第10話 読書会

 木曜日になった。


 浩太は麻衣に言われた通り、午後9時に共通スペースの和室に出向いた。八十八騎とどろき警部から渡された黒い箱は、シャツの胸のポケットに入れてある。


 ここに入れておけば、何があっても、すぐにスイッチが押せるはずだ・・・


 和室のドアを開けると、もう浩太以外の5人のメンバーはそろっていて、和室の中央にある座卓の周りに座って浩太を待っていた。座卓の上にはお菓子やジュースが並んでいて、いくつかは、もう封が開けられている。だいぶ前からおしゃべりが続いていたようだ。八十八騎とどろき警部が言ったような・・・大麻パーティーといった雰囲気は微塵もなかった。


 しかし、浩太は気を引き締めた。


 まだまだ、分からないぞ・・・


 それに、この中の誰かが角野さんで、この中の他の誰かが、その角野さんの命を狙っている大麻の常習者なんだ・・・


 浩太は5人の女性に頭を下げた。


 「こんばんは」


 5人の女性たちも浩太を見て、口々に「こんばんは」と頭を下げる。


 麻衣が腰を動かして席を開けて、浩太を自分の右横に座らせると、お菓子をつまみながら口を開いた。今日の麻衣は、水色の縞模様のTシャツに、白のショートパンツだ。


 「それでは、みんな、そろいましたので、今週の読書会を開きます。今週のテーマは、『あっと驚く推理小説』です。それで、今週から占部さんが参加されることになりましたので、最初にみんなで自己紹介をしたいと思います。


 まず私ですが、この会の部長をしています寮長の北倉麻衣です。東京の研究所の研究員です。よろしくお願いしまあす」


 みんな、夕食を済ませたであろうに、パクパクとお菓子をつまみながらしゃべっている。しかし、浩太は緊張した。


 この中に角野さんがいる・・・誰がいったい角野さんなんだ?・・・


 麻衣に次いで、麻衣の左隣の女性から順に浩太に向かって声を上げた。


 「加納沙紀です。本社の経理部に勤めています。よろしくお願いいたします」


 狩野は小柄で、髪の長い、かわいい女性だ。薄いピンクのブラウスと、同色のショートパンツで決めている。


 「西出ゆいなです。本社の総務部に勤めています。よろしくお願いしまあす」


 西出は大柄な美人だ。髪はショートボブで、今日はシックな青系統のブラウスと黒いフレアのロングスカートだ。


 「横河咲良です。研究所の研究員です。北倉さんの隣の研究室です。よろしくお願いします」


 横河は知的な顔つきをしている。派手な化粧だが、かわいげのある顔だ。明るい赤のシアーブラウスに白のパンツという、日の丸のような服装だ。


 最後に、浩太の右隣の女性が挨拶した。


 「角野結月ゆづきです。私は自宅から会社に通っていたんですが、通勤が大変なので、少し前ににさくら女子寮に入寮しました。本社の企画部です。よろしくお願いします」


 彼女が角野さんか・・・


 浩太は右隣にいる角野を見た。


 角野は黒縁の丸メガネを掛けて、髪の毛を頭の上にお団子に結っている。丸メガネは度の入っていない、おしゃれメガネのようだ。グレーのTシャツに同色の短パン姿だ。短パンからスラリと足が畳に延びている。


 角野の挨拶が終わると、麻衣が浩太をうながした。


 「では、占部さん。自己紹介をお願いします」


 浩太は5人の女性に向かって、もう一度ゆっくりと頭を下げた。


 「はい。僕は本社営業部の占部浩太と申します。先日、大阪営業所から転勤してきました。今日は初めてこの読書会に・・・」


 すると、浩太を黙って見つめていた西出ゆいなが、突然声を上げた。


 「挨拶しなくても、みんな、あなたのことは知ってるわ。女子泣き君よね」


 浩太は眼をむいた。


 「じょ、女子泣き・・くん?」


 「そう、女子泣き君。・・・あなた、この前、食堂でミニスカートを履かせられて、三年正座をさせられて、みんなの前で女子泣きしてたでしょ。あれから、みんながあなたのことを女子泣き君って呼んでいるわよ」


 「・・・」


 すると、今度は横河咲良が声を上げた。


 「以前、寮生大会で、北倉さんが占部君のことをって、みんなに説明してたけど、本当にそうだったのね。この前、占部君が食堂で泣いてるのを見たら、私、本当に占部君が女の子に見えてきちゃった」


 加納沙紀も負けじと言った。


 「私も、そうよ!・・・占部さんが女子泣きするのを見たら、本当の女の子に見えてきて、思わず駆け寄って、占部さんを抱きしめてあげたくなっちゃった」


 加納沙紀の言葉を聞いて、みんなが笑い出した。


 女子泣き君・・・女の子みたいな男の子・・・


 浩太は真っ赤になった。眼の前の女性たちが笑いながら、次々と声を上げた。


 「だから、女子泣き君のことはよく知ってるよー」


 「あのときは、大変だったわねー」


 「今日はもう泣かなくっても大丈夫よー」


 「何があってもね、私たちが守ってあげるわ」


 「でもね、今日、ここにいるお姉さんたちが怖かったら、また泣いてもいいのよ」


 最後の言葉に、ひときわ大きな笑いと拍手が起こった。


 予期せぬ展開に、浩太は言葉もなかった。なんと、命を狙われている角野結月ゆづきまでもが、大口を開けて笑っているのだ。すると、西出ゆいなが笑いながら、とんでもないことを言い出した。


 「女子泣き君って、とってもいい名前よ。ねえ、この読書会では占部さんのことを女子泣き君って呼ぶことにしましょうよ」


 女性たちが「賛成」、「いいわねー」、「女子泣き君って名前、ステキ」と声を上げる。


 女性たちの声を受けて、西出ゆいなが麻衣に「北倉さん。女子泣き君でいいわよね?」って聞くと、麻衣が浩太の意見も聞かず「いいわよ」と答えたので・・・浩太が何も言わないうちに、浩太を女子泣き君と呼ぶことが決まってしまった。


 すると、麻衣が言った。


 「それでは、読書会を開始しましょう。『あっと驚く推理小説』について、順に読んできた本についてお話してください。誰からお話しますか?」


 「はい」と横河咲良が手を上げた。


 「それでは、私からお話します。私が読んだ推理小説は・・・」


 読書会が始まった。浩太は、加納沙紀、西出ゆいな、横河咲良の3人から眼が離せなかった。麻衣と角野結月ゆづきを除くと、大麻の常習者で、角野結月ゆづきを殺そうとしているのは、この3人の中の誰かということになる。


 いったい誰なんだ?・・・


 浩太は、シャツの胸ポケットに手をやった。指で、八十八騎とどろき警部から渡された、あの黒い箱が入っていることを確かめる。


 A警察署では、八十八騎とどろき警部と、あの寡黙な大賀刑事がスタンバイしているはずだ。何かあったら、すぐにこのスイッチを押さないと・・・


 座ったままで、横河咲良がメモを見ながら話し始めた。


 「私が読んだ推理小説は『モルグ街の殺人』です。ネットで公開されているので、それを読みました。まず、この話の概要なんですが・・・この小説は、エドガー・アラン・ポーが、1841年に発表した短編です。物語は、パリのモルグ街で起こった母娘の残虐な殺人事件を中心に展開します。事件現場は密室であり、複数の証言者が異なる言語で叫ぶ声を聞いたと証言します。そこに、名探偵C・オーギュスト・デュパンが登場します。デュパンは、鋭い観察力と分析力を駆使して、あっと驚く、意外な犯人を突き止めます。犯人は言いませんよ」


 横河咲良の言葉に、他の女性たちから笑いが起こる。「犯人、教えてー」と加納沙紀が言うと、横河が「ダメ―」と答えてアカンベエをしたので、和室が笑いの渦に包まれた。


 笑いの中で、横河咲良がメモを見ながら続ける。


 「この作品は、史上初の推理小説とされており、後の推理小説に多大な影響を与えました。つまり、この『モルグ街の殺人』によって、名探偵と語り手のコンビ、密室殺人、意外な犯人像など、現在の推理小説の基本的な要素が確立されたと言えるのです。以上が、この小説の概要です。で、ここからが、私の感想なんですが、この推理小説を読んで・・・」


 横河咲良はお菓子を食べながら、面白おかしく、自分の読んだ推理小説の感想を話している。周りの女性たちも、お菓子やジュースを口にしながら、横河咲良の話に対する感想を自由に述べあっていた。何度もキャーキャーといった嬌声や、ワハハハハといった笑い声が起こった。浩太は女性たちの話と嬌声と笑い声を黙って聞いていた。


 なんとも平和な光景だった。大麻なんて嘘みたいだ。でも、油断はできない・・・


 「・・・私の発表は以上でぇす」


 横河咲良の発表が終わった。みんながパチパチと拍手をする。浩太も拍手を送った。


 横河咲良の次には、問題の角野結月ゆづきが手を上げた。浩太の緊張が高まる・・・


 角野がスナック菓子を頬張りながら、横に置いてあったトートバックから一冊の本を取り出した。赤と黒のケバケバしい表紙に注射器の絵が描いてある。角野も座ったままで、話し出した。


 「私はこの本を読みました。タイトルは『告発』です。作者は大間欣二という人です。この小説は・・・」


 浩太は驚いた。


 タイトルが『告発』だって・・・こ、これは、大麻のことを告発する角野さん自身のことじゃないか! 


 それに、作者が大間欣二だって。『大間』は『たいま』と読めるし、『欣二』は『きんじ』・・・『きんし』・・・『禁止』だ。これって、『大間欣二』は『大麻禁止』ってことじゃないか!


 す、すると・・・角野さんは、今日の読書会で、大麻のことをみんなに話すつもりなんだ!


 何という思い切ったことをするんだ! 角野さんは命を狙われているんだ。そんなことをしたら、この場にいる犯人を刺激するだけじゃないか! 危ない! やめるんだ!


 思わず、浩太の口から大きな声が出た。


 「ちょっと、待ったぁ!」


 角野が驚いて浩太を見た。角野の口から、「ヘッ」という頓狂とんきょうな声が漏れた。黒い伊達眼鏡がずり落ちて、鼻に掛かった。


 周りの麻衣、加納沙紀、西出ゆいな、横河咲良も驚いた顔で、浩太を見つめている。無理もない。今まで、ずっと黙っていた浩太が突然大声を上げたのだから・・・


 叫んだものの、浩太は言葉に窮してしまった。まだ、誰が犯人か分からないのだから、ここで大麻の話をするわけにはいかない。


 女性たちが浩太を見つめている・・・


 どうしよう? 何か言わなければ・・・


 加納沙紀が不思議そうに聞いた。


 「どうしたの? 女子泣き君」


 浩太は咄嗟に嘘をついた。


 「じ、じつは、僕も角野さんと同じ『告発』を読んできたんです。で、ですから・・・あ、あとで、角野さんと一緒に、『告発』の感想を発表したいなと思って・・・」


 浩太はもちろん『告発』なんて小説は読んだことがない。作者の大間欣二も知らなかった。浩太が読んできたのは、江戸川乱歩の推理小説だった。架空の私立探偵、明智あけち小五郎こごろうが出てくる話だ。ネットで公開されていたのだ。


 しかし、浩太の言葉で角野は納得したようだ。角野がにっこりと笑うと、みんなに言った。


 「まあ、そうなんですか? それは偶然ですね。では、私は、あとで、女子泣きさんと一緒に発表します」


 角野は浩太より年下だ。それで、女子泣きと言わずに、女子泣きと言ったようだった。


 すかさず、西出ゆいなが手を上げた。


 「じゃあ、私が発表しまぁす」


 浩太が麻衣を見ると・・・怖い顔で浩太をにらんでいた。「やっぱり、角野さんと・・・」という顔だ。浩太は、違うんだという意味で、麻衣に軽く手を振って見せたが、麻衣はフンという感じで顔をそむけた。


 今までの横河咲良と角野結月ゆづきは座ったまま話していたが、西出ゆいなは立ち上がって話し出した。


 「私が読んだ推理小説は、ネットの小説投稿サイトに投稿されていたものです。タイトルは『小紫こむらさき君、ダンスを踊ろ』というもので、作者は永嶋良一という、私の知らない一般の人です。このお話の主人公は、地方都市の高校に通っている高校生の男の子なんですが、この男の子は『すき』という言葉を聞くと踊り出すという、とんでもない癖を持っているんです。で、この男の子が、同級生の女の子と組んで、高校の怪談になっている、『おくねさん』という幽霊の謎に挑むんですが・・・。その女の子がダンス部の部長をやっていて、男の子が躍る、いろんなダンスの振り付けを考えるんです。で、『すき』という言葉を聞いて踊り出す男の子の、このダンスが、もう奇想天外で笑えるんですよ。そうなんです。この話、推理小説なんですが、笑いの要素が一杯入っていて、私、読んでて大笑いしました。・・・」


     (つづく)

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