第7話 おぶらい様
「そういうわけで、管理人さんと北倉さんに相談しようと思って」
浩太が言った。麻衣と一緒に管理人室を訪問している。浩太が 門限破りの罰である・・・共有スペースの1階から3階までのトイレの掃除、食堂での三年正座、深夜の女子寮内の罰巡回・・・を初めて開始した日から9日が経っていた。
門限破りの罰は1週間続けなければならない。しかも、トイレ掃除は初日に罰監の田代から不合格を告げられたので、1日延長になってしまった。そのトイレ掃除なのだが、田代に不合格と言われた後・・・浩太は麻衣に掃除のアドバイスをもらって・・・二日目からは、なんとか田代にも合格をもらうことが出来たのだった。
このため、トイレ掃除だけが1日延長になったので・・・三年正座と罰巡回が一昨日まで、トイレ掃除が昨日まで続いていたのだ。こうして、一連の罰は昨日にようやく全て完了したというわけだ。
今日は土曜日だ。浩太は久しぶりに朝ゆっくり眠ることができた。なにせ門限破りの罰を実行しだしてからは、会社から定時に帰って、午後6時から共有スペースの1階から3階までのトイレの掃除をして、その後、続いて食堂で三年正座をさせられて、田代が三年正座を解く許しを与えてくれるのがいつも開始から2時間後で、それから麻衣が作ってくれた手作りお弁当を食べて、深夜1時から女子寮内の罰巡回・・・というスケジュールを繰り返していたので、このところ、浩太は本当にゆっくりと寝る暇もなかったのだ。
だが、これら一連の罰のお陰で、浩太はすっかり会社から早く帰る習慣がついてしまった。
管理人の宮井と麻衣が応接セットに座って、先日、浩太が罰巡回の際に見つけた不思議な紙を机の上に並べて眺めている。
紙の表には大きく墨で『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』と書かれている。裏は2行に分かれて表と同じく墨で右側に『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』、そして左側に『くーぶ』と書かれていた。
罰当番の初日の罰巡回で浩太がこの紙を見つけて・・・それ以降も罰巡回のたびに、共通スペースの1階から3階までの階段のどこかに、あるいは罰巡回のルートのどこかに必ず同じ紙が貼られていたのだ。そして、浩太の罰巡回が終わると、もう紙は貼られなくなっていた。浩太は1週間の罰巡回の間、毎日同じ紙をどこかで見つけたことになる。したがって、紙は7枚あった。1枚を麻衣が持ち、残り6枚を浩太が持っていた。
「ところで、占部さん。あんた。罰当番はどうじゃったかいのう?」
宮井が笑いながら聞いた。
「もうこりごりです。北倉さんが『罰当番を経験したら、みんな門限破りを二度としたくなくなる』と言ってましたが、僕もまったく同じ気持ちです。それに、実際、このところ、ずっと会社から早く帰っていましたので、すっかり、早く退社する習慣が身についてしまいました」
麻衣が笑いながら、浩太の顔を見た。
「そう、それはよかったわ。会社から早く女子寮に帰る習慣を身につけさせるのが、罰の目的ですからね。占部君には罰の効果があったみたいね。でも、三年正座はきつかったでしょう? 占部君も三年正座はこたえたようね?」
今日の麻衣は白のTシャツに花柄の赤いロングスカートという出で立ちだ。麻衣の笑顔がTシャツの白にはじけた。
浩太は頭をかいた。
「三年正座は北倉さんが言っていたように本当に拷問だったよ。僕も田代さんが毎日決まって、開始して2時間たったらOKを出してくれたんで、『2時間耐えればいい』と思ってなんとか持ちこたえられたんだよ。それでも初日は、田代さんがいつ許してくれるか分からなかったんで、僕も『許してください』と泣いて叫んでしまったけれどね。だから、毎日、もし田代さんがいつOKを出してくれるか分からないという状態だったら、とても持ちこたえられなかっただろうなあ。・・・三年正座は、もうこりごりだよ」
「占部君は、えーと、罰監の田代さんのチェックでは、トイレのお掃除が1回だけ不合格で、トイレ掃除を1日分延長させられただけなのね。占部君、優秀じゃない。そして、三年正座では田代さんは、毎回開始から決まって2時間でOKを出してくれたということなのね。でも田代さんはどうして毎回2時間で占部君を許してくれたのかな?」
浩太は驚いて麻衣を見た。
「えっ、どういうこと?」
「田代さんは、仕事でも何でもすごく厳格な人でね、一切妥協をしないのよ。私はてっきり毎日占部君が、5,6時間は正座をさせられると思ってたの。だから、2時間で許してもらえるとは予想外だったわ。三年正座が2時間だったら短い方だよ。以前に罰監は田代さんじゃなかったけど、ある寮生が三年正座で6時間も正座させられたことがあったのよ。はじめはその子もずっと我慢してたけど、最後は泣き叫んでやっと罰監に許してもらったのよ」
浩太はぶるっと身体を震わせた。
「えーっ、女子寮の規則破りの罰ってすごいんだね。なんか残酷だな」
麻衣が浩太を軽くにらんでみせた。
「そうよ。女子寮だからって甘く見てると大変なことになるわよ」
二人のやり取りを笑いながら聞いていた宮井が、そこで話題を変えた。
「で、罰当番の罰巡回で、占部さん。あんたが、これらの紙を見つけたというわけなんじゃな」
浩太は頷いた。
「そうなんですよ、宮井さん。この紙に書いてあることは、何かさくら女子寮に関係があるんでしょうか?」
宮井が眼の前の紙を一枚手に取った。
「えーと、どの紙も書かれていることは同じじゃな。・・・それで『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様』ねぇ。いや、あんた、さくら女子寮ではこんなことは聞いたことがありゃせんぞな。これはいったい何じゃろうかいのう?」
「そうなんですか。北倉さんは何か分かる?」
麻衣が手に持っていた手帳を開いた。
「実はね、あれから、私、調べてみたのよ。それでね。いくつか分かったことがあるのよ」
「えっ、どういうこと? 何が分かったの?」
「あのね、『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様』と『くーぶ』は結局よく分からなかったんだけど、この『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』というのは分かったわ。これは歌だったのよ。6文字、7文字、4文字のリズムで、なんだか歌みたいでしょ。それで歌で調べてみたら、分かったのよ」
浩太も紙を一枚取り上げた。
「へぇー、これは歌だったのか?」
「そう、『まおの糸は・・』というのは古い歌で、『おもろさうし』という歌集に収められているの。『おもろ』というのは、沖縄や奄美の島々で謡われた古い歌謡のことで、琉球王国がこれを編纂して『おもろさうし』という和歌集にしたのね」
浩太は首をひねった。
「琉球王国? 沖縄や奄美? さくら女子寮やA市と何か関係があるのかなあ?」
「うーん。さくら女子寮と沖縄や奄美との関係は聞いたことがないわね。・・・」
「じゃあ、さくら女子寮の寮生の中に、沖縄や奄美に関係がある人がいるのかな?」
麻衣は首を振った。
「そういうことは個人情報でしょ。だから、私にも宮井さんにも分からないのよ。でも、沖縄や奄美に関係がある寮生というのは、聞いたことがないわね」
「ふーん・・・」
浩太が紙を見ながら考え込んでいると、麻衣が「それでね・・」と口を開いた。浩太が麻衣の顔を見る。天井からのLED電灯の光に麻衣の顔が輝いて見えた。
浩太の胸がキュンとなる・・・
こうして、北倉さんをいつまでも見つめていたい・・・
浩太の思いには気づかぬ様子で・・・麻衣が続けた。
「この『まおの糸は・・』の歌の意味なんだけど、『まお』というのは草の名前で、この歌は『まお』という草から採れた糸をよりあわして手縄にするという意味なのね」
浩太は再び手の中の紙に眼を落した。麻衣が言っているのは、『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』の部分だ。
「へぇー。でも、僕にはさっぱり分からないよ。一体誰が、こんな紙を、僕が罰当番をするのに合わせて、毎日、階段に張り付けたんだろう? どんな意味があるのかな?」
すると、宮井が首をひねりながら言った。
「不思議な話じゃなあ。私も、さくら女子寮で、こんなことは初めてじゃいな。・・・しかし、まあ、占部さん。あんた、ゆっくり考えたら、ええがな、これは、事件といえば事件じゃが・・・急いで解決する必要はなさそうじゃ。じゃから、ゆっくり考えたら、ええがな」
その宮井の言葉が結論のようになって、集まりはお開きとなった・・・
その日の午後、浩太は自室でベッドに寝転びながら、あの紙に書かれた文字の意味を考えていた。手には問題の紙を持っている。
『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』・・・
『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』・・・
『くーぶ』・・・
これはきっと何かの暗号だ・・・
浩太は過去に読んだ推理小説を思う浮かべた。小説の中では、数々の暗号が解き明かされている。だが、どれにも当てはまりそうになかった・・・
暗号だから、絶対に簡単には解けないようになっているはずだ。どんな複雑なからくりがあるんだろう。
北倉さんは、『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』は、琉球王国時代の沖縄や奄美の古い歌だと言っていた。『まお』という草から採れた糸をよりあわせて手縄にするという意味だ。しかし、この歌の意味が分かっても・・・そもそも、どうして、そんな意味の歌が書かれているのかが分からない。
では、これ以外の『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』と『くーぶ』の意味は?・・・
分からないなぁ・・・
そもそも、この『おぶらい様』って何なんだろう?
『おぶらい様』・・・『おぶらい』・・・『おふらい』・・・『オフライン』・・・
ん?・・・
浩太はベッドから身体を起こした。『オフライン』なら分かる・・・
オフラインとは一般的には『インターネットにつながっていない状態』を指す言葉だ。寮のインターネットは無線LAN、つまり、Wi-Fiで、寮の中ならどこでもインターネットに接続できたはずだが?
では、『おぶらい様』が『オフライン』を指しているとすると、寮の中で、インターネットにつながりにくい場所をさしているのだろうか? でも、その場所はどこだろう? 浩太は考えた。そうか、トイレだ。トイレではインターネットにつながりにくいとよく聞くもんなあ。
では、『まおの糸は・・』の歌は何を意味してるんだろう。
さっき、北倉さんは、『まお』という草から採れた糸をよりあわして手縄にするという意味の歌と言っていたが、手縄にするというのは、パソコンに電源コードを引くということだろうか? つまり、トイレに電源コードを引いて、パソコンでインターネットにつながりやすくするということなんだろうか。・・・
浩太は頭を振って、その考えを打ち消した。
どうも違うなあ。これは暗号なんだから、もっと複雑なはずだ。
では、『おぶらい様』の『お』と『様』は丁寧表現でつける語だから、それらを除くと・・・これは『ぶらい』だ。
『おぶらい様』・・『ぶらい』・・『ふらい』・・
浩太の頭に『風来坊』という言葉が浮かんできた。
『風来坊』の『ふうらい』とは、どのような意味なんだろうか?・・・
浩太はさっそくインターネットで調べてみた。すると、『ふうらい(風来)』とは、『風に吹き寄せられたように、どこからともなくやって来ること。または、やってくる人』とある。もし、『おぶらい様』が『おふうらい様』ならば、『風に吹き寄せられたように、どこからともなくやって来た人』を表す『ふうらい』に、『お』と『様』をつけた表現になるわけだ。
つまり、『さくら女子寮にどこからともなくやって来た人』という意味になるが・・・?
ん?・・・ええっ、これって、ひょっとして・・・
浩太はベッドから飛びあがった。
(つづく)
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