第1話 門限

 「いいこと。占部君。これは重要なお話だからよく聞いてね。私もこんなことを言いたくはないんだけど、さくら女子寮の門限は23時なの。占部君の門限に関してはいままで私も大目に見てきたんだけど、一部の寮生から苦情があってね。明日からあなたの門限を厳密に管理することになったのよ。だから、明日からあなたの門限は23時ね。いいわね」


 麻衣が浩太の顔をぐいとのぞき込んだ。麻衣の迫力に気おされて気圧けおされて、浩太は思わず身体を後ろにのけぞらせた。さくら女子寮の食堂だ。浩太が会社から帰って食堂で夕食をとっていると、麻衣がやってきて浩太の前に座って話し出したのだ。


 浩太はあわてて麻衣に言った。


 「ええっ、そんなあ。仕事でどうしても遅くなるときがあるんだよ。僕は営業だから、取引先を急に接待しなければいけないこともあるし。・・・だから、門限が23時じゃ仕事ができないよ。おとといも接待で寮に帰ったのは深夜の1時前だったんだよ」


 麻衣は聞く耳を持たなかった。


 「わがまま言わないの。あなたもほかの女子寮生もみんなお仕事をしていて夜遅くなるのは同じなのよ。それは私もよくわかっているわ。私だって門限なんかでやかましいことを言いたくはないのよ。だから、いままでは、あなただけでなくほかの女子寮生が23時以降に帰ってきても、私は寮長として大目に見ていたの。だけどね、さっき言ったように・・・一部の寮生から苦情がきてね。門限も寮の規則だから、ちゃんと守るべきだっていうのよ。そう言われたら正論だから、言い返すこともできないじゃない。それでね、まずは規則を守るということで門限の管理を厳密にして、それでもし何か不具合があったら改めて寮生大会で協議しようということになったの。だから占部君も協力してね」


 浩太はしぶしぶ言った。


 「うーん。僕に拒否権はないんだよね。仕方がないなあ。わかったよ。さくら女子寮の規則だからなあ、僕も従うよ」


 浩太がそう言うと、麻衣がホッとした顔を見せた。


 「そう言ってもらえると助かるわ」


 「でもどうしても仕事で、帰りが23時以降になるときはどうしたらいいのかな?」


 麻衣が向こうの食堂の壁を指差しながら言った。


 「寮の食堂に伝言ボードがあるでしょう。あそこよ。あれに、誰それ、何月何日は仕事で23時以降に帰宅と事前に書いておけばいいのよ。会社で急に用事ができて門限までに帰れなくなったときは、できるだけ早く寮に電話してね。寮生の誰かが電話を取ったら、その人が伝言ボードに書いてくれるから」


 「わかったよ。でも、もし万一、門限を破ったらどうなるのかなあ?」


 浩太の言葉に麻衣がちょっぴり厳しい顔になった。


 「門限を破った場合は、翌日に緊急の寮生大会が開かれて、その人の処罰をみんなで討議するの。まず、門限を破った人が破った理由を説明して反省文を読み上げるのよ。そのあとで、寮生の協議で罰が決まるのよ」


 罰? 罰なんて初耳だ・・・


 浩太はあわてて聞いた。


 「罰? 罰があるの? 罰ってどんなの?」


 「門限を破った人に罰当番をさせるのよ。初めての門限破りの場合は、1階から3階までの共通スペースのトイレ掃除と罰巡回を1週間。罰巡回というのは、深夜1時の寮内見回りね。そして、二回目の門限破りの場合は、そのトイレ掃除と罰巡回に合わせて三年正座を1週間。三回目は即退寮。これがいままでのルール。いままで門限を破った人は、みんなこのルールで罰を受けてるんだけど、一応、毎回、寮生大会を開いて寮生の合議で罰を決めるシステムなのよ」


 浩太は眼を見張った。


 「えー。たった三回で退寮なのかあ。厳しいなあ」


 「門限破りの記録は半年たったら消えるのよ。だから、半年間に三回やったら退寮ということになるわけね」


 「でも、トイレ掃除っていっても、トイレを含めて共通スペースや廊下は、会社が契約している清掃会社のプロの専門の人が毎日掃除してくれてるよね。専門の人が掃除してくれてるのに、そこをまた掃除するの?」


 麻衣が首を振る。


 「門限破りの罰の意味は、さくら女子寮をきれいにしましょうということではないのよ。門限破りをした人に自覚を促すという意味なの。トイレ掃除といっても、1階から3階までのすべてのトイレだから、全部お掃除するには最低でも3時間はかかるでしょ。だから、罰を受けている1週間はどうしても会社から早く帰ってこなければならないわけ。つまり、罰として、トイレのお掃除をすることで早く会社から帰ってくる習慣を身につけてくださいという意味合いがあるのよ。実際、過去の寮生の中には、門限を破った罰としてトイレのお掃除をさせられたんだけれど、それで逆に会社から早く帰る習慣が身についたと言って喜んでいる人もたくさんいるのよ」


 「でも、僕だったら掃除の手を抜いちゃいそうだなあ」


 「それは許されないの。そういう人がたまにいるから、ちゃんとチェックする人をつけるのよ。さくら女子寮では罰監視当番と呼んでるけどね。みんな、略して罰監ばつかんと言ってるわ。それで、罰を受ける人1人に罰監を1人つけて、その罰監がトイレのお掃除のチェックをするの。罰監がもし手を抜いていると判断したら、その日は不合格となってお掃除が1日追加されるのよ。罰監が合格と言ってくれて、初めて1日分のお掃除が終わったことになるの。これは、門限破り二回目で三年正座の罰を受けるときも同じ。三年正座は、罰監がOKと言ってくれるまで無制限に正座を続けなければならないのよ。罰巡回は深夜だから、罰監ではなく寮長の私が翌朝にチェックシートを確認するだけなのよね」


 三年正座! なんだか、おどろおどろしい言葉だ・・・


 浩太が恐る恐る麻衣に聞いた。


 「そ、その門限破り二回目の三年正座って・・・いったい何なの?」


 「三年正座というのはね。トイレ掃除が終わったあとで、罰監に食堂に連れていかれてね、みんながお食事をとっている前で正座をさせられる罰なのよ。食堂の隅の床に小石を敷いて、その小石の上で正座をさせられるの。『石の上にも三年』ということわざがあるでしょう。あのことわざにちなんで、私たちの先輩が、寮生が寮に長くいる間に生活を改善させてあげようと考えてこの罰をつくったのよ。それでね、ことわざのとおりに、小石の上で正座させられるこの罰を寮生はみんな三年正座って呼んでるのよ。『三年正座』の『三年』は、『石の上にも三年』の『三年』なの」


 「・・・」


 あまりの罰に・・・浩太は言葉が出てこなかった。そんな浩太を見ながら、麻衣が続けた。


 「そして、三年正座が始まると、さっきも言ったように、毎日、罰監がOKと言って許してくれるまで無制限に正座を続けさせられるの。もし、罰巡回が始まる、午前1時にまで三年正座の時間が延びたら、罰巡回は別の日に自動的に繰り延べになるのよ。それで三年正座をさせられているときにね、もし自分で足をくずしたり、立ち上がったりしたら、その日は不合格で、三年正座が1日追加されるの。これはトイレの罰掃除とおんなじね。食堂でみんなが夕食をとっている前で正座させられるから、もし、そのときに罰監がいなくても、足をくずしたりしたらすぐに誰かに見つかって罰監に連絡されるの。食堂のみんなが見ている前で正座をさせる理由はそれなのよ。それでね、三年正座は、トイレ掃除に合わせて1週間の間、毎日続けられるの。小石の上で正座でしょ。これはほんとうに辛いのよ。その結果、三年正座の罰を受けると、ほとんどの寮生が正座の途中で耐えられなくなって『もう二度と門限破りをしません。どうか許してください』と泣き出してしまうのよ。夕食をとっている寮生がみんなそれを見て、聞いているわけでしょ。それで、その寮生はもう二度と門限破りをしなくなるのよ。・・・」


 麻衣の説明に浩太の顔が青くなった。


 「そ、そんな・・・ひどい罰だね」


 浩太の言葉に麻衣が頷いた。


 「実はね、寮長のわたし個人としてはね・・・三年正座という罰は止めたいのよ。だって、食堂の隅で罰監がOKと言って許してくれるまで無制限に小石の上に正座をさせられるのって、なんだか拷問みたいでしょ。それに、夕食を食べにくる寮生が見ている前で正座をさせられるのは、見せしめみたいじゃない。だけど、さっき言ったように、三年正座を受けると、たいていの寮生が泣き出して、もう二度と門限破りをしなくなるというのも事実なの。さっき言ったように、三回目の門限破りをしたら即退寮なんだけど・・・二回目の門限破りでこの三年正座の罰を受けると、みんな、門限破りを絶対にしなくなるので、実際に退寮になった寮生はまだいないのよ。だから、三年正座の罰ってとっても厳しいんだけれど、その一方で、さくら女子寮にとっては、とっても重要で大切な罰になってるのも事実なのよ。それでね、私は三年正座の罰を止めたいんだけど・・・なかなか寮長の私としても、止めることを寮生大会に提案しにくいのよ」


 浩太が絞り出すように言う。


 「ふーん。なんだか怖い罰だなあ」


 すると、麻衣が浩太の顔を下からのぞき込んだ。結論を出すように浩太に宣言した。


 「占部君。そんな、三年正座の罰を受けたくないでしょ。・・・だからね、明日からは、女子寮の23時の門限をちゃんと守るのよ。いいわね」


 浩太の背筋に何かヒヤッとする冷たいものが流れた。麻衣の言葉に浩太は思わず頷いていた。


     (つづく)

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