第6話 三年正座
浩太は田代に命じられるままに、裸足で小石の上に上がった。石の鋭角な角が足に当たる。
こ、こんな石の上で正座をするのかぁ・・・
浩太は小石の上に立ったまま、思わず動きを止めた。
すかさず、田代の声が食堂の中に響いた。
「さぁ、何をしてるの! 早く正座をしなさい!」
やむなく、浩太はひざを折り曲げて・・・そのまま、小石の上に正座をした。石特有のヒヤリと冷たい感触が素足にふれた。小石の角がごつごつと浩太の素足に当たり、皮膚を通して身体に食い込んでくる。浩太は思わず「ウッ」と声を上げた。
食事中の寮生がみんな食事の手を止めて、黙って好奇の眼で浩太を見つめている。シンとなった食堂の中に田代の甲高い声が大きく響きわたった。
「これから、私が30分ごとにチェックに来ます。私が許すまで正座をしたままでいなさい。ちょっとでも身体を動かしたら不合格よ。いいわね」
田代はそう言うと、浩太を残してスタスタと食堂を出て行った。食堂の中の誰かが「田代さん、かっこいい」というのが聞こえた。
田代が出て行くと・・・食堂の中はすぐにいつもの喧騒に戻った。寮生たちは誰も浩太に注意を払うことなく、いつものように
浩太は頭を垂れて、両手を両ひざの上において眼をつむっていた。ミニスカート姿で正座させられているところをみんなに見られていると思うと、恥ずかしくて、とても眼を開けていられる状況ではなかったのだ。小石がジンジンと足に食い込んできた。正座した足が早くもしびれていた。浩太は痛みとしびれと恥ずかしさに歯を食いしばった。
涙があふれてきて、かすかに太ももを覆っているミニスカートの布を濡らした。
長い、長い30分がようやく経過すると、再び田代が食堂にやってきた。田代は腕を組んで浩太の前に立ち、しばらく浩太を黙って見下ろしていた。浩太は何とか「許す」と言ってほしいと願って・・・苦痛にゆがむ顔で田代の顔を見上げた。そして、許しを眼で田代に懇願した・・・
浩太の懇願は田代に十分に伝わったはずだが、やがて田代はクルリと後ろを向くと、そのままひとことも言わずに立ち去ってしまった。
田代の態度に打ちのめされて、浩太の眼から再び涙が流れた。大きな敗北感が身体中を駆け巡った。泣き声が漏れそうだったが、喉元でやっとこらえた。食堂の中の女子寮生たちの中から、「見て。見て。また女子泣きしてるわよ」、「女子泣きして同情を引こうとしているのかしら?」、「泣いたって許してもらえないのにね」、「いつ、許してくださいって泣き叫ぶか楽しみね」・・・といった声が容赦なく浩太に浴びせられた。
1時間経過後も、1時間半経過後も同じだった。浩太は涙眼で田代を見上げ、「もう許してください」と許しを眼で懇願したが、田代は何も言わず、浩太をしばらく眺めただけで黙って立ち去るだけだった。そのたびに浩太は大きな敗北感を味わった。
三年正座の開始から2時間が経過した。田代がまた食堂にやってきた。もう午後11時を過ぎていて食堂の中は誰もいない。さくら女子寮の夕食は午後10時で終了だった。田代は両手を腰に当てて浩太の前に立ち、相変わらず、浩太を黙って見下ろしている。
足の痛さとしびれは限界に来ていた。下半身全体がしびれていて感覚がまったくなくなっている。浩太が履いているミニスカートは、涙でぐっしょりと重くなっていた。
浩太は田代を見上げた。田代は依然として黙ったままだ。
もう限界だ・・・
とうとう、浩太は泣きながら大声を出した。
「た、田代さん・・・ど、どうか・・・ゆ、許してください。も・・・もう・・・二度と門限破りは致しません」
その叫びと同時に、浩太の身体から力が一気に抜けた。浩太の身体が前に倒れた。それを見た田代が無機的に言った。
「OK。今日はこれでOKよ」
そして、田代はクルリと後ろを向いて、何事もなかったかのようにさっそうと立ち去っていった。
「OK」の言葉に安堵した浩太は床に両手をついて、手の力だけで、小石が敷いてある木枠から何とかはい出した。足を動かしたはずだが、すっかりしびれてしまっていて、足が動いているという感覚がまったくしなかった。浩太は、足を木枠から出すと、身体を投げ出すようにして床に倒れこんでしまった。
少しして、スタスタという足音が食堂に入ってきた。足音は、浩太が倒れている手前で止まった。すると、誰かが浩太にやさしく声を掛けてくれた。
「占部君。大丈夫?」
浩太が顔を上げると、麻衣が心配そうにのぞき込んでいた。浩太の顔を見て、麻衣がやさしく両手を差し出す。麻衣の顔が女神のようだ。浩太はたまわず、麻衣の胸に顔をうずめて泣き出してしまった。その背中をやさしく麻衣がなでていた。
それから、浩太の足のしびれが消えて何とか歩けるようになるまで、ゆうに30分はかかった。何とか歩けるようになると、浩太は麻衣に肩を支えられて、やっとの思いで自分の部屋に戻ったのだった。浩太の部屋に入ると、麻衣は手作りの弁当を出してくれた。
「はい。これ。私、陰でそっと三年正座の様子を見てたんだけど。・・・寮の夕食の時間は、午後10時で終了でしょ。でも、午後10時までに三年正座で田代さんがOKを出してくれるとはとても思えなかったのよ。・・・それで、私が2階の炊事室でお弁当を作ってみたの。お味は保証しないけど、もし良かったら占部君、食べてくれる」
麻衣が明るく浩太の顔をのぞきこむ。麻衣のやさしさに、浩太の眼がしらがまた熱くなった。
「あ、ありがとう。北倉さん。恩にきます」
そう言って、浩太は麻衣の弁当を夢中で食べ始めた。
「大変だったね。三年正座はつらかったでしょう?」
麻衣の言葉に浩太は「うん」とうなずくのが精いっぱいだ。足はまだジンジンと痛んでいる。麻衣が済まなさそうに浩太に言った。
「今度は1時から罰巡回だよね。つらいのにごめんね」
浩太は首を振った。
「いいよ。北倉さんは気にしないで。もとはと言えば門限を破った僕が悪いんだから」
すると、麻衣がスカートのポケットから紙を取り出した。
「食べてるところ、申し訳ないんだけど・・・これがね。罰巡回のチェックシートなの。共有スペースを中心に、1階から順に3階を回って、扉が閉まっているか、ガスの元栓は閉まっているかといったことをチェックシートに沿って調べるだけだよ。チェックシートは明日の朝に私に渡してね」
「ありがとう。・・・もう、遅いから、北倉さんは休んで。後は、僕がやるよ」
「そう・・・じゃあ、私、休むわね。何かあったら遠慮なく私を起こしていいからね」
そう言って、麻衣は隣の自分の部屋に戻っていった。
深夜になった。浩太は罰巡回でさくら女子寮の中を歩いて見回っていた。麻衣の作ってくれたチェックシートにはチェック項目が、巡回する順路に従って共有スペースの1階から順に書かれていたので、チェックはしやすかった。寮の共有スペースや廊下は防犯のために夜間でも明かりがついている。
もう夜中の1時をとうに過ぎていた。さすがに、こんな時間には寮生は誰も見かけない。
1階を終わり、2階を終わって、共有スペースの階段を2階から3階に上がろうとしたときだった。
浩太は、階段の段と段の間の垂直部分、いわゆる階段の
表に大きく『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』と墨で書かれている。かなり達筆だ。浩太は紙を裏返した。裏は2行に分かれて表と同じく墨で文字が記入してあった。右側に『まおの糸は もで合わしやり 手縄せ』、そして左側に『くーぶ』という文字が見えた。
浩太は呆然とその紙を眺めた。
何だろう、これは?・・・何かのメモのようだが・・・おぶらい様の御札?・・・
考えたが、浩太に意味が分かるわけもない。
捨ててしまおうかとも思ったが、『御札』と書いてある紙をむやみに捨てるわけにもいかない。やむなく、浩太はその紙をポケットにしまって、巡回を続けた・・・
朝になると、浩太は隣の麻衣の部屋に行って、麻衣に罰巡回のチェックシートを差し出した。麻衣の顔を見ると、昨夜の麻衣のやさしさが頭に浮かんできた。思わず、浩太は敬語になった。
「北倉さん、これが昨夜の巡回の結果です。異常は何もありませんでした」
麻衣がチェックシートを受け取りながら、やさしく言った。
「ご苦労さま。今日もまた、トイレ掃除に三年正座があるけど・・・がんばってね」
「うん・・・」
頷いたとき、浩太は昨夜の紙を思い出した。あわてて、ポケットから階段で見つけた紙を取り出した。
「そうだ。・・・この紙が・・・」
浩太は麻衣に見つけた紙を手渡した。
「この紙が、共有スペースの2階から3階にあがる階段の垂直部に貼ってあったんだけど・・・これ、いったい何かな?」
麻衣は怪訝な顔をして、紙をのぞき込んだ。
「なになに、えーと、『まちんちんかくのがんばれ おぶらい様の御札』?・・・おぶらい様?・・・聞いたことがないわね。で、共有スペースの階段に貼ってあったのね?」
「うん。共有スペースの2階から3階にあがる階段だよ」
麻衣が首を傾げた。
「実はね、昨日、占部君が三年正座をしているときに・・・私、一人で、このチェックシートに従って、罰巡回の順路をまわってみたの。本当は、こういうことをやってはいけないんだけど・・・占部君が巡回しやすいように、事前に私が巡回しておいたのよ。でも、そのときには、こんな紙は間違いなくなかったわ」
麻衣の心遣いに思わず、浩太の眼頭が熱くなった。それを麻衣に気付かれないように、浩太はあわてて言った。
「じゃあ、北倉さんの巡回の後で・・・誰かが階段に貼り付けたんだね。ここに書かれているのは、どういう意味なのかなぁ?」
麻衣は再び首を傾げた。そんな麻衣の仕草がかわいい・・・
浩太の胸がきゅんとなる・・・
「うーん。分からない。ちょっと、調べてみるわ。これ、私が預かっておくわ」
そう言うと、麻衣はその紙を丁寧に折りたたんで、スカートのポケットにそっと仕舞った。
(つづく)
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