第9話 仏蘭西 万物齊同と不死

 僕らはフランス共和国に降り立つ。首都パリに移動し、一泊ののち、早朝に出でて、ルーブル美術館へ行った。今日一日ではとても廻り切れないであろうと予感しつつ。広場中枢にあるガラスのピラミッドからエスカレーターで地下に降り、チケットを購入する。

「さあ、行きましょう」

 赤い唇、白い歯、碧い眼の叔母はフランス国旗のようだった。アポリネールの詩にそんなフレーズがあったような気がする。


 壮大な階段の、中段、ちょうど左右に分かれて折り返す踊り場に、崇高なる勝利の女神『サモトラケのニケ』像があった。見上げると生命を鼓舞する。風を孕んで広げられる翼の造形、天から船の舳先に降臨した様相、両腕も頭首も缺(かけ)毀(こぼ)れてしまっているが、動的でドラマチックな、風に吹かれ、靡く衣の襞。ヘレニズム様式の古代ギリシャ彫刻だ。

 僕は館内を象徴の森を翔るように、駈け廻った。歴史あるさまざまな、逝にしへの絵画たちの狭間を。それらは一連の、精神的に極彩を奏でる絵巻物だ。

 ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』、ルーベンスが女王マリー・ド・メディシスの偉業を描いた連作、新古典主義の画家アングルの『グランド・オダリスク』、ルイ・ダヴィッドの壮大なる『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』、フェルメールが市民生活の日常を描いた『レースを編む女』、レンブラント『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』、ジェリコー『メデューズ号の筏』、華麗なるベラスケス『マルガリータ王女』、光と陰で劇的な一瞬を捉えるカラヴァッジオ『聖母の死』、ラファエロ『聖母子と幼児聖ヨハネ』、神妙なるダ・ヴィンチの『モナ・リザ」。僕は昏い緑の背景を見ると蒼古という言葉を想起した。微妙で繊細な起伏は奥深い空間に秘められ、真枢に実在していると感覚させる。『ヴィルヌーブ・レ・ザヴィニョンのピエタ』の深い悲哀。〝ピエタ〟とは慈悲という意味だが、磔刑から降架されたイエスの亡骸を抱く聖母マリアの様子を言う。

 ギリシャとは異なる偉があった。広やかさや蒼穹のごとき崇高の、あの感じと少し違い、荘厳であるゆえに、又重くもあった。だが、美の崇高がある。僕は夢中になった。生きることは素晴らしいとも思えてくる。

 見上げる『ミロのヴィーナス』を眺め、強くそう想った。均整、規範、偉壮、崇高、美燦、壮麗、人間の叡智のすべてがある。節度深くソリッドなのに神的に甚深だ。人間は何と素晴らしいのか。生への讃歌だ。

 厳かな芸術の群れの、果てしない摩訶不思議の森を廻り、大銀河の星々の海を夢のように彷徨い、僕は魂となって遊覧していた。

 憧れのニコラ・プッサン『アルカディアの牧人たち』もあった。メメント・モリ。古代では、死を忘れる莫れ(明日は死ぬ、食べて、呑んで、陽気になって、今を愉しめ)という意味であったらしいが、キリスト教以降、現世俗の悦びや贅沢が虚しいものであるという、神の国の未来を想えという意味に変わった。

 プッサンの絵はキリスト教以降の価値観で描かれていると思われる。アルカディア(理想郷)にも死(死神)がいるということを表す「アルカディアにも我在り」という墓石の碑文を牧人たちが指差し、眺めている。四人の群像のうち、三人までは牧人と思われるが、そのうちの一人、右側の人物丈は牧人ではないようだ。古代古典期のギリシャの彫刻のような均整の美。揺るぎない、明朗明快な色彩。死を忘れさせる媚薬だ。

 どちらかと言えば、古代に言われた意味の方がふさわしい。

 そのような今まで得られなかった感慨を抱く。実際に眼のまえに見れば、考えも想いもまた変わるものだ。きもちが昂った。

 

 心の昂揚、諸感覚器官の興奮の醒めぬその夜、ホテルの部屋で、タブレットにダウンロードしていたドストエフスキーの文章を読んでいた。睿黎児は疲れて眠っている。僕は今までも『カラマーゾフの兄弟』の大審問官(イワンが創作したという物語)の部分丈を何度も繰り返し読んでいる。

 僕も疲労を覚え、違うものを探す。トルストイの『戦争と平和』を読む。小説の味わいとは不思議なものである。明快明朗な古代ギリシャのようであった。いや、少し違うが、ドストエフスキーを読んだ後だとそういう感じを覚える。しかし、ドストエフスキーにしても、『地下室の手記』は寂びた乾燥を感じる(半ばドキュメントであるからか?)。

 ああ、それにしても、異国に来ると心機が転ずるのか。僕はじぶんに超過激に、パンキッシュになっていた。革命とは天命が革まることを言う。転回(ケーレ)か。何だか可笑しくなった。ブレーン・ストーミングのように聯想を次々口にしている丈だ。扨(さ)て、風立ちぬ。いざ生きめやも。

 決して、解決にはならないメメント・モリ。だが、これしかない。たとえ、間違っていても、そうではないか。死に囚われて、怯懦に憂鬱に生きるのは辛過ぎる。

 

 翌日、オルセー美術館へ行く。

 クールベ『オルナンの埋葬』、セザンヌ『リンゴとオレンジのある静物』、ゴーギャン『タヒチの女』、ドガ『バレエのレッスン』、ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』、クロード・モネ『日傘の女』などなど。苦楽あり、美醜も、幸も不幸もあるが、すべてが華々しい。これら色彩や描線は生への讃歌に思える。

 僕はゴッホの『アルルの部屋』のまえで止まった。

 ここには、向日葵の絵はない。だが、僕は『アルルの部屋』を観ながら、向日葵の絵を想っていた。

 いったい、ゴッホの黄色しかない向日葵の絵画は何を描くものか。太陽か。真っ黄っ黄に塗り潰し、どこにも逃げ場も隠れ場も、居場所すらも見出せない絵を、なぜ、画くのか。又この人の短い人生は理解し難い。

 キリスト教の伝導師に憧れ、伝道師になったが、労働者の生活のなかに入って、敢えて衣服も惨めなみすぼらしいものとなり果てる任せ、ともに苦しもうとする常軌を逸した行動が伝道師の威厳を失墜させるものとして、仮免許と俸給は剥奪された。労働争議の起こる炭鉱の町で、苦しみのうちに神の癒しを見出そうという彼の言葉は、過酷な社会システムに抑圧された労働者たちの理解を得られるはずもなく、すべて絶望的であった。虐げられたる運命を崇高、神聖と考える考え方は、キリストの苦難とともにあろうとする考えや、現実そのままを運命として受け入れる崇高とも感じられた。それが苦しみを呼ぶのか、ゴッホは自身の意に反して人生を毀さずにいられない人、不幸な人であった。

 絵には、そのすべてが込められている。芸術は何と深いものか。生きるということは。

 けれど、芸術家も死ぬ。

 思い返せば、ゴッホの死は謎であった。麦畑付近で、という説をよく読むが、目撃した者はいない。銃で自殺と言えば、こめかみに銃口を当てるとか、口に銜えてなど、そういうかたちを映画やテレビでよく見るが、彼の場合は左胸(心臓は逸れた)であった。右手で、じぶんの左胸を撃つことが難しいことや、手に火薬の燃えカスがないことなどが不自然で、自殺説を否定する説、事故説や他殺説もある。何だか、そういうのは彼にふさわしくはない。現実はシニカルである。僕はどのように死ぬのであろう。

 彼もキリスト教を深く信じ、虐げられたる魂の癒し、救いとして縋っていた。自己破壊的に。世間一般の世俗的な価値観に逆らって、或る意味、被虐的精神で、とも言えるのかもしれない。僕はルーブル美術館で観たピエタを想起するとともに、荘周の考えたとされる真人を思い起こした。

 キリスト教の教えは超越的である。眼には眼を、歯には歯をということが常識であった暴力的な古代に於いて、「汝の敵を愛せよ」や「右の頬を打たれたならば、左の頬を差し出せ」という考えは革命的に超過激であったとも言える。

 空港への見送りには叔母も睿黎児も斐璃空も来てくれた。空は青い。

 僕は彼女の眸に寂しさを期待したが、無為であった。帰りの席はなぜか空いていて、体は比較的楽であったが、心は沈んでいてどうにもならない。

 これも生への執著である。生存が僕らへ仕掛ける罠だ。子孫繁栄への道。僕は一生恋愛小説を書けない。


 日本に帰り、切なさを覚えつつも、僕は斐璃空を知られざる女神と想ううちに、メメント・モリの古代的な意義の妙(たへ)なる調べに惹かれ魅せられ、世俗的な価値観に塗れようと決した。時給のアルバイトを始める。アルバイトなどと称しても、社会参加とは言えない。ただ、親戚の喫茶店を手伝う丈であった。

 短い時間だったし、田舎であるため、お客さんの少ない、暇な仕事である。リハビリには、ちょうど良いと考えた。日々粛々と過ごす。

 僕は既に多くのことを断念していた。時折、じぶんの得た境地を言いたいという衝動に襲われ、名誉や称讃を得たいという自己肯定の衝動に駈られることもあったが、人の理解を得ることを無為と考えるようになっていた。

 人の評価は虚しい。究極的に言えば、人は皆じぶんの都合で勝手なことを言っている丈である。勝手な思い込みによる価値観や自己肯定へ繋がる賞讃、すべては思惑に過ぎない。無名こそ神の与へ給う真の勲章である。真実である。リアルである。

 思えば、理解が絶空であるならば、じぶんの事物への理解も絶空であり、他者のじぶんへの理解も絶空である。人はともにありながら、独りぼっちで生きているに齊(ひと)しい。

 

 真(眞)という文字は匕と県とから構成され、甲骨文字に還すとわかり易いが、匕は人という文字のむきが逆になったものであり、県(目は顔、首から上を表す)は木などから首を逆さに懸けた象形文字である。県を土地の境に置いて、嗔恚に満ちた怨霊の力で人が通るのを阻止する呪詛であった。

 真とは、非業の死を遂げた者、顛死者、枉死者をいう。枉とは曲がる、逸れることで、道を逸れる、すなわち、枉死は横死(横変死)であり、不慮の事故など、普通ではない不幸な死に方である。

 荘周はそれを以て最高の理想とした。それゆえ、今日、僕らは真という言葉をアレーティア(真理、真実、真相。古代ギリシャ語)の意味で用いる。

 荘子は「真人は生を説(よろこ)ぶことを知らず、死を悪(にく)むことを知らず」と言い、又、「生まれ出ずるを訢(よろこ)ばす、死に入ることを拒まず、生の始まる処を忘れず、生の終わる処を求めず、生を受けてこれを喜び、死を忘れて之れに復(かえ)る」と言った。

 これは万物斉同の思想へ繋がるであろう。対立も差別も消滅し、すべて同じであるという考えである。生も死も、移ろいの中途に過ぎない。実体は何も変わらない。絶対者であり、真実在の「道(タオ)」は不生不滅であると考え、人為・人間の知を相対的な知として否定した。因みに、荘周は死を未生、生まれる前の状態と同じと考え、「死に復る」と言っている。

 しかし、さりとても、なぜ、普通の死に方の者ではなく、非業の死を遂げた者でなければならなかったのか。非業・枉(横)死など、相対的な知に過ぎないからか。世俗の下卑た価値観と真逆にあるからか。……わからない。

 思えば、「不死の甘露」である仏の教えの太祖である釈迦牟仁は罹病し、喉の渇きを訴えて水が飲みたいと言い、竟には斃れ伏し、死した。普通の人々と変わらない。

 逆に、もし、聖なる尊者が不死を希うならば、それは死を怖れているということでしかない。釈迦牟仁は真の不死を得た。普通に死ぬこと。死は避けられない道理であること。それが人間の畢竟であり、真究竟真実義である。

 僕は聖なる解脱、崇高なる悟りに達したかのように解放され、魂魄が震えるように大いに陶酔した。

 

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