第6話 推理

 浩太の推理は続く・・・


 入口のドアから室内に侵入するのは無理だ。すると犯人はベランダの窓から室内に侵入したのだろうか? 中庭で目撃された不審者はいったいどうしたのだろうか?・・・ 


 浩太は窓を開けて、ベランダに出てみた。眼の前には、よく晴れた青空が広がっていた。梅雨の合間の晴れ間だ。視界を下に向けると、木々が生い茂ってうっそうとした中庭が目に入った。浩太は木々とベランダとの距離を目で測ってみた。どう見ても30m以上あるだろう。両者の間にはよく整備された芝生が広がっている。これでは、中庭の木を伝ってベランダに侵入するのは無理だ。


 浩太は次にベランダを見渡した。ベランダは巾約2mで、一人暮らしには充分な巾が確保されている。今日のような晴れた日には、ベランダに椅子を出してのんびりと読書が楽しめるだろう。隣の麻衣の部屋との境は隔て板になっていた。緊急時には突き破れる簡易な壁だ。ざっと眺めると・・・ベランダの中にあるのは、エアコンの室外機と緊急避難用の縄ばしご、だけだった。室外機からホースが室内のエアコンに延びている。浩太は試しにエアコンの室外機に乗って、ベランダの窓を開閉してみたが、とくに密室の謎につながるようなアイデアは出てこなかった。


 犯人は中庭からベランダに侵入し、それから室内に入ったとしよう。その場合、まず中庭からベランダへはどのような侵入方法が考えられるだろうか? 浩太はベランダに立って一生懸命に考えた・・・


 中庭で高い竹馬に乗って、ベランダの脇まで移動し、竹馬からベランダに乗り移る?・・・ダメだ。そんなことをしたら、すぐに人目についてしまう。


 では、中庭側からはしごをベランダまで掛ける? んっ、はしご? そういえば、ベランダには緊急避難用の縄ばしごがある。浩太の215号室のベランダから縄ばしごを下ろせば、真下の115室のベランダに侵入するのは容易じゃないか? 


 花井さんと山崎さんの部屋は西棟の2階と3階の7号室だ。3階の花井さんの部屋から縄ばしごを垂らせば、2階の山崎さんの部屋のベランダだ。確か屋上にも縄ばしごがあったはずだ。すると・・同様に屋上から縄ばしごを垂らせば、3階の花井さんの部屋のベランダではないか。


 そうだ、犯人は中庭から直接、寮生の部屋のベランダに入ったのではなく、いったん寮の中に入り、屋上に行って縄ばしごを垂らして、花井さんと山崎さんの部屋のベランダに侵入したのではないだろうか? 屋上は施錠されておらず、寮生なら誰でも上がることができた。花井さんのいたW307号室は、花井さんが部屋を替わってから空室になっているはずだ。そうすると、屋上から3階、2階と縄ばしごを垂らして・・2階の山崎さんの部屋のベランダに侵入しても、3階の住人に発見されることはない。


 そうか。中庭からベランダに入ったのは、この方法かもしれない・・・


 では、犯人がそのようにしてベランダに侵入したとして、次に犯人はどのようにしてベランダから窓の鍵を開けたのだろう? そして、犯行後に室内からベランダに出て、どのようにしてベランダ側から窓の鍵を閉めたのだろうか?


 ベランダの窓は室内から施錠されていた。さくら女子寮のベランダの窓の鍵は、引き違い窓の室内側によく取り付けられているクレセント錠だ。クレセント錠は半円形の締め金具部分を回転させて施錠する。よくマンションなどでベランダの窓に取り付けられている鍵である。


 浩太は思いを巡らせた。室内に侵入した犯人がベランダに出て・・ベランダからクレセント錠を施錠する方法なら思い当たることがあった。以前、テレビの刑事ドラマでやっていたものだ。


 その方法とは・・


 1.まず、室内にある金属製品(ドライヤーなど)を探す。

 2.金属製品を見つけたら、超強力な磁石を使ってベランダの窓ガラスのクレセント錠の近くに・・金属製品が室内側、磁石がベランダ側になるように張り付ける。

 3.室内からベランダに出て、ベランダの窓を閉める。

 4.ベランダから磁石を動かして・・室内側の金属製品で、クレセント錠をロックする。

 5.ベランダ側の磁石を取ると・・金属製品が室内の床に落ちる。これで、部屋の住人が帰ってきても、ベランダの近くに金属製品が床に落ちているだけなので、そんなに不審には思わない。


 浩太は、このテレビドラマを見て・・あんなに磁力が強い強力な磁石が市販されていることを初めて知ったのだ。あんな磁石だったら、ちょっとした家電製品などは軽く動かすことができる。家電製品を動かせば、クレセント錠の施錠は不可能ではない。今回の犯人も、この方法でベランダから窓のクレセント錠を施錠したのかもしれない。


 そうだ、そうに違いない。きっと、この方法を使ったのだ。では、残る疑問は一つだけだ。つまり、ベランダに降りた犯人が、どうやってベランダの窓のクレセント錠を開けて、室内に入ることができたのかということだ。


 これが判れば、密室の謎が解けるぞ・・


 浩太は自室のクレセント錠を調べてみた。一体、犯人はどうしたのだろうか? 窓ガラスを割ったわけでもないし・・・何か方法があるはずだ。しかし、浩太はここで考えに詰まってしまった。どう考えても、ベランダからクレセント錠を開ける方法が思いつかないのだ。


 やむなく、その日の昼前に浩太は気晴らしにA市の繁華街に出てみた。いくら考えても犯人がベランダから室内に出入りした方法が分からなかったので、気晴らしがしたくなったのだ。


 A市は東京近郊の人口約10万人の街である。東西に細長い形状をしており、西部には関東山地の一部をなす山々がそびえていて、ちょっとしたハイキングが楽しめた。二つの川が市域を分割するように流れており、市の東部は二つの川によってできた緩やかな丘陵に囲まれる平坦部になっていた。その丘陵は、関東平野をおおう巨大な武蔵野台地につながっている。武蔵野の面影が色濃く残った丘陵だ。


 市の中心にあるJRの駅のホームに上がると、晴れた日には西側に富士山を望むことができた。JRの駅前からは片道2車線の大きな道路が南から北へ走っており、道路の両脇には商店やレストラン、病院などが軒を連ねている。


 浩太は駅前の大きな道路に沿って進んだ。


 何度か行ったことのあるインド料理屋に入って軽く昼食を済ますと、浩太は大きな道路から横道の路地に入った。路地を出ると閑静な住宅街があった。住宅街をあてもなくブラブラと歩いた。


 しばらく進むと、民家の間に小さな店が現れた。店の前に「リフォームします」という看板が見えた。下に小さく「アパート・マンションの改装承ります」という文字がある。


 その店の前を何気なく通り過ぎて、浩太は思わず立ち止まった。


 「そうだ。ここならクレセント錠のことが聞けるかもしれない」


 浩太はふりかえって店の前に戻った。プレハブの小さな店だ。入り口のガラス戸越しに覗くと、中は4畳半ほどの事務所になっていた。中央に安物の応接セットが置いてある。左には事務用の机があって、頭の禿げあがった五十年配の男が何か書き物をしていた。浩太は勇気を振り絞って、引き戸を開けた。


 「ごめんください」


 事務机の男がこちらを向いた。


 「はい。いらっしゃいませ」


 「あのう。クレセント錠のことを教えていただけませんか?」


 「クレセント錠?」


 男の顔が営業用の笑顔から、みるみる不審者を見る顔に変わった。浩太の言うことが理解できない様子だ。


 「クレセント錠の何が知りたいの?」


 「実は自宅のマンションで、内側からクレセント錠が掛かってしまったままになっている部屋があって・・それで、そのクレセント錠を外側から開けたいんですが・・何か方法はありませんか?」


 我ながら下手な言い訳だと思った。男がマンションまで行って開けてやると言い出したら万事休すだ。


 「ああ。そうかい」


 男が笑った。親切そうな男だ。浩太はホッとした。


 「よくあるんだよね。奥さんがベランダで洗濯物を干してたら、子どもが鍵を掛けちゃったとかね。そんなときはね、窓ガラスを上下に揺するといいよ。これを繰り返すと、クレセント錠が少しずつ回転して鍵をあけることができるよ。一度やってみて。それでダメだったら、もう一度ここに来てよ。ワシがマンションに行って開けてあげるよ」


 浩太は男の話に目を見張った。


 「えっ、それでは、外のベランダ側から、クレセント錠を開けることができるんですか?」


   (つづく)

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