第9話 落ちた・・

 それから30分ぐらいかけて、麻衣が浩太にさくら女子寮の規約を説明してくれた。麻衣の説明がちょうど一通り終わったときだった。


 まるで、時計でそのタイミングを測っていたかのように・・・瞬間、部屋の中が白黒に変わった。強烈な稲光いなびかりが室内を照らしたのだ。


 浩太は思わず立ち上がった。すぐに巨大な雷鳴が鳴り響く。


 麻衣が「キャッ」と叫んで椅子から飛び上がった。一瞬、浩太にしがみついて・・・離れた。間髪を入れず大きな音を立てて雨が降り出した。


 大きな雨音が一瞬にして周囲の音を包み込んでしまった。あまりのタイミングのよさと迫力に圧倒されて、浩太も麻衣も茫然と室内に立ちすくんだ。


 開いたままになっているベランダの向こうに、雨に白く煙る中庭が浮かび上がっていた。


 二人はだまって中庭を眺めているばかりだ。やがて、麻衣がベランダに歩いて行って、窓を閉めた。麻衣がポツリとつぶやく。


 「さあ、いよいよ雨が降り出したわね。さて、雨の日に限って現れる犯人は、どこからやってくるのかしら?」


 浩太は麻衣と一緒に、山崎咲良の部屋で誰かがやってくるのをじっと待った。誰がいつやってくるのかは分からない。外はどしゃ降りの大雨だ。そのため、二人ともついつい黙りがちで、気まずい沈黙が部屋の中に流れる。それを嫌うかのように、ときどき浩太が仕事の話を切り出すのだが、そんな話はいかにも場違いで、麻衣が二言、三言答えると、それで会話は終了してしまうのだった。


 雨脚はずっと激しいままだ。雨が降り出してもう1時間ぐらいたっただろうか。雨音が激しく響く山崎咲良の部屋で、二人はだまって、ベランダの向こうの中庭を見つめていた。


 ポタリ・・・


 ふいに・・・浩太の後ろで、天井から、何かが床に落ちた。それを見た麻衣が「ヒャッ」と叫んだ。それと同時に、何かが落ちる気配を感じた浩太が後ろを振り返った。そして、足元に落ちたと思われる『何か』を避けようとして、必死になって足踏みをして・・・手を振り回した。浩太の手に当たって化粧鏡の前の化粧ポーチが、麻衣の足元にたたきつけられた。


 急に化粧ポーチが飛んできたので、麻衣が「キャー」と飛び上がった。その声に驚いた浩太が「ウエェ」と声にならない声を出して、身体を回転させた。その瞬間、浩太の手が子犬のぬいぐるみに当たった。今度は子犬のぬいぐるみが麻衣の方に飛んでいく。麻衣は急に飛んできた子犬に驚いて再び飛び上がった。そのまま、周囲をぐるぐると見まわしている浩太の背中に身体ごとぶつかった。勢いあまって、麻衣が床にひっくり返る。突然、背中に何かがぶつかってきたので、浩太は驚き、後ろを見ようとして、バランスを崩して・・・床に倒れた麻衣の上に折り重なるように倒れた・・・


 麻衣は自分の身体の上に、何かが乗ってきたので、思い切り手を振り回した。その手が、バチーンと浩太の頬をひっぱたいた。再び、浩太が「ウエェ」と声にならない声をあげる。浩太が身体を支えようと、手を床の方に突き出した。その手が・・・麻衣の胸に触れた。麻衣が「キャー」と声を出して、浩太の身体を押しのけようと・・・足を振り上げた。その足が、浩太の股間を蹴り上げる。浩太は「うううっ」とうめくと、股間を押さえながら、身体を麻衣の身体の上に投げ出した。浩太の顔が、麻衣の胸に突っ込んだ・・・そのまま、浩太と麻衣は重なり合いながら、床を転がった・・・



 それからは無茶苦茶になって・・・後で考えても何がどうなったのか、浩太も麻衣もさっぱり分からない。 


 「ウワー」、「キャー」という声にならない叫びを上げながら、浩太と麻衣は二人一緒になって、山崎の部屋のドアから廊下に転がり出た。


 浩太と麻衣はハーハーと荒い息を吐きながら、二人並んで廊下の壁にもたれこんだ。雨の土曜日の午後、さくら女子寮の中はシンと静まり返っている。共通スペースへとまっすぐに続く廊下にも、人っ子一人見当たらなかった。その静寂が二人を現実に引き戻した。


 浩太と麻衣は顔を見合わせた。


 「北倉さん。何かいたね」


 「占部君。何かいたよー」


 それから二人は今出てきた山崎の部屋の中をおそるおそる覗き込んだ。『何か』はまだ部屋の中にいるのだろうか?


 それから、ふたりはおっかなびっくりで、『何か』を探したのだが、結局、いくらさがしても、『何か』は見つからなかった。念のため天井を見たが・・・そこには何もいなかった。


 二人は山崎咲良の部屋を出て鍵を掛けてから食堂に戻った。お昼の喧騒が過ぎ去った後で、いまは食堂の中には誰もいない。まかないのおばさんたちもどこかで休んでいるのか、調理場には姿がなかった。


 浩太は意気消沈していた。麻衣に向かって深々と頭を下げた。


 「北倉さん。ごめんなさい。せっかく山崎さんの部屋に僕がついていったのに、僕はまったく役に立たなかったみたいだね」


 麻衣が首を振った。


 「ううん。・・・仕方ないわよ。占部君。私たち、てっきり、入り口のドアかベランダの窓を開けて、誰かが入ってくると思っていたんだもん。天井から何か落ちてくるなんて誰も想像してないわよ。それにしても驚いたわね」


 浩太は麻衣の言葉にうなずいた。


 「一体、何が落ちてきたんだろうか? 北倉さんは、落ちてきたものを見たんでしょ。何だった?」


 麻衣が再び首を振った。


 「さあ、分からない。はっきり見えなかったから。・・・しかし真相を突き止めないと、山崎さんに合わせる顔がないわね。だってお部屋の天井から何か落ちてきたなんて話だけを聞かされたら、誰でも気味が悪いじゃない。きっと山崎さんはお部屋を変わりたいと言い出すに違いないわ。山崎さんは土日を郷里で過ごして、月曜は郷里から会社に直接出勤すると言ってたのよ。つまり、今日の土曜日と明日の日曜日の間に、私たち二人で何とか解決しないといけないわけね」


 麻衣はそう言うと、大きくため息をついた。浩太は麻衣の顔をのぞき込んだ。


 「北倉さん。これから、どうしようか?」


 「そうね。もう一度、山崎さんのお部屋に行って張り込みを続けるしかないわね。だけど、今度は誰かが部屋に入ってくるということだけでなく、何かが天井から落ちてくるということにも注意を払わないといけないわけね。さっきみたいに急に何かが落ちてきたら、私たちまたパニックになっちゃうかもね」


 「こ、今度は大丈夫だよ。ぼ、僕がちゃんと見張ってるから」


 浩太が見えを張ったが、麻衣は答えず何か考えていた。そして、ふいに浩太の顔を見て言った。


 「占部君。やっぱり作戦をたてましょう。いくら心の準備をしていても、また急に天井から何か落ちてきたら、私たち、やっぱりあわてちゃうよ」


 「うーん。そうだね。さっきみたいに何かが急に天井から落ちてきたら・・・あわてちゃうだろうね。急に落ちてくるというのが、いけないんだよね。・・・じゃ、何かが急に落ちてきても大丈夫なように、山崎さんの部屋の天井の下に網でも張って、受け止めるというのはどう?」


 麻衣が笑った。


 「残念ね。そんな大きな網は、さくら女子寮にはないわよ。それにいまからじゃ、買ってくる時間もないし」


 「女子寮には蚊帳とかはないの?」


 「蚊帳ねぇ?・・・見たことがないわ。いまどき、寮で蚊帳を吊って寝てる人なんていないでしょう」


 浩太は腕を組んで考えこんだ。


 「うーん。何かが急に落ちてくるのを防ぐ・・・いい手段はないかな?」


 麻衣は少し考えて、それからしばらくスマホをいじっていたが・・・急に笑顔になって浩太の顔を覗き込んだ。麻衣のはじけるような笑顔に、浩太は思わず息をのんだ。条件反射のように、浩太の顔が赤くなる。それには気づかず、麻衣が言った。


 「そうだ。占部君、あなた、おとりになってよ」


     (つづく)

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