第8話 ギリシャ

 叔母からギリシャへの誘いがあった。十七歳の時である。従兄弟の睿(え)黎(れ)児(じ)は同じ歳であった。叔父が父の弟で、叔母はギリシャ人だが、夫とは死別し、今は母国ギリシャに住んでいる。

「ギリシャやエーゲ海を見て、ポジティブなきもちになれれば、フランスやイタリアも廻ってみましょう」


 彼らが神栖檜傴(かみすひかが)村にいた頃は、僕と睿(え)黎(れ)児(じ)とは兄弟のように育った。彼には妹がいた。斐(い)璃(り)空(く)という名前だった。

 叔母は僕のことを、とても心配していた。僕が芸術に興味を深く持っていたことを覚えていて、ヨーロッパ文明の発祥地である古代ギリシャの文化と、地中海の気候とを以て、病める魂を癒そうと考えてくれたのである。

 僕は最初、断ろうと思った。それを無駄と思っていたからだ。だが、幼い頃からの憧憬の地であるため、じぶんとしては大決断の上、行くことを決めた。そう思い切ると、不可思議なるもので、必要に迫られた意欲が反発力のように湧き上がり、パスポートを取るなど、親の力を借りながらも、自らいろいろと興味を持って調べ、行動した。新しい知識は意外に楽しいものであった。


 新幹線で東京まで行き、成田から飛行機に乗って、ドーハの国際空港で乗り換える。三時間以上も乗り継ぎ時間があったが、これでも短い方らしかった。睿黎児(えれじ)が迎えに来ていた。古代ギリシャの古典的な顔立ち、碧い眼に金の髪、白皙で、こんなふうに生まれていれば、厭世的ではなかったかもしれない。と少し丈思った。まあ、そうでもないかもしれないが、いや、絶対にそうではないであろうが、頭は勝手に思うものである。ちなみに、妹は日本人的であった(と記憶している)が、あまりに幼い頃であったので、顔は変わっているかもしれない。今は、十四歳のはずであった。三つ下だ。

「やあ、久し振り。変わってないや、いや、結構、変わったか」

 当然、僕の状況は知っていて、どういうふうに声を掛けていいか考えながら、喋っているのがわかった。語調とかでそれを感じる。血の繋がった、思慮深い子だった。

「たぶん、変わったよ。睿ちゃんもね。お互い、もう十七だから」

「寥(りょう、僕のことだ)に最後に会ったのは、いったい、何年まえだろう、七年かな。八年まえ?」

「いや、七年まえだった」

 歳月は消えても記憶が存在する。よく考えると不思議であった。存在そのものが魔訶不可思議なものなのであろう。過ぎる過去の群像を見て今を見ていた。窓の外には輝く白い雲がある。

「そっか。じゃ、飯でも食おう。こっちだよ」

 彼はこのハブ空港に慣れているらしく、要領よく、そちらこちらを説明しながら、案内してくれた。食事をしながらも、少しも退屈することなく、思い出話などで盛り上がり、あっと言う間に時刻が来て、少し焦ったくらいであった。飛行機に搭乗し、アテネ国際空港に着陸する。空港内に駅があり、そこからアテネ市街へ向かった。

 椅子に坐ると、睿黎児が声を掛ける。これも気遣いだ。彼の気遣いは居心地がよいものであった。

「どう、元気? 疲れたよな。エコノミーって狭いよな」

「そうかもしれないけれど、テンション上がっていて、疲れているのか、よくわからないや」

「あはは、そんなもんかもね。今でも本はよく読むの?」

 僕はこどもの頃から本を読むのが好きだった。小説の類丈じゃない、哲学やドキュメンタリーや漫画など何でも。取り敢えず何かあれば、活字を手にしてじぶんを落ち着かせるタイプだ。

「いや。この数年は何も読み通していないんだ。手に取って、ページは捲るけれど、読み続けられない。興味はあるんだけれど。何でかな。それもよくわからない」

「そんなもんさ。何でもわかったら、吃驚だ」

「睿ちゃんも、よく読んでいたよね」

「俺は集中して読み通す派だ。最近、科学に関する本が多いな。ファンタジーとか読まなくなった。あと、哲学の本かな」

「そうなんだ、読まなくなっちゃった。僕は」

「友だちがフランスに移住してね、哲学の授業があるって言っていたんだ。バカロレア(大学入学資格試験)も哲学の試験があってね。文系の場合だと、試験全科目の点数のなかで占める割合が二〇%を超えていて、一番比重の重い科目らしいよ」

「凄いね。羨ましい国だな。日本の価値観は愚劣だ。実利主義的なんだろうね。浅ましいよ」

「哲学と言っても、必ずしも、カントやヘーゲルやショーペンハウエルやニーチェなんかを研究するということ丈ではないようだよ。それよりは、人間として、自由で、自主的に物事を考える能力を身につけさせるのが主らしい。

 フランス的だね。けれど、自由を得たいという欲望のうちには、じぶんが王様でありたいという欲望が潜在していることも、見逃せないけれどね。いや、俺はフランスを大いに尊敬し、称讃するよ、エスプリではなく」

 さまざまな空想が脳裡を廻った。

「ふうん、ますますいいな。哲学を基幹とする偉大なる自由の国か。直接的な実利を追い求めることは魂を汚す愚行。もっとも、日本の学生には、哲学なんて興味のない人が多いとは思うけれどね」

「くだらない奴らさ。真実や本質を知ろうとしない。何で生きているんだろう」

 思い出した。彼は美しい顔立ちに似合わず、昔からシニカルであった。犬のような乞食生活をしたシニシズム(犬儒学派、キュニコス派)の人たち。ソクラテスの弟子だったアンティステネス、シノペのディオゲネスなど。 

 

 叔母はホテルのロビーで待っていた。北欧人のような背の高い人だ。僕は見上げながら、処女神アテナ・パルテノスを連想していた。象牙と黄金、大理石の彫像。

「よく来たわね。今日はゆっくり休んで」

 僕の眼は、その隣にいた女の子に釘づけになった。

 斐璃空(いりく)は睿黎児と同じ白皙で、鼻梁は高くないけれども、すっと細く、繊細に尖っていて、漆黒の長い睫毛に、真っ直ぐで絹糸のような黒髪、双眸は燦々としていた。少年のような痩せ方の未熟な青林檎の四肢、美というものの、新しい基準を観ずるような気分であった(むろん、そんなことはない、そう想えた丈だ)。華奢な顎と、白い歯、朱の口唇は生命の初々しさでありながら、ミケランジェロの『ピエタ』よりも、哀切の優美と可憐微妙なること喩えもなきように見えた。僕のその時の魂に、時機として、うまく嵌まったのであろう。こういうものはタイミングだ。季節が合えば、特別な存在であるかのように見えるものだ。 


 その夜はそのホテルに泊まり、翌早朝からアクロポリスを目指して歩き始める。街の建物越しに、白い石灰岩の巨大な巌の頭が見えていた。

 朝八時半、メトロのアクロポリス駅を出ると、すぐに入り口があり、叔母が一人二〇ユーロの入場料を払ってくれた。あとでわかったことだが、ここは、いわゆる裏口で、本来の正面であるプロピュライアを最後に見るかたちになる。

 円柱をならべるパルテノン神殿が見えている。智慧の神、戦いの神、芸術の神アテナ・パルテノスに捧げられた神殿。

 僕らは緩やかな坂を上った。デュオニュソス劇場が見えてくる。現存するギリシャ最古の劇場、紀元前六世紀頃、アイスキュロスやソポクレス、エウリピデスなどの劇が上演された場所。一万四千人から一万七千人を収容したらしい。

 さらに上ると、医学の神アスクレピオスの神域であった。ペロポネソス戦争で疫病が流行った時に平癒祈願で建造されたという。三本の大理石の円柱と欄間が残っている。僕は平癒を祈った。時間は重なっている。その厚みが岩の存在に実在していた。

「まだまだ、上らなければならないけれど、大丈夫?」

 叔母が僕の様子を見て訊いた。見ればわかることなので、大丈夫ですと答えた。なぜかはにかんで顔を上げられなかったが、叔母を意識して、と言うよりか、璃空を意識していることは、じぶんでもはっきりとわかっていた。彼女は僕を見て微笑んだ。眩しい。どこまでも青い空だ。

 ヘロディス・アッティコス音楽堂が見えてきた。これはローマ時代で、収容人数も五千人。少なく思えるが、デュオニュソス劇場が大き過ぎると言うべきなのかもしれない。

 ふと見下ろせば、アテネの市街が広がっていた。 

「あと少しね」

 斐璃空が言った。僕は振り向かずにうなずいた。もう見えている。叔母が何度か見ているはずだが、感嘆の声を上げて言った、

「あゝ、素敵。着いたわ」

 紺碧の空、大絶景。

 周囲をぐるりと見渡すことができた。アテネが白く広がっている。石灰を建築の塗装に使うのは熱を避けるためらしい。

 

 偉大なる指導者ペリクレス。パルテノン神殿はペルシャ戦争の勝利を都市アテネの守護女神アテナに感謝してペリクレスが建築家のフェイディアスに造らせた大神殿であった。ペンテリコン山から切り出された石材が多大な労苦と費用をかけて運ばれ、建築されたドーリア様式の清楚で偉大な建物である。エンタシスの円柱の威厳、梁にはかつて見事な彫刻群があり、彩色もされていたと聞いていた。それが白い巨大な岩の上に、蒼穹を背景に、偉容を衝天させている。

 久々に味わう胸すく快感があった。

 整然とならぶ円柱の列。偉大なる四角だ。黄金の長方形(実際には黄金比ではないらしい)。しかし、繊細な曲線を持つ。だが、僕は天空を背景に天空へと聳え上がる四角に眼を奪われた。そう思った。中枢の真奥の源に、幼い頃から原的にある型だ。

 現在残っているのは、完成当時の数十パーセントあるかないかであった。壁はなく、容赦ないことを言えば残骸にも等しい。

 しかし、その偉大なる本質はまったく損なわれていないように感じた。

 巨大なペルシャ帝国との戦争は、専制君主制と民主制の闘いでもあり、奴隷と市民との戦いでもある。自由と必然の闘い。しかし、疫病によって、そんな古代ギリシャ人ですら絶望的に刹那的快楽に走った。

 僕は次々と浮かぶ層に夢中になって現実から乖離して逝く。そうしながらも、エレクティオン、プロピュライア、アテナ・ニケ神殿。 聖域を逆に辿ることは正当でも、正統的でもないと感じたので、僕はプロピュライアから(アテナ・ニケ神殿を見ながら)パルテノン神殿を眺めることを空想した。

 異郷の夜、レストランでの食事をする。ブズキ音楽が演奏されていた。ブズキという弦楽器で奏でるこの民族音楽は、トルコから持ち込まれたものだと言う。哀愁の籠もった地中海民族的な、いや、人類の原的な、共通する哀しみのある、どこか懐かしさを感じさせるメロディであった。

 翌日は博物館を廻り、その翌日は地中海クルーズで数日、諸島を廻った。

 ミコノス、サントリーニ。光燦々たる白い建物と青い蒼い碧い海。青と白の清楚、さやかさ、清々しさ、崇高なる神々しさだ。存在ということの神聖さ。ポジティーフ、プレゼンスという言葉が真紅の帯に黄金で記されて脳裡を舞う。永遠の紋章をなした。

 白くて高い崖に立って、延び上がる斐璃空の四肢は美しい。白皙の繊細、精緻が海の深い青に映えた。光燦に裂熾する女神降臨であるかのように。

 胸をすく感動が突如、僕を襲った。この一瞬丈でも、すべてを肯定する価値があるかに思える。諸感覚が天の蒼穹に翼を広げ、無際限に拡がった。自由である。大いなる自由、あまりにも無際限な自由になって、拡がって逝った。


 ダンテ・アレギリのベアトリーチェを想う。ゲーテの『ファウスト』のグレートヒェンを想う。女性は救いか。永遠の慈悲か、永遠の愛か。まったく理窟は成り立っていない。理不尽なこと、極まりない。まるで、蒙昧なる迷信であった。だが、僕は理論を超えた超越的な思想に惹かれた。

 論理は拠のない骸で、何も解決できていない。むしろ、力ある超越が現実と思えた。それが確かなもの、積極哲学、事実哲学(現実は理を弁えない理不尽であるが、旧来の哲学は理性で分析できるものしか取り扱わなかった。だが、理不尽も事実であり、その事実に対して積極的に関与する哲学)であると考えた。又はパルメニデスの「ト・エオン(~である)」にも思いを馳せた。

 聖なる、永遠の女性は、聖なる真理か。永遠の愛か。そんなものは、男の幻想か。結局は、性と子孫繁栄という、生の本質に衝き動かされてのことに過ぎないのか。新陳代謝し、不安定な存在者であることを存続させようとする生物の本質でしかないのか。種としての存続か個体存続か。

 だが、それ以前に、僕らがそういう見解を抱くに至るのは事実を観察した結果であるが、その観察は正しいのか、科学的な立場で客観的な見地から観察する方法は正しいのか。もっと深く言って、観察というやり方(手法)は正しいのか。実際、事実が見えているのか。僕らは僕らが事物と対峙して観察という行為をしていると直観しているが、それが正しいのか。しかしながら、眼は眼を証明することができない。いったい、観察という行為は何か。事実とは何か。答はない。これも未遂不收のままか。 

 

 サントリーニの夕焼けを見て、僕は斐璃空女神について考えている。彼女は今日、誰かとメールしていた。僕にはそれが気になった。淡い嫉妬だ。愉快なことだ。かくもじぶんは煩悩の塊だ。執著の塊だ。どうでもよい。彼女は神聖である。なぜなら、普通の女の子だから。だから、崇高な神性がある。超越的な神聖がある。世俗的な価値に叛逆する、アンチな価値観とも言えた。それほどでもないか。 

 いいや、ギリシャの肯定が僕に与えた幻想かもしれない。

 

 飛行機のなかで、僕はギリシャの明朗な、碧空のような肯定を反芻していた。睿黎児が僕に突然、訊く。

「な、ところでさ、いずれ死ぬんだから、すべての価値観は虚しいのか? 生きていられる間に精一杯、努力することは無意義なのか。生きていられる時間を有意義に生き抜くべきじゃないのか」

 唐突であった。どうして今訊くのであろう、そんな話はしていなかったのに、と意外の感を抱く。

 暫時、応えるきぶんにならなかった。あたりまえなことを説明することは難しいし、面倒臭い。腹立たしくも感じた。相手の質問のうちに込められた期待を大いに裏切りたくもなる。

「実際、死を眼のまえにすると、よいか悪いかに関係なく、そういうきぶんになってしまう。是非じゃないんだ。そういう意味では、原因もわからない。死へのショックですべてが崩落してしまうとも言えるけど」

「ふうん、無駄という訳でもないってことか。確かに、そういうような、何て言うか、きぶんにはなっちゃうだろうな」

「原因がわからなければ、理由もわからない。

 ただ、その事実から推察して、僕らの普段の価値観は生きていられる間丈、成り立つものだと言える。それが心地よいから、実用されているけど、見る限りに於いて、普段の価値観、日常的な庶民感情、日々の茶飯な生活感覚、つまり、〝人生〟の実在性についても、それはそのなか丈で完結していて、客観的な観察眼から観照した時には、科学的な根拠はまったく見出せない。ただ、意識に在る丈だ。擦り込まれ、感覚に違和感がなく、馴染んでいる丈だ。神経伝達物質が分泌され、納得という心的現象が起こっている丈だ」

「迷信に近いな。感覚にはリアルでも、実在性はない、って感じか」

 カウンセリングにまず同調から入るという手法があるらしい。それをされているようなきぶんになってきた。彼は学ぶと試さずにはいられない人だ。

「ただの仮象で、方便で、中味は空っぽで、空疎だ。形骸でしかない。彫琢刻鏤したかもしれないが捏造品だ。何もない大空に架け渡した棚さ。棚を支えるべき二本の柱はない。経緯や根拠が不明で、結果的に唐突としか思えない措定だ。僕らの論理の範疇表に遵えば、そうなる。僕らは範疇の球体の内部でしか生きられない」

「じゃ、やっぱり、無為か。他にすることないけどな。範疇表に遵わない場合は? 球体から逸脱した場合は」

「未遂不收さ。

 仏陀はそれを恐るべき荒野と呼んだ。

 だから、努力することは有意義だ。正義はある。真の究竟の真実の義は現実に存在する。つまり、無ですらもないということ丈さ」

「ふ。寥の方がよほどシニカルだな」

 そう言って笑った。睿黎児は窓の外を眺めてもう語らなかった。疲れたであろう。

 しかし、そのような人道的配慮はどうでもよい。僕は他の考えに囚われていた。

 先程の腹立たしさは霧散していたが、恥ずかしく、愚かと思う。なぜ、腹は立つのか。自己の尊厳を廻る戦い。自尊心、すなわち、自己の尊厳を損なわれたかのような、自衛の感情であろう。自己肯定の本能は自己保存に由来する。生存だ。

 生きている人間の身勝手な価値観のなかで、じぶんも十分に生きている。世俗の虜である。他に道はなかった。でも、生物としてしか生きられない。だから、いいんだ(仕方ないんだ)。他に選択肢がない。実際、ホモ・サピエンスとしてのじぶんよりもアニマルとしてのじぶん、生きものとしてのじぶんの方がより根源的なのかもしれないからと結論しつつ。


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