第11話 突入

 西出ゆいなの話に、加納沙紀が質問した。


 「西出さん、それって、どんなダンスなんですか?」


 西出ゆいなは、そういう質問を待っていたようだ。すかさず、加納沙紀に答えた。


 「やってみせましょうか?」


 女性たちが一斉に拍手をする。


 「わー、やって! やって!」


 「どんなダンスなのぉ?」


 「楽しそぉ!」


 すると、西出ゆいなが加納沙紀に言った。


 「じゃあ、沙紀ちゃん。何でもいいから『すき』ってつく言葉を言ってみて」


 「えーとぉ、じゃあ『すき焼き』」


 すると、西出ゆいなが腰を落として、両手を加納沙紀の前に突き出した。


 「主人公が『すき』が付く言葉を聞くでしょう。するとね、主人公の身体がこうやって勝手に動いて・・・例えばね、こういう『窓ふきダンス』が始まるのよ」


 西出ゆいなは、加納沙紀の顔の前で、突き出した両手の手の平を立てると、指を大きく広げた。両手をそろえたままで、大きく四角を描くように動かす。西出ゆいなの口からリズムをとる声が出た。


 「♪タンタタ、タンタタ、タンタタタン♪

  ♪タンタタ、タンタタ、タンタタタン♪ 

 ・・・これ、雑巾で窓ガラスを拭く振り付けよ」 


 今度は左右の手を交互に上下に動かす。ときおり顔を突き出して、フーと加納沙紀の顔に息を吹きかける。


 「♪タタッタ、タタッタ、タタッタ、タン、フー♪

  ♪タタッタ、タタッタ、タタッタ、タン、フー♪

 ・・・今度は、雑巾で窓ガラスを拭きながら、ガラスに息を吹きかける仕草よ」


 西出ゆいなは、かなりひょうきんな性格のようだ。西出のおちゃらけたダンスに、加納沙紀が「ぎゃはははは」と笑い転げた。その加納の顔に、西出がフーと息を吹きかける。加納が笑いながら手を振った。


 「ぎゃはははは。やめて、西出さん。こそばゆいぃぃ」


 それを見た女性たちから一斉に笑いが起こる。みんなが西出に大喝采だ。


 「西出さん、いいわよー」


 「きゃはは。愉快なダンスねー」


 「もっとやって、もっとやって」


 浩太が見ると、麻衣までが口に手を当てて大笑いをしている。もうご機嫌は直ったようだ。浩太も西出のひょうきんなダンスに、ついつい笑ってしまった。


 なるほど、読書会では、いつもこうやって、みんなで大騒ぎしているんだな・・・


 すると、西出が手を止めて言った。


 「でね、一番傑作なのはね、学校の女子トイレの個室から、その『おくねさん』という幽霊が現れるシーンなのよ。やってみましょうか?」


 みんなから一斉に「やって、やって」と声が上がる。横河咲良が聞いた。


 「それって、どんなシーン?」


 西出が笑いながら説明した。


 「あのね、トイレの個室から出てきた『おくねさん』が主人公に包丁を振り上げるのよ。それに主人公が腰を抜かしてしまうの。でね、『見逃してください』という主人公に対して『おくねさん』が『見逃す気はない。死ねぇぇぇぇぇー』って言うのよ。ほら、『見逃はない』って言葉に『すき』という文字が入ってるでしょ。それで、主人公が女子トイレの中で躍り出しちゃうのよ。じゃあね、今度は私ではなくって・・・誰かに踊ってもらいたいな」


 西出はそこで言葉を切って、全員を見まわした。女性たちが興味津々で、西出を見つめる。


 「そうねえ・・・」


 西出ゆいなの視線が、角野結月ゆづきで止まった。


 「じゃあ、角野さん、あなた、主人公の役をやってみて。私が、その『おくねさん』になって、包丁を振り上げて、『見逃す気はない。死ねぇぇぇぇぇー』って言うから、その言葉に合わせて、なんでもいいから即興のダンスを踊ってみて」


 みんなから「わ~、おもしろそう」と声が上がる。角野も笑って「即興のダンス! おもしろそう! いいですよ」と答えた。角野もノリノリだ。


 すると、西出がスカートのポケットから、おもちゃの包丁を取り出した。


 「これがやりたくって、おもちゃの包丁を用意してたのよ・・・じゃあ、角野さん、いくわよ」


 西出は角野の方を向くと、おもちゃの包丁を頭上高く振り上げた。天井のLEDライトに包丁の歯がキラリと光った。


 浩太の頭に疑問が走った。


 光った?・・・何故?・・・

 

 西出ゆいなが頭の上で包丁を前後に動かした。さあ、振り下ろすぞ・・・という仕草だ。それに合わせて、包丁の歯がキラキラと光を反射する!


 浩太は直感した。


 あれは・・・本物だ!


 そ、そうか! 大麻の犯人は西出ゆいなだ。そして、西出はふざけた振りをして、本物の包丁で角野結月ゆづきを殺す気だ!


 角野結月ゆづきが危ない!


 浩太はすばやくシャツの胸ポケットに手を入れると、八十八騎とどろき警部から渡された、あの黒い箱のスイッチを入れた。そして、勢いよく立ち上がった。西出と角野の間に両手を大きく広げて、立ちふさがる。


 西出ゆいなに向かって叫んだ!


 「ちょっと、待ったぁ!」


 西出ゆいなが包丁を振り上げたまま、「はぁ?」と間が抜けた声を出した。角野結月ゆづきも、麻衣も、加納沙紀も、横河咲良も、みんなが座ったままで、ポカンと口を開けて、浩太を見上げている。


 浩太の頭に、昨日読んだ、江戸川乱歩の明智あけち小五郎こごろうが出てくる推理小説が浮かんだ。『黒蜥蜴』という話だ。


 浩太は角野を振り返った。浩太の口から角野に向かって、明智小五郎の名セリフが飛び出した。昨日読んだ『黒蜥蜴』に載っていたのだ。今日の読書会で、気に入ったセリフとして紹介するつもりで暗記してきたものだった。思わず、明智小五郎のような口調になった。


 「御安心下さい。僕がついているからには、お嬢さんは安全です。どんな兇賊でも、僕の目をかすめることは、全く不可能です」


 今度は、角野の口から「はぁ? お、お嬢さん?」という声が漏れた。浩太は西出を振り返る。包丁を振り上げたままの西出に向かって、またも覚えてきた明智小五郎の名セリフが飛び出した。


 「この世の現実は、そんなに小説的なものじゃありませんよ」


 西出ゆいなが「はぁ? 小説的?」と再び間が抜けた声を出した。


 そのときだ。さくら女子寮の外からピーポー、ピーポーという、けたたましいサイレンの音が聞こえてきて・・・寮の前で止まった。直ちに、何人もの人間が、さくら女子寮に入ってくる足音が聞こえ・・・その騒がしい足音が和室に近づいてきたと思ったら、次の瞬間、和室のドアが大きく押し開かれた。


 和室の中の全員が開かれたドアの方を向いた。そこに立っていたのは、もちろん、八十八騎とどろき警部と大賀刑事、それに何人もの警官だ。一番後ろに、管理人の宮井の驚いた顔が見えている。


 八十八騎とどろき警部の声が聞こえた。


 「観念しろ。お前たちは取り囲まれている。ここは、蟻の這い出る隙間もないぞ」


 すると、西出ゆいなが言った。


 「なぁんだ、これって、女子泣き君が仕組んだお芝居なのね」


 今度は、浩太が眼を白黒させて西出を見た。浩太の口から間の抜けた声が出た。

 

 「はぁ?」


 西出ゆいなが包丁をフレアスカートのポケットに仕舞った。そして、両手を腰に当てると大声で笑いだした。


 「あはははは。女子泣き君。これ、みんな、あなたが雇った役者さんなんでしょ。今の『蟻の這い出る隙間もない』のセリフの中に『隙間』、つまり、『すき』という言葉を入れたのね。そうなのよ、私の読んだ『小紫こむらさき君、ダンスを踊ろ』では、女子トイレの中で、主人公がこうやって躍り出すのよ」


 そう言うと、西出は中腰になった。ガッと足を大きく開く。西出のフレアスカートが大きく広がった。


 西出は左手を腰のところに持っていって、ザルのような物を持っている形にした。右手を和室の畳につけて、畳の上をくねくねと動かした。右手で何かを見つけた格好をして、それを右手ですくって左手のザルに入れる動作をした。そして、中腰になった腰を前後にヒクヒクと動かした。股間を突き出した卑猥な姿勢だ。腰のヒクヒクに合わせて、西出ゆいなの口から声が出た。


 「あっそれ、ドジョウじゃ、ドジョウじゃ」


 麻衣が叫んだ。


 「分かった! ドジョウすくいね」


 ガニ股になった足でフレアスカートを大きく広げて、西出ゆいなのドジョウすくいは続く。


 右手を和室の畳につけ、畳の上をくねくねと動かして、ドジョウを探す。右手でドジョウを見つけた格好をし、次にドジョウを右手ですくって左手のザルに入れる動作をする。そして、中腰になった腰を前後にヒクヒクと動かす。股間を突き出した卑猥な姿勢だ。腰のヒクヒクに合わせて、西出ゆいなの口から声が出た。


 「あっそれ、ドジョウじゃ、ドジョウじゃ」


 八十八騎とどろき警部と大賀刑事、それに何人もの警官たちは輪になって、呆然と・・・突然始まった西出ゆいなのドジョウすくいを見つめていた。


 すると、西出ゆいなが少しずつ、八十八騎とどろき警部に近づいていって・・・西田ゆいなの右手が、呆然と突っ立ている八十八騎とどろき警部の両足の間に入った。西出が右手を和室の畳につけ、畳の上をくねくねと動かす。ドジョウを探す格好だ。次に、右手でドジョウを見つけて、そのドジョウを右手ですくい上げる格好をした。


 八十八騎とどろき警部の両足の間で、西出の右手が上にあがっていって・・・そのまま警部の股間をつかんだ。八十八騎とどろき警部が「むぎゅうぅぅぅ」と声を上げた。西出が、中腰になった腰を前後にヒクヒクと動かした。股間を突き出した卑猥な姿勢だ。腰のヒクヒクに合わせて、西出ゆいなの口から声が出た。


 「あっそれ、ドジョウじゃ、ドジョウじゃ」


 股間を強く握られた八十八騎とどろき警部は、再び「むぎゅうぅぅぅ」と声を上げると、眼をむいて、背中から畳の上に倒れてしまった。


 ドシーンと地響きのような音が和室に響いた。


 魂を抜かれたようになって、呆然と西出ゆいなと八十八騎とどろき警部を見つめていた浩太は・・・その音でやっと我に返った。


 浩太が西出を指差して、急いで大賀刑事に言った。


 「大賀刑事。こちらが犯人の西出さんです。包丁を持っています」


 大賀刑事が西出の前に走った。眼の前に突然現れた大賀刑事を見て、西出ゆいなが、「はぁ?」と間の抜けた声を出した。大賀刑事が西出に飛び掛かって、たちまち、西出を畳に押し倒した。西出は眼を白黒させて声も出ない様子だ。大賀刑事は西出のスカートのポケットを探って・・・難なく包丁を取り上げた。


 浩太は大きく息を吐いた。


 もう安心だ・・・


 浩太は、呆然と成り行きを眺めていた角野結月ゆづきの前にゆっくりと立った。


 「角野さん」


 「えっ、あっ、は、はい」


 急に浩太に名前を呼ばれて、角野は驚いて返事をした。


 「あなたのメッセージ・・・ちゃんと、僕は受け取りました」


 「メッ、メッセージ?」


 角野が頓狂とんきょうな声を上げた。眼を白黒させている。


 「ええ。角野さんの・・・さくら女子寮の、この読書会のメンバーの中に大麻を吸っている人がいるという告発です」


 浩太の声に、麻衣、加納沙紀、横河咲良が一斉に声を上げた。


 「誰かが、た、大麻ぁ?」


 「かっ、角野さんが」


 「こっ、告発?」


 次の瞬間、あまりの話に誰もが息をのんだようだ。


 一瞬、和室の中を静寂が支配した。


 浩太は和室の真ん中で立ったまま、ゆっくりと和室の中を見まわした。


 浩太の眼の前には角野結月ゆづきが座っていて、その横に、麻衣、加納沙紀、横河咲良が座っていた。少し離れたところで、大賀刑事が西出ゆいなを取り押さえている。西出の横には、八十八騎とどろき警部が泡を吹いたまま仰向けに倒れていた。警部の周りを数人の警官が取り囲んでいる。その後ろから、管理人の宮井の心配そうな顔がのぞいていた。


 八十八騎とどろき警部以外の全員が・・・息をのんで浩太を見つめている。


 これって、まるで、名探偵が最後に名推理を披露するシーンにそっくりじゃないか・・・


 静寂の中で、浩太が口を開いた。名探偵になり切って・・・


 「みなさん。どうか落ち着いてください。みなさんが混乱されるのも無理はありません。さくら女子寮の、この読書会のメンバーの誰かが大麻を吸っているなんて、誰もが信じられないことなんです。僕も信じられません。だけど、だけど、僕たちは、その事実を受け入れなければならないんです。真実に向き合うことこそが僕たちにできる唯一のことなのです。そう、真実から眼をそむけることは、誰にも許されないのです。真実に眼を向けましょう。この読書会のメンバーの誰かが大麻を吸っているという真実に」


 誰も何も言わなかった。麻衣たちは、ポカンと口を開けて浩太の話を聞いている。


 「そして、ここにいる角野さんがただ一人、その真実に気づいたんです。それで、角野さんは僕にメッセージをくれたんです。そう、僕だけがわかる秘密のメッセージを・・・角野さん」


 「えっ、は、はい」


 「もう、安心してください。もう、苦しまなくて大丈夫です。角野さん、あなたのメッセージはしっかりと僕が受け止めました」


 角野がまたも間の抜けた返事を返した。


 「はぁ?」


 「角野さん。しっかりしてください。もう大丈夫なんですよ。大麻を吸っていた西出さんは、もう捕まったんですよ」


 角野結月ゆづきが、ビックリした声を出した。


 「えっ、西出さんが・・・大麻を吸ってたんですか?」


 今度は、浩太が思わず「はぁ?」と声を上げた。浩太が首をひねる。


 どうして、角野結月ゆづきが、そんなことを聞くのだ・・・


 角野が恐る恐る浩太に言った。


 「あのう、私、女子泣きさんに・・・メッセージなんて出してませんけど」


 すると、大賀刑事の声が響いた。浩太は大賀刑事の声を初めて聴いた。甲高い声だった。


 「お~い、占部君」


 全員が大賀刑事を見た。大賀刑事の手には、西出ゆいなの包丁が握られている。大賀刑事が手の中の包丁を振り回しながら言った。


 「この包丁・・・段ボールにアルミホイールを貼っただけの・・・おもちゃだよ」


     (つづく)

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