第2話 不審者
株式会社総化の女子独身寮「さくら女子寮」の2階にある食堂・・・
浩太は食堂の外の廊下でびしょ濡れになったスーツを脱ぎ、ジャージに着替えて食堂に入った。ジャージは管理人の宮井が貸してくれたもので、さくら女子寮の備え付けの品という話だった。シャイニーピンクのど派手な色で、あまりの派手さに、着がえた浩太がおもわず赤くなってしまった。ジャージの胸には女子寮のマークだろうか? 丸の中に杉のような木のシルエットがあるマークがついていた。
食堂の中央では、さくら女子寮の管理人である宮井さゆり、浩太と同期入社の北倉麻衣、そのほか3人の女子寮生・・の全5人の女性がテーブルに座って、浩太を待っていた。驚いたことに管理人の宮井も含めて、なぜか全員が黒のジャージ姿だ。
浩太がシャイニーピンクのジャージ姿で、黒のジャージの5人の女性の前に座ると、宮井が口を開いた。
「占部さん。すまん事をしたのう。最近、女子寮にな、ときおり不審者が 現れるんじゃよ。それで、わしらは、あんたをその不審者と間違えてしもうたんじゃ」
浩太は、あきれた声を出した。
「はぁ? それじゃあ、僕は不審者と思われたんですかぁ?」
宮井が続けた。
「そうなんじゃ。占部さんが今日、さくら女子寮に来ることは、会社の人事部や男子寮の
宮井さんはどこの出身なのだろうか。「なになにじゃ」という言い方は岡山の人に多いが、宮井さんも衣田さんと同じ岡山の出身なのだろうか? 総化の独身寮の管理人には岡山県の出身者が多いのだろうか? そう思いながら、浩太は宮井の話を聞いていた。すると、宮井の後を受けて、浩太と同期入社の北倉麻衣が説明を始めた。
「それで、今日ね、不審者の対策をどうするかって、ここにいる5人で、管理人室で相談をしていたのよ。ちょうど、そこへ占部君がやってきたというわけなの。私たち、てっきり問題の不審者が現れたと思っちゃったのよ」
そこで、麻衣は浩太の顔を覗き込んで、ゆっくりした口調で聞いた。
「ところで、占部君は本当に問題の不審者じゃないのね?」
浩太は首を振った。
「当たり前だよ。僕は今日大阪支社で最後の勤務をして、夕方の新幹線でこちらに出てきたばかりだよ。何だったら大阪支社に聞いてみてよ。今日の夕方までずっと大阪支社で働いていたんだから、東京の女子寮の不審者になんてなれるはずもないよ」
「そう、分かったわ。ごめんね。嫌な思いをさせちゃったね」
麻衣が殊勝にも頭を下げてそんなことを言うので、浩太は少しドギマギしてしまった。浩太と同じ26才なのに麻衣の方が落ち着いていて、ずっと年上に見える。前下がりのショートボブの髪形が良く似合ってカッコよかった。身長は165㎝くらい。浩太よりやや高いだろうか。大きな眼、程よい大きさの鼻、引き締まった唇・・・美人だ。整った顔が黒のジャージの上に浮き上がって、色っぽく、ほんの少し上気して見える。
浩太たちは、4年前に総化に入社した。浩太や麻衣の同期入社は全部で55人だ。総化が創立55年の年に、55人が入社したのでわかりやすい。入社式とそれに続く東京での研修の後は、みんな全国各地にある支社や工場、研究所に散らばってしまって、4年間、一度も顔をあわせていない者も多かった。麻衣は理系で、東京にある研究所に配属され研究員をしていた。大阪支社に配属されて営業をしていた浩太は、その後、麻衣と顔を合わせる機会がなかった。だから、浩太が麻衣と会うのも研修以来で4年ぶりになる。たしか、さくら女子寮にいるのは同期では麻衣だけだったはずだ。
浩太は、そんな麻衣に若干気おくれを感じながら話題を変えた。
「でも、うちの会社は警備会社と契約してるんでしょ。だったら、そういった不審者は警備会社につかまえてもらうべきなんじゃないのかな。管理人さんと寮生だけでつかまえようとするのは危険なんじゃないの?」
浩太が言うと、今度は宮井が答えた。
「占部さん。あんた、それがのう・・・ちょっと変わった不審者なんじゃ。・・・何だか、寮生の中に、その問題の不審者がいるようにも思えてね。警備会社に言うと、不審者のことが会社にも公になるでのう。公になる前に、私たちで真相を確かめようとしたんじゃよ」
浩太は首を傾げた。
「ちょっと変わった不審者ですか?」
「そうなんじゃ。どう変わっとるかというと・・・いや、占部さんは、今夜さくら女子寮に来たばかりじゃ。先に女子寮の説明をせんとな」
そう言うと、宮井は簡単に女子寮の説明を始めた。それによると・・
さくら女子寮は東京近郊のA市にある。株式会社総化の女子独身寮だ。武蔵野の名残が残る雑木林を中庭として、鉄筋コンクリート造りで3階建ての寮が建っていた。玄関から入ると、ちょうどVの字をひっくり返した形で、鳥が羽根を広げるように東棟と西棟が左右に延びる構造になっている。東棟と西棟の合流部、すなわち、建物の中央部には共用スペースが設けられていた。
東棟と西棟の各階には各々15の寮生の部屋が並んでおり、中央の共有スペース側から順に1号室,2号室・・と番号がつけられている。西棟の1階の5号室ならばW105号室、東棟の3階11号室ならばE311号室と呼ばれていた。各部屋は六畳ほどの広さのワンルームで洋室だ。室内には備え付けのベッドと机があり、部屋でシャワーを浴びることができるシャワーユニットやエアコン、クローゼットがついている。入口ドアの対面には小さなベランダがあり、ベランダに出られるように大きな特殊ガラス製の窓が備えてあった。
各部屋のベランダは中庭に面しており、ベランダからは木々がうっそうとしげる中庭を望むことができる。部屋は一人一室で、バス・トイレは部屋にはなく共用である。また、女子寮らしく、ベッドと反対側の壁には大きな鏡と化粧用の机と椅子が備えてあった。さくら女子寮は定員が90人だが、いまは8割ぐらい埋まっているということだ。
さらに、共用スペースも3階まであって・・1階部分には玄関、風呂場、洗濯機がおいてある洗濯室、それに応接室などがあった。2階部分には食堂と、飲み物やアイスクリームなどの自販機付きの休憩室、3階部分には管理人室と倉庫がある。加えて、共用スペース各階には、共用の大きなトイレがあり、トイレの中にはパウダールームも設けられていた。また、寮生が料理や茶道を学べるように、2階と3階の共用スペースには趣味や習い事で使える和室や洋室、炊事室などが造られていた。そして、さらに、各階共用スペースにはそれぞれ、誰でも自由に使える共通の大型冷蔵庫,電子レンジ,アイロン台などが一通り設置してあるのだ。それらの横には、自由に持ち出せる掃除機やアイロンなどの備品も置いてある・・・という豪華さだ。
また、女子寮の敷地内には、管理人である宮井の一人住まいの住居がある。宮井の住居は1階の共用スペースと廊下でつながっていて、雨でも塗れずに、管理人室に行けるようになっていた。
女子寮なので、寮の中のトイレは全て女子トイレだ。浩太は男性だが、宮井は浩太に、女子トイレを使ってもらって構わないと言った。さらに、宮井が「風呂はどうするかね? 女子と時間を分けて、入れるようにすることもできるんじゃが・・」と聞いたので、浩太は「風呂は部屋に備え付けのシャワーで済ませます」と答えた。
女子寮の説明が一通り終わると、宮井は食堂の時計を見上げた。
「おや、もう12時かいのう。今日はここまでにして休むべえ。占部さん、あんたの荷物は部屋においてあるでのう。北倉さんの隣の部屋じゃけえ。分からんことがあったら、何でも北倉さんに聞いてくだせえな」
宮井が不思議な方言で答えて、そこで話は終わって解散となった。
浩太は宮井と麻衣に案内されて、2階の食堂から、同じ2階の東棟にまわった。宮井は浩太を東棟の一番奥にあるE215号室に連れて行くと、「ここが、占部さんの部屋じゃけえ」と言って、鍵を出してドアを開けて、自分はさっさと管理人室に戻って行った。
部屋の中を一目見るなり、浩太は面食らってしまった。室内は全て・・壁紙もベランダのカーテンも、床のカーペットも、どこもかしこも・・かわいらしいピンク色で統一してあったのだ。いかにも若い独身女性の部屋という感じだ。どこからか甘い香りがした。床には、浩太が大阪から送った段ボールが2箱ポツンと置いてあった。
こんなピンクばかりの部屋に住むのかぁ・・・僕の着ているジャージがシャイニーピンクで、部屋もピンク・・・ここは、ピンクの世界だぁ・・・
浩太が部屋の入り口で呆然としていると、麻衣が浩太の後ろから頭を突き出した。「いいお部屋ね」と言いながら室内をのぞき込んでいる。
しかし、麻衣はすぐに頭を引っ込めた。そして、「じゃあ、私はお隣のE214号室だから、何か困ったことがあったら遠慮なく私を呼んでね。ただし、私のお部屋に忍び込んでもダメだからね。鍵をして寝るよ」と言うと・・・はじけるような笑顔を残して隣の部屋に消えていった。
麻衣の笑顔で・・浩太の胸が激しく波打った。そのときになって、浩太は肝心なことを思い出した。
そうだ、ドタバタしていて、宮井さんと北倉さんに確認するのを忘れてしまった。独身女子寮に本当に独身男子が入って問題はないのかを・・・
(つづく)
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