第7話 実験

 「開けられるよ。こんなふうに窓を上下に揺するんだ」


 男は腰を下ろして中腰になり、さらに、その姿勢から腰を後ろに引いて、両手を前に突きだした。窓に両手を当てている格好だ。

 

 そうして、窓を上下に揺するように両手を上下に動かしながら、器用に腰を前後にクネクネと動かして見せた。


 「こういう風に窓を上下に揺すっていると、クレセント錠が少しずつ動いて・・・そのうち、開けることができるよ。腰を前後に揺すりながら、手を上下に動かすのがコツだよ」


 男がさらに腰を落として見せた。


 「こうしても、なかなかクレセント錠が開かない場合はね・・・兄ちゃん、こういう風に腰が地面に着くぐらいまで・・・腰を落とすといいよ」


 親切な男だった。


 「あ、ありがとうございました。さっそく家に帰ってやってみます」


 浩太は男にお礼を言って、その店を飛び出した。


 浩太の心は弾んでいた。


 そうか。クレセント錠は外から開けることができたんだ・・・


 やった。これで密室の謎が解けた。


 犯人は中庭から女子寮の建物の中に入り、縄ばしごを使って屋上から3階そして2階へと移り、ベランダに侵入した。それから、ベランダの窓を外から上下に揺することでクレセント錠を回転させて・・・クレセント錠を開けて室内に侵入したのだ。そして、室内を物色した後は、今度は室内からベランダに出て・・・ベランダ側から窓ガラス越しに強力な磁石を使って、室内にあった小型家電製品などを動かすことでクレセント錠を施錠したんだ!


 これで、ついに密室の謎を解いたぞ!


 浩太はさくら女子寮に戻ると、入口に掛かっている名札を見た。寮生が出かけるときは、入り口の名札を裏返す決まりになっている。麻衣の名札は裏返っていて赤字になっていた。麻衣がまだ出かけていて、寮には帰っていないことを示していた。


 北倉さんは、まだ帰ってきていないのか・・・


 麻衣に密室の謎を解いたことを早く言いたくて仕方なかったのだが、麻衣が帰ってこないことにはどうしようもない。浩太は自分の部屋に戻って、ため息をついた。


 そうだ。さっきのおじさんの言った、クレセント錠を外から開ける方法をいまのうちに試してみよう・・・


 しかし、鍵が掛かっているベランダの窓をベランダ側から開けるには、自分がベランダに出た状態で、鍵を掛けないといけない。浩太が推理したように、強力な磁石があれば、一人でも外から施錠できるはずだが・・・今は、そんな磁石は持っていない。すると、誰かに協力してもらって、室内からベランダの窓の鍵を掛けてもらわなければならないことになる。麻衣がいれば麻衣に話して、協力してもらえるのだが・・・


 浩太は弱ってしまった。いま寮にいる麻衣以外の寮生に事情を話して実験をさせてもらうことは可能だが、麻衣から「この事件のことは、まだ誰にも言わないでね」と口止めされている。


 事件以外の別の理由を考えることはできるが・・・麻衣以外の寮生に、いちいちその『別の理由』を説明するのが大変だ。それに、最近、さくら女子寮に入ったばかりの浩太が、いきなり部屋にやってきて、「あなたの部屋のベランダに僕が出ますので、あなたは部屋の中からベランダの窓の鍵を掛けてください。そうしたら、僕がベランダ側から鍵を開けてみせます」などと言っても、誰が協力してくれるだろうか。


 すると、いいことを思いついた。


 そうだ。北倉さんはいまいないから、彼女の部屋のベランダの窓は室内から鍵が掛かっているはずだ。彼女の部屋なら、おじさんの言った方法を試すことができる。これは、ちょうどいいチャンスじゃないか・・・


 しかし、そのためには・・・


 浩太の部屋のベランダから、隣の麻衣の部屋のベランダに移動しなければならない。浩太の部屋のベランダと麻衣の部屋のベランダは、隔て板で仕切られている。でも、こんなことで、隔て板を破ってしまうわけにはいかない・・・


 浩太は隔て板に近寄ってみた。隔て板はボルトで支柱に固定されている。


 このボルトを外せば、隔て板が外れるのだが・・・


 だが、ボルトを取って、いったん隔て板を外してしまうと、今度は一人で隔て板を取り付けることが実に難しそうに思えた。麻衣に、麻衣の部屋の側から隔て板を支えてもらわないと、浩太が隔て板を取り付けることは・・・簡単にはできそうになかったのだ。


 残る方法は?・・・


 浩太は、ベランダの手すりをつかんで下を見た。浩太の部屋は2階なので・・・4mほど下に中庭の地面が見えた。


 手すりの上に立って、隔て板の外側、つまり、中庭側をまわれば・・・なんとか北倉さんの部屋のベランダに行くことができる・・・


 そうだ。これしか方法はない・・・


 浩太は隔て板のところに行き、隔て板を両手でつかんだ。一つ大きく息を吸い込むと、重心がベランダ内にくるように注意を払いながら、ゆっくりと手すりの上に登った。2階の手すりの上に登ったので、浩太の目線は地面から5m以上の高さのところにある。


 地面に落ちたら大変だ。浩太は下を見ないように目をつむった。こんなところを誰かに見られたらと思うと、心臓が早鐘のように鳴り響いた。下半身がヒヤッと冷たくなって、身体の下半分の血の気が一気に引いていくのが分かった。


 手が震えて・・・身体が揺れた。


 浩太は隔て板を掴みながら、じわじわと身体を回転させて、身体を麻衣の部屋のベランダ側に移動させた。姿勢を崩さないように・・・ゆっくりと足を降ろす。なんとか麻衣の部屋のベランダに足が着いた! 汗がドッと噴き出してきた。


 ベランダから見る麻衣の部屋は真っ暗だった。ベージュ色のカーテンが引かれ、明かりが消えていた。ベランダの窓を動かしてみたが、予想通り鍵がしてある。浩太はさっきのリフォーム店のおじさんが言ったように、窓を上下に揺すってみた。しかし、窓はピクリとも動かなかった。


 「あれ、窓が動かない。おかしいな」


 浩太はおじさんの腰つきを思い出した。そうだ。もっと腰を引かなくちゃ。中腰になって・・・さらに腰を後ろに引いて・・・腰を前後に動かして・・・腰に合わせて、両手を上下に動かして・・・


 それでも、窓は動かない。


 あれっ、やっぱり動かないな。どうして?・・・


 そうだ。おじさんは、もっと腰を落とすといいと言ってたっけ・・・


 浩太は、あの店のおじさんがして見せてくれたように、ベランダの床近くまで腰を落とした。


 その姿勢で、両手で窓枠を上下に揺すりながら、腰を前後に動かす・・・


 おじさんがやった姿勢を真似すると、まるで、どじょうすくいを踊っているような腰つきだ。浩太はおじさんがしたように腰をクネクネとふりながら、窓を何度もガタガタと上下に揺すった。


 すると・・・


 どこからか物売りの車が、女子寮に近づいて来た。


 さくら女子寮の周囲は閑静な住宅地になっている。その中の住宅地に、ときおり物売りの車がやってくるのだ。売っているのは、さまざまで・・・竿だけやら、灯油やらだ。その中に、どじょう売りの車があった。どじょう鍋用に、活きたどじょうを売っているのだ。


 どじょう鍋とは、どじょうを煮た鍋料理のことだ。どじょうをまるごと料理した『丸鍋』、背開きのどじょうをごぼうと煮た『ぬき鍋』、開いたどじょうを割り下で煮込み、卵でとじた『柳川鍋』などがある。どじょう鍋は、江戸時代の昔から、江戸の郷土料理として親しまれてきた。A市のある武蔵野は江戸に近い。このため、A市でも古くから郷土料理として、一般家庭でもどじょう鍋が食べられてきたのだ。


 そういう理由から、こういった住宅地の中にまで、専門の業者さんが今でも活きたどじょうを車で売りに来るのだった。どじょう売りの車は、どの車も・・・やって来たことを知らせるために、どじょうすくいの安木節の歌を流している。中には、他の車との差別化を狙ったのだろうが、安来節の替え歌を流す車まであった。


 浩太が麻衣の部屋のベランダで、窓を開けようと奮闘していたとき・・・折しも、そんなどじょう売りの車が、さくら女子寮に近づいて来たのだ。そして、このときの車は、安来節の替え歌を大音量で流していた。


 車の接近と共に・・・さくら女子寮に大音量の安来節の替え歌が流れた・・・


 ♪ お江戸めいぶつぅぅぅ どじょうぉぉぉすくぅぅぅいぃぃぃ

   踊ってぇぇぇぇ 見せましょぉぉぉ 替え歌をぉぉぉぉ

   腰をぉぉぉ卑猥にぃぃぃぃ 動かしてぇぇぇぇぇぇ

   両手を卑猥にぃぃぃぃ 動かしてぇぇぇぇぇぇ

   乙女をぉぉぉぉ狙うぅぅぅぅ どじょうぉぉぉすくいぃぃぃ

   すけべなぁぁぁぁぁ おとこにぃぃぃぃぃ

   姉ちゃぁぁぁぁん 気ぃぃぃぃつけやぁぁぁぁぁ ♪

   

 窓はなかなか開かなかった。浩太は知らぬ間に、その卑猥な替え歌に合わせて・・・腰を前後に、両手を上下に動かしていた。


 ♪ 乙女のぉぉぉぉ部屋にぃぃぃぃ 忍び込むぅぅぅぅぅぅ

   すけべなぁぁぁぁぁ おとこがぁぁぁ ここにぃぃいるぅぅぅ

   腰をぉぉぉ前後にぃぃぃぃ 動かしてぇぇぇぇぇぇ

   両手を上下にぃぃぃぃ 動かしてぇぇぇぇぇぇ

   乙女をぉぉぉぉ狙うぅぅぅぅ どじょうぉぉぉすくいぃぃぃ

   卑猥な踊りをぉぉぉぉ 踊ってるぅぅぅぅぅぅ

   姉ちゃぁぁぁぁん 気ぃぃぃぃつけやぁぁぁぁぁ ♪

   

     (つづく)

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