第10話 おとり

 麻衣の言葉に浩太は目を白黒させた。


 「お、おとり?」


 「そう。急に天井から何か落ちてくるから、そのときに室内にいたらどうしても驚いてパニックになるわけでしょう。だったら、二人が一緒にお部屋の中にいなければいいのよ。たとえば、占部君がお部屋の中にいて、私が外で見張ってるというのはどうかしら? お部屋の中で何かが落ちてきて占部君がパニックになったら、私がお部屋に入っていって、占部君を助けて・・・ついでに、その何かをつかまえてあげるわ」


 「ええっ、そ、そんな。北倉さん、き、危険じゃないの?」


 しかし、麻衣はそんな浩太の様子は気にも止めず、自分の考えに浸っていた。


 「我ながらいい考えね。よし、さっそく準備しましょう」


 そう言うと麻衣は浩太をつれて共同スペースの3階に行った。3階には管理人室と備品倉庫がある。管理人室は明かりが消えていた。宮井はどこかに出かけているようだ。麻衣は備品倉庫の戸を開けると、勝手知ったる様子で中に入っていった。倉庫には鍵がかけられていないようだ。


 浩太も麻衣に続く。麻衣はしばらく倉庫の中をごそごそやっていたが・・・少しすると、「これがいいわ」と言って、何かを取り出した。浩太が見ると・・・ガーゼ製の白いふとんカバーと、白いバスタオルだった。


 浩太が首をひねった。


 「ふとんカバーとバスタオル? そんなのいったい何にするの?」


 麻衣が、いたずらっ子のような顔で浩太を見た。


 「な・い・しょ・よ」


 「・・・?」


 麻衣はムフフと笑って、それ以上は答えなかった。白いふとんカバーとバスタオルを持って、浩太をもう一度山崎咲良の部屋に連れて行く。浩太は黙って麻衣に従った。ふとんカバーとバスタオルを部屋の前の廊下に置くと、麻衣は浩太の顔を見た。


 「さあ、占部君。お部屋の中に入って。また何か落ちてきたら、中から大声で叫ぶのよ。私はお部屋の外で待ってるからね。ちゃんと助けてあげるから安心してね」


 そう言うと、麻衣は浩太を山崎の部屋に押しこんだ。そして、「いいわね」と部屋の中に顔を出して念を押すと、ドアを閉めてしまった。浩太は一人、山崎の部屋に閉じ込められた形だ。


 浩太は茫然として室内を見回した。ベランダの外の雨はさっきよりだいぶ小ぶりになっていたが、まだシトシトと降り続いている。浩太は仕方なく机の前の椅子に座って外の雨を眺めていた。ふと気になって天井をみたが・・・白い天井材とLED照明があるだけで、何の異常も見られなかった。テレビでもあったらなあと思ったが、あいにく山崎の部屋にはテレビはない。先ほど麻衣が言っていた「おとり」という言葉と、麻衣が準備したふとんカバーが気になった。北倉さんは、何が落ちてくるのか、知っているのだろうか?


 シンと静まり返った寮の中で時間だけが過ぎて行った。麻衣が部屋の外にいるはずだが、外の廊下からはコトリとも物音がしない。


 どのくらい時間がたっただろうか。腕時計を見ると、再度、山崎の部屋に入ってからもう1時間が過ぎようとしている。


 そのとき・・・


 浩太の首筋に何か落ちた! 冷たくやわらかいものだ!


 それはそのままシャツの中にゴソゴソと入っていく。


 浩太の背中に悪寒が走った。「ヒャー」と大声を上げると、浩太は座っていた椅子を倒して一目散にドアに向かった。勢いよくドアを開けて、廊下に飛び出すと大声で麻衣を呼んだ。


 「北倉さぁん」


 すると、何か白いものが浩太の頭からかぶさってきた。そして、何かが浩太にぶつかって、浩太は床に横向けに倒れてしまった。


 白いものが浩太の身体全体をおおうようにさらにかぶさってくる。シャーとファスナーをしめる音が聞こえた。白いもの? そうか。北倉さんが持ってきた布団カバーだ。


 浩太は、白い布団カバーの中で、手足をバタバタさせた。


 「ヒャー。北倉さん。何か服の中にいるんだよ。た、助けて」


 麻衣の声が聞こえた。


 「占部君。そのままでいて。その中で服を全部脱ぎなさい。早く!」


 麻衣の声が浩太を叱咤する。


 言われた通り、浩太は必死になってモゴモゴと不器用に身体を動かしながら、布団カバーの中で服を脱いだ。さっきの冷たくてやわらかいものは、まだどこか服の中にいるはずだ。しかし、どこにいるのか、まったく分からなかった。さっきのものが、いまにも身体に噛みついてきそうで、浩太は気が気ではなかった。そしてそのことが、浩太の恐怖を増長させた。たまらず、浩太はまた「ヒャー」と大声を上げると必死になって服を脱いだ。もし、このとき廊下を何も知らない寮生が通りかかっていたら、布団カバーにくるまった巨大な芋虫が廊下をのたうち回っているように見えただろう。


 シャツを脱いで、ズボンを脱いで、靴下も脱いで・・・後はパンツだけだ。んっ、パンツ?


 浩太は叫んだ。


 「パンツも脱ぐの?」


 「そう、全部。全部脱いで。早く!」


 麻衣の切羽詰まった大声が、浩太の恐怖をまた一段加速させた。浩太は急いで白い布団カバーの中で、パンツから靴下まで脱いで全裸になった。


 「全部、脱いだよ」


 「じゃ、ここから、ゆっくりと出て来て」


 白い袋に一筋の亀裂が入ったかと思うと、シャーという音とともに亀裂が一気に押し下げられた。麻衣が布団カバーのファスナーを開いたのだ。浩太は全裸の姿で、その亀裂から四つん這いになって、やっとの思いで廊下ににじり出た。


 「はい、これ」


 見ると・・・顔を向こうにそむけた麻衣が、バスタオルを右手で浩太に突き出していた。


 バスタオル? そうか! このために倉庫から持ってきてくれたのか!・・・


 浩太はあわててバスタオルを受け取ると腰に巻いた。


 麻衣が布団カバーのファスナーを閉めながら言った。


 「占部君。早くお部屋に帰って、服を着て・・・すぐに、ここに戻ってきて頂戴。これから、第二の事件を解決しに行くわよ」


 麻衣の言葉に、浩太は飛び上がった。


 「だっ、第二の事件? 第二の事件って・・・何のこと?」 


 浩太の問いには答えず、麻衣が明るく笑った。


 「さあ。早くお部屋に戻って、服を着てきて頂戴。あなた、若いレディーの前でいつまで全裸で突っ立っているつもりなの?」


 自分の部屋に戻り、服を着て・・・浩太は再び山崎の部屋の前に戻った。


 「さあ、行くわよ」


 麻衣がさっさと歩き出す。


 どこへいくのだろう?と思いながら、浩太はその後に従った。


 麻衣は共用スペースの1階に下りて玄関から中庭に出た。いつの間にか雨はすっかり上がっていて、空からは薄日が差している。もう傘はいらなかった。


 さくら女子寮の中庭はうっそうとした雑木林になっている。エゴノキ、アカマツ、クヌギ、コナラなどの木々が生い茂り、その雑木林の合間から、女子寮の建物が見え隠れしていた。武蔵野の面影が残る林として、さくら女子寮のあるA市では、女子寮の中庭を市の指定天然記念物に認定しようという動きがあるらしい。雑木林の中に入ると、薄い木漏れ日の中で、水滴を含んださわやかな木の香りが二人を包み込んだ。


 雑木林の中には散歩用の小径が整備されている。麻衣はその小道を少し入ったところで立ち止まった。浩太も麻衣の後ろで立ち止まる。


 すると、しばらくして雑木林の中からザッザッと足音が聞こえきた。


 浩太は緊張した。


 だ、誰だろう? ま、まさか・・・


 浩太は宮井の話を思い出した。西棟315号室の笠井知可子が見たという・・・雨の日に中庭に現れるという不審者だろうか?・・・


 足音がこちらに近づいてくる・・・


 浩太は麻衣の顔を見た。麻衣は黙って音のする方を見ている。


 すると・・・二人の前方の木の茂みが、ざわざわと揺れて・・・黒い雨合羽を着た人物が現れた。


 麻衣が笑いながら、浩太に言った。


 「占部君。紹介するわ。こちらが第二の事件の犯人さんなの。倖田こうだ夏樹なつきさんよ。東棟302号室の寮生なのよ」


     (つづく)

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