第8話 張り込み
浩太は、繰り返されるどじょう売りの替え歌に合わせるように・・・麻衣の部屋のベランダの窓をつかんだまま・・・腰を前後に、両手を上下に動かし続けた。大音量の替え歌が、さくら女子寮に響き渡る。
♪ お江戸めいぶつぅぅぅ どじょうぉぉぉすくぅぅぅいぃぃぃ
踊ってぇぇぇぇ 見せましょぉぉぉ 替え歌をぉぉぉぉ
腰をぉぉぉ卑猥にぃぃぃぃ 動かしてぇぇぇぇぇぇ
両手を卑猥にぃぃぃぃ 動かしてぇぇぇぇぇぇ
乙女をぉぉぉぉ狙うぅぅぅぅ どじょうぉぉぉすくいぃぃぃ
すけべなぁぁぁぁぁ おとこにぃぃぃぃぃ
姉ちゃぁぁぁぁん 気ぃぃぃぃつけやぁぁぁぁぁ ♪
窓はなかなか開かない。
そのときだ。急に麻衣の部屋の明かりがついた。人影が室内に入ってきて・・・ベランダのカーテンが勢いよく押し開かれた。
「キャー」
麻衣の悲鳴がさくら女子寮に響き渡った。
それから・・・
麻衣の悲鳴に気づいた東棟2階の寮生たちがすぐに管理人の宮井に連絡した。宮井が管理人室から麻衣の部屋に飛んでくるまで1分とかからなかった。女子寮生たちが手に手に、ほうきや掃除機の筒先や長い竹製の物差しを持って、次々に麻衣の部屋に集まってきた。ちょうど、さくら女子寮の管理人室で、宮井と打ち合わせをしていたた警備会社の警備員もやって来た。
浩太の眼には・・・ベランダのガラス窓越しに・・・麻衣の部屋の中に、どんどん人が集まってくるのが見えた!
浩太は焦ってしまった。しかし、自分の部屋のベランダに戻るには、もう一度、隔て板を乗り越えなければならない。そんなことをしている余裕はなかった。
こうなったら、早くこの窓のクレセント錠を開けて・・・北倉さんや、宮井さんや、女子寮生や、警備会社の警備員に事情を説明しないといけない・・・
浩太は懸命に窓を揺すった。でも、開かない・・・
浩太の頭に、再びリフォーム店のおじさんの言葉がよみがえった。
そうだ・・・もっと腰を引いて・・・腰をクネクネと前後に動かして・・・手は上下に揺すって・・・
大音量の替え歌が鳴り響く。
♪ 乙女のぉぉぉぉ部屋にぃぃぃぃ 忍び込むぅぅぅぅぅぅ
すけべなぁぁぁぁぁ おとこがぁぁぁ ここにぃぃいるぅぅぅ
腰をぉぉぉ前後にぃぃぃぃ 動かしてぇぇぇぇぇぇ
両手を上下にぃぃぃぃ 動かしてぇぇぇぇぇぇ
乙女をぉぉぉぉ狙うぅぅぅぅ どじょうぉぉぉすくいぃぃぃ
卑猥な踊りをぉぉぉぉ 踊ってるぅぅぅぅぅぅ
姉ちゃぁぁぁぁん 気ぃぃぃぃつけやぁぁぁぁぁ ♪
替え歌が響く中、浩太は中腰になって、腰を思いっきり落とし、さらに腰を前後に、両手を上下に動かし続けた・・・
一方、麻衣、宮井、それに麻衣の部屋に集まった女子寮生たちと警備員は、麻衣の部屋の中から・・・窓の外のベランダで、大音量の替え歌に合わせて、卑猥なダンスを踊り続けている浩太を呆然となって見つめていた・・・
どのくらいの時間、そうしていただろうか? 浩太には無限に続く地獄の時間のように思えた。
突然、麻衣の部屋のベランダの窓が内側からスッと開いた。麻衣が顔を出した。麻衣が鬼の形相で言った。
「占部君。やっぱりあなたが犯人だったのね。・・・でも、あなた、私のお部屋のベランダでどうして、そんな卑猥などじょうすくいを踊っているの?」
30分後・・・
浩太は管理人室の床で正座をさせられていた。両手を前の床について頭を深々と下げている。浩太の前には宮井と麻衣が腕を組んで立っていた。
「それで、そのリフォーム店のおじさんが言ったことを、私の部屋で確かめようとしたわけなの?」
麻衣があきれた声で聞いた。
「そうです」
浩太は小さな声で答えた。また、麻衣に敬語を使っている。
「でも、黙って女の子の部屋に入ろうとするなんて最低ね!」
麻衣は容赦しなかった。浩太は言葉もなく頭を垂れていた。
「でもどうして、私のお部屋のベランダでどじょうすくいなんかを踊っていたのよ? それも卑猥な歌を掛けて、卑猥な腰と手の動作で?」
「いえ、だ、だから、どじょうすくいを踊ってたわけではないんです。う、歌は、たまたま通りかかった、どじょう売りの車が流していたものです。腰と手は、おじさんがそうするようにと・・・」
浩太の声が消え入りそうだ。
「ふーん。なんか怪しいわね。それで、ベランダの窓の鍵は、あなたが窓を揺すっても開かなかったのね」
「そう。なぜなのか、まったく開かなかったんです」
麻衣が頷きながら言った。
「実はね、占部君。あなたがさくら女子寮に来る前に、寮のベランダの窓のクレセント錠をすべて付け替えたのよ。さくら女子寮の警備会社から連絡があってね。そのリフォーム店のおじさんが言ったように、窓を揺すると開いちゃう可能性があるから、揺すっても開かないタイプに替えましょうかって警備会社が言ってきたのよ。ロック付きのクレセント錠なら、外から揺すっても開かないらしいの。それで寮生大会で討議してね、安全な鍵に付け替えてもらうことにしたのよ。そして、今年の初めに、さくら女子寮のクレセント錠の付け替え工事がすべて終わったのよ」
麻衣の言葉に浩太は驚いた。
「ええっ、クレセント錠が揺すっても開かないタイプになっていたなんて・・・じゃあ、犯人はベランダの外から、クレセント錠を揺すって開けて室内に侵入したという僕の推理は間違っていたの?」
麻衣が明るく笑った。
「そいうことね。最初の前提から、あなたの推理は間違っていたのよ。・・・占部君、いいこと。今度から何かを実験する前には、必ずあなたの推理を私に話してね。ここは女子寮ですからね。あんな変てこな実験をされたらから、私も含めて寮生がみんな迷惑するでしょ」
浩太は言葉もなく打ちのめされてしまった。床に正座した浩太が麻衣の顔を見上げた。
「はい・・・これからは・・・そうします」
「まあ、いいわ。あなたが、付け替えたクレセント錠の安全性を確認してくれたってことで、今回は特別に許してあげる。それでね。占部君。その代わり、罰として明日は絶対に私に付き合いなさいよ。明日は午後から雨だからね。誰がこの事件の犯人で、どんな密室トリックを使ったのか・・・二人で山崎さんのお部屋に行って確かめてみましょう。明日の12時に寮の食堂に来るのよ。いいわね」
翌日、正午になると浩太は食堂に出向いた。麻衣は食事をとらずに食堂の入り口で浩太を待っていてくれた。
さくら女子寮の食堂は共用スペース2階にある。四角い4人掛けのテーブルが24脚あって、それが4列に並べてある大きな部屋だ。片側の面が厨房になっており、厨房の中では会社が契約している、まかないのおばさんが3人忙しく働いていた。今は土曜日の正午という事もあって、まだ食堂の中には寮生がパラパラといるにすぎない。
さくら女子寮の食堂では、平日は朝晩の二食、土日祝日は朝昼晩の三食が出る。寮生は壁に貼ってある予約表に二日前までにマークを入れて食事を予約するシステムになっていた。メニューはなく献立はおまかせの1点のみだ。
浩太と麻衣は、厨房のカウンターで「お願いします」と声を掛けた。その日の昼食の献立は『肉汁うどん』だ。二人は『肉汁うどん』を受け取って、空いているテーブルに座った。『肉汁うどん』は武蔵野の郷土料理だ。豚肉と長ネギがたっぷりと入った『つけ汁』に、冷たいうどんをつけて食べる。一部では『武蔵野うどん』とも呼ぶようだ。うどんは浩太の大好物である。
麻衣は黙々とうどんを食べている。浩太は麻衣と二人でうどんを食べながら、周りの女性からの視線を感じた。浩太がさくら女子寮にいることは、寮生はみんな承知しているはずだが・・・やはり、女子寮に男性は珍しいのだろう。女性たちの視線を浴びて、浩太は思わず赤くなってしまうのだった。
食事が終わると、浩太は麻衣に連れられて、山崎咲良の部屋であるW207号室に出向いた。
麻衣が山崎咲良の部屋の鍵を開ける。部屋に入ると柑橘系の良い香りがした。
室内はよく片付けられていた。薄い黄緑色の壁紙と、ベランダのパープルのカーテンがコントラストになって、目にまぶしい。化粧鏡の前には化粧品が入ったポーチやティッシュの箱が置かれ、その横には子犬のぬいぐるみが浩太を見張るように置いてあった。奥の机の上には女性週刊誌、フアッション雑誌、料理の本、ボールペンなどがきちんと整理して置かれている。テレビは置いていなかった。麻衣がベランダの窓を開けて、部屋の空気の入れ替えをしている。雨が降りだすまで、まだ少し時間がありそうだった。麻衣が浩太を振り返った。
「山崎さんには、いつもと同じように小物を置いてもらったの。さあ、今のうちに写真を撮っておきましょう」
麻衣はそう言うと、スマホを取り出して室内を撮影し始めた。一通りの撮影が終わると、麻衣は化粧鏡の前の椅子に腰を掛けて、浩太に机の前の椅子に掛けるように促した。
麻衣と二人だけで寮の部屋にいる。そう思っただけで、浩太の頬は上気し、心臓が早鐘のように鳴りだした。しかし、麻衣は、そんな浩太の気持にはお構いなく、持ってきたバッグから書類を取り出して浩太に渡した。
「まだ雨もふっていないし、まだ何も起こらないと思うので、いまのうちにひと仕事すませてしまいましょう。ちょうどいい機会だから、いまのうちに占部君にさくら女子寮の規則を説明しておくね。これが女子寮の管理規定なの」
浩太が書類を受け取るとき、指先が麻衣の指と触れ合った。浩太はあわてて手をひっこめた。もう一度手を出して、改めて書類を受け取りながら、浩太は照れ隠しのように麻衣の顔を見た。
「確か、北倉さんは寮長さんだったよね?」
麻衣がにっこりと微笑んで頷いた。浩太の心臓がドキリと鳴る。麻衣の声が浩太の頭の中に響いた。
「そうよ。私が、さくら女子寮の寮長なの。こう見えて、私は偉いんだから。・・・ウフフ。冗談。冗談。寮長っていっても、要するに寮の『何でも屋』なのよ。・・・寮長は1年の任期で、毎年4月に寮生大会で選出するの。といっても、選挙をすることはほとんどなくて、手を挙げる人がいたら自動的にその人に決まるんだけどね。私も前の寮長さんが転勤するときに、無理やり頼まれて手を挙げたわけなの。任期も適当で、誰かやりたいという人が出てくるまでは継続して寮生大会で選出されているのが実情なのよ。・・・それでね、さくら女子寮では寮生大会という寮生の全体集会を定期的に開いていて、いろいろなことを協議して決めているの。占部君の入寮も寮生大会で協議して決めたってことは前にも話したわね・・・」
(つづく)
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