第1話 さくら女子寮
その日は
占部浩太は26才。独身で、東京に本社のある総合化学メーカー「株式会社 総化」の営業部員だ。身長は1m60㎝、体重は65㎏。小柄でやや小太りの体形。総化に入社以来ずっと大阪営業所に勤務していたのだが、このたび東京本社に転勤となり、その日の夕方に新幹線で東京に出てきたのだった。
株式会社総化は、東京に本社と研究所があり、そのどちらかに勤務する独身者の寮として、A市に男子寮と女子寮を持っている。
事は、浩太がその日の夜、会社から指定されたA市にある男子独身寮に出向いたところから始まった・・・
浩太が男子寮に着くと、昨年会社を定年退職したという男子寮の管理人の
「占部さんだねえ。ああ、あんたの入寮の連絡は会社から聞いてるよ。だけど、男子寮はいま満室で空きが全くないんでねえ。それで、あんたは女子寮に入るように手配をしといたよ。女子寮はここから歩いて20分なんだけれど、あんた、悪いが、これから女子寮の方へ行ってくれんかね。ああ、あんたが大阪から送った荷物は、女子寮に送っといたから心配はいらんよ。女子寮は宮井さんというおばさんが管理人をしとる。宮井さんに会ったら、よろしく言っておいてくれんかね」
浩太は飛び上がらんばかりに仰天した。
「えっ、女子寮ですか? それはダメですよ。僕は男なんですよ。男の僕が女子寮なんて入れるわけがないじゃないですか!」
「ええんじゃ。ええんじゃ。会社にも了解をとっとるし、宮井さんにも話してあるから、周りは全て了解済みなんじゃ。じゃから、心配せんでもええ。女子寮としても、あんたの入寮は全く問題ないということなんじゃ」
「そんなこと言っても。男子が女子寮だなんて。いくらなんでも、そりゃ無茶ですよ」
「気にせんでもええんじゃ。大丈夫なんだって。さあ、これが女子寮までの地図じゃ。車で送っていってやりたいんじゃが、いま、ちょっとドタバタしとるけえ。すまんけど、あんた、自分で女子寮まで歩いて行ってくれんかね」
そう言うと衣田は、浩太に新聞広告の裏にボールペンでメモ書きした『地図』を渡して、さっさと浩太を男子寮から追い出してしまった。
それにしても衣田さんはどこの出身なのだろうか? 話しぶりには、少し岡山の方言が入っているようだが・・・
浩太の母がたの祖母は岡山県の山間部の出身だった。浩太は衣田の話の中に、小さいころ夏休みに祖母の家に遊びに行ったときに聞いた岡山の方言が入っているように感じてなつかしく思った。夏休み、青空、入道雲、セミの声・・・ああ、いいなあ。
しかし、浩太の感傷はそれ以上進まなかった。衣田が書いてくれた『地図』が判りにくいことはなはだしいのだ。衣田は、女子寮は男子寮から歩いて20分と言ったが、歩き出して20分を経過しても一向に女子寮にはたどり着けず、結局、浩太は町の中をさまよい歩くことになってしまった。住所が書いてあったのならば、携帯で場所を検索できるのだが、衣田が書いてくれた『地図』には住所も書かれていない。また女子寮の管理人の宮田の電話番号も書かれていなかった。携帯の地図アプリで調べようにも、衣田は女子寮の名前も教えてくれなかった。浩太が試しに地図アプリに『株式会社総化 女子寮』とか『株式会社総化 独身寮』と入力しても、さっぱり
ヒットしないのだ。
おまけに、途中から雨が降ってきて、うっかり雨具をわすれた浩太はずぶぬれになってしまった。周りは閑静な住宅街で雨傘を買えそうな店もない。コンビニもまったく見当たらないのだ。誰か通行人が現われたら道を聞こうと思っていたが、夜中に、しかもこんな雨の中で住宅街を歩く人はいないようで誰にも出会わない。6月末の梅雨に濡れながら、浩太は思わず愚痴をこぼした。
「踏んだり蹴ったりとはこのことだ」
もう着ているスーツはすっかり水浸しだ。上着の裾から雨粒よりも大きな水滴がポタポタと地面に落下している。一足歩くたびに革靴からゴボッと水が噴き出した。泣きだしそうになりながら、もう2時間も歩いただろうか。ふいに閑静な住宅が途切れると、目の前に雨に濡れる大きな門が現れた。門の横に大きな縦長の表札があり、無機質な文字で『株式会社総化 さくら女子寮』と書かれている。
「やった。やっと着いた」
浩太は心の中で拍手喝采を送った。こんなときは、地獄に仏と言うのだったっけ?
浩太はもう一度、門を見た。
レンガ造りの、誠にいかめしい門だった。まるで、映画の世界に出てくる、古い西洋の城門のようだ。門扉は鉄製で、表面には何かの文様のレリーフが施してあった。その門は、浩太の眼の前で、ピッタリと閉じられている。門の横には、先ほど見た『株式会社総化 さくら女子寮』と書かれた表札が重々しく掲げてあった。表札の重々しさと、『さくら』というひらがなの表記が不釣り合いなこと甚だしい。
『さくら女子寮』かぁ!・・・なんだか幼稚園みたいな名前だな。
思わず、浩太は苦笑を漏らした。
目の前の門から、緑色の樹々が生い茂った広い中庭が見えていた。樹々が雨に打たれて濡れている。樹々の向こうには、大きな建物が黒い影になっていた。しかし、浩太がそうやって中を観察する間も、依然として門は閉ざされたままだ。浩太は試しに門を押したり引いたりしてみたが、門はビクともしなかった。どうやって中に入るのだろう? 門の周りをくまなく探したが、どこにもインターフォンはなかった。
浩太は雨の中をずぶぬれになりながら女子寮の周りを何度も歩いてみた。だが、ほかに入口は見つからなかった。再びさっきの門の前に戻って、どうしたものかと考えていると、浩太の目の前でいきなり門が音を立てて開いた。
「あれっ、勝手に門が開いた? 女子寮なのに不用心だなあ。これでは誰でも簡単に中に入れちゃうよ。・・・しかし、僕は入ってもいいんだろうか?」
一瞬戸惑ったが、ずぶぬれの身体を考えると躊躇していられなかった。浩太は迷わず門の中に足を踏み入れた。浩太が中に入ると同時に、浩太の後ろで、いままで開いていた門が音を立てて閉まった。なんで門が勝手に閉まるの?と思ったが、その時、雨がさらに激しくなって、浩太はそれ以上考えることができなかった。
浩太の眼に前には広い中庭があった。浩太はそのまま中庭を進んでいった。
それにしても広い中庭だった。「東京近郊にこれだけの土地を持った女子寮があるなんて。うちの会社も結構な財産を持ってるなあ」とのんきに考えながら樹々の中の道を歩いていくと、ふいに何かにつまずいて、浩太はビシャリと水たまりの中に前のめりに倒れてしまった。
すると、周囲から「やった」と声が上がり、周りの木々の間から人影が現われて次々と浩太の背中の上に覆いかぶさってくる。
「ちょ、ちょっと・・・」
水たまりに顔を突っ伏しながら浩太は声を上げようとしたが、次々と背中に覆いかぶさる体重に圧迫されて、声を上げることができなかった。
すると、雨の中を明るい懐中電灯の光が近づいてきた。
「管理人さん。こっち、こっち」という声が背中から聞こえた。懐中電灯を持った人物は、その声に合わせてゆっくりと近づいてくると、懐中電灯の光を浩太の顔に当てた。まぶしくて浩太は思わず目をつむった。すると、懐中電灯を持った人物の横から声が上がった。
「あれっ、占部君? 占部君じゃないの? あなたが犯人だったの?」
(つづく)
次の更新予定
さくら女子寮の怪 永嶋良一 @azuki-takuan
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