第2話 寮生大会

 「とにかく、占部君。分かったわね。私は寮長なので、いろいろと立場というものがあるんだから、これからは門限を必ず守ってね。あんまり、私の手を焼かせないでね」


 言うだけ言うと、麻衣はさっさと自分の部屋に戻っていってしまった。


 翌日の夕方、浩太は職場で上司の種井から声を掛けられた。種井は、浩太のいる東京本社化成品営業部、営業第二課、第一係の係長だ。


 「おい、占部。今日は大河原物産の資材課と一席、宴会があるんだが、担当の佐田が急用で参加できなくなったんだ。うちから俺一人参加というのもバランスが悪いんだよ。悪いがお前、今晩付き合ってくれよ」


 突然の話に浩太は驚いた。


 「えっ、今晩ですか?」


 種井が浩太の顔を見た。


 「何か都合、悪いのか?」


 宴会も営業の大切な仕事だ。浩太はいつものように返事を返した。


 「いえ、大丈夫です」


 このとき・・・一瞬、浩太の脳裏にさくら女子寮の門限がよぎった。確か、北倉さんは23時が女子寮の門限だと言っていた。が、浩太は・・・まあ、23時にはなんとか帰れるだろうとタカをくくった。というのも・・・大河原物産の資材課とは今までにも二、三回飲んでいたが、いつも一次会で解散だったので、22時ごろには寮に戻ることができていたのだった。


 しかし、その日は勝手が違った。


 大河原物産の資材課長の山田がゴルフでホールインワンを出したという話で座が大いに盛り上がったのだ。そして、山田が勢いに乗って、「ホールインワンのお祝いに、今日は全員に二次会と三次会をおごるぞ。今日は全員で二次会と三次会に行くからな」と上機嫌で言い出したので、浩太は帰るとは言い出せず・・・二次会、三次会と付き合わざるを得なくなってしまった。


 さくら女子寮に電話しなきゃ・・と思ったのだが、大河原物産の山田が浩太を気に入ったといって、さかんに話しかけてきて離さなかったのだ。山田の話の腰を折ってはいけないと思うと、ちょっと電話を掛けたいとは何とも言い出しにくくなってしまった。こうして、寮に電話を掛けるタイミングも見いだせないままに、ずるずると時間だけが過ぎていった・・・


 結局、二次会、三次会とスナックやカラオケを回って、浩太がさくら女子寮に戻ったのは0時を過ぎていた。ほろ酔い気分でカードキーを使って玄関から共有スペースに入ると寮生は誰もいなかった。これ幸いと浩太は黙って自室に戻り、そのまますぐに眠りについてしまった。


 翌朝、浩太は頭の上から降って来た大きな声で眼が覚めた。寮の全館放送で誰かがしゃべっているのだ。


 「寮生の皆さんにお知らせします。昨夜、東棟215号室の占部浩太さんが、さくら女子寮の門限を破りました。このため、本日20時から共有スペースの食堂において臨時の寮生大会を開催します。皆さん、ご参加ください。繰り返します。昨夜、東棟215号室の占部浩太さんが、さくら女子寮の門限を破りました。このため、本日20時から共有スペースの食堂において臨時の寮生大会を開催します。皆さん、ご参加ください。以上」


 麻衣の声だった。浩太が茫然としていると、しばらくして浩太の部屋のドアにノックがあった。ドアを開けると・・・目の前に麻衣が立っていた。鬼のような形相で、浩太をにらんでいる。


 「占部君、あなたねえ。あれほど言ったでしょ。なのに、昨夜は何よ」


 浩太は頭をかいた。


 「ごめん。急に接待が入っちゃって」


 麻衣が仏頂面で、突き放したように言った。


 「もう・・・言い訳はいいわ」


 浩太の頭は混乱していた。


 昨夜帰ったときは誰とも会わなかったので・・・門限破りのことは、誰も知らないはずなのに・・・


 それで、恐る恐る浩太は麻衣に聞いた。


 「でも、僕が昨夜、門限までに女子寮に帰れなかったって、どうして分かったの?」


 麻衣があきれたような顔をして説明した。


 「私、占部君に言ってなかったかしら?・・・まぁ、いいわ。あのね、玄関の防犯カメラに23時以降に人影が写ったら、翌朝すぐに警備会社から管理人さんと私に連絡があるのよ。それで、今朝一番に、警備会社から宮井さんと私に連絡が入ったのよ。門限を破った人がいますってね。で、防犯カメラの映像を見たら、あなただったってわけ」


 「・・・」


 「とにかく今日はあなたのおかげで寮生大会なんだから、あなたは絶対に出席しないとダメよ。寮生大会では、あなたは門限を破った理由を言って、反省文を読み上げなければならないのよ。いいわね。理由と反省文をちゃんと準備しておくのよ」


 それだけ言うと、麻衣はあわただしく出勤していった。


 浩太はその日をやや憂鬱な気分で過ごした。麻衣からあれだけ言われていたのに、さっそく麻衣の期待を裏切ってしまった自分が情けなかった。そして何より今朝は麻衣からかなり厳しい叱責があると思ったのだが、麻衣の応対が意外にあっさりしたものだったことにも気が引けた。


 「北倉さんは、あまり僕のことを気にしていないのだろうか?」と思うと仕事が手につかなかった。それでも、「反省文か、どんなことを書けばいいのだろう」と思い、浩太は仕事の合間にインターネットで『反省文の書き方』というサイトを検索してみた。そんなサイトなんて無いだろうと思っていたが・・・インターネットには結構、『反省文の書き方』というサイトがあって・・・ネットに記載されている『反省文の例』をもとに案を作ってみたりした。


 そして、その日は会社から早く帰り夕食をとって、20時前に寮生大会が開かれる食堂に行ったのだ。


 ***********


 食堂には、若い女性特有の甘い匂いと、周囲が圧倒されるような熱気があふれていた。24脚備えられている四角い4人掛けのテーブルは寮生でほぼ埋まっている。寮生の色とりどりの衣服が、まるでお花畑のようで眼にまぶしい。中には夕食を取っている寮生も散見された。それぞれのテーブルで交わされるかしましい会話が食堂の天井に反響し、それらが一つになってウワーンという大きなうなり声を上げていた。まるで大きな渦巻きが発生したかのように、そのうなり声が食堂の中を渦巻いている。


 圧倒的な熱気と圧力を感じて・・・浩太は食堂の入り口で思わず立ち止まってしまった。浩太がさくら女子寮に入ってから何回か寮生大会が行われていたが、実際に参加したのは今回が初めてだった。


 寮生大会って何て、すさまじいんだろう・・・


 浩太にはまるで食堂が古代ローマの円形闘技場であるコロッセウムに変化したかのように思えた。食堂の寮生たちは、コロッセウムで熱心に剣闘士に声援を送る観衆のようだ。古代にコロッセウムで猛獣と戦った剣闘士は、こんな熱気と圧力を味わっていたのだろうか? 


 寮生の迫力に圧倒されたまま食堂に入ることができず、浩太は茫然と入口に突っ立ったまま、中をながめていた・・・


 食堂の前面においてある小テーブルにはマイクがセットされていた。まるでどこかの会社が主催する講演会か何かのようだ。そのとき、食堂の奥から麻衣が現われて、ゆっくりとマイクの前に立った。


 「みなさん。こんばんは。寮長の北倉麻衣です」


 麻衣のマイクの声がひびくと、食堂の中の喧騒が潮を引くように小さくなっていく。食堂の中がシンとなったのを確認して、麻衣が続けた。


 「今日は今朝ご連絡しましたように、臨時の寮生大会でみなさんにお集まりいただきました。寮生大会の本日の議題は、昨夜、東棟215号室の占部浩太さんが門限を破ったことに対する処罰の討議です。占部さんは昨夜何の伝言もなく、また何の電話連絡もなく、門限の23時を大幅に超過する深夜0時11分にさくら女子寮に戻ってきました。この時刻は防犯カメラに記録されており、警備会社からの連絡を受けて、管理人さんと寮長の私、北倉が確認しています。


 尚、門限につきましては、従来、さくら女子寮としましても会社の業務を鑑みて比較的ゆるやかに対処してきましたが、これに対して一部の寮生のみなさまより門限も寮の規則だから徹底すべきとのご意見がありました。このため今後は門限の管理を厳密に実施して、それでもし何か不具合があったら改めて寮生大会で協議しようという姿勢で寮としても対処していきたいと思います。本日の占部さんの処罰の討議はこういった背景を踏まえて行われることをご理解ください。ここまでのところで、何かご質問やご意見はございますか?」


 まるで、会社の会議の開催を宣言するような、麻衣の重々しい話しぶりに、浩太の足が震えた。


     (つづく)

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