第11話 真相

 犯人? 浩太は驚いて倖田こうだの顔を見つめた。黒の雨合羽の中にふっくらした倖田の顔が笑っていた。30歳前後の落ち着いた女性だった。さくら女子寮の寮生といっても、浩太が知っているのはごくわずかだ。浩太は倖田を知らなかった。


 あわてて、浩太が挨拶する、なんだか、堅苦しい挨拶になった。 


 「あっ、は、初めまして。占部です。こっ、倖田さんはこんなところで何をされているんですか?」


 倖田はそんな浩太を優しく見つめた。


 「初めまして。こちらは、今度さくら女子寮に入った男の方ね。よろしく、倖田です。私はいままで雨のお庭でピョコちゃんたちと会っていたんですよ」


 浩太が眼を白黒させた。


 「ピ、ピョコちゃん・・?」


 麻衣は何も言わず、黙って笑っている。


 「では、失礼しますよ・・・」


 倖田はそう言って、軽く頭を下げると・・・あっけにとられる浩太に背を向けて、女子寮の中に戻って行った。

 

 浩太と麻衣は中庭から山崎咲良の部屋へ戻った。廊下には、あの白い布団カバーが置いてある。浩太の服が入ったままだ。浩太たちは、山崎咲良の部屋から管理人室の前まで、その白い布団カバーを引きずっていった。宮井がちょうど外出から管理人室に戻ってきたところだった。


 浩太と麻衣が布団カバーを管理人室の中に入れると、麻衣が宮井に今日の出来事を説明した。宮井が驚いた顔で布団カバーを見つめた。


 「すると、あんた、この布団カバーの中に、山崎さんの部屋で天井から落ちたものが入っとるんじゃね?」


 「ええ、そうです」


 麻衣が答える。布団カバーはピクリとも動かない。


 「占部さん。それはどんなものじゃったかいね?」


 浩太は頭をかいた。


 「それが、僕にもよくわからないんです。冷たくて、やわらかくて、そして、何だかゴソゴソ動くものでした。それが急に首筋に落ちてきて・・・そして、そのまま僕の服の中に入ってしまったんです」


 「では、これからお布団カバーの中を調べてみましょう」


 麻衣はそう言うと、布団カバーのファスナーを少し開いて中に手を突っ込んだ。


 えっ、中にいるものに嚙まれたりしないんだろうか? 浩太は大胆な麻衣の行動に驚いて眼を見張った。


 そんな浩太の心配もまったく気にかけていない様子で、麻衣が布団カバーから手を抜き出した。手には浩太のズボンが握られている。


 「これを床に置きますよ。何か隠れていないか、注意して見ていてください」


 麻衣が宮井と浩太の目の前の床にズボンを広げて、端からアイロンでも掛けるように手で押さえていく。宮井と浩太が見守る中で麻衣が端から端まで手でなぞったが、ズボンからは何も出てこなかった。


 「では、次の服を出してみましょう」


 そう言って麻衣は布団カバーの中から、今度は浩太が上着として着ていたポロシャツを取り出した。さっきと同じようにして調べたが何も出てこない。


 麻衣が次に取り出したのは浩太のパンツだった。同期入社の独身女性に、さっきまで履いていた自分のパンツを握りしめられて、・・・浩太は恥ずかしくて顔が真っ赤になった。が、浩太の恥ずかしさもそこまでだった。麻衣が布団カバーからパンツを取り出して、床に置こうとしたときだ。何か白っぽいものがぴょんとパンツの中から飛び出して、白い布団カバーの上に落ちた・・・


 「あっ」


 浩太と宮井が同時に声を上げた。白い布団カバーの上に乗っていたのは、体調5㎝ぐらいのトカゲのような白色の動物だった。身体全体に少し灰色の斑点がある。ギョロリとした大きな眼でこちらを見つめている姿がユーモラスでなんともかわいらしい。4本の足にはそれぞれ5本の指があり、指の先には吸盤のような丸いコブがついている。


 麻衣が「かわいい」と黄色い声を上げた。


 「こっ、これは? な、なに?」


 浩太の声に宮井が答えた。


 「ヤモリじゃよ」


 *****


 管理人室で、応接セットに三人は座っていた。目の前のテーブルには、プラスチック製の虫かごが乗っていて、その中に先ほどのヤモリが入っている。ヤモリはあたりの様子をうかがうようにキョロキョロと目玉を動かしながら、虫かごのプラスチックの壁に張り付いていた。虫かごの周りに宮井が出してくれた3つの紅茶カップが並んでいる。


 「ここで、今回の事件を整理して考えてみたいと思うの」


 麻衣の声が管理人室の中に響いた。宮井と浩太は、食い入るように麻衣を見つめている。


 「今回の事件は二つの事件が同時に起こったという点が特徴なのね。それらを仮に最初の事件、二番目の事件と呼ぶことにしましょう。最初の事件というのは、寮生が会社から帰ったら、お部屋の中の物の位置が少しずつずれて置かれていたという事件ね。調べてみたら、この事件は雨の日に起こっていました。・・・」


 宮井が黙って頷いた。麻衣が続ける。


 「そして二番目の事件は、一つ目の事件と同じ雨の日に限って、中庭で不審者が目撃されたという事件になるの。・・・さて、ここで、私たちは大きな間違いを犯すことになるのよ。二つの事件が、雨が降る同じ日に起こったものだから、てっきり二つの事件は密接に関連しているはずだと決めつけてしまったの。この決めつけが混乱を招いてしまったのよ。ここはまず一つ一つの事件を解いて、それから後で関連事項を結びつけて考えないといけなかったのよね」


 ここで、麻衣は言葉を切って宮井と浩太の顔を交互に眺めた。宮井と浩太は、息もつかずに麻衣の次の言葉を待っている。


 「それでは具体的にどういうことかを考えてみましょう。最初の事件、つまり寮生が会社から帰ったらお部屋の中の物の位置が少しずつずれて置かれていたという事件なんだけど、その時の状況を整理すると、この三つになるのね。


 1.お部屋の鍵は間違いなく掛かっていた。

 2.お金は取られなかったし、触わられてもいなかった。

 3.特定の寮生のお部屋で、雨の日に限って起こった。


 この第一の事件は、言い換えると『密室の寮生のお部屋に誰がどのようにして忍び込むことができたのか?』という密室の謎なのね。でもね、この三つの条件だけを考えて答えを導きだそうとすると、犯人はおのずとこういうことになるのよ。つまり、犯人は鍵がかかっていてもお部屋に出入りできる、何か特殊な小さな『もの』だった。で、お金をとる意図はなかった。そして、犯人は特定の寮生のお部屋に雨の日に限って侵入した。・・・となると簡単じゃない。つまり、犯人は、鍵が掛けてあっても容易にお部屋に侵入できる小動物で、特定の寮生のお部屋に出入りできて、雨の日に活動する生き物という結論が簡単に導けるのよ。その条件に合う動物は何かということで調べていくと、結論としてヤモリが浮かんでくるわけなの。つまり、さっきの三つの条件だけを考えれば、非常に簡単に結論を導くことができるのよ。


 ところが、さっき言ったように、私たちは間違いを犯してしまった。その私たちの間違いというのは、二番目の事件の条件を一番目の事件の条件に加えてしまったということなの。二番目の事件は、一つ目の事件があった雨の日に限って中庭で不審者が目撃されているというものだったわね。ここで、私たちは、てっきり二つの事件は密接に関連しているものと決めつけてしまって、そして、さっき言った最初の事件の条件の中に、


 4.最初の事件があった雨の日には、中庭に必ず不審者がいた。


という条件を無意識に入れてしまったわけなの。その結果、最初の事件の犯人は中庭にいた不審者ということになり、犯人は人間でないといけないことになってしまったのよ。そのために、私たちは、『人間である犯人がどのようにして鍵の掛かったお部屋に自由に出入りすることができたのか?』という密室の謎を解かないといけなくなっちゃたってわけなの。そんなの簡単に解けるはずはないじゃない。答えはないんだもの。つまり、この四番目の条件のせいで、私たちはなかなか真相が見抜けなかったというわけなの」


    (つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る