第12話 解読
「あきれた!」
麻衣が 大きく肩をすくめた。さくら女子寮の管理人室だ。読書会の翌日の金曜日の夜。応接セットのソファに座った宮井と麻衣の前で、浩太がうなだれていた。浩太は床に正座をさせられているのだ。麻衣と宮井はソファに座っていて、前のテーブルには紅茶を入れたカップが3つ乗せてあった。
麻衣が浩太に言った。厳しい口調だ。
「それで、占部君は、読書会のメンバーの中に大麻を吸っている人がいると思ったの?」
「は、はい。そうです」
蚊の鳴くような声で浩太が麻衣に答える。いつものように、いつの間にか敬語になっていた。
「あ、あの紙の暗号を解いたら、そ、そういう結論になりました」
麻衣が、再びあきれたという口調で言った。
「暗号? 確かに暗号と言えば、暗号なんだけどね。・・・でも、占部君。いい。もしあなたの言う通りだとして、つまり、あの紙を残したのは角野さんだったとして、角野さんは、どうして大麻のことをあなたに伝えようとしたの?」
「そっ、それは、僕が解決してくれると思ったから・・・」
「解決ってどうするの?」
「そっ、それは、僕が警察に連絡してくれると思ったから・・・」
「では、角野さんはなぜ、わざわざあなたの罰巡回のときに、あの紙を階段などに残す必要があったの? どうして、あなたのお部屋に直接行って大麻の話をしなかったの?」
「そっ、それは・・・犯人に見張られていたから・・・」
「じゃあ、会社に行って・・・会社のメールを使って、あなたに助けを求めればいいだけじゃないの? 犯人は、会社のメールまで眼を光らせることはできないわけでしょ。角野さんは、どうしてそうしなかったの?」
「そっ、それは・・・えーと・・・うーんと。何故なのかな?」
「そうら、ごらんなさい。辻褄が合わなくなるでしょ」
麻衣が明るく笑った。つられて、宮井も笑い出す。浩太は麻衣の顔を見上げた。
「ということは・・・僕の推理は間違っていたの?」
麻衣が笑いながら頷いた。
「その通りよ。あなたの推理は間違いだらけだったのよ」
浩太はがくりと首を落とした。
そんな浩太をソファから見降ろしながら、麻衣が続ける。
「いい。今回の事件の特徴は、占部君の門限破りの罰に合わせて、あの紙が階段や罰巡回のルートに置かれていたということなのよ。そして、あなたの罰が終わると、紙も置かれなくなった。つまり、今回の事件と占部君が受けた罰の間には密接な関係があるわけなの。もし、これがあなたの言うように読書会の誰かが大麻を吸っているということなら、あなたの罰とは何の関係もない話じゃない。そんな大麻の話だったら、あなたの罰が終わると同時に、紙も置かれなくなったことの説明がつかないでしょ」
浩太は再び頭を垂れた。
そ、そうか、確かにその通りだ。き、気がつかなかった・・・
ここで一旦言葉を切って、一息入れると麻衣が続けた。
「だから、この事件は、あなたの罰に関係しているわけなの。で、そう考えると、この事件の全貌が見えてくるのよ」
麻衣の言葉に浩太は飛び上がった。
「ぜ、全貌? 北倉さんは、この事件のことが分かったの?」
麻衣が浩太の顔を見ながら頷いた。
「だいたいね」
「えっ、そ、それは・・・」
「私の推理はね・・・」
そう言うと麻衣は笑いながら、いたずらっ
麻衣が話し出した。
「占部君が言ったように、あの紙に書いてあることは暗号の一種なのね。ここで言う暗号というのは・・・暗号を送る側と送られる側の両方がその解き方を知っている・・・という暗号ではなくて、送られる側、つまり、占部君が解き方を知らないという暗号になるわね。
で、そういった受け取り側が解き方を知らない暗号というのは、推理小説にはよく出てくるわよね。そして、推理小説の中では、それがとっても複雑怪奇な暗号になっていて、名探偵が苦労してそれを解いていくわけなの。でも、私はいつも不思議に思うのよ。だって、暗号といっても、所詮は誰かに読んでもらいたいメッセージなわけなのよね。誰にも読み解いてほしくないというのなら、最初から暗号を残す必要がないわけでしょ。だから、暗号に残すということは、誰かにそのメッセージを読んでもらいたいということに他ならないのね。
それなのに、小説に出てくるような、あんな複雑な暗号にしてしまったら、誰も解けないという可能性もあるわけでしょう。もし誰も解けなかったら、肝心のメッセージがまったく伝わらないじゃない。つまり、暗号を複雑にすることは、暗号を残す側から見ると、すごくリスキーになるわけね。
だから私は、本来、こういう受け取り側が解き方を知らないケースの暗号というものは簡単に解けるものでないと意味がないと思うの。つまり、今回の事件は・・・暗号だから絶対に簡単には解けないようになっているはずだと思い込んで難しく考えると、逆に解決できなくなると思うのよ。暗号だけれども、誰でもすぐに解けるような簡単なものであるはずだと考えて解かないと、返って方向を間違えることになるのよ」
浩太と宮井は、黙って麻衣の話を聞いている・・・
ここで、麻衣はテーブルの上に置いてある紙を手に取った。浩太の罰巡回のときに、階段に置かれていたあの紙だ。
「では、この紙に書いてあるのは、暗号だけれども、誰でもすぐに解けるような簡単なものであるはずだと考えて、この事件を振り返ってみましょう。
占部君が罰巡回のときに見つけたこの紙の表には、『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』と書かれ、裏には、右側に『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』、そして左側に『くーぶ』と書かれているわよね。
何故、文章が表と裏に分かれているのか?・・・
簡単に考えてみましょう。それは・・・分ける必要があったのよ。
そう考えると・・・表に書かれているのは犯人が送ったメッセージで、裏に書かれているのが暗号を解くヒントだということに気付くはずよ」
浩太は「あっ」と声を上げた。そうだったのか! 表と裏の違いにまで、気が回らなかった・・・表と裏の違いが重要だったのか・・・
麻衣がチラリと浩太を見た。「その通りよ」と言うように、にっこりと笑うと、話を続けた。
「では、ここも単純にそう考えて、裏側のヒントからお話を進めてみましょう。
まず、『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』というのはこの前も言ったように沖縄・奄美地方の古い歌で、『まお』は草の名前なのね。『まお』というのは沖縄地方の呼び方で、和名をカラムシというの。日本では昔から繊維をとる草として栽培され、いまでは野生化して日本各地で見られるのよ。つまり、『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』という歌は、『まお』という草から採れた糸をよりあわして手縄にするという意味なの。ここまでは前にも言ったわね。
ここで、『もで合わす』というのは、何本かの糸を持ってきて1本に合わせるという意味。だからこの歌は、単純に意味から言うと『まおを持ってきて合わせる』、つまり『まおを合わせる』ということを言っているのね。そこで、これが誰でも解けるような暗号のヒントだとすると・・・ここに書いてある通りに読めばいいのよ。だから、『まおを合わせる』とは、『ま』と『お』を合わせる、つまり『ま』と『お』を入れ替えるという簡単なことを表していると思うの」
再び、浩太の口から「あっ」と声が出た。北倉さんの話は驚くことばかりだ・・・
麻衣の話は続く。
「次に、『くーぶ』だけど、さっきの『まおの糸は・・』の歌が沖縄を表しているならば、単純にこれも沖縄の言葉と考えればいいのよ。沖縄の言葉で『くーぶ』というのは『こんぶ』のことなの。ここで、『沖縄』、そして『こんぶ』とくると、『昆布ロード』がすぐに思い浮かぶのね。
『昆布ロード』というのは、昔、薩摩藩が中国の清に昆布を密輸していて、その密輸ルートのことをいうのよ。具体的には、江戸時代に、財政の逼迫した富山藩と薩摩藩が密かに手を結んでね、蝦夷地で収穫された昆布を北前航路で、蝦夷地から富山を介して薩摩に運んで、薩摩から琉球王国に渡して、清国に売っていたのよ。薩摩藩はこの密貿易で得た利潤で財政を立て直し、倒幕へと向かったともいわれているわ。
つまり、『くーぶ』も深く考えずに単純に解釈すると、沖縄と富山を指しているということなの。
ここで整理してみましょう。紙の裏に書かれた『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』と『くーぶ』は、表の暗号を解くヒントを表していて、それは・・
・『ま』と『お』を入れ替えること
・沖縄と富山で考えること
という二つのヒントになるのよ」
麻衣はここで言葉を切った。眼の前の紅茶を飲み干す。浩太は感心して言葉もなかった。
北倉さんって何てすごいんだろう・・・
浩太が憧れの眼で麻衣を見る。麻衣はそれに気づかない様子で話し出した。
「それで、この二つのヒントで、表の『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』を考えればいいのよ。ここで、『ま』と『お』は、『まちんちん』の『ま』と、『おぶらい』の『お』の二つよね。『御札』にも『お』があるけど、これは漢字で書かれているから除外しましょう。では、占部君、この表の文章を、『ま』と『お』を入れ替えてみて・・・私は女性なので、とても口に出せないから・・・占部君、あなた、『ま』と『お』を入れ替えて読んでみてくれない」
麻衣が、テーブルの上に乗せてあった別の紙を手に取って、浩太に渡した。
「えっ、わ、分かったよ。・・・『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』の『ま』と『お』を入れ替えると・・・」
浩太は紙を見ながら答えた。
「ええと、『おちんちんかくのがんばれ まぶらい様の御札』になるね。えっ、『おちんちんかく』って、なにっ? こ、これ?」
麻衣が笑った。
「そこで、もう一つのヒントの富山の出番となるのよ。それは、富山の方言で『正座をすること』なのよ。次の『がんばれ』は富山の方言でも『がんばれ』なの」
「ええっ、すると『おちんちんかくのがんばれ』は富山の方言で、『正座をがんばれ』ということ。では、これって?」
「そう。三年正座をさせられていた、占部君、あなたへの『正座をがんばれ』っていう応援メッセージなのよ」
浩太は驚いた。
「ええっ。あの三年正座をさせられたとき、僕は寮生のみんなから厳しいことをたくさん言われたけれど、中には僕を応援してくれてる人もいたのかぁ。・・そうか。誰かが僕を応援してくれていたんだね。知らなかったなぁ。・・・でも、つぎの『まぶらい様の御札』というのは何なの?」
「さっきは富山で考えたから、今度は沖縄で考えることになるのよ。そこで、『まぶらい様の御札』を沖縄地方の言葉で解釈してみるのよ。そうすると、答えがみえてくるわ。
この『まぶらい』とは奄美大島の言葉なの。もともとは、死んだ人の魂が、残された人の心の中で残された人を護ることを『まぶらい』といったようなんだけれど、いまは意味が広がっていて、自然の恵みを受けて、感謝しながら生きることを幅広く意味する言葉なのよ。そして、『御札』とは、奄美大島では神様がやどるものなの。神様が宿るということは、神様が助けてくれるという意味になるでしょ。だから、『おぶらい様の御札』で、大自然への感謝の気持ちを持てば、神様が助けてくれるということなのよ」
浩太は麻衣の言葉を整理するように繰り返した。
「つまり、あの紙に書かれていた『おぶらい様の御札』は、本当は『まぶらい様の御札』で、沖縄地方の言葉で解釈すると・・・」
麻衣が後を続けた。
「そう。『おぶらい様の御札』は、『大自然への感謝の気持ちを持てば、神様が助けてくれる』という意味になるの・・・」
「では、表に書かれた『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』という全体の意味は・・・」
麻衣が大きく頷いた。そして、輝くような笑顔を見せると、浩太に言った。
「全体を通して解釈するとね、つまり、『正座をがんばれ。大自然に意識を向ければ、正座が苦しくても神様が助けてくれる』という意味になるのよ。占部君。これは、三年正座の厳しい罰に必死に耐えている、あなたに対する大きな、大きな応援メッセージだったのよ」
(つづく)
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