試験準備 3

 影が濃い。夏の日差しが猛威を振るっている。


 日光を全身に受け、護国騎士が学院にやってきた。

 ついに、やってきたのだ!


 これはつまり、特別選抜試験の日時が目前に迫っていることを表している。


 鳴り物入りで、ではない。供も連れず、馬にも車にも乗らず、歩いて学院の門前に到着したところであった。


 周囲に人は多い。三年生以上が学院外から登校してくる時間だからだ。だが、誰も注意を払わない。まるで、そこにいることがごく自然なことのように。護国騎士どころか、わずかでも変わったところのある人物であるとは、誰にも思わせない雰囲気をまとっていた。


 そして、その護国騎士は静かに学院の敷地内に歩を進めた……。


「おかしくないっスか!?」


 教官室に大きな声が響き渡る。


 正面のミジィ教官は、聞いているのかいないのかわからないような茫洋とした表情でそれを見やっている。


 大声の主は小柄な女であった。少女といってもいい外見で、まるではじめて学院に来たときのティグラのような田舎じみた服装をしている。


「なんでアタシんとこに人が群がんないんスか!」

「……声が大きい」

「ウッド騎士道学院の星、ここ十年で唯一この学院から出た護国騎士っスよ! それが、どうして後輩のガキどもに『迷子?』とか言われなきゃなんないんスか! ほら、パンなんかくれやがったんスよ」


 懐から実物を取り出して、そのまま食べはじめた。


「受け取るな、食うな。……あー……そんなにチヤホヤされたかったら、もっとそれらしい体裁で来ればいいんじゃないか」


 どうでもよさそうなミジィの提案に、パンを食べ終えた女は唇を尖らせた。


「それはなんか嫌じゃないっスか。アピールに必死な感じで。もっとこー、隠しきれないオーラで見つかっちゃうみたいな? そういうのがよかったんスよね」


 この女、名前はキオーヌ・カーワット。


 農夫の娘みたいな素朴な見た目をしているが、正真正銘の護国騎士である。二六歳。趣味は食べること。


 魔法教官のミジィとは、ウッド騎士道学院時代の先輩後輩の間柄であった。だからミジィは、護国騎士に対するものとは思えないぞんざいな態度を取れているのだ。普通はこうはいかない。護国騎士は国家のエリートであり、一王国の学院の教官が対等に話せるような立場ではなかった。本来は学院長が出向いて迎えに行くようなレベルなのだ。


 キオーヌはそういうのを嫌って、お忍びのような感覚で一人で歩いてきたわけであるが……、


「でもまさか完璧に忍べちゃうとは思わなかったっス。で、試験は来月の一日でしたよね。今日は……」

「……二六日」

「しあさってっスね。懐かしい学院に戻ってこれたのはいいけど、選抜試験とかわざわざやらなくていいと思うんスよね。これ、団長の前じゃ言えないっスけど」


「……面倒だからか」

「そりゃ先輩でしょ。なんでもめんどくさがるの治ってないんスね。……いくら素質があるからって、まだ一五とか一六の子供をどんどん上に送るってのは、ちょっと賛成できないっス」


 キオーヌの表情に影が差す。ミジィは珍しいものを見たというように、ごくわずかに目を見開いた。


 だがすぐに影は消え去り、陽気な彼女が戻る。いたずらっぽく指を唇に当ててみせた。


「今のはナイショにしといてくださいね。じゃあ、試験の前の日までは休暇でいいっスよね? 学院長に挨拶したら久しぶりにスリーツリーズの街にくりだそっと」


 古巣に戻ってきてウキウキしているようすのキオーヌ。ミジィは浮かれている彼女を半眼で見て、


「あー、その前に……」

「なんかあるんスか?」


   ◇◇◇


 ティグラたち護国騎士志望コースの初年生は、魔法ドームへと集められた。


 彼らだけではない。そこにいたのは、上級生もふくめた護国騎士志望コースの生徒たち全員であった。


 ミリュエール先輩もいる。アストラルアクション初日に戦っていた男子生徒二人の姿もあった。さらには、生活する場所が違うため普段はあまり接点のない、三年生以上の生徒たち。総勢で一〇〇名を超す生徒が集合していた。


 キャニンベル教官とシラマ教官の指示で、学年別に並ばされる。


「これは、いよいよ護国騎士の登場っていう流れじゃないかな?」


 ロブが興奮を抑えきれないようすで囁く。他の生徒たちも同じ期待をしているようで、ざわめきがなかなか収まらない。


 ティグラ自身も、いったいどんな人が来るのか、気になっている。


(まさかトールヴァじゃないよな?)


 違うとしても彼の知り合いかもしれない。いずれにせよ、ここにいるほぼ全員が目指す目標で、憧れの対象である護国騎士を見ることができるのだ。普通よりティグラの心臓が強く脈打っている気がする。


 ドームの扉が開いた。一〇〇人以上の視線がいちどきにそちらへと集中する。


 だが入ってきたのは、猫背でダラダラ歩いてくるミジィ教官。それに、彼女の助手か何かだろうか、小柄な少女がミジィについてきているだけだった。


 なんだ、まだか、という空気がドーム内に流れる。


 ミジィが生徒たちの前に出た。


「あー……、いよいよ八月一日、しあさってが特別選抜試験だ。アストラルアクション一発勝負。勝ったやつが大学院行きだ。……わかりやすくていいな。この中には、参加するやつしないやつ、いるだろうが、希望者は見学もできる。参加資格がない三年生以上の連中も、他人事だと思わずに勉強しろ」


 言外に、異世界からの転生者のアストラルアクションを見られる機会はなかなかないから、一度見ておけ、と匂わせているのだ。実際にライルが戦うさまを見たのは、教官と、一緒にアストラルアクションの授業を受けた生徒しかいない。そういった意味でも今回は貴重なチャンスである。


 ティグラにしても、ライルのアストラルアクションを見たのは、最初のミリュエール先輩との一戦だけだ。


 実は、この一ヶ月で同じ班に入ったことはあった。しかし、そのときにはすでに選抜試験に照準を合わせていたため、ライルと戦うのを避けた。少しでも情報を与えないようにという、小細工の一つだった。


(そこまでやったからには、本番では絶対にライルを倒す)


 もう、あと三日だ。


「あとは……あー……もういいか。じゃあ、がっかりするなよ」


 それだけ言って、ミジィは引っ込んだ。残っているのは小さな少女一人だ。

 いったい誰で、何の用なのか? この集会は護国騎士の到着を知らせるものではないのか? と、生徒たちは疑問をもって彼女を見る。


 疑念と不審の視線を一〇〇対以上受けて、彼女はたじろいだようだった。

 そのたじろぎをリセットするように咳払いを一つして、


「おまえら、反応がおかしくないっスか?」


 最後列まで十分に届く大きな声であった。


「アタシだよ? おまえらの目標が今、現実に、目の前にいるんスよ? 何スかその『場違いなやつが紛れ込んでる』みたいな視線は」


 ミジィがちょっと戻ってきた。


「……あー、すまん。紹介するの忘れた。こいつはキオーヌ・カーワット。……この学院の卒業生で……、護国騎士だ」


 その場は一時に騒がしくなった。「護国騎士? この人が?」というざわめきと、注目。


「嘘じゃないから。……いちおう」


 それだけ言って引っ込んだミジィに、キオーヌが憤慨して抗議する。


「いちおうって何スか!」


 一介の地方学院の教官にあしらわれている、本当に本物の護国騎士だろうか? そんな生徒たちの視線に気づいて、キオーヌはなんとか居住まいを正した。


「まあ、わかりますよ。アタシが護国騎士に見えないと、そう言いたいのはね。おまえら、そういう目をしてるっスからね。三年生首席!」


 人波に押されるみたいにして、戸惑いながら一人の男子生徒が出てきた。大柄で、いかにも強そうである。


「なんでしょうか……?」

「あんまり手荒にならないところで、組み討ち。やりましょ。かかってきなさい。一発でわからせてあげるっスよ。正真正銘アタシが護国騎士だってね」


 手招きするキオーヌ。指名された三年生は、まだ戸惑いの色が濃い。これは余興なのか、本当に本気を出していいのか決めかねている。


「勝てたらその場で大学院に推薦してあげるっスから、本気で来るといい」


 それを聞いて三年生の目の色が変わった。首席である彼は、順当に行けば年度末の選抜試験で大学院へ行ける。だが、半年以上も早く、それも現役護国騎士の推薦付きとなれば、大いに箔がつくのだ。


 今回の特別選抜試験は参加資格がなく他人事であったが、思わぬところで好機が巡ってきた。


「約束ですよ」


 本気の声であった。


「おい、キオーヌ……?」

「大丈夫っス、先輩。甘々に手加減するっスから、怪我とかはないんで」


 その見下したような言葉に、さらに三年生の顔が険しくなる。


 ティグラの目には、三年生のほうが優位に見える。

 体格差。三年生は分厚い筋肉を持つ堂々たる体つきだ。対してキオーヌは小柄な女性にすぎない。魔法や武器を使ってフィジカルの差を補うことができるアストラルアクションならともかく、素手での組み討ちではさすがにこの体格の差は大きい。


 キオーヌがいっこうに護国騎士らしくないのも影響している。まだ、騙っているだけではないかという疑いを残している生徒も多いだろう。


 三年生が腰を落とし、両腕を上げてがっちりと構えた。


「いいね」


 キオーヌは一つ笑みを残して、そのままスタスタと歩いて近づいていく。


 だれもがとまどう中、ごく自然に間合いに入った。速くも力強くもない、散歩のような気軽さにしか見えなかった。

 

 三年生の手首を掴んだかと思うと、そのまま腕をひねってうつ伏せに倒した。なんの抵抗もなかった。

 片足のかかとを彼の頭部――のすぐ横の床に踏み下ろした。実戦なら頭を踏み抜いているところだ。


「はいおしまい」


 キオーヌは手を放した。


「え、今……どうなった?」「本気だったの?」「やらせ? でも……」「魔法使ったんじゃ?」


 あまりにあっけない決着にざわつく生徒たち。やられた当の三年生も、呆然としながら立ち上がった。


「も、もう一回」

「いいっスよ」


 今度は三年生のほうから仕掛けた。角度速度ともに申し分ない、低く入るタックルだ。この体格でこの素早さは、確かに非凡なものといえた。


 だがそこにはキオーヌはいなかった。三年生の主観からはキオーヌが消えたように見えたが、傍から見ていると、斜めに歩いているだけのキオーヌの隣に誤ってタックルをしてしまったようだった。


 するっと相手の背後を取って、キオーヌは襟首を掴み、膝の後ろを軽く蹴って、あおのけに倒した。まるで力を使っていないような自然な動きだ。


 天井を見上げて三年生は動かない。何をされたのかもよくわからないまま二度も倒されたのだ。


「アタシはチーム内じゃコマンダーで、バリバリの戦闘役じゃない。それでもこのくらいはできるんス。できなきゃやっていけない。これが護国騎士!」


 そう、ここの騎士道学院ではアストラルアクションは個人戦のみだが、大学院より上へ行くとチーム戦があるのだ。


 しかし、さっきの組み討ち、とくに最初のやつはティグラには何がなんだかよくわからなかった。その耳にライルの声が入ってきた。


「フェイント……だと思う」


 そちらを見ると、ライルが周囲のノンノらに話している姿があった。


「足の運び、手の動き、体の向き、視線、呼吸のタイミングとか全部でフェイントをかけて、とっさに動けないようにした……んじゃないかな。それと、速く動こうとするとどうしても力が入ったり予備動作が起こったりして相手に反応されがちだけど、自然にするっと動くとかえって反応されにくいんだ。と、聞いたことがある」


「ライル君もできる?」

「さすがに無理。まだ無理」

「そこのおまえ!」


 三年生を列に戻したキオーヌが、その会話を聞きつけていた。


「なかなか見る目がある。初年生……ひょっとしておまえが例の、異世界からの転生者ってことスか?」

「そうですけど……」


「なーるほど。みんなも聞いてると思う! アタシが来たのは特別選抜試験の試験官をするためっスど、ぶっちゃけ転生者を見に来たんスよ! みんなもわかってるでしょ?」


 それは言わないお約束、というものを軽く無視した、あまりに正直な告白であった。脇で聞いているミジィが溜め息を吐いた。


「だが我が騎士団は公平っス。試験は試験。誰だろうが一発勝負、勝った者が大学院行きっスよ!」


 明確な宣言に、おお、とどよめきが起こる。主に初年生と二年生の間からだ。


「まあ、噂ほどの天才なら、転生者が負けるわけないと思うっスけど」


 露骨にライルに視線を送るキオーヌ。それを受け流すように、ライルは軽く視線を外した。


「そんだけ。じゃあミジィ先輩、あと頼んだっス!」


 そのまま誰も止める間もなく出て行きかけて、キオーヌは扉のところでストップした。


「そうそう、試験の勝者には辞退も許されてるっスからね。まぐれで勝ったやつが間違って大学院に行っちゃうと地獄っスよ。出場する人はよっく考えたほうがいいっス」


 ウインクを投げかけて、今度こそキオーヌは出ていった。


 扉が閉まってすぐ、


「よっしゃスリーツリーズ食べ歩きー!」


 という声が聞こえてきた。


   ◇◇◇


 七月二八日――。

 特別選抜試験の前日となった。


 ティグラは、いつもより少しだけ目覚めが早かった。朝の走り込みのあと、食事は一人で食べる。ルイトンとロブは先に食べたのか、姿がなかった。


 登校すると、校舎のロビーにある掲示板の前に人だかりができていた。


(なんだ?)


 人が多いのが苦手なティグラは、少し離れたところから眺めやった。


 紙が張り出されている。高く掲げられているので、離れていても全貌を目にすることができた。


(特別選抜試験……参加者!)


 今までは公表されていなかった参加者の名前が、前日になってようやく衆目にさらされたのだ。


 誰が出るのか? 出ないのか? 公表が遅かったのは、人対策をしづらいようにする、という名目であった。誰が出るのかわかっていれば、それ用に戦い方を前もって考えることができる。それでは純粋に実力を見ることにはならない。


 だが、ライルは最初から参加がほぼ確定している。言い換えれば、参加者は皆、ライルに対する作戦を練っているはずなのだ。


 転生者包囲網。それをくぐり抜けて圧倒的な実力を見せつけることができるか、という、ライルへの試練なのだ。


 他の参加者へも目を向ける。参加者は総勢一四名。多いと見るか、少ないと見るか。


 ミリュエール先輩の名前もあった。やっぱり、自分が参加するからコーチができなくなったんだろう、と、ティグラは自分の推測が合っていたと思った。


 他、二年生の名はあまり知らない。


 初年生は、ライルとティグラを除けば二人だけだった。二年生よりライルの実力を肌で知っているから、勝ち目がないとみて不参加にした者が多いのだろう。痛覚カットしないから痛いし。


 一人は、フィズクール・パンだ。彼の性格からして、おそらく純粋な力試しのための参加だと思われる。


 もう一人は、ちょっと意外だった。


 カノレー・リヴァーロ。


 ティグラにとっては、前の席の女子というだけの間柄だ。いつも目立たないし、何を考えて参加したのかもよくわからなかった。


「ティグラ」


 呼ばれて振り向けば、ルイトンとロブだった。真面目な顔をしている。


「ちょっといいか」


 ルイトンが顎で外を指した。


「わかった」


 ここではできない話があるということである。それが何の話かわからないティグラは、やや緊張の面持ちでうなずいた。


 校舎の裏に他の人の姿はない。

 ティグラとルイトン、ロブが相対している。


(あの夜の話か……?)


 交互に二人の顔を見やるティグラ。彼らの真面目な顔は、怒っていると見えなくもない。


「見たか?」


 と、ルイトンが言った。先ほどの張り紙のことだ。ティグラは頷いた。


「知ってる名前は? 二年生で」

「ミリュエール先輩と……」

「それくらいだろう? そうだと思ったよ。ライルが目的なのはわかるけど、他の人のことをまるで知らなかったら途中でやられる可能性が増えるとは思わなかったのかい」


「いくらライル対策とかいっても、会えなかったら意味ねえだろ」

「それなのにライル対策だけ? それはちょっと甘く見すぎじゃないかな」


 戸惑ったようにうなずくだけのティグラ。なぜこんなに責め立ててくるのか。やはりまだ怒っているのだろうか。

「そんなおまえはこれでも食らえ!」


 ルイトンが拳を突き出した。


 ……丸めた紙の束を握っている。


「これは……?」

「いいから見てみろ」


 受け取って広げた。

 そこにはびっしりと何かが書いてあった。少し読み進めたティグラは、ばっと顔を上げて二人を見た。


「おまえらっ……これ」


 声が出ない。ティグラは目を見開くばかりだ。


『エダム・オットーリ、〈上天〉純陽。"筋肉魔法使い"。体はでかいが剣技より魔法が得意。とはいえ馬鹿力での一撃も強いらしい。気が弱い=用心深い? 犬が苦手 ※〈火球〉をよく使うので範囲攻撃に注意!』


『モーブ・グリーン、〈虚空〉流陽。特に目立った点なし。気弱で地味。なぜ今回参加したのか不明。彼になら勝てるかも? ※楽観は禁物』


 それは二年生のデータだった。


 ティグラの視線を受けて、ルイトンとロブはいたずらが成功したみたいに笑った。


「すごいだろう。ぼくらがやったんだよ。ぼくらが。いろいろ話聞きに行ったりしてさ」

「まあ、参加者発表前だから出ないやつとかも書いてあるし、抜けてるやつもいるけどな。まあ有名どころは入ってるからよ」


「じゃあ……ここんところいなかったのは……」

「これを作っていたんだよ」


 では怒っていたのではないんだ。むしろ逆だ。ティグラから助力を断ったのに、邪魔をしないように独自に情報を集めてくれたのだ。


「お? どうした? 感動したか?」

「うん」

「へ?」


 からかうようなルイトンだったが、ティグラが予想外に素直だったので肩すかしを食ったようになった。


「おまえら……ありがとう」

「別に、おれの勉強にもなるしな。いつか上級生と当たることもないとは言えねえ。おまえだけのためにやったなんて自惚れんなよ」

「十中八九最初にぶつかった相手に負けるとぼくは思うけどね。冷静な計算だとそうなる。でも十のうち一、二を引けたら面白いだろう?」


 二人は憎まれ口を叩きながら、競ってティグラの背中を手で叩く。それはまるで、自分の気合いをティグラに移そうとでもしているかのようであった。


 痛さよりも熱さを、ティグラは感じていた。

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