第3話 討議

 「ここまでのところで、何かご質問やご意見はございますか?」


 麻衣は一旦話を切って、もう一度同じことを寮生たちに聞いた。誰も何も言わなかった。浩太は、想像していた以上の重苦しい雰囲気にただただ圧倒されて、食堂の入り口で茫然と麻衣を見つめているばかりだった。


 麻衣は寮生からの質問や意見がないことを確認すると事務的に言った。


 「それでは、討議に移ります。まず、最初に占部さんから門限を破った理由の説明をしていただいて、それから反省文を読んでいただきます」


 麻衣は食堂の入り口に立っている浩太に顔を向けると、ここに来て話すように眼で促した。


 浩太は食堂の入り口からマイクの前まで歩いて行った。約70人の寮生の眼が浩太を見つめている。浩太を熱く凝視する女子寮生たちの視線を強く感じて、浩太の足が再び震えだした。

 

 マイクの前に立つ。小さく深呼吸をした。思い切って・・・浩太は話し出した。


 「あっ、こんばんは。僕は、占部浩太と言います。部屋は東棟の215号室です。あのう、・・本日は僕の失敗のために、みなさまのお時間をとってしまい、本当に申し訳ありません。門限を破った理由なんですが・・・実は昨日、急に取引先との宴席が決まりまして・・・その、取引先というのは、うちの会社にとって重要な顧客である大河原物産の資材課なんですが・・・そことの宴会が急に決まったんです。急でしたので、事前に女子寮の伝言ボードに記入することができませんでした。・・・」


 浩太は、そこで一度言葉を切って、眼の前の女子寮生たちを見まわした。会社にとって重要な顧客である大河原物産の資材課との宴席だったというところを寮生たちに分かってもらおうとしたのだ。だが、眼の前にいる寮生たちは何の反応も見せず、厳しい眼で浩太を見つめているばかりだった。


 やむなく、浩太は話を続けた。


 「そ、それで・・・宴会では、門限の23時までには帰れると思っていたんですが、・・何となく帰りにくくて、電話もできないまま時間が過ぎてしまって・・・それで、門限を破ってしまいました。本当に申し訳ありませんでした。・・・」


 浩太がそう話しても、まだ誰も何の反応も見せなかった。女子寮生たちの無言の対応に、浩太は息が詰まりそうだ。


 そんな浩太を助けるように、麻衣の声がした。


 「分かりました。では、占部さん。反省文を読み上げてください」


 麻衣の声で、浩太は反省文が書かれた紙をポケットから取り出した。今日の昼、仕事の合間に準備したものだ。


 「そ、それでは、反省文を読ませていただきます」


 すると、後ろの方にいた寮生の一人が立ち上がった。どんな人物か、浩太は眼を凝らしたが、多くの寮生たちの陰になってよく分からなかった。その寮生から甲高い声が上がった。


 「ちょっと待ってください。今のではまったく理由になっていません。どうして、その宴会で23時までに帰るとはっきり言わなかったんですか?」


 反省文の紙を手にしたまま、浩太がしどろもどろで答えた。


 「そ、それは・・・先方の課長さんがゴルフでホールインワンを出したという話で宴会が盛り上がっていましたので・・・僕が帰ると言うと、せっかく盛り上がった雰囲気に水を差してしまうと思って・・・それで、帰るとは言えませんでした」


 質問した寮生は容赦してくれなかった。


 「ホールインワンを出したら、帰るって言えないんですか? なぜ電話もできなかったんですか?」


 質問者の厳しい声に寮生の何人かが「そうよ。そうよ」、「いくら何でも、電話ぐらいできるはずよ」と言うのが浩太にもはっきりと聞こえた。


 「そ、それは・・・お酒の勢いもあって、先方の課長さんもいいご機嫌だったんで・・・何となく・・・電話を、か、掛けることができませんでした」


 最後は消え入りそうな声で浩太は答えた。


 なんでこんなことを言われなきゃならないんだろう・・・


 浩太は情けなくて涙が出そうだった。質問者がさらに追及しようとしたときに、麻衣が仲裁に入ってくれた。


 「田代さん。お気持ちはよく分かりますが。占部さんは、さくら女子寮に入って間もありませんし、いろいろと寮の規則にも慣れていません。今日はその辺で許してあげてはいかがでしょうか? みなさん、いかがでしょうか? 占部さんには、寮長の私が今後厳しく指導するということではどうでしょうか?」


 「賛成」、「賛成」という声が聞こえた。一部に「えーっ」、「どうしてー」という不満そうな声が上がったが、多数の「賛成」という声にかき消されてしまった。


 麻衣がホッとしたような声を出した。


 「ありがとうございます。では、占部さん。反省文を読んでください」


 麻衣に促されて、浩太は用意した反省文に眼を落した。そして、泣き出しそうな震え声で読みだした。手がガクガクと震えて、持っている紙が小刻みに揺れた。


 「で、では、反省文を読ませていただきます・・・


 反省文

 

 東京本社化成品営業部、営業第二課、第一係、占部浩太

 

 このたびは、さくら女子寮の門限である23時を大幅に破ってしまい、誠に申し訳ございませんでした。他社との宴席が予想以上に盛り上がってしまい、なかなか帰ると言うことが出来ず、さらに電話も出来なかったことが直接の原因です。遅くなると分かった時点で、すぐに電話連絡を入れるべきだったと深く反省致しております。 他社の方々の手前、寮に電話を入れることも躊躇してしまったのですが、その結果として、さくら女子寮のみなさまに多大なご迷惑をおかけしてしまい、自らの甘さを痛感いたしました。今後はこのようなことがないよう、連絡の徹底に心がけます。また、他社との宴席に限らず何らかの予定を組む際には、23時の門限までに帰ることを自分の心に厳しく申しつけたいと存じます。今後は二度と同じミスを犯さぬよう細心の注意を払う所存です。本当に申し訳ございませんでした」


 反省文を読み終えると、浩太は深々と頭を下げた。


 寮生たちから、「本当に反省してるのかしら?」とか「反省文は、たったあれだけ?」といった声がちらほらと上がった。そのため、浩太は下げた頭を上げることができなかった。眼がしらが次第に熱くなってきて、じわりと涙があふれてきた。浩太が涙を隠そうとして、頭をさらに下げると・・・涙は一粒の水滴になって床に落ちていった。涙を女子寮生たちに見られたと思うと、浩太の全身が熱くなった。


 そんな浩太を見ながら、横から麻衣が言った。


 「今の占部さんの反省文は、いつものように食堂の掲示板に張り出します」


 うわー、この反省文が全寮生の眼にさらされるのか・・・


 恥ずかしさで、頭を下げたまま浩太の顔が真っ赤になった。今すぐに、この場から消えてしまいたかった。


 麻衣の声が続く。


 「それでは、今日の本題である自由討議に移ります。今の占部さんの理由、それに反省文の内容をもとにして・・・占部さんに科す処罰を決定したいと思います。では、占部さんの処罰について、みなさんの自由なご意見をお願いします。占部さん、頭を上げてください」 


 麻衣の声に助けられて、浩太はようやく頭を上げることができた。頭を上げると同時に、眼の前の寮生の一人から「泣き真似してごまかすつもりよ」という声が上がったが、麻衣が構わず続けた。


 「えーと。みなさん、ご存じのように、寮の罰は、軽罰、重罰、最重罰に分かれます。いままでの例ですと、初めての門限破りの場合は軽罰で、1階から3階までの共通スペースのトイレ掃除と罰巡回を1週間。そして、二回目の門限破りの場合は重罰で、そのトイレ掃除と罰巡回に合わせて三年正座を1週間。三回目は最重罰で即退寮となります。占部さんは初めての門限破りですから、軽罰として1階から3階までの共通スペースのトイレ掃除と罰巡回を1週間させることになりますが、みなさん、いかがですか? それでよろしいでしょうか? ご意見をお願いします」


 すると、先ほどの質問者がまた声を上げた。たしか、田代という名だ。


 「異議あり。私、知ってるんです。占部さんはもう何度も、さくら女子寮の門限を破っています。だから、軽罰というのは納得できません。何度も門限を破っているんですから、処罰は最重罰の退寮にすべきだと思います」


 えっ、た、退寮だって!・・・


 思いもしない田代の意見に、浩太は心の中で声にならない叫びを上げた。浩太の無言の叫びとは別に、「賛成」、「退寮にすべきよ」という寮生の声があちこちから上がった。浩太は情け容赦ない女子寮生たちの怒声を浴びて、まるで針のむしろに座らされているように感じた。再び、涙が頬に流れた。汗がひたいからにじみ出て頬を伝い、涙と一緒になって床に落下した。寮生たちが上げる怒声の中に、ピチャッという小さな音が床から響いた。


 どこからか「女子泣きするな!」という鋭い声が飛んで、その声の周囲からひときわ大きな嬌声と笑い声が沸き起こった。


 浩太は再び頭を下げた。顔を上げていられなかったのだ。


 ああ、ついに退寮になるのかぁ・・・みんなは見ていないようでも、僕が門限を何度も破っているのをしっかり見ていたんだ。・・・


 床に落ちた涙の跡を見つめながら・・・浩太の頭の中に、住むところもなく東京の町をさまよい歩く自分の姿が浮かんできた。身体の力がいっぺんに抜けてしまったように感じられた。またも足元がぐらっと揺れた。


     (つづく)

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