第7話 エクスタシス

 幼い頃の僕は未だ死の畏怖を知らなかった。存在の脆弱を直観していた丈だ。それは自分の存立の脆弱に繋がっていた。生きていることが赦されるかどうか、不安定な命、読めない運命、この呼吸がいつ停まるかわからない恐怖。明日が見えない、約束がない。酸素がいつなくなるのか。


 だから、エクスタシス(脱自)が初期の、僕の救いだった。時代的には五歳から十一歳までであった。いつ頃からか、はっきりとしないが、遅くとも五歳の頃には間違いなくあった。明瞭な記憶がある。エクスタシスに至るには一定のメソッドがあった。

 それは不可能を空想すると起こる。


 最初に気がついたのは、宇宙が無限であると聞いて(誰からそんなでたらめを教わったのか記憶がないのだが、それはもう、当時においてすら、かなり古い知識であった。僕の祖父などであっても、宇宙が数百億光年の大きさであることが少年時代からわかっていた)、宇宙よりも巨大な石鹸を空想していた時であった。石鹸とは唐突と思われるかもしれないが、石鹸とは立方体だ。すなわち、石鹸は僕のなかで、思惟堂の正方形と起源を同じにしていた。僕のなかに内在する同じ起源から来る、根源的な、原初的な欲求に由来していた。


 無限なのだから、それよりも大きいということがある訳がない。だが、禅行者が観想を凝らして「隻手の声を聞く(片手の柏手を聞く)」ように、それができてしまう瞬間があるのだ。

 また頻繁に大爆発を空想した。途轍もない、無際限に巨大な大爆発だ。途方もない広範囲の、涯もなく永い、長い爆発だ。無際限だから想像もできようはずもないのだが、やはり時間を掛けて、刹那的にできてしまう瞬間を待つのだ。 


 そうやって、次第に僕はエクスタシスをつかみ始めていた。脱自し、じぶんを超えて、じぶんというものからすうっと解き放たれ、抜け出るような感じ、重さのないエクスタシーに達するのだ。その解放された脱自感は堪らなかった。何にも例えられない。胸が軽くなり、すっとする。その清々しさ、軽やかさ、清らかさ、爽やかさ、カタルシス、喩えようがない。大きな快楽であったが、そのほかの快楽とは重力感が違った。まったく重さがない。重力から解放されるように、かろらかに広々と拡がって、自由自在にきよらさやかになるのであった。

 誰にも言うきもちになれなかった。

 

 以上が僕の最も原初的な合理性の濫用によるエクスタシスだが、次第に様々に多様化、高度化していった。


 小学生の高学年になって、さまざまに新しい刺激を求めるようになったのだ。世界の拡がりがつかめそうな兆しが感じられていた。

 そういったなかで、僕は一定の法則を見つけた。矛盾構造の超越的克服だ。ちょっと退屈な話になるが、事実なので申し述べておきたい。それは基本的には、先ほどの「無限を超える大きさ」と同じ構造である。


 自らの尾を咬む蛇とも言った。自らの尾を咬み、喰らい尽くそうとする蛇は喰らっているのか、喰らわれているのか、又喰らい尽くせるのか。


 非という言葉がすべてを否定するなら、非を否定した時、どうなるのか。非はその効力を喪うのか、喪うなら、否定もされないので、効力を喪わないのか。


 無がその定義に遵って、真に無であるならば、無ですらないのではないか。無というかたちがあっては、いけないのではないか。矛盾した話ではあるが。つまり、その定義があって、というのがおかしいのだが、定義がなくては何もなせないのも事実だ。


 又、すべてを網羅するならば、すべてを網羅しないことすらも網羅しなければならない。一部丈を網羅し、他を網羅しないことでなければならない。

 

 人は入手できないものに憧れ、それを入手すると、脱自に達するものらしい。 

 これらは皆、構造的に禅問答と似ている。あきらかなのは「隻手の声を聞く(片手で鳴らす拍手の音を聞く)」や禅窓の外を牛の頭と背が通ったが、尻が通らなかったは、なぜか、みたいなものだ。ある公案で趙州禅師は「狗子に仏性なし」と応え、同じ趙州が「狗子に仏性あり」と応えている。所謂「趙州狗子」については、無と言っても、有の反対(相対的な無)、や「ゼロ=ないこと」ではない無(空と言い換えるべきか)なので、一概には言えないのだが。

 

 或いは、数学上の集合の概念なども援用した。①集合Ωは全体集合Uである。なお、Uは任意の集合A及びその補集合Āを合わせたものである。②集合ΩはUの真部分集合Aの唯一の元であるⅹ丈によって構成される。③集合ΩはUに属さない集合B(そのようなものはあり得ないように思うが)の唯一の元であるy丈によって構成される。④Ωはすべて同じである。

 このように、論理的には、絶対に超えられない矛盾が思惟を反芻することによって一瞬、どういう訳かわからないが、突き抜けられるのである。


 その時に、超越的な解放が、高き雲をも超える高みへ舞い上がる爽快、自由で無辺な、蒼穹の上を自在に、天翔るエクスタシスに襲われ、身も裂け砕けるのである。刹那はもう死んでもよいと思うくらいに。この合理性の濫用による破壊の解放を僕はエクスタシスと呼んだ。


 超越的な俯瞰、光燦々たる翼を得て、死から免れ、自在無礙に翔るような、清々しい自由、解放、すっきりと胸が開くような爽やかな軽やかさ、すべてが全うされ、満たされた感覚、それが宗教や芸術の本源だとも思えた。本当かどうかは、確かめられない。それはそうであろう。


 しかし、それはアダムとイブとが智慧の林檎を食べた時のように、失墜の始まりの瞬間でもあり、既に崩壊しながら、徐々に喪われ始めていた。僕は当初、それにまったく気がついていなかった。


 エクスタシスの再生、安定した受給のために、言葉をもって、それを捉えようとする藻掻き足掻くことが始まると、あの天啓の瞬間、巫女の陶酔、デュオニソスの狂操秘祭のような自己超越感覚、エクスタシーの度合いが薄れるものの、手順を踏んで言葉を連ね、繰り返すうちにどうにかそこへ到達するので続けていくうちに次第に、慣れが生じ、エクスタシスの再生瞬間が短くなる。順を追って思考して逝くと、やがて、すっと啓けて、エクスタシーに導かれるのだが、時間がかかるし、陶酔は薄かった。


 十二歳になった僕は、それ以前から興味深く感じていた芸術というものへと傾倒していった。

 それが生み出す陶酔は大きくはなかった。しかし、安易に生み出すことができた。かつ、度合いが安定していて、継続時間が長かった。 

 印象派の鮮やかな色彩、太陽光の感じの何とも言えない良さ、屋外の空気を感じさせる開放感、クロード・モネやシスレー、ピッサロなどなどだ。やがて、セザンヌの動的で静謐な色彩へ、ヴィンセント・ファン・ゴッホの生々しい太陽のような黄色が分厚く物的な存在を醸すのを観ると陶酔を覚えた。

 オディロン・ルドンやギュスターヴ・モローのエキゾチックな題材と色彩、幻想的。ユイスマンスの小説の影響もあった。ポール・ギュスターヴ・ドレ画いたダンテ・アレギエーリ『神曲』の挿絵も飽くことはなかった。

 又、印象派以前へと溯って、ドガやマネ、写実主義のクールベ、ロマン派ドラクロワや新古典主義の画家たち、優美静謐なアングル、偉大なるナポレオンとともにあったダヴィッドまで一度戻って、完全なる調和のプッサンで止まった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

 プッサンの美について。古典的な美に陶酔した。明快な『アルカディアの牧人たち』。

 そこからは極端だが、古代ギリシャへの憧憬が起こった。プッサンがイタリアに学んだと知り、イタリアへの憧れが再興する。そうこうするうちにまたもやパリの憂鬱へ戻り、今度は詩人を、ステファンヌ・マラルメ、ヴェルレーヌ、アルチュール・ランボー、ヴァレリーなどを暗誦した。

 マラルメに深い、感慨を覚える。彼はこの世の一切が虚無であることに遭遇し、キリスト教における神の死を悟り、ロゴスとコギトが解体され、存在の根拠を失う。書く行為(エクリチュール)が人間存在の根底に関わっている所作であるという論、基幹的な思想となった。しかし詩の根源的なあり方へとその思索と魂の探求を深めていくなかで、マラルメは「美」Beauを発見し、それを詩と宇宙の中心原理とする。

 だが、その死は突然であった。五十代半ばで、咽喉痙攣によって窒息し、急逝する。咽喉痙攣、僕の耳にはあまり馴染みのない疾病だった。

 それを知った時、空想し、とても怖ろしい死のように思ったものである。いったい、なぜ、そんなことが起こるのか、当時は想像もつかなく、ただ、窒息の苦しさを何度でも執拗にイメージするのみであった。

 

 芸術によるエクスタシス、それを経験すると、或る種の欲望が生まれる。誰かに伝えたい、知ってもらいたいと思うようになる。なぜなら、芸術というものの魅せられること、惹かれるもの、崇高さ、快楽は万民に共通する要素、共感し合える要素があったからである。可能性があると、人の欲望は加速する。

 だが、そう思った途端に軽やかさは重苦しく、啓かれたさやかさは汚濁し、澄んだ無礙の解放感覚や、その爽やかさは喪失の憂き目となった。イカルスの墜落のように。堕ちた天使のように。

 それに、そもそも、他者へ語ることが無為徒労であるばかりか、危険ですらあり、じぶんがあまりにも皆の感覚と懸離れていて、彼らとその感覚を共有できるなどは、思いもよらぬこと、まったく嫌忌すべき不可能事であった。それでも、強行して友人らに語っていたら、まるで自身を特別な存在であるかのように言う奴だと、いじめの対象にもなっていたことであろう。

 しなかった。意義も価値もない発言で苦を受けるいわれも、必要もない。 

 

 小学校の五年生の頃だったと思う。レフ・トルストイ伯爵の『戦争と平和』を読んでいて、青年公爵アンドレイ・ボルコンスキイの死の場面で、ひどく共感した。彼は静かに冷ややかであった。生あるものから、既に遠く離れてしまっていた。世俗への関心が薄れたのは、じぶんの死に打ちひしがれたからではない。それは超越的な無関心である。僕にはそれがわかった。以来、トルストイを偉大だと思い続けているし、「戦争と平和」を偉大な作り話だといった大正の私小説家を永久に侮蔑し、赦す気はなかった。私小説家が書くものよりも、トルストイの方が事実だし、真実だし、何よりも現実であって、リアルだ。彼らの勝手な空想や妄想を事実・真実だと思い込んでいる私小説家どもの哀れを笑っていた。と言うか、彼らは能天気で、とても牧歌的だ。羨ましくもある。 

 

 深い黄昏の教室は鬱金の憂鬱に浸されていた。 

 兼ねてから治療のため、隣の市の医療法人社団救生会夷胡(いこ)記念病院に入院し、学校を休んでいた香澄夕夢(かすみゆうめ)のお見舞いへ、クラスの有志で行くことが決まった。僕もそのうちの一人だった。病院に行くと、事前に聞いていたとおり、容態は安定していて、良いタイミングであったようだった。人知の及ぶ限りに於いては。

 しかし、実際に行ってみると、想っていたような感動的な展開にはならなかった。彼女の眼は既にこの世を見ていない。生を超越し、世俗の価値を張りぼてと感じていた。僕らの緊張や同情や、心配、興奮、誇らしいきもちなどを見透かし、その虚しさを感じ、孤独の淵の底に独りで居る。聞く者も、見る者も無意味であった。半眼のまま、諦めて、まったくの無関心である。その眼は言っていた、誰にもわかりはしない、と。彼女はもはや僕らに眼を向けようとすらしなかった。

 突如、容態が悪化する。

 彼女が急に身をよじり、藻掻き出す。薄眼を開けていた丈の二つの眼は、かっと睜(みひら)かれ、縋(すが)るような、虚しく空間を噛み捉えようとするようなまなざし、恐怖、狂乱、何も見ていない閉ざされた絶望があった。僕らに説明しても、何の足しにもならない、何もわかりやしないという絶望を孕んだ恐怖。彼女の世界しかない。ただ、今欲しいのは酸素、酸素、それ丈。心臓のポンプとしての機能が突如、必要な血流量の最小限界値を下回り、全身の細胞が酸素を悲鳴のように欲する。だが、非情な現実の絶壁は微動もせず、絶叫したくなるほど、絶望的に供給はなかった。

 怖ろしいことだった。救いたくても、僕らはそこへは入れない。何もしてあげられない。彼女は独りで死んで逝く。どんな言葉掛けも意味がない。彼女が欲しいのは酸素丈だ。他はどれもこれも頓珍漢な勘違いなのだ。怖ろしいことだった。僕らの社会は、生活は、愛も正義も真実も、何の意味もないのだ。

 僕らは誤魔化して生きている丈だ。

 皆、死ぬことはわかっているけれども、本当のことだとは思っていない。本当にはわかっていない。

 だから、余命を宣告されると動揺する。

 誰もが事実として、余命を宣告されている。二秒後に生きていられる保証などない。まったくない。莫迦莫迦しくない。現実である。絶対の非情さで厳然と聳える、科学的な物的事実、動かし難い過酷さと苛烈さ、……

 だが、そんなことをいつも自覚していては、生きていられない。だから、忘れ惚けていてもよいのだ。「人が無関係な人に同情しないのは、もし、世界中の不幸をリアルに切実に感じたら、到底、生き続けていけないからだ」という趣旨の言葉を、どこかで読んだか聞いたか、定かでないがしたような記憶があるが、それと同じだ。

 

 誤魔化して、眼を逸らすしかない。存在の一切は死を誤魔化すためにある。永遠に解決しない。するはずもない。辣韭のように、永遠に皮を剥いても、何も残らない。それでしかない。そうでなくてはならない。

 死なないことはできないし、他の解決などあろうはずがない。心構えができたなどと宣う輩は砂漠の砂ほどもいるが、生きていられるとき丈の思い上がりで、その節が来れば烈しく混乱し、いたたまれないほど怯えるであろう。

 この問題については、人間にはなすすべがない。抵抗など、無駄であった。僕らに自由な選択はない。主体者としての自由な意志決定もない。事象への理解もない。蒙昧な憶断しかない。僕らは木の葉だ。大海の表層部にいて、深海を知らず、なすがまま波のまにまに、ゆらゆら。

 その時が来たら、大いに動揺し、怯え、悲嘆し、苦しむしかない。よくはないが、他の事実がない。

 

 僕は不安が止まらなくなった。何も手に着かない。学校へは行けなくなった。父母には一度丈話したが、この人たちには何もわかっていない、ということがわかった丈であった。所詮、この人たちも死に逝く人でしかない。死に瀕して驚愕する人でしかない。僕の苦しみや不安は、不死にならない限り解決しない。

 あなたたちが言おうとすることなど、どれも百回くらいは考え抜いたよ。

 

 友人たちは、なおさらだった。

 誰も何もわかっていない。わかっていたら、あんなふうに生きていられないはずだ。やっていられないはずだ。そんなふうにしていられる余裕もない。すべては現実、事実から眼を逸らして捏造した余裕だ。

 人々は皆、人を信じている。人間存在を信じている。日々の生活を信じている。良い人や悪い人というものがあると信じている。家族を信じている。友情を信じている。恋愛を信じている。進学を信じ、学歴を信じている。音楽を信じている。社会を信じ、道徳を信じ、科学を信じている。科学的合理精神を信じている。畢竟、人を、人間存在を信じている。

 だが、人はいない。蠢く細胞丈だ。酸素とエネルギー源を渇望する細胞丈だ。死に瀕すると本性が露呈する。人間存在はあっさりと消失し、人間性は痕跡もなく喪われ、細胞の叫び丈が実在する。人は表面の薄膜に過ぎない。人は細胞が存続しようとアミノ酸や糖や酸素を求める化学反応でしかない。

 

 日々、無事を懇願した。もし死ぬなら、苦しまずに死ねますように。心臓が止まることがないように。毎日祈った。祈るしかできない。気をつける丈、努力丈では全然足りない、ほぼ無力だ。人間は何て脆弱で、無力なのか。何て小さくて、儚いのか。 

 

 一年近く経ち、改善もなく、高等学校へ進学するための受検は出来なかった。

 ここに至るまで、何度もメンタルクリニックに連れて行かれる。薬は少し効くようであったが、それ丈のことであった。死ななくなる訳ではない。死なないのでなければ、解決にならない。又両親は何度かカウンセリングを受けたようだった。本来は僕が受けるべきなのであろう。だが、余計なお節介は欲しくなかった。死ななくなるまでは癒えやしないのである。

 死への畏怖は癒せなかった。カウンセリングなんて要らない。局所麻酔のコカインか、鎮痛効果の高いモルヒネの方がよっぽど救いであった。

 

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