第6話 全ては『きぶん』で
周囲を見渡すまでもなく(いや、見廻しても、よいけれども)、日常茶飯事的にそういうことは世俗にあふれ、日々ありふれていた。
紙幣に小鳥は見向きもしない。紙は実在するが、紙幣は存在しない。貨幣は輝けば興味を示すかもしれない。蜥蜴や蛇や蛙らに、小説の頁を開いて差し出しても、逃げる丈(だけ)であろう。字が読めないから丈(だけ)ではない。その物語を知っても、彼らの文化と異なり過ぎて、何よりも人間の構築した世界観が空疎過ぎて理解し得ないであろう。ただ、歌丈(だけ)は草花すらも聴く。音は実在だから。貨幣の輝き(光線)もそうだが、波長は具体的に実在するから。人間以外にも幾許かの生き物たちも共有する。ただし、僕らの見ている事実が見ているままに、真実であるとするならば、であるが。厳密に言えば、そういう註釈が必要であることになる。
だから、(唐突に言うが)隣接する眞神郡眞神村の有名人で、小説をコンセプチュアル・アートとする前衛的な作家がいるが、彼が単音十穴のハーモニカ『Blues Harp』(ホーナー社製)で一小節を吹き、これが「リアリズム小説である」と言い切った、その〝こころ(Heart心臓)〟はよくわかる。
いや、郡部の人たちを除けば、わかるのは僕のような人たち丈(だけ)であろうかと思う。日本の他の人間には莫迦莫迦しいに違いない。それでよい。僕がそれをわかると言っても、だからと言って、それで何かが解決する訳でもない。するはずがない。
むろん、解決など、期待していない。これが現実だからだ。現実しかない。現実でしかない。恣意的な仕様の変更はできない。問いへの答はない。解答篇は附録されていない。人間が出した答など、勝手な価値観によって構築された嘘偽り、思い込み、自慢、自己肯定の絡繰り、自己拡張の妄想から生まれた架空で、捏造でしかない。あてにならない、何の足しにもならない、何の証拠にも証明にもない、出まかせばかりだ。死というシリアスな問題のまえ、あまりにも軽佻浮薄な、ふざけ過ぎたでたらめだ。そう感じるから、それしか根拠はないけれども。
僕らは、人によって異なるが、それぞれの機を得て、身勝手な価値観がいかに脆弱であるかに気がつく。僕をせせら笑う奴らはたくさんいる、彼らには現実が見えていない。是正してやる気などさらさらない。どうせ僕らも奴らも五十歩百歩だ。実は大差ない。僕もゆめまぼろしを見ている。そうでなければ、生きることに耐えられる訳がない。現実はあまりに非情で、絶対過ぎる。眼を逸らさずにいられない。
それに、毎日を映画であるかのように(鑑賞ではなく)観照し、実はフィクションであると知っていても、対世間的には、この映画はリアルなのだと思い込まなければ、人々と融通できない。テレビのドラマや小説を楽しむように架空と知って、楽しむ又は楽しむふりをしなければ、生きていることは辛い。誤魔化さなくては、生活など成り立たない。そうでなければ、日常の感覚など維持できない。人づき合いの妙機や世辞やあいさつや勤務や学校や電車やコンビニエンス・ストアなどが実際に存在すると信じているのでなければ生活を喪失してしまうであろう。
僕には世俗が感じるような価値は、実際には存在しないと、理窟なく、感覚に、直截的に感じる。憶断だが、感覚上に、実在しない観の存在がくっきりと存在する。だが、この存在とは何かと問われれば、まったくわからない。
結局、世俗の価値を愚かにも無条件に信じる人々と、構造的には変わらないかたちで僕もまた、ただ、ただ、唐突に、さよう信じている丈に過ぎない。人間という存在者には、それ以外のことができない。他がないから、そうする。胸郭の奥から込み上げる本音、いずれにせよ、虚しいが、そうわかっていても、そうする。決断だ。
思えば、僕は幼少来、この世の価値観の脆弱さを(最初は漠然としていたが)感じていたし、努めて観ずるようにしていた。そうすることを義務として感じていた。
すべては空疎である。根拠がなく、唐突で、異物であると感じる。異物感、違和感があるから存在感があると思った時期もあったが、そもそも、違和や存在が何なのか、どういう絡繰りで異物感・違和感があると存在が際立つか(気遣い=関心(ゾルゲ)の所為だと言えるが、それについても、なぜ?と問うことが可能である)、なぜ、そうであるかは、まったくわからなかった。わかりようがあるとも思えなかった。それはそうであろう。そもそも、説明や検証は、思惟や考概や言葉から構築されるものである。それであるに、それ自体が問い質されているのだから。
眼は眼を証明できない。少なくとも、僕らが通常使用する理の方程式に遵えば、そういうことになる。
だとすれば、どうして説明を構築できようか。まったく以て、手の尽くしようがない。壊れてしまっていて、手がつけられない。説明や検証のできようはずがない。僕らは呆然と、気を喪い、ただ、悄然・憮然と、たたずむ丈である。
是とも非とも定まらず、いかような結論にも、決か未決かも遂げず、何らかのかたちにも成らず、収まらず、どのようにも収拾せず、いかなる境地にも至らず、中途宙空に浮いて、未遂不収のまま。渺茫としているのに、明晰判明な沙漠。
僕は唐突に思い出す。黄昏の教室の、ぽっかり空いた一つの席。あの異様な感じ。濃い暗鬱な黄金の夕、影は深くて底のない漆黒であった。あゝ、僕にとっては、喪失そのもの、一生忘れられない。
そろそろ、語り始めなければならない。あゝ、しかし、どこから語り始めればよいのか。僕にはわからない。記憶の遡れる限り一番最初から? そうかもしれない。生まれる前の記憶は無にさえならぬ。幼い頃の記憶はようよう明るくなる黎明のまえ、きよらさやかな夜明けまえの、漆黒から青へと移ろいゆくときのようで、輪郭のない朦朧、混沌としてかたちをなさない。
言語化可能な記憶があるところから話す以外の選択肢がない。予め言って置くが、これは何のカタルシスも齎さない話だ。憂鬱な、きぶんの滅入る話だ。
僕は神社仏閣の好きなこどもであった。たぶん、糸口はこんなところからでよいのであろう。
なぜ、そこから語り始めたかというと、最近、地元の神(かみ)栖(す)檜(ひ)傴(かが)村にある正思惟(しょうしゆい)寺を訪れ、幼い頃の感覚をまざまざと思い出したことがあったからだ。そんな偶然の契機に依拠依存し、話の端緒にしよう。無結構という訳だ。微苦笑ものだ。僕が作為して結構を考えるより、自然に身を委ねた方が幾許かはましであろうということだ。
思惟堂の正方形のかたち屋根のかたちも真上から俯瞰すれば正方形であろうが、どちらかと言えは基壇から上、軒から下の部分の正確な正方形が好きだった。
その四角のなかの、中央に厨子が置かれていた。
金具の透彫りのある黒塗りに唐紅の絵付の厨子。絵は「キサーゴータミーの説話」であった。
五世紀の説話で、ブッダゴーサという人が書いた『ダンマパダ・アッタカター』に説かれている。ちなみに、この文献は,仏教の最古の経典の一つである『ダンマパダ(法句経)』の短い句の一つ一つに,その句の元となった逸話、或いは後世に牽強附会された因縁物語を集め,注解した南方上座部教義学を基とする説話である。
キサーゴータミーはこどもを産んだが、その子は歩くようになった頃、突如、死んでしまった。彼女は死を見たことがなく、人々が火葬にしようとするのを拒み、「私は薬を探します」と言い張って、児の死体をかかえ、「我が子の病を治す薬を知っている人はいませんか」と尋ね歩いた。
親切な村の人々は声を掛け、「あゝ、お嬢さん、哀しいですが、あなたのお子さんは亡くなられている。既に死んでいるのです。哀しみのあまりでしょう、あなたは正気を喪っていらっしゃるようだ。死人を甦らせる薬などない」と言った。
それでも、彼女は「必ず薬を見つけ出します」と言った。
それを見た賢者がいて、彼女の助けとなるべきだと思った。「お嬢さん、師が知っています、我が師を訪ねてください」。
そこへ赴き、礼拝し、尋ねた。「師よ、あなたは私のこどもを治す薬を知っているとのことですが。尊師よ」と。
「そうです。私は知っています」
「あゝ、どうか、是非、それを教えてください、偉大なる師よ、どうか」
娘はほろほろと泣く。師は双眸を翳し、言う。
「一掴みの白い芥子の種です。ただし、その芥子は未だかつて一度でも死んだ者を出したことのない家でなければなりません」
「わかりました。尊師よ、ありがとうございます」と師に再び礼拝し、死子をかかえ、村へ戻り、家の戸口に立って、
「この家に白い芥子の種がありますか」
その家の人が「あります」と言うと、「あゝ、どうか、それを私にください」と言った。白い芥子の種を取る前に訊く。
「この家では今まで亡くなられた方がいらっしゃいますか」
「何を言うのですか,お嬢さん。生きている者は少なく、死んで逝った者たちの方が多いに決まっています」
「あゝ、残念です。芥子の種はお返しします。それでは薬にならないのです」
何十軒もの家を訪ね歩いたけれども、白い芥子の種を手に入れることは出来なかった。
夕になって、考えた。
「あゝ、今になって気がついた。何ということでしょう、私はじぶんのこども丈が死んだという思いに囚われていた。けれど、村では生きている人よりも、死んでしまった人の方が圧倒的に多い」と。
そして、彼女は死が人には避け難い事実であることを認識し、釈迦に帰依して死を明らめ(諦め、晰かにするということ)、心の平安を得た。
これが「キサーゴータミーの説話」である。
この説話は、小学生の頃の校外学習で、クラスの皆とともに、住職から聞いたものである。従って、幼い記憶に頼っているため、あやふやであり、それゆえに正確性については、非情に頼りない。たぶん、僕なりの解釈も混ざっているであろう。
関連して、思い出すのは、当時、同級生であった秀才の佐々篠燐寸夫(ささしのまっちお)が言った言葉である。
「へー、大人なのに、そんな人いるのかな。だって、わかり切ったことじゃないか、そんなこと。莫迦だな」
そうかな……確かに、あの年代の僕らでも死を知っていた。避け難く、誰もが例外ではなく、逝ってしまえば、戻って来られない。でも、僕には、この説話はそれ丈で済ませられるようなことではないような気がしていた。当時の僕が何を考え、どう感じていたかはよく思い出せないし、記憶も独自解釈が混ざって変容しているように思えるが。
この説話の肝のところは、人は誰でも死ぬ。死からは誰も免れられないということであった。
死は当然の理であるということである。抗うことは出来ない。そのことを強く再認識させるための説話であった。
文字どおり、死を知らない人にもわかり易い。だが、諦めも亦(また)、永遠に生きていられるという基礎の上に成り立つ諸考概から構築される価値観に依拠するものであることに変わりはなかった。死のまえに、色褪せるもの。
つまり、僕は今も、当時も、全然、わかっていない。わかるようなきぶんがある丈で、わかっていない。
理解したという納得感でしかない。納得したという、着地点を得て、安堵し、満たされたきぶんだ。
わかるということはそういうことで、突然、何かが通明し、啓け、或る一つのものことの理解に至るが、実体はない。
根拠に基づく理窟に拠って、理解に達しているものでも、学(ロギア)として一定のプロセスを経ることによって至ることができるものでもない。それでは何もわかっていない。存在にはなっていない。
実感に基づき、敢えて直観のままに言えば、「すべての理解・考概・意識は、ゆえもいはれもなく、ただ、ただ、唐突」だ。むろん、この言葉も何かを理解したことになっていない。納得という、きぶんが在るに過ぎない。存在は何て脆弱なものであろうか。
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