいカップに指を絡ませる。

 ニアさんは私を見つめながら、優しい表情でふっと微笑んだ。


♔♔♔


 初任務当日の朝。いよいよこれから、任務遂行のための直前儀式が行われる。

 普段であれば関わることのない上級クラスの高官たちが、ぞろぞろと列をなして私の前に並ぶ。


 ピリピリした空気感の中、私の心臓はドクドクと脈打ち、鼓動が早くなる。


 ああ、私、やっぱりまだ緊張してるんだ。

 

 私の失敗は、家族の失敗。そしてこの国にとって、私は替えの利く駒。

 だからこそ、この国で生き抜いていくためには、自分の価値を結果で示さなければならない。


 改めて目の前の高官たちに目を向けた。彼らの冷徹な視線が私を鋭く貫いている。

 まるで、私の一挙一動を見逃すまいとしているかのように。


「ライラ・シン。お前には我が国の未来がかかっている。必ず任務を成功させろ」


 高官のその言葉に、私の全身が凍りつくような感覚に襲われる。しかし同時に、私の心の奥底から湧き上がるものがある。

 それは、恐れでもなく、焦りでもなく、ただ一つの決意——。

 


 私は、私を信じよう。

 積み重ねてきた私の努力を、まずは私が信じてあげよう。

 

 

 ————その言葉を胸に、まっすぐな目線を高官に向けた。

 

「将軍様の御名のもと、必ずや目標を達成します」


 姿勢をピンと伸ばし、敬礼する。

 高官が無言でうなずき、さあ行けと言わんばかりに、私に目を向けた。


「それでは、行って参ります!」


 声に出して、足を一歩前に踏み出す。


 今、私はもう迷わない。

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