第2話 死
そんなふうに、ぼやり独り言ちにつぶやく自意識は、ナルシシズムに由来する演技(ACT)であった。
陰鬱な戯れ言を弄することが、だいぶまえから、じぶんへの、あるやなしやの虚しい癒しとなっていた。
心を翳すことが苦しみを優しく撫で慰めるよう、感じるのである。
半ば無意識の慣習的な営みでしかなかった。気休めでしかない。
治療にもならず、無駄と知るも、残り滓(かす)のごとき生への固執を、蜉蝣のように脆くて微かな欲を、柔らかく鼓舞するため、必要であった。慣習とはそういうものである。
木乃伊に就いて思索していた訳ではなかった。乾燥した草花の死骸を見た刹那、何かが閃いていたはずである。
喪われた時を求めるように、記憶から呼び戻そう、甦らせようとするも、心の深淵から湧いて来る地の底の古代神のような呪縛が意識を阻み、思い出せなかった。心が赴かない。
ただ、眼だけが萎み乾いた花々の骸を見遣っている。
輪郭がなく、色彩による、かすかな起伏の、儚く淡い陰翳が網膜の神経に、初秋のように鮮やかに沁み入った。
あきらかな、光の粒のさらさら、無音の透明さが、強い明るさを以て瞑する沙漠の焦燥のようにも観ぜられる。
そうこうするうち、僕とは別人格である僕の冷厳な思考は、峻嶮厳粛たる脳裡のゴチック聖堂に附属する昏い書斎にて、乾隆帝が愛しそうな龍鳳の古墨を磨っていた。
端渓という硯は老坑から産出される水巌石から作るもので、よく水を吸い、滑らかな、きめ細かい石質である。
浸した筆を奔らせ、仁和寺旧蔵心経のような垂露、龍爪の技巧を尽くす。
そんな厳かさの割には砕けた言葉で、「乾燥、って、とても静かだな」、見事な書体でさように記す。
鮮やかに筆を返しては、「時の死したるがごとし」とも添える。
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が高野切(こうやぎれ)を愛したよう、僕は他の存在者である思考の墨痕を愛でた。
それを真理のごとく感覚した。そのような生理作用が結集したのであろう。
言うまでもなく、僕の思考に限らず、僕のすべてが諸々の化学的現象の集積であり、僕が僕であろうはずもなく、ましてや主体者であろうはずもなく、それゆえに世界の奇しき微妙(みめう)は喩えようもない。
紫のラベンダー、コバルトブルーのサルビア・アズレア、淡い紫のローズマリー、白いかすみ草、それらが乾燥した束。白や碧や紫などの枯れし色合いのハルモニア。厳粛で、軽妙。死のように、美しい。
死は美しい。花々が生を謳歌し、妍を競って咲き誇りて、色変じ、枯れ果て散ることは自然なこと、喩える言葉もない自然の摂理の真妙義であるから。視覚に与える旋律も素晴らしく、自然が作りなす起伏、かたち、色彩の変化など、計り知れなく妙なる繊細さ、人間には決して解(ほど)くことがかなわず、あたかも、無数の種類の音色が織りなす調べ、古代ギリシャ古典期の大理石彫刻の筋肉の滑らかな曲線のような〝たへ(妙)〟、精緻な朝夕の燦めきが雲に映ずる雯(あや)。
美しいと言おう。言わなければならない。間違っていたとしても仕方ない、決定しなくては歩めない。行動しなくては生きていくことができない。正解かどうかなんて決められない。現実のことは現実であるため、答などない。問題集のような解答篇など、附録されていない。決断しかない。
ただ、僕が存(い)る丈である。存るとは何か? わからない。ただ、いる丈。それが何であるかはわからない。だが、いる。僕がいるか、他者がいるか、いる丈があるのか、わからない。
そもそも、答があるか。答というかたち、答という設定が世界には措定すらもされていないように見える。すべて、ただ、ある。理不尽であった。ぶっきらぼうに、唐突に、ある丈、ただ、ある丈。
そんな想いが湧き上がってくる。思惟も自然の水と大して変わらない。それも当然であろう、人間も自然の営みの一つでしかない。人為などという言葉は思い上がった言葉である。
それゆえ、これは自然現象であって、公理でも、定説でも、正論でもなく、真理・真実ではさらさらない(か、どうかの答がない、……たぶん)。適当なことを言っている丈。さよう推定する。それも、そうさ。
人生が常に選択を迫るため、対応している丈でしかない。我が思惟を(到底、信じられないが)信じ、ただ、ただ、選ぶしかない。たとえ、虚しい抵抗であって、精励も儚く、そもそも、勝ちのない闘い(負けのない闘い)であっても、闘う以外には選択肢がない。現実しかない。
いずれにせよ、すべて無に帰する、無とも覚えぬ無に帰する丈(だけ)である。つまり、僕にはわからない。知覚できない。感覚の上にはないことを以て存在する。非存在であることが無の存在証明である。それが死であった。僕らにとっての、僕らの実存にとっての死である。そう想っている丈だが。
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